ちょっと力抜いちゃうと(ライブ会場の雰囲気に)飲まれそうになっちゃうから、ずっと気を張っていなくちゃいけない
未来は誰のものでもない。先駆者というものはおらず、時間に遅れた者しかいないのだ
有益な言葉は飾り気のない口から出ることが多い
現実とつじつまが合わないイノベーションを手掛けてはいけない。そのようなイノベーションが実を結ぶことは希である。たんにその新奇さのゆえに、魅力的に見えることが少なくない。しかし、それらの多くはたとえ失敗しなくとも、莫大な資金と時間を要する
もし全員に好まれるものがあるとしたら、それは間違いなくくだらないものだ
不幸はなにも生まないね。不幸とか苦労とかは人をどんどんダメにする。苦労話とかする奴は「俺はこんなにだめなんだぜ!」って言って今まで何をしてきたかをひけらす人でしょ。ひけらかして自分の価値を認めさせようとするわけだ。そんなのは最低だ。
企業はなによりもアイデアであり、アイデアを生むことのできるのは個々の人間だけである。勇を鼓して自ら思考し、既成観念にあえてそむける人なくして、その企業の成長と繁栄は望めない
みんな何かしら人知れず苦労しているものだ。だから自分から進んで苦労する必要はない
原因は何十年かのちに学者が明らかにするだろうが、行動する経営者としては待っていられないだろう。使えるもの、分かったことはどんどん使いなさい
癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた
絶対仲良くなれない奴いるよね? 俺超友達少ないもん。でも音楽の上ではこんなに愛し合えるんだよ。実際の世界よりも僕は好きだから、ライブの空間と音楽の空間が。
どうせやり切るなら極限までやっちゃえ!
今、俺の考えるライブは祭りだから、日本各地でみんなと祭りをやるという感覚が楽しみでしょうがない。小難しいことを考えず、嫌なことも全部置いてくればいいと思うんだ。きっと楽しめるはずだから
1回でもつまらない仕事をしちゃえば、そこで終わり
一番悪い奴は「口だけいいことを言って実践しない奴」次に悪いのは「悪いことばかり考えてる奴」そうなりたくねぇんだ
ミュージアムをひとつくれ。埋めてやる
人生において、諸君には二つの道が拓かれている。一つは理想へ、他の一つは死へと通じている
大事なのは縛りあうことじゃなくて、お互いがお互いをひきつけ合うことじゃん
死に方は生き方、生き方は死に方。
芸術家を何とお思いか。画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。それはとんでもない勘違い。芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている
真のマーケティングは顧客から出発する。すなわち人間、現実、欲求、価値から出発する
多くの人が80代まで生きれないのは、彼らが長期に渡って40代で止まろうと努力するからだ
カニバリズムは最も明確な優しさの表現のひとつだ
女性って20代までは大変ですよね~自分次第で何者にもなれるはずなのに、社会だったり男性の目線だったり、余計なことに捕らわれて不自由になりがち。それはもったいないと思う。
指輪によって結婚はなりたつ。つまり、指輪とは鎖を編むものなのです
自分が良いと思うものを「ほんまに良いものなんです!」って言い通したり、自信のあるものは「自信があります」って言うのが、やっぱり大事。
人間おのずから用に適する所あり、天下何ぞなすべき時なからむ
私は子供のときに自転車に乗ったことのない唯一の男である。描くことにしか興味がなかった
何事も、上手く進まないときは、停滞の時期ではなく、変化の時期だ。
結果オーライって凄くいいことだと思わない?
自然は常に完全である。決してまちがわない。まちがいは我々の立脚点、視点の方にある
自分が自分自身に出会う、彼女が彼女自身に出会う、お互いが相手の中に自分自身を発見する。それが運命的な出会いというものだ
曲が浮かぶのは、いつも本当に突然です
いまさら、自分を変えようとしてはならない。そんなのは、うまくいくわけがない
限界を越えることは絶対出来ないと思うんです。越えられないから限界と書くわけで。でも越えられるから不思議なんです。
(印象派について)彼らはもっぱらその装飾の結果のために、真実を妨害するように、自由なしで、色を使っています。彼らは目だけで物を見て、神秘的な思念を基にしていません。彼らは単に明日の公式画家です
ふつうは歳をとったとかモーロクしたとかあいつもだいぶボケたとかいうんだけどそういう言葉の代わりに「あいつもかなり老人力がついてきたな」という風に言うのである。そうすると何だか歳をとることに積極性が出てきてなかなかいい
どうしようもないことをコントロールしようとする気持ちが少ないのかも
(RC時代、ローリングストーンズのパクリでは?の声に)なんだ、今頃気付いたの?
大リーグで活躍したいと思うことは夢じゃないんだよ。野球をやりたいというのが夢だ。
さっき決めたんだーどうしてもどうしてもどうしても笑顔じゃいられない時以外は、笑っていようって
私が独りでいることは決してない。いつだってサルバドール・ダリといるのが習慣なんだ。信じておくれよ、それは永遠のパーティーってことなんだ
あらゆる活動について「もし今日これを行っていなかったとして、改めて行うか」を問わなければならない。答えが否であるなら、「それでは、いかにして一日も早くやめるか」を問わなければならない
(中学を卒業したら東京に行かせてくれ、と父親に言ったときに反論されて)お父さん、僕を止められるんか。音楽しかやりたいことないんじゃ。お父さんには、僕の音楽を反対するだけの材料があるんか。
広島も付き合い長いな。しかし、付き合い長いとなんか感情が湧いてくるよな。こういうの、何ていうんだ?……憎しみ? (広島ライブにて)
俺達の事な、忘れてもいいけど、此処でお前らがしてるその顔を忘れんな!お前等一人一人が主役なんだ!
我々は脳をブン投げて、ただ目だけで見ることができればいいのだが
興奮した党派の叫びの中から、真理の声を聞き取ることは難しい
ここ何県?(ロサンゼルスにて)
Until the great mass of the people shall be filled with the sense of responsibility for each other’s welfare, social justice can never be attained.
社会正義は、人々の大多数がお互いの福祉に対する責任感で満たされるまで、決して達成されることはありません。