


究極の善、究極の悪、究極の価値がなければ、人間のある活動が別の活動よりも本質的に優っていることなどあり得ない。だから、全ての行為が同じ価値しか持っていないということを認めざるを得ない。とするなら、一つの行為を別の行為よりも優先させるのは、我々が自分で独自の選択を行っているからある

んだ。学びは終わらない。んだ。

聴く人がどう受け止めるかは、聴く人の自由

オレは糞っタレのダメ人間!お前ら、オレみたいになんなよ!…でもさ、お前らがいるからこんなオレでもここに立てた。今のオレにはもう歌うしかねぇ、だからお前ら、オレにもう少し付きあってくれ

誰でも自らの強みについてはよく分かっている。だが、たいていは間違っている。わかっているのはせいぜい弱みである。それさえ間違っていることが多い

出産じゃなくても、女の人にはあることだと思いますよ。(感覚ではなく)頭で理解しようとしちゃう瞬間が、人生で何度かあるんじゃないでしょうか。大きな選択っていうか

作曲には、論理的な思考と感覚的なひらめきを要する。論理的思考の基になるものが、 自分の中にある知識や体験などの集積だ

夢はぶれずにいることなんです。わたしにとってはいちばん大切なのです。

人を掴むのはコンセプトの面白さじゃなくて、それを実行に移している瞬間のテンション

人間は自らが望む未来の大きさに合わせて、成長する

予感というのも、努力の重なりの上に出来る、透明な上澄みのような感覚だと思う

我々は自分の内に天使をかくまっている。我々はこの天使の保護者でなくてはならない

ミュージアムをひとつくれ。埋めてやる

好奇心と衝動は音楽を作る上でめちゃめちゃ大事

純粋に泣けてしまうことって本当にある

歓びは、自然を動かす強いバネ。歓びこそは、大宇宙の時計仕掛けの歯車を回すもの

自殺か三枚完結かでしょ?ロックストーリーって。

出会わなければ良かった出会いなんてきっとない…ないよ。

人の評価なんかどうでもいいし

孤独であって、充実している、そういうのが人間だ

音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う。

「志」のない知恵は、翼のない鳥に等しい

相手を尊敬することができぬなら恋は起こりえない

私は最初、写真っていうのは、機械が撮るもんだから誰が撮っても一緒。だから絵とは違うなって思っていたんですけど、そうじゃないんですね。写真って、あなどれないなと思いました

「ブルーフォレスト! 」「ねぶた根性見せてみろ! 」(青森ライブにて)

長く続いた友情なのに、別れるときはあっという間だ

自らの果たすべき貢献は何かという問いからスタートするとき、人は自由となる。責任をもつがゆえに、自由となる

私が猫好きなのは、家で過ごす方が好きだからだ。そして次第に、猫が家の一部に思えてくる

これからは、誰もが自らをマネジメントしなければならない。自らを最も貢献できる場所に置き、成長していかなければならない

明日描く絵が、一番すばらしい

(スーツもシャツもネクタイも黒だったので「真っ黒だね!」と客に言われた後)ああ、黒人だからな。(97年TOKYO COOL CAMP)

頑張ってる最中の奴を手助けしないで見守ることをみんなできるはずなのに、そこで水差すのはいいかっこしたいからじゃん。僕は私は、こういう困ってる人は見過ごせない。自分より弱い立場の人は絶対助けてあげなきゃいけないほど心の優しい人間です。そういう心の持ち主ですって他にアピールしたいだけじゃないの?恥を知れ!

俺以外のメンバーってのはすごいいいヤツでさ、見てて眩しいんだ。誰見てても眩しいんだ。それはうちのスタッフ、ファンもそう。嬉しいし、最高なんだけど、自分が最低の人間だなって思わされる

第一番に稚心を去らねばならぬ

仕事は点ではなく線だ

死に方は生き方、生き方は死に方。

いいかい、怖かったら怖いほど、逆にそこに飛び込むんだ

せやけど俺は……何があっても親父の子ですわ

ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎

お前らの人生がライブハウスみたいだったらいいなぁ。おされたり、ぶつかり合ったり、倒れちゃったりして、でも自分の力で立ち上がったり、時には周りの人に助けられたりしながら起き上がって、次の瞬間にはものっすごい笑顔で前を向いてる。お前らの人生がそんなだったらいいなぁ

沖縄じゃどれだけ有名か知らねえが・・・そんな脅しが通る程、世の中甘くねえぜ。

自分に能力がないなんて決めて、引っ込んでしまっては駄目だ。なければ尚いい、今まで世の中で能力とか、才能なんて思われていたものを越えた、決意の凄みを見せてやる、というつもりでやればいいんだよ

僕は僕の偏見でうたをうたっとる。うたっとるやつは下品じゃがうたの内容は最高じゃ

とどのつまり歴史とは何か?歴史とは伝説と化した事実であり、伝説とは歴史と化したウソである

So long as the memory of certain beloved friends lives in my heart, I shall say that life is good.
心に愛する友の思い出が生き続ける限り、人生は素晴らしいと私は言い続けるでしょう。

マラソンランナーと一緒で、長距離を走り抜くにはペースを崩さないこと

(ビリーアイリッシュの曲で、あえて「音圧」という言葉を使ったのは、低い音って部屋自体が振動して、まさに音の圧って感じがするんですよね。プレッシャーみたいな音というか。これまでの「音圧」みたいな言葉は、ラウドネスメーターの数値の話だと思うので、それとは別の感覚についての話です)

どんな偉い奴が来ても君は君の夢を主張できるかい? 俺は主張できるよ

世界史は世界審判である

「僕は永遠に生きます」って今思ってる。明日も思ってる。あさっても思ってる。10年後も思ってる。20年後も思ってる。そしてある日死ぬんだ。うん。それがいいな。

君がもしも君の音楽を信じていて、自分の作り出す音をみんなに聴いて裕しいと思うなら、それを続けるべきだ。誰に何と言われようと最高の音楽なんだろ?

会計学者や経営者は「純利益」という言葉を使うが、企業経営ではそんな言葉を使ってはいけない。「フューチャー・コスト(未来費用)」と呼ぶべきだ。企業というのは、リスクを負うために失敗することもある、そのときのために未来のコストを留保してあるのであって、利益の蓄積ではないのだ

やった分しか、返ってこない。適当にやっていて、超ラッキーでこんなすごいことになっちゃいましたってことは絶対ないよ。そんなに甘くないから。

芸術が愛らしいものであってなぜいけないんだ?世の中は不愉快なことだらけじゃないか

最近いろんな人と話していて思うのは、結局いかに多くのものを観て、聴いて、読んでいるかが大切だということ

妙に前向きになるのはなぜだろう。心配はしないでくれ。このくらいのこと(癌が腰に転移したこと)は覚悟してた。

「たかが音楽にのせる飾りじゃないか」という想いと、「誰かの一生をも変えてしまうかもしれない不思議な魔法」という想い。その間で僕は今も歌詞を書く。

ライブってゆうのはお茶の間でせんべえかじりながら見るようなもんじゃねぇんだよ。チケット取れなかったとか色々あるかもしれないけど死ぬ気でチケット取れ。で、見にこい。俺らあれだから。ブラウン管の前で評価されたくねえから

私はいつも自分のできないことをしている。そうすればそのやり方を学べるからだ

(それぞれの曲に色んな人物や設定を想定しているのですか)場面は変わりますが、一人称はずっと同じイメージです

なんとなくこうなる気はしとったやろ、吾朗!泣いたらあかん、泣いたらあかんで!

いいんだ。岡本太郎の責任でやるんだから

楽しいことは、みんないい事だとは思わないか?つまらないことは、罪悪だとは思わないか?

自分の感情を音楽を通じて人々の前に発表してみたいという心がなければ、作曲しないほうがいい

When we do the best that we can, we never know what miracle is wrought in our life, or in the life of another.
ベストを尽くしてみると、あなたの人生にも他人の人生にも思いがけない奇跡が起こるかもしれません。

まっすぐ進めば早く着く! ときには楽しい寄り道も! アナタが自分で選んで、納得できる道を進もう

生活と人生は違う。質素な生活、豊かな人生。

上司を過大評価することはあってもいいが、決して過小評価するな

私は死ぬまで死ぬことについて、そして生きる事について考えていると思う

私はドラッグをしない。私自身がドラッグだ

かぶりついて仕事せよ

考えれば考えるほど、人を愛すること以上に芸術的なものはないということに気づく

人が、夜や花を、そして自分を取り巻く全てのものを、理解しようとしないで愛せるのはなぜだろうか。なぜか芸術に限って、人は理解したがるのだ

どんな悲しい事だって、明るい陽射しの中にあれば暗い夜の中にあるより、悲しくはないはずだ

何もすることがないから明るく引きこもってるんだ。でも結構楽しいです

世の中には違った考え方をする種族がいる

少なくとも自然は、生命を更新するためにのみ死を役立てます

世の中の物事には似たようなものが満ちあふれているわけで、手探りでいく文章とはその似たようなものを飛び石伝いに踏んで渡って行くようなことである。似たようなものをいくつも乗り換えて渡って行くうちに、探しているものの形に次第に近づいていく

俺は俺でしかない。BUMP OF CHICKENはBUMP OF CHICKENでしかない。いつの時代でも。そういうことを強く目指している。

「愛」とか言うと、みんなださいとか、くさいとか言うけど、なんか俺は違うと思うな。

手ぇ離せや。俺はもう誰の命令も聞かん。あの娘のことはもうほっといたれ。これ以上 手ぇ出すんやったら嶋野の親父やろうが殺すで 俺は……

反原発集会へのお誘いも多かったけど、そういうところへ行って歌えば受けるの当たり前だし。目にみえててつまらない。むしろ推進派の集まりに呼ばれてやりたかった。

明日は必ず来る。そして、明日は今日とは違う

All you need is love.
愛こそはすべて。

僕は死なないと思いながら死ぬんだろうな。

The best and most beautiful things in the world cannot be seen or even touched – they must be felt with the heart.
世界で最も素晴らしく、最も美しいものは見たり触ったりすることはできない。

人生で起こりうる悪いことは二つしかない。パブロ・ピカソになることか、サルバドール・ダリになれないこと

現状を把握しなければ未来は語れない

極端な話だけど、希望と絶望が同時に存在するのがいい日々だと思うんです。

生きる日のよろこび、悲しみ。一日一日が新しい彩りをもって息づいている

自分の思い通りにしかできないことは、自分の思いだけに閉じ込められるということになる。自分の思い通りが突っ走った結果は、自分が自分の壁の中に閉じ込められて、外気は遮断されて、そのままでは一酸化炭素中毒となってしまう

子供の頃からやりたいことは変わってなくて、それができるようになるのが大人

今が楽しいかどうかは自分が今を楽しんでいるかにかかっていること 目の前にある大事な事 見失うほど未来に目をやってしまうのはとても愚かな事

女性って20代までは大変ですよね~自分次第で何者にもなれるはずなのに、社会だったり男性の目線だったり、余計なことに捕らわれて不自由になりがち。それはもったいないと思う。

それは夢のまた夢、夢の中の夢の中の夢の中のそのまた夢の中の、夢の夢さ。でも、夢はあきらめない方がいいぜ

優しくなりたいと思う人は、優しいんだと思います。

何かを表現していく人間にとって、自分の拠り所を気分に置いてしまうのは危ういこと

どうしようもないことをコントロールしようとする気持ちが少ないのかも
