あなたの日常は唄になるんです。
私には規則や方式は一切ない。裸婦を見る、すると幾千ものちいさな色合いが見えてくる。その中から、生き続けるものを探し出し、そのようにして真新しい色調をキャンバスの上に躍動させるのだ
「今日単車で来たやついるか?」(客ワァァァ)「気をつけろよ」→GT400演奏(FRFにて)
1回でもつまらない仕事をしちゃえば、そこで終わり
100の好きを見つけても1の嫌いに心を裂かれたりする
自分の人間力なんて分からないし、そこで勝負しようなんて思ってないんだよね
僕は僕の偏見でうたをうたっとる。うたっとるやつは下品じゃがうたの内容は最高じゃ
僕はどんな完成の仕方をしてもその人の実力だと思う。聴く人の実力。だからみんなそれぞれ立派に仕上げてください。そこで自分が楽しい 最高じゃんと思ってくれたらすごく嬉しい。
芸術家になるためには、まず自分の目や耳でよいものを感じて選びとる「審美眼」が大切
まず、やりたいを決め、次に何に集中すべきかを決めなさい
やっぱ東城会はアホばっかりや。大好きやで。
世界史は世界審判である
ミスというのはほとんどいつも神聖な特徴があって、決して修正しようとなんてしてはいけない
楽曲は成り行きだけど、僕とマーシーは20数年間、その成り行きの『成り行かせ方』をやってきた。スタジオに入った瞬間に、僕とマーシーの空気はあるんだと思う。今は4人でうまーい成り行かせ方をしてんじゃない?そんな気がする
僕はずっと一人ぼっちでいるせいか、人と話すと自分のことばかり話してしまう
大体、いちばん素晴らしい絵を描くのは四、五才くらいの子どもだよ
あなたの家庭はあなたの避難所だ。ただ、そこに閉じこもってはいけない
彫刻は、凹凸の術である
生産性の本質を測る真の基準は「量」ではなく、「質」である
コピーとかカバーっていうのもそうで、曲をカバーするんじゃなくて、そこにある熱をカバーするんだよ。
余り考え過ごす者は何事をも成し得ない
フェスにはいろんな人のいろんな思惑が絡み付いて、そんなの誠実じゃねーじゃねぇかと思うこともあるんだけど、音楽好きな奴らが集まって、音楽しか能のねー人間が精一杯演奏する。こんなシンプルな関係は政治なんざには負けやしねぇ
惚れたはれたの世界じゃなくて、もっと性別を超越したもの、生命を見つめるようなものーそういう温度にまで、お客さんの器を大きく広げてさしあげることができたらいいと思ったんですよね
モノを作ることを職業としていくには、一つや二ついいものができるだけではダメだ
自分があまりにも日本語を知らな過ぎることがコンプレックスでした
理論というものは現実に従って変化していく
国が無くなっても自由に生きられるよ。国なんていう考え方に縛られているのは人間だけだ。
「ヒットさせなきゃ」とかはないです。ただ、自分自身が毎回前作を超えたいだけで。
より良くならなくていいんだよ。俺たち最高なんだから。
選択肢を前にした若者が答えるべき問題は、正確には、何をしたらよいかではなく、自分を使って何をしたいかである
全然文明化されていない環境と孤独が、死の間際にいたり、私の内部で、最後の熱情のひらめきを復活させるのです。そしてその熱情こそ、私の想像力を、今いちど燃やし、私の才能を、最後の出口へと導いてくれるものなのです
常に非現実を生きてる気がしてならないなぁ。本当にこれ、私の生活か?
ドリフターズのお客さんを見てごらん? 大人がいないだろう? 小学生くらいの子供たちでいっつも会場は満員なの。で、大人になったらその子たちは卒業していなくなる。でも次の子たちが入学してまたドリフターズを観に来るの。
型にはハマらずにいたい
負けず嫌いなので、自分の人生には刺激が足りない、喜怒哀楽においてのすべての感情が足りない
自分を実際そうである以上に見たがったり、また見せようとしたり、あるいは逆に、実力以下に感じて卑屈になってみたり、また自己防衛本能から安全なカラの中にはいって身を守るために、わざと自分を低く見せようとすること、そこから堕落していくんだよ
俺はいったい何がしたいんだ? なんでこんなんなってんだ? 答えはすごく簡単だ。これが自分の選んだ生きる道だからだ
All we are saying is give peace a chance!
僕らが言っているのは、平和にチャンスを与えようということだけだ!
美しい景色を探すな。景色の中に美しいものを見つけるんだ
「愛」とか言うと、みんなださいとか、くさいとか言うけど、なんか俺は違うと思うな。
誰かと肩がぶつかる。生きるってそういう事だと思う。
自らに求めるものが少なければ、成長しない。多くを自らに求めるなら、成長しない者と同程度の努力で巨人に成長できる
明日に引き伸ばせば、それは死んでしまう
いいよ。行っちまえよ。何処へでも。何処にでも届くように唄ってるからさ。
(カメラは)カビたり錆びたりもしますから、送られてきたお菓子とかに入っているシリカゲルを棚に入れたりしています。まあ、普通に置いてます
私たちは生涯、忠義を尽くし、御恩に報いる目的で一切の艱難を乗り越えなければならない
ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎
ミュージアムをひとつくれ。埋めてやる
Until the great mass of the people shall be filled with the sense of responsibility for each other’s welfare, social justice can never be attained.
社会正義は、人々の大多数がお互いの福祉に対する責任感で満たされるまで、決して達成されることはありません。
自分の姿をありのまま直視する、それは強さだ
「病気になったのは罰なんだ」「人の言うことを聞かないからこういうことになるんだ」と、自分を責める気持ちから曲が生まれた。ネガティブな気持ちを書いている。
マーケティングは事業全体を完全に包含する。それは最終成果の観点、つまり顧客の視点から見たビジネスすべてである。それゆえにマーケティングに対する配慮と責任は企業全体に浸透していなければならない
何百万枚も売れるロックなんて、あんましロックじゃない
確かに2年前、俺はお前の相手が出来んかった。それはなぁ…… あん時のお前が弱過ぎたからや!
ルール破ってもマナーは守れよ
俺には嫌いなタイプの人間が2種類おってなぁ。1つは、人が苦労して取ったぬいぐるみちゃんたちをバラすようなアホンダラ……もう1つは、立場の弱い女子供を食い物にするようなクソッタレ……どっちもお前らのことじゃボケェ!
平等は人道の神聖な法則である
子どもは誰でも芸術家だ。問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかだ
流行なんて、文字どおり流れていく
それは夢のまた夢、夢の中の夢の中の夢の中のそのまた夢の中の、夢の夢さ。でも、夢はあきらめない方がいいぜ
私が死んだら、まるで船が遭難するようなものだな。大きな船が沈むと、その近くにいる人はみな、渦に巻き込まれてしまうんだ
沖縄、色んなものがあるんでしょうね。…珍しい鳥もいるんだろうね…ほら、青いのとか…(石垣島にて)
人それぞれに求めるものは違うけど、それでいいんじゃないか。自分の思うようにすればいい
兄弟は、塀の中で死ぬようなタマやない。あいつは必ず戻ってくる。……俺を殺しにな。
素晴らしい夢ほど笑われるものです。 もし、他人に自分の夢を笑われたら「あぁ、自分の夢は素晴らしいんだ」っと誇ってください。
愛をうまく告白しようとか、自分の気持ちを言葉で訴えようなんて、構える必要はない。きみの体全体が愛の告白なのだ
今日此処に来たかったけど、チケット取れなかったヤツが沢山いるの分かってるから。そんなヤツらにも届くように唄ってるから。
99回倒されても、100回目に立ち上がればよい
やっぱり大事な人ほど傷つけてるなという感覚と、傷つけてまで一緒にいたい、愛したいという感覚。それが自分の根本なんだなって。
他人の価値観を尊重できないなら、自分の価値観なんて主張しちゃいけないと思う
モネは、ひとえに眼にほかならない。しかし、何という眼だろう
Before Elvis, there was nothing.
すべての始まりは、エルヴィスだった。
私は憧れの人になれないけど、私は私になれたし、よかった
10年後に生きている確率よりも、明日生きている確率の方がきっと高いじゃないですか。だから明日持つ夢の方がすごく大事です。
自然は無限に分割された神である。神と自然は、完全に相等しい二つの偉大な力である
どうにもならないことなんて、どうにでもなっていいこと。
詩人は賞賛など求めてはいない。信じてもらいたいだけだ
世界中で今日もどこかでライブがあるだろうし、明日もどこかでやるだろうし、世界中でも何百何千万、すごい数のライブがあるんだろうけど 、俺の言ってるこのすげえロックンロールっていうのは 多分、ほんの一握りなんだよ
心に鍵をかけてるひと。かけすぎて人と話すのが苦手になったりしてる人。自殺をしようとした事がある人。俺はそのままでもいいと思うよ。かっこ良いと思うよ。でもどうか生き延びてください
僕の部屋は僕を守るけど、僕をひとりぼっちにする
悲しいことも苦しいことも、全てを楽しみに変えていけるのが人間の力だよ
もって行かれるぞ。甘い考えで生きてるとあっという間にもって行かれてしまう。この国をたて直すためには戦争をするしかないと考える人間がたくさん居るんだ。
Life is an exciting business, and most exciting when it is lived for others.
人生は胸おどるものです。そしてもっともワクワクするのは、人のために生きるときです。