絵というものはぼくにとって、愛すべきもの、愉しくて美しいものでなければならないんだよ。そう、美しいものだ!人生には厭なことが多すぎるんでね、これ以上厭なものなんかこしらえたくないんだよ
太陽のように生きて、太陽のように死にたい
友情は、喜びを二倍にし、悲しみを半分にしてくれる
周囲からの反対やら妨害やら軋轢やらがあるからこそ、自分が本当は何をやりたいのか、何になりたいのか輪郭がはっきりしてきて、よし、オレの気持ちはホンモノだっていう確信が固まっていく……そういうものなんじゃないのか?
音楽は言語のルーツなんじゃないかな
まじめに考えて出てくる答えっていうのはろくなもんじゃないんです
Living is easy with eyes closed, misunderstanding all you see.
目を閉じてれば、生きるなんて楽なことさ。目を開けてるから誤解が生じる。
芸術は悲しみと苦しみから生まれる
7年後のことより、7秒後の話をしよう。
郡山って水うまいの?(06年 HipShotJAPANライブ中にて)
ベートーベン、モーツアルトなどのクラシック音楽を全人類が200年以上聴いていてもまだ飽きないというのは、飽きない音楽の真髄
選んだ道のその先よりも、選ばなかった道の運命を考えることの方が多い
手を伸ばせば掴んでやるよ。掴んだら離さねぇぞって自信はある
悪趣味とはクリエイティブなもので、生物学を知識で操るようなもの
ウィンターってウィンターって意味じゃないらしいよ。(The Birthdayの神戸ウィンターランドでのライブにて)
友達に好かれようなどと思わず、友達から孤立してもいいと腹をきめて、自分を貫いていけば、本当の意味でみんなに喜ばれる人間になれる
世の中で生きてるうちに起こるほとんどのことは僕にとってたいしたことじゃない。それよりも1回のロックンロールコンサートの方が大きい。1枚のCDを聴くことの方がよっぽど大事件なんだ
あらゆる活動について「もし今日これを行っていなかったとして、改めて行うか」を問わなければならない。答えが否であるなら、「それでは、いかにして一日も早くやめるか」を問わなければならない
選択肢とか自由な表現が辛いのは、自分という位置の束縛が出てくるからである。自由による束縛といってもいい。いまの子供たちは、自由な表現というものを強要されて、ずいぶん辛い思いをしているのではないか。表現したいことなんて特になくても、とにかく自由にして見せないといけない。それよりもむしろ固苦しい習いごとを押しつけられて、そのことに抵抗を感じている方がよほどネイティブの自由がふくらんでくる
体力的な無理はできるけど、精神的な無理は良くない
イノベーションとは、論理的な分析であるとともに知覚的な認識である
俺もな、お前と一緒で目の前に困ってるガキがいると放っておけない性質なんだ
客の二酸化炭素は俺らの酸素なんだ
俺はあれについて、一つ勘違いして欲しくない事は、孤独に強くなって欲しんじゃなくて、今よりもっと孤独を怖がって欲しいって事。(バイバイサンキューについて)
日々楽しく、面白おかしく暮らしたい(笑)
運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする
何かと比べて自分は優れてるっていうんじゃなくて、俺にしか書けねぇ曲があるんだって言えなきゃお金取っちゃダメでしょ。伝えられないでしょ。だから今だってずっと言ってるじゃないですか。僕らは僕らの曲を愛してるって…。
(初めて買ったCDは?)中学生の時に買った久保田利伸さんのアルバム
組織に働く者は、組織の使命が社会において重要であり、他のあらゆるものの基盤であるとの信念を持たねばならない。この信念がなければ、いかなる組織といえども、自信と誇りを失い、成果をあげる能力を失う
明日に延ばしてもいいのは、やり残して死んでもかまわないことだけ
真夜中の空を僕は今ひさしぶりに見ている
自分が良いと思うものを「ほんまに良いものなんです!」って言い通したり、自信のあるものは「自信があります」って言うのが、やっぱり大事。
友人の中にも損友と益友がある。益友とは自分の欠点を遠慮なく告げてくれる友のことである。益友の印象は悪い。時には自分の感情を害する言行もあるが、大切にしなければならない。益友の言葉により自分を正しい道に導き、欠点に気付き、矯正するのがよい
生まれたからには、生きてやる。
曲のコンセプトを考えるとき、これはやはり論理が主
天才?そんなものは決してない。ただ勉強である。方法である。不断に計画しているということだ
久ぶりやのぅ… 桐生チャン!!ワシャ〜 嬉しゅうてたまらんのやぁ。“堂島の龍” と直接やり合える…本物の命張った ケンカができる。なぁ、桐生チャンなら 分かるやろぉ?…なぁ!?
好きなことをやるためには没頭する時間が必要だろ。
家族同様に暮らしていくうちに、猫はしだいに家庭の中心的存在になってくる
優秀な芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む
数曲唄って思ったけど、見える・見えないの問題じゃねぇな。きっと、何処にでも届いてると思う。
成功への道は自らの手で未来をつくることによってのみ開ける
大人になったらなったで、子供の頃よりもっと自分と向き合うんだと思うんです。
でたらめをやってごらん。口先では簡単にでたらめなら、と言うけれども、いざでたらめをやろうとすると、それができない
効率とは、現在既に行われている事をより洗練させることである
あまいなぁ〜 桐生ちゃん …アマアマや!
デビューした時は、前途多難だなぁっていう感じでしたね。決して華々しい感じじゃなかった
Prime Minister: Whenever I get gloomy with the state of the world, I think about the arrivals gate at Heathrow Airport. General opinion’s starting to make out that we live in a world of hatred and greed, but I don’t see that. It seems to me that love is everywhere. Often, it’s not particularly dignified or newsworthy, but it’s always there – fathers and sons, mothers and daughters, husbands and wives, boyfriends, girlfriends, old friends. When the planes hit the Twin Towers, as far as I know, none of the phone calls from the people on board were messages of hate or revenge – they were all messages of love. If you look for it, I’ve got a sneaky feeling you’ll find that love actually is all around.
デイヴィッド「私は世界のことを考えて落ち込むと、ヒースロー空港の到着ゲートのことを考える。有識者は、世界が憎しみや強欲で満ちているというけれど、私はそうは思わない。愛があちこちに存在していると思う。神々しいわけでも、ニュース性があるわけでもないが、愛はいつもそこにある。父と子、母と娘、夫と妻、彼氏と彼女、旧友。飛行機がツインタワーに突入したときでさえ、私の知る限りは誰も憎しみや復讐に満ちたメッセージを電話で送ったりはしなかった。それは愛のメッセージだった。見つけたかったら、探そうとしなくても、実は愛はいたるところで見つけられる」
完璧を恐れるな。完璧になんてなれっこないんだから
俺、ホント、意味ねえと思うもん人生なんて。「人は何のために生まれてきたのか、何をすべきかなのか」なんて、どうでもいいじゃん。そんなの誰にも決められないことじゃん。自分で決めるんでしょ、人生の価値ってのは。本当に自分が素晴らしいと思うことに一生を費やすこと、それがいちばん価値があること。
人の卓越性は、ひとつの分野、あるいはわずかの分野においてのみ、実現されるのである
俺は錦みてえにはなれねえよ
俺かて そない馬鹿正直に生きてきたわけやない。せやけどな、俺のまわりには馬鹿に生きて……馬鹿に死んでった男たちがおった。そいつらのくだらん生き方が 俺は男の最高の生き様やと気がついたんや
芸術というものは自然の研究に過ぎません。自然です。何もかもそこにあります
この瞬間、瞬間に、若さとか、年よりとか、力があるないとか、才能とか、金とか、あらゆる条件を超えて、その持てるぎりぎりいっぱいの容量で挑み、生きるということだ
お先真っ暗はすげー前向きな言葉。
ロックだろうが、ポップだろうが関係ねぇよ。『プラネタリウム』は『プラネタリウム』だよ。(プラネタリウムについて)
人は、若くても年をとっても、絶えず成長したり変化したりしていますよね。固定したものはないんですね。だから、今、面白くないものは、あえて見ることもないなっていう気もします
(富士山を望むステージが売りのイベントで生憎の曇り空、富士山が見えないね、との問いかけに)でかすぎて見えねぇんじゃねぇの?(SWEET LOVE SHOWER 2007にて)
A dream you dream alone is only a dream. A dream you dream together is reality.
一人で見る夢は、ただの夢。みんなで見る夢は現実になる。
とにかく俺は本気で、音楽で少しでもこの世界をよくできると信じてる。いつ終わるかわからない自分の人生を、その目的のために捧げたいといつからか思うようになりました。だから、休んでる暇なんかない
僕もほっときゃ歳も取るからさ、今と昔をそのまま比べることはできないけど、基本的にやっぱ何も考えてなくて、たいして成長も進歩もしてないからおんなじようなものがいつもステージに乗っかってるんだと思うんだ。
下手のほうがいいんだ。笑い出すほど不器用だったら、それはかえって楽しいじゃないか
自然は無限に分割された神である。神と自然は、完全に相等しい二つの偉大な力である
私は、人生の岐路に立った時、いつも困難な方の道を選んできた
自分が感動できるものを提出していかないと、周りの人、ひいては観客に響いていかない
時間は私たちに残された数少ない大切なものだ
東京事変はこの5人で、最後のその瞬間までを、全力で駆け抜けたいと思います。
小ちゃい頃、私が思ってる自分よりも女っていう生き物としての男の人は見るんだな」って意識した時に凄く嫌悪感があった
空に手を掲げれば、俺はここに存在してるって信じられる気がする。それは必然ではないけれど、存在理由として必要だと思う。要は下ばかり見るなってことだ。
俺がホントについてるなぁとか幸せだなぁとか思うのは、周りにそうやって怒ってくれる人がたーくさんいるんですよね
傷ついても裏切られても、人を最初から疑ってかかるような生き方はしたくないと思うんだよね。裏切られたりして傷つく部分と、すげぇ嬉しいと思う部分て心の同じ部分で、同じところが傷ついたり喜んだりしてるから、傷つかないように心にふたをしていってしまうと、喜びまで感じなくなってしまうんじゃないかなぁ
福島っていうからには…やっぱり福がいっぱいあるんでしょうねぇ。(福島ライブにて)
未来を予知しようとすることは、夜中に田舎道をライトもつけずに走りながら、後ろの窓から外を見るようなものである
僕は新しく何かをやりたいんじゃなくて、今何をやりたいかなんだよ、まさに
素朴に、無邪気に、幼児のような眼をみはらなければ、世界はふくらまない
Knowledge is love and light and vision.
知識は愛であり、光であり、ビジョンです。
マンホールをずっと撮っている林丈二さんも、オートになってから奥さんに「ちょっと、あなたの写真、最近、あんまりよくない」って言われたらしいです。どっかに出ちゃうんですね。何でしょうね。自覚して使えばいいんだけど、カメラの機能に寄りかかって撮っちゃうとダメなんでしょうね。何にでもそういうことはいえますね
もって行かれるぞ。甘い考えで生きてるとあっという間にもって行かれてしまう。この国をたて直すためには戦争をするしかないと考える人間がたくさん居るんだ。
失敗者が何をして失敗したかよりも、成功者が何をして成功したかを学びなさい
たいていの経営者は、その時間の大半を過ぎ去った「きのう」の諸問題に費やしている
Avoiding danger is no safer in the long run than outright exposure. The fearful are caught as often as the bold.
危険を回避することは、長期的には危険に完全に晒されるよりも安全ではない。怯える人は大胆な人と同じくらい頻繁に捕らえられる。
これまでの実績など捨てなさい。自分の強みを過信した者は生き残れません
壊れたギリシアの彫刻は、多くの傑作に分かたれた傑作です
惚れたはれたの世界じゃなくて、もっと性別を超越したもの、生命を見つめるようなものーそういう温度にまで、お客さんの器を大きく広げてさしあげることができたらいいと思ったんですよね
生命の一分が過ぎていく!それを在るがままに描き、それをなすためにはあらゆるものを忘れよ!そのものになりきれ・・実際に見るもののイメージを与えよ
富は一つの才能であり、貧しさも同様に一つの才能である。金持ちになった貧乏人は、贅沢な貧しさをひけらかすであろう
言葉は自由自在なので、聞き手や語り手によって自分も全く思ってもいない方向に変形してしまう面白さもあれば、それが自分の考えとは真逆に動きすぎて混乱しまう場合もあります
何したっていいんだよ。自分で責任取れればいい。責任を取るっつうのは、この道で満足してるなって思えること。
自分の中で一度燃え上がった想いというのは、止めることが出来ない
The only thing worse than being blind is having sight but no vision.
盲目になることよりひどい唯一のことは、視覚はあっても未来像がないことです。