


みんなにとってこの曲がどんな意味を持つかは分からないけど、俺はこの曲が嫌いなうちはさ、なんでこんな曲作っちゃったんだろうって思ってるうちは、あぁ俺幸せなんだなって思えるから。

シュルレアリズムは破壊的だ。しかし、それは我々のビジョンを限定する錠の留め金とみなされるものだけを破壊するものだ

考えれば考えるほど、人を愛すること以上に芸術的なものはないということに気づく

猛烈に自分を強くし、鋭くし、責任をとって問題を進めていく以外にない

逃げない、はればれと立ち向かう、それが僕のモットーだ

福島っていうからには…やっぱり福がいっぱいあるんでしょうねぇ。(福島ライブにて)

スタイルとは、複雑なことを表現するための簡単な方法だ

感情が伴わない作品は、芸術ではない

体力的な無理はできるけど、精神的な無理は良くない

もっとたくさん僕らの曲聞いてもらって、皆を励まして背中を押してあげたい。

今熱烈に恋してなくたって、すげぇ好きだった人いたことのない人はいねぇと思うんだ。だから何が言いたいのかっていうと…。あんたがたは好きな人のために歌ってください。俺は今日、あんたがたのために歌う

自分の写真に、ほんのちょっと言葉をつけたいと思っていて…。はじめは簡単だと思って書いていたんですけど、あくる日にそれを見直してみたら、全然ダメで驚いたんです

(「日出処」のタイトルについて)意味としては、「メーン・ストリート、目抜き通りを闊歩したいと願っている人物の、色んな瞬間を切り取った曲たち」という風にストーリーをつくりたかったんです

肉体的に落ちていくものは取り戻せない。残っているものを生かすしかない

虫だって光の好きなのと嫌いなのと二通りあるんだ!人間だって同じだよ、皆が皆明るいなんて不自然さ!

眼が見えるということは一生涯もかかる教育の果実です

未来を予知しようとすることは、夜中に田舎道をライトもつけずに走りながら、後ろの窓から外を見るようなものである

生まれたからには、生きてやる。

出産じゃなくても、女の人にはあることだと思いますよ。(感覚ではなく)頭で理解しようとしちゃう瞬間が、人生で何度かあるんじゃないでしょうか。大きな選択っていうか

曲を書く際に、人を感動させようとか、美しいメロディーを書いてやろう、と考えているわけではない

私は同時に他人の自由をも目標にするのでなければ、自分の自由を目標にすることはできない

このまま行けと、僕の中の僕が命じるんだ

こむずかしい理屈をこねたりしてる歌なんて、最悪。単純なラブ・ソングこそ、最高なのに。

忠誠心を買うことはできない。獲得すべきものである。金の力で引き留めようとすれば、引き留められた者が誘惑に対する自分の弱さを会社のせいにするだけである

自分が何をやりたいか、何を伝えたいかが分かっていたら、技術は後からついてくる

「楽しく続いていくうちは最高に楽しいことをやろうぜ。駄目になったら、それはそれ」っていう考え方の方が、逆に物事が続いてったりするじゃん。もちろん続けることは大切な意味があるけれど、それが目標になっちゃうと挑戦も冒険もできなくなっちゃうからね

99回倒されても、100回目に立ち上がればよい

んだ。学びは終わらない。んだ。

私には規則や方式は一切ない。裸婦を見る、すると幾千ものちいさな色合いが見えてくる。その中から、生き続けるものを探し出し、そのようにして真新しい色調をキャンバスの上に躍動させるのだ

大丈夫。君は愛されてる。全て上手くいってるんだ。何も心配する事はないよ。君は自信持って笑ってればいいのさ。

かっちょよく死ぬ瞬間を逃してしまったんだよ。俺たち人類はもうさ生きのびちゃったんだからさ。もうかっこよく終われないんだよ。人類は。だからかっこよく終われないんだから終わらせないようにしようぜって思うんだよ

コーヒーのブラックが飲めない。頭が痛くなるから

本当の芸術というのは、音楽にしたって映画にしたって文章にしたって演芸にしたってなんにしたって、ドアが開かぬままにあなたに会いに行ける魔法だって。

俺達の事な、忘れてもいいけど、此処でお前らがしてるその顔を忘れんな!お前等一人一人が主役なんだ!

今が楽しいかどうかは自分が今を楽しんでいるかにかかっていること 目の前にある大事な事 見失うほど未来に目をやってしまうのはとても愚かな事

Everything is clearer when you’re in love.
恋に落ちたら、何もかもがクリアになる。

自分が歌っていて気持ちよかったり、いい歌詞が書けたかも知れないなって思う瞬間を大事にしたい。

Reality leaves a lot to the imagination.
現実は、その多くを想像に委ねている。

自分のああいう時の、ああいう行動が知らぬ間に自分の手を汚してたと。つまり誰かをはじき出してたところがあったというか。読者の方にもそういうことぐらいはあると思います、たぶん。ないかな?怖いな、すごい怖いな。

(死んだら地獄と極楽のとちらに行きたいか?)どっちでもいいさ。そのどちらにも会いたい友人がいるのでね

常に恥とは何かを知り、人に負けない様に強い気を持ち、どんなときでも権力に盲従してはならない

本物の涙は、悲しい一ページからではなく、見事に置かれた言葉の奇跡から引き出される

世の中には違った考え方をする種族がいる

与えようとばかりして、貰おうとしなかった。なんと愚かな、間違った、誇張された、高慢な、短気な恋愛ではなかったか。ただ相手に与えるだけではいけない。相手からも貰わなくては

ブルースを忘れない方がいい。いろいろな名前の音楽が流行するけれど基本はすべてブルースなのだ

指輪によって結婚はなりたつ。つまり、指輪とは鎖を編むものなのです

型にはハマらずにいたい

人に善をなせば、とがめられるものだ

もしマーケティングが完全に行われていたら、販売努力は不要だ

夢や希望なんてバカバカしい。でもそれを見続けてしまうのが人間であって。それが悲しくもあり、美しくもあるんだってことを俺は知ってる。

全部欲しいって言ってたら、本当に欲しいものが薄くなっちゃうよ

いつからこの国はこんなにもセコイ人間の集まりになってしまったんだ。

例えばスリーコードでエイトビートならみんなロックンロールかって言ったらそうじゃないものもあるわけ。スタイルじゃないんですよ。だから様式美ではなく、そこにある熱が大事なんですね。

『大切な人の死』という出来事は、大切な人が自分にくれる最後のプレゼントだと思います。どんな形の死であれ、僕はそう思います。だからこのプレゼントをいつまでも大切に愛することができます。

なんで嫌な時に笑ってんだよ。なんで悲しいのに笑ってんだよ。泣きたい時は泣いて、笑うときにバカみたいに笑えよ

運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする

人それぞれに求めるものは違うけど、それでいいんじゃないか。自分の思うようにすればいい

We need to learn to love ourselves first, in all our glory and our imperfections.
僕らは、自らのすばらしさと不完全さのなかで、何よりも自分自身を愛することから学ばなければいけない。

「私は大衆の中の一人であって大して変わりはない」っていう風に思いたいから。絶対に私は普通のことを言ってて、誰しもが思ったことのあるることを言ってるはずで。

結局ね、夢はみんなもってると思うんですよ。だけど、その夢の見方としてね、ただボーっとそれこそテレビで見てるだけで『あぁ、こんな事いいなぁ』みたいな見方と、それから実際にやってみようとして夢の実現に一歩近づくために何か行動をおこす。

ちっちゃい子供は成人の10倍笑うんだって!! 負けてらんねーっつうんだよ!! あっはっは

結局芸術の唯一の原則は、見るものを模写することだ

低気圧が僕を責め立てる。

芸術とは、自然が人間に映ったものです。大事なことは、鏡をみがくことです

(死は)誰でも迎えるものなのに、それを忌々しく言うのは変だし、滑稽だなって思います

個人としての嗜好が投影された「普通にそのままのもの」っていうのがあるべきだと、私は思ってしまう

傷ついても裏切られても、人を最初から疑ってかかるような生き方はしたくないと思うんだよね。裏切られたりして傷つく部分と、すげぇ嬉しいと思う部分て心の同じ部分で、同じところが傷ついたり喜んだりしてるから、傷つかないように心にふたをしていってしまうと、喜びまで感じなくなってしまうんじゃないかなぁ

いつまで出来るか分からないことだし、毎回これが人生最後でも後悔しないというツアーをやりたくて生きているから、今回も長ければ長いほどいいんですよ

いかなる世界が広がっていても、望んだ世界だと頷きたい。

問題になろうがどうしようがいいんだもん。それはまた対処していけば。だけど大人たちに相談しちゃうと問題になりそうだからやめようってことになっちゃうんだ。

音楽への情熱だけを頼りに、作曲家としての道を進むことができた

見放さなければ、失うということもありません

上手であることはそんなにいいことか?とも思う

成果をあげる人の共通点は、行わなければいけない事を、しっかり行っているというだけである

志を立て、その目的を達成する手段の中で最も近道だと思うのは、聖人の書物や種々の歴史本の中で、自分が特に刺激を受けた部分を別紙に書き抜いて壁に貼っておくか、扇などに書いておき、日夜朝夕それを眺め、常に反省しつつ及ばない点について勉め、進歩を楽しむのがよい

自分の声に何かがあって、歌えなくなったとしても、作詞は続ける。

運命に抵抗したってしょうがないんですよ。 どうしようもないんですよ。 そういう俺が「sailing day」で運命に抵抗って歌詞を書いてるんですよ。 だってその方が楽しいじゃないですか。

一番悪い奴は「口だけいいことを言って実践しない奴」次に悪いのは「悪いことばかり考えてる奴」そうなりたくねぇんだ

私は子供のときに自転車に乗ったことのない唯一の男である。描くことにしか興味がなかった

釣りをやる人には、釣れそうなところがわかるそうなんですね。私たちの路上観察も同じような感じで、ありそうなところっていうのが、何となく雰囲気でわかるんですね。あまりピカピカの出来たての街だと、他の要素が入り込む要素がないので、妙なものを発見することが少ないんです。だいぶ時間がたって、壊れたり色々用途が変更になったり、何だかんだと生活にもまれたところで、見る人が見れば妙なものになる。そういうところがすごく面白いところなんですね

多くの人が80代まで生きれないのは、彼らが長期に渡って40代で止まろうと努力するからだ

When you’re drowning, you don’t say ‘I would be incredibly pleased if someone would have the foresight to notice me drowning and come and help me,’ you just scream.
溺れている時は「誰か、溺れているのに気づいて助けてくれることを考えてくれたら嬉しいです」とは言わず、ただ叫ぶだけだよ。

6才の時、コックになりたかった。7才の時、ナポレオンになりたかった。そして、私の野心は、それ以来着実に成長し続けている

理論というものは現実に従って変化していく

僕らはユーモアがないものはどうしても楽しめないんだ。何があってもどこかにユーモアがないと堅苦しくて、そこの場所に居づらくなる

私は「わかってたまるか」っていうことをやるのも面白いと思ってます。いまだに。

誰にでも何かの仕事に適する素質がある。世の中が必要とするものは多く、自分が役に立てることが必ずある

本当に死んでもいいくらい好きって奴は、認められないなんてことで不平を言わないよね

いいよ。行っちまえよ。何処へでも。何処にでも届くように唄ってるからさ。

人生自体にも限りがあって、いつ終わるか分からなくて、その中で『たった今、美しい者を求めても構わないんじゃないか?』って思って、 『どうせそれが繋がって積み重なって美学というものになってんじゃないの?』と

今度会うときも、今持ってるもの失わないでほしい。今のまんまで

自分を、好きな人、嫌いな人、世界を知りたいから歌詞を書いている。

その人がいい趣味をしてるかどうかを見極めるのは簡単だ。絨毯と眉毛がマッチしているかだ

とりあえず放送した方がいいというので、日本の世の中には形式だけのアナウンスがわんさと流れている。日本人は形式が好きだ、と思われても仕方のないことだ

気とは人に負けまいと思う心、すなわち負けじ魂と恥辱を知ってそれを悔しく思う気象のことである

僕はずっと一人ぼっちでいるせいか、人と話すと自分のことばかり話してしまう

群馬の一匹狼の皆さんこんにちは!これからも一人で頑張って生きて行って下さい! (群馬ライブにて)

神童などという言葉は、家族のつくったものだ
