


「ヒットさせなきゃ」とかはないです。ただ、自分自身が毎回前作を超えたいだけで。

自分の感情を音楽を通じて人々の前に発表してみたいという心がなければ、作曲しないほうがいい

アキラメというのは人生的なものである。体験に基づくというか、体験の集積というか、いずれにしろ体に発するというか、体からじわりと湧き出る。それにひきかえ、シラケというのは、体験からのものとは違う

大胆のコツは、度が過ぎない程度にどこまで遠くへ行けるかを知ることである

スタイルとは、複雑なことを表現するための簡単な方法だ

青年は決して安全な株を買ってはならない

どうしたって笑えないけど、それでも笑わないといけない時かぁー。…泣いちゃえばいいんじゃないか

大小様々な仮想敵を作って「XXXXよりこっちが良い!」みたいに比較するのではなくて、「楽しい!」とか「ヤベー!」とか、言葉にできない魅力とか、そういうことをシェアしたいなって思う。

釣りをやる人には、釣れそうなところがわかるそうなんですね。私たちの路上観察も同じような感じで、ありそうなところっていうのが、何となく雰囲気でわかるんですね。あまりピカピカの出来たての街だと、他の要素が入り込む要素がないので、妙なものを発見することが少ないんです。だいぶ時間がたって、壊れたり色々用途が変更になったり、何だかんだと生活にもまれたところで、見る人が見れば妙なものになる。そういうところがすごく面白いところなんですね

私の誕生の日から、死がその歩みを始めている。急ぐこともなく、死は私に向かって歩いている

いかなる道でも効果が無くなると、最後の手段として剣が与えられてるのです。最高の財宝だけは、われわれは暴力に対して正当防衛をしてもよいのです

生きているうちに天才って言われたい

自分の価値観を持って生きるってことは嫌われても当たり前なんだ

沈黙は絶叫よりも恐ろしい

こないだまでうつだったんだよ。みんなはうつにならないかもしれないが、僕はなるんだ。自分はなんて嫌な人間なんだろうって自己嫌悪になって…ずっと自分は変わっていると思ってたんだけど、みんなも良い所と悪い所があって、変わっていて、それが普通なんだよな。だから、僕も普通なんだって思えるようになりました

いまだに『磔磔』って字が書けない…。 (03年京都磔磔にて)

It is for us to pray not for tasks equal to our powers, but for powers equal to our tasks, to go forward with a great desire forever beating at the door of our hearts as we travel toward our distant goal.
私たちは、自分の力に見合った課題を願うのではなく、課題に見合った力を願うべきです。心の扉を叩き続ける強い願望と共に、遠い目標に向かって旅を進めるのです。

人間は自らが望む未来の大きさに合わせて、成長する

できると思えばできる、できないと思えばできない。これは、ゆるぎない絶対的な法則である

自分の姿をありのまま直視する、それは強さだ

少なくとも僕にも誰かを楽しませることはできる

名古屋ってダイヤモンドが特産か? …いや、ここに来る途中で『名古屋ダイヤモンド工業』って見かけてさー…ここも『ダイヤモンドホール』だし…。」

今は、もう感動はない。だから感想が湧くのである。感動には叫びはあるだろうが言葉はない

イメージの共有がしたいだけなんだ。言葉の共有じゃなくてどこかもやもやっとしたイメージをひねりだして曲にする。そのもやもやを共有したいだけなんだ。それで「生きてやるぜ!」って思ってもらえれば、「生きるっていいな」と思ってくれればそれでいいです。

会計学者や経営者は「純利益」という言葉を使うが、企業経営ではそんな言葉を使ってはいけない。「フューチャー・コスト(未来費用)」と呼ぶべきだ。企業というのは、リスクを負うために失敗することもある、そのときのために未来のコストを留保してあるのであって、利益の蓄積ではないのだ

ど・ち・ら・に・し・よ・う・か・な・か・み・さ・ま・の・い・う・と・お・り…決まった… 赤や…!

考えられないですよ、東京事変がない状態って。いろんな意味で、どうしても、こうしなきゃいけなかったというか。うーん、抗えなかった。避ける道がなかったと思いますけどね。

苦痛は短く、喜びは永遠である

夢見ることをやめてはいけない

そうだったな。俺らはいつもそうやって生きてきたんだったな。

猛烈に自分を強くし、鋭くし、責任をとって問題を進めていく以外にない

私は常々「偶然耳にされたリスナーの方が、わくわくなさるような時間を提供せねば」と考えています。せっかくなら。子供の頃観た歌番組では、いろいろな歌手がよく、一緒に歌ったりしていました。ああいうフランクさが近年どんどん失われているのを寂しく思っています。

挑戦した不成功者には、再挑戦者としての新しい輝きが約束されるだろうが、挑戦を避けたままオリてしまったやつには新しい人生などはない

一生のうちの勇気の絶対量があるとしたら、もう使い果たしていると思うんですよ、ビビりだから。

癌もロックンロールだ。

女には、生まれつき筋をつらぬく面がある。男よりずっとしっかりしているよ

出産じゃなくても、女の人にはあることだと思いますよ。(感覚ではなく)頭で理解しようとしちゃう瞬間が、人生で何度かあるんじゃないでしょうか。大きな選択っていうか

常に悲しみを要求する人生に対して、僕らにできる最上のことは、小さな不幸を滑稽だと思い、また大きな悲しみをも笑い飛ばすことだ

砂漠では、教養など何の役にも立たない。生きる技術を持っているかどうかが生き残れるかどうかを分ける。厳しいビジネスの世界も同じである

俺は巨大な産業としての音楽が崩壊しつつある中で、平たくなった場所はすごく楽しい遊び場になっていくと思うんですよ

日本人はやはり全員が五、六歳か、もしくはたんなる訴訟の素材なのだ

「時」の歩みは三重である。未来はためらいつつ近づき、現在は矢のように速く飛び去り、過去は永久に静かに立っている

宇宙には緊急な、致命的な、動かせない法則がある。なければならぬ

自分が何をやりたいか、何を伝えたいかが分かっていたら、技術は後からついてくる

今俺らがうたってる最中に向こうの方横切ってトイレ行ったりしてる奴ら、そいつらもここ(最前列)にいつか来させてやる。全員ギャフンと言わせてやる

あらゆる活動について「もし今日これを行っていなかったとして、改めて行うか」を問わなければならない。答えが否であるなら、「それでは、いかにして一日も早くやめるか」を問わなければならない

侮辱に悪影響を受けるのは、侮辱に感染しているのだ

音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う

日本語はロックにならない。英語じゃなきゃダメだって言い切ってた奴らがいたじゃん。そんなことないのね。日本語にだってリズムがあるし、ロックになるんだ。

未来は真っ暗。 お先真っ暗というのはすげー前向きな言葉だよ。真っ暗なんだよ。どこがいけないんだよ。そん中に すっげー誰も見たことがない、どんなに勉強したってわかりっこない、 素晴らしいものが隠れてるかもしんない。 真っ暗ってことはいいねえ。みんな平等で。

神童。それは多くの場合、非常に想像力の豊かな親を持った子供のことである

こんなに色んな人が関わりあうのは、俺、音楽しかねぇと思うんだ。てか、音楽しかしらねぇ

その日、歩ける一歩を歩くだけ

沖縄じゃどれだけ有名か知らねえが・・・そんな脅しが通る程、世の中甘くねえぜ。

嫌われることは愛されることより難しい

ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎

ありがとうじゃ足りないけどありがとうしかない。悔しい

人間おのずから用に適する所あり、天下何ぞなすべき時なからむ

私が生まれるということは不条理である。私が死ぬということも不条理である

偉業は一時的な衝動でなされるものではなく、小さなことの積み重ねによって成し遂げられるのだ

何百万枚も売れるロックなんて、あんましロックじゃない

俺は右でも左でもかまわないんだ。そんなことどーでもいいんだ。右にどんどん行ってみろ。やがて左側に来ているのさ。地球は丸いからね。

君がもしも君の音楽を信じていて、自分の作り出す音をみんなに聴いて裕しいと思うなら、それを続けるべきだ。誰に何と言われようと最高の音楽なんだろ?

オリンピックってどこが優勝したか知ってる?(長野オリンピック後の長野ライブにて)

みんながいなくなったらどうしよう。その不安で毎日押しつぶされそうだけど、俺が今から作る曲をみんなが無条件に聴いてくれるなんてありえないこと、あたりまえにわかってるから。頑張って頑張って自分史上最高の曲を書いて、何食わぬ顔で届けるから。俺はそーゆー虫になるから

リスクには2種類ある。踏むには危険が大きすぎるリスク。それと逃すにはあまりにも惜しいリスクだ

「僕は永遠に生きます」って今思ってる。明日も思ってる。あさっても思ってる。10年後も思ってる。20年後も思ってる。そしてある日死ぬんだ。うん。それがいいな。

何もかも切り離さずにやってる人たちはたくさんいるよ。ずっと、ちゃんと、いる。

うわー凄げぇな。学校や会社でうまくいってない奴らがここには多いと思うけど、そんな奴らが集まるとこんなキレイな景色になるんだな

人の曲を歌う時こそ、恥ずかしい気持ちもなく思い切り出せる声もあるのかもしれないとも思ったし、その、声に焦点を絞ったものもやってみたいって考えられるようにもなってきて

多数とは何か?多数は阿呆のみ、真理は常に少数者にある

最も美しい主題は君たちの前にある。なぜといえばそれらのものこそ君たちが一番よく知っているからである

約束の額だ・・・悪く思うな。

笑ってくれりゃあ本望だよ

「やさしくなりたい」という意思、それはすごく大切だなと思う

「楽しく続いていくうちは最高に楽しいことをやろうぜ。駄目になったら、それはそれ」っていう考え方の方が、逆に物事が続いてったりするじゃん。もちろん続けることは大切な意味があるけれど、それが目標になっちゃうと挑戦も冒険もできなくなっちゃうからね

俺は峯に教わったんだ。信じる心ってのは・・・人間死ぬ間際でも持てるんだってことを・・・!

最も重要なことから始めなさい

私は毎日進歩しつつある。私の本領はこれだけだ

思い出すのは、あんまよくないよ

聴いてる音楽とやってる音楽がつながらなくても、それはどうでもいいんです。

アーティストの生き方を曲に乗せて、憧れていただく。あたしは全然そういうのやってないんだけど、語られる時にすごく良くないもののように、見世物のように言われますが、実際にはその時お客さんが欲してらっしゃる、期待してきたものであり、それを超えるものでなければいけないと思ってます。こちらの生活、暮らしとか気分とか、そういったものは一切知られてはいけない。それが芸。

お前らがここに来るまでに何があったかなんかどーでもいい。お前らの父親が死のうが母親が死のうがそんなのかんけーない。ただこの中で思いっきり楽しんでいってくれー!!

生産性を向上させるためにまず問うべきは、何が目的か、何を実現させようとしているか、なぜそれを行うかである

ウィンターってウィンターって意味じゃないらしいよ。(The Birthdayの神戸ウィンターランドでのライブにて)

革命家になろうとも思わないし、政治家にも宗教家になろうとも思わないけどさ、同じ事考えてる人いっぱい居るんだなと思ったら安心するじゃん。で、その記憶が俺を支えるしみんなの事も支えてくれるんだったら、やった意味はあるよね

自然は生命を更新するためにのみ死を役立てる

人は幸運の時は偉大に見えるかもしれないが、真に向上するのは不運の時である

僕と貴方達との距離は はたして何キロぐらいだ

先に見出し、後に捜し求めよ

路上観察の場合はある種の説明で、見る人の手助けになるようにと思って書いています。でも、作品としての写真となると、見る人がその作品の中にどうやって入っていけば良いかわからない…入り口のない場合が多いんですね

人生自体にも限りがあって、いつ終わるか分からなくて、その中で『たった今、美しい者を求めても構わないんじゃないか?』って思って、 『どうせそれが繋がって積み重なって美学というものになってんじゃないの?』と

何かがあった瞬間というのは、何かが終わった瞬間だと思う。 何かが終わった瞬間が、何かが始まった瞬間だと思う。

悪い種子からは悪い実ができる

真のイノベーションと新奇さを混同してはいけない。イノベーションは価値を生む。新奇さは面白いだけである。ところが組織の多くが毎日同じことを行い、毎日同じものをつくることに飽きたというだけで、新奇なものに取り組んでしまう

愛の前で自分の損得を考えること自体ナンセンスだ。そんな男は女を愛する資格はない

決断の場面においてはトップは常に孤独である

君はあなた自身を創造していると思いなさい
