


お客さんが広い所に何万人いますっていう世界ではなくて、個人個人が広い所に個人個人の思いで一人ずっと立ってるって思ってるし。

目の前の困難から逃げてばかりではダメです

路上観察の場合はある種の説明で、見る人の手助けになるようにと思って書いています。でも、作品としての写真となると、見る人がその作品の中にどうやって入っていけば良いかわからない…入り口のない場合が多いんですね

高い金払ってチケット買って見に来てくれてんだろ? 50分だけで良いから何もかも忘れろ! どうせ最後は全員くたばるんだから怖い物なんかねぇだろ

芸術に従って芸術を作ってはならぬ

他人に興味を持ってもらいたければ挑発しなければならない

(スーツもシャツもネクタイも黒だったので「真っ黒だね!」と客に言われた後)ああ、黒人だからな。(97年TOKYO COOL CAMP)

なんとなくこうなる気はしとったやろ、吾朗!泣いたらあかん、泣いたらあかんで!

ライブで観たときのダイナミクスってすごいでしょう。そのための技術を磨いておきたいと思いながらやってきたけれども、ライブってそれだけじゃ足りなくなる瞬間があって。そのときに引っ張り出されてきているのが人間力みたいなものなのかもしれないけれど、あまりそこに頼りたくないと思いつつ、歌っているだけですごいと言われるような歌い手になりたいというのはずっとあるんだよね

自分のああいう時の、ああいう行動が知らぬ間に自分の手を汚してたと。つまり誰かをはじき出してたところがあったというか。読者の方にもそういうことぐらいはあると思います、たぶん。ないかな?怖いな、すごい怖いな。

僕の部屋は僕を守るけど、僕をひとりぼっちにする

「絵になる風景」を探すな。よく見ると、どんな自然でも美しい

何事も、上手く進まないときは、停滞の時期ではなく、変化の時期だ。

愛しあってるかい?

できると思えばできる、できないと思えばできない。これは、ゆるぎない絶対的な法則である

弱気になる瞬間も多いけど、そんな時は過去のライブ映像を観たりしてます

Life is either a great adventure or nothing.
人生はどちらかです。勇気をもって挑むか、棒にふるか。

全てのものは限られた量しかない。特に幸福は

音楽やる上では、リアクションしかない。だからパッて出したものに対して、リアクションする。その繰り返しで、完成できる。

理論というものは現実に従って変化していく

創造の泉を自分の内に持っていれば、書きたいものを書き続けられる

自分が歌っていて気持ちよかったり、いい歌詞が書けたかも知れないなって思う瞬間を大事にしたい。

お前らがここに来るまでに何があったかなんかどーでもいい。お前らの父親が死のうが母親が死のうがそんなのかんけーない。ただこの中で思いっきり楽しんでいってくれー!!

とどのつまり歴史とは何か?歴史とは伝説と化した事実であり、伝説とは歴史と化したウソである

なんとなく楽しくいたい。それがゴールでしょ?そのゴールを目指していくために、いろいろやらなきゃいけないことがあってさ。その為には寝ないで頑張ることもあってさ。血ヘド吐くくらい頑張ることもある。いいことじゃん。だって目的に向かってがんばる手段として「金も必要、じゃ働くか」とかさ。

私は常々「偶然耳にされたリスナーの方が、わくわくなさるような時間を提供せねば」と考えています。せっかくなら。子供の頃観た歌番組では、いろいろな歌手がよく、一緒に歌ったりしていました。ああいうフランクさが近年どんどん失われているのを寂しく思っています。

自分のなかに自分だけが感じている匂いみたいなものだとか、あると思うんですけど。

いいんだ。岡本太郎の責任でやるんだから

生涯に一作であれば、誰でもいい曲がつくれる

世界中のヤツらに嫌われてても、たった一人にでも愛されていたなら、そいつはすくわれる。たくさんの不幸せの中に一つでも幸せがあるなら、そいつは幸せなんだよ

人に善をなせば、とがめられるものだ

母は、私にこう言った。「あなたは、軍人になれば、いずれ将軍となるでしょう。修道士になれば、最後には法王となるでしょう」私は、その代わりに画家になり、結局ピカソとなった

明日に引き伸ばせば、それは死んでしまう

沖縄じゃどれだけ有名か知らねえが・・・そんな脅しが通る程、世の中甘くねえぜ。

僕らはユーモアがないものはどうしても楽しめないんだ。何があってもどこかにユーモアがないと堅苦しくて、そこの場所に居づらくなる

このまま行けと、僕の中の僕が命じるんだ

芸術家を何とお思いか。画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。それはとんでもない勘違い。芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている

なんで一番光るのが一番最後でさあ、なんでそれを僕らがここで見た時にはもう手遅れなんだろう?って。ほんとに子供心ながらにせつなすぎて愛しすぎて。全部そうじゃないですか。人の死んじゃう時とか、もうバイバイしなきゃいけない時とか。だから、あの…適当に生きてちゃダメですね。(supernovaについて)

面白いねぇ、実に。オレの人生は。だって道がないんだ。眼の前にはいつも、なんにもない。ただ前に向かって身心をぶつけて挑む瞬間、瞬間があるだけ

恥ずかしさというのは、自分をよく見せたいと思う心の裏返し

単純なことを完璧にやり続ける忍耐力の持ち主だけが、偉大なことを成し遂げる

方向性に迷った時は僕は初めのイメージに立ち返る

バンドって楽しいや。ライブやれるってこんな幸せなことないよね。自分家からすげぇ離れた土地で待っててくれる人がいる。拳をあげて一緒に歌ってくれる野郎どもがいるなんて、すごいよね。もし俺たちが音楽やってなかったら 俺個人的に言えば歌を歌ってなかったら、きっと何もなかっただろうな

ロック・ミュージシャンになりたいなんて言ったら、親も教師も友達も、みんながみんな反対してくれたもんだった。もうそれだけで社会の落伍者みたいなもんだから。でも、それはとても幸福なことだったと、今は思える。

火の国熊本、暑さにゃかなわねぇ!!(熊本ライブにて)

人って、炎とか波とか、長い時間見てても飽きないらしい。同じ形になることがないから、って。変化し続けるものって儚い

普通=そこそこ、そうじゃないでしょう。最高じゃん!

我々はどこから来たのか?我々は何者なのか?我々はどこへ行くのか?

明日からさ、また頑張れよ。お前らの周りにはさクソみたいにどうしようもないヤツがいるだろ? そんなのに限って良い点取ったりすげぇ稼いだりするんだよな。そんなのにぜってぇ負けんじゃねぇぞ

偉業は一時的な衝動でなされるものではなく、小さなことの積み重ねによって成し遂げられるのだ

もしマーケティングが完全に行われていたら、販売努力は不要だ

モネは、ひとえに眼にほかならない。しかし、何という眼だろう

Jesus was all right, but his disciples were thick and ordinary. It’s them twisting it that ruins it for me.
イエスは悪くない奴だったけど、弟子たちは鈍かったし普通だった。彼らがイエスを歪めたことが、僕は残念だよ。

色彩は、それ自体が何かを表現している

本当に。自分は誤りのない人間だと例外化してしまうのが、いちばん恐ろしいことだなと自分を戒めます。あとは、発言や行いや考えを批判することと、人を非難することの違いを考えてます。この違いって、悩ましいんですが、結構大きいことなんじゃないかと思っていて。

大多数の世間の人々が、平凡な一生を終るのは志が小さく、意志が弱いからだ

若くなるには時間がかかる

中学時代はラジオが好きで、「オールナイトニッポン」をよく聞いていました

作家だとか、法律家だとか、政治家だとかをやってる女っていうのは、怪物だと思うね

非合理的な顧客なるものは存在しない。顧客は、顧客にとっての現実にもとづいて合理的に行動している

人間は、毎日生まれ変わる

大人のくせに子供と同じような人間ばっかりになっちまったんじゃねえのか。

やっぱり音楽は大好きなことで、他に代わりがないから緊張するんですよ。今日のライブがダメでも、他でがんばればいいやとか、そういうもんじゃないから。

もともと人は全員、孤独なんだよ

最高や 、まさかゾンビとやりあえる日が来るとはのお。

学問的な言い方ではないが、仕事ができる組織は仕事を楽しんでいる

雨が降るのは聞こえるが、雪が降るのは聞こえない。軽い悩みは大声で叫ぶが、大いなる苦悩は沈黙する

運が続くというのは、じつはどこかで運のウィルスに感染して、症状が広がっている、という状態なのではないだろうか

津波が来ます。(酒に酔いながらのラヂヲで地震が来たとき勝手に)

お前は自分しか信じちゃいない。自分以外の人間を心から信じれない。だから人から愛されないんだ。

アホくさ。喧嘩すんのは結構やが、もしウチのシマに入ってきたら・・・そん時は怪我するだけじゃすまへんで。

「最近バンドの調子がいいですね。」とか会ったこともない奴に言われる機会が増えました。そういう奴らには、これからも「おめー誰だよ!!??」ってやっていくんで、皆さんよろしくお願いします

今は、もう感動はない。だから感想が湧くのである。感動には叫びはあるだろうが言葉はない

テストの点数でお前らの価値は決まらねぇ

いま大戦中でもないのに、人に「どっちなんだ!?右なのか、左なのか」と問うこと自体、ナンセンスだとは思います

真夜中の空を僕は今ひさしぶりに見ている

猛烈に自分を強くし、鋭くし、責任をとって問題を進めていく以外にない

不幸はなにも生まないね。不幸とか苦労とかは人をどんどんダメにする。苦労話とかする奴は「俺はこんなにだめなんだぜ!」って言って今まで何をしてきたかをひけらす人でしょ。ひけらかして自分の価値を認めさせようとするわけだ。そんなのは最低だ。

努力というのは、恐らく運や偶然を追いつめて縮めて微細なものにしていって、自分で掴まえやすくするためのものではないのかと思うのである

批評家は常に比較する。比較できないもの、つまり「類まれなもの」はそこからすり抜ける

天才のランプは人生のランプより早く燃える

「人生っていうのは勝手に与えられるんだから、自分が追求してもいいんだ。幸せ追求権ってあるだろう!」と思ったんですね

誰かが勇気ある決断をしなければ、どんな事業も成功しないだろう

例えばスリーコードでエイトビートならみんなロックンロールかって言ったらそうじゃないものもあるわけ。スタイルじゃないんですよ。だから様式美ではなく、そこにある熱が大事なんですね。

上手であることはそんなにいいことか?とも思う

歴史上いかなる国においても、企業とくに大企業は株主のためにのみマネジメントすべきであるという主張はもちろん、主として株主のためにマネジメントすべきであるという主張さえ、主流になったことはない

ゲームと違って、人生には決まった攻略法はありません

どうにもならないことなんて、どうにでもなっていいこと。

評価されるなんて一切必要なし!音が好きならば、音になっていないといわれようと「音」を出す。これが前提だな

自分が変わるんじゃなくて、変わり続ける何かが俺の中にいるんだよね。

近道は何度も出来たんだけど、後ろを振り返ったときに後ろがないと不安でしょうがない

まじめに考えて出てくる答えっていうのはろくなもんじゃないんです

若き時代に数千の帆柱を押し立てて船出したその港へ、老いさらばえて救いのボートに助けられ、人知れず帰ってくる

People do not like to think. If one thinks, one must reach conclusions. Conclusions are not always pleasant.
人々は考えることを好みません、もし考えれば、結論に到達しないといけないから。結論はいつも心地よいとは限らないのです。

作曲の際はパソコンを使って作業しています。もちろん昔は五線紙に鉛筆で楽譜を書いていました

スペイン内戦は、スペイン人民と自由に対して、反動勢力が仕掛けた戦争である。私の芸術家としての生涯は反動勢力に対する絶え間なき闘争以外の何物でもなかった。私が反動勢力すなわち死に対して賛成できるなどと誰が考えることができようか。私は「ゲルニカ」と名付ける現在制作中の作品において、スペインを苦痛と死の中に沈めてしまったファシズムに対する嫌悪をはっきりと表明する

人は生涯、同一水準の作品しか書けない

別に社会に出ようが学生だろうが変わらねぇと思うけど、あの、…結局ね戦い、だと思うよ人生。 戦わなきゃぁそりゃ、寄ってたかって叩かれて、お終いさぁ。だから、不安なのはしょうがないけど、自分の足で立つしかねぇんじゃね
