運を信じるしかない。そうでなければ、気にくわない人たちの成功をどう説明すればいいのだ
人は、若くても年をとっても、絶えず成長したり変化したりしていますよね。固定したものはないんですね。だから、今、面白くないものは、あえて見ることもないなっていう気もします
(印象派について)彼らはもっぱらその装飾の結果のために、真実を妨害するように、自由なしで、色を使っています。彼らは目だけで物を見て、神秘的な思念を基にしていません。彼らは単に明日の公式画家です
目の前で襲われてる女の子を黙ってみてられるほど、俺は大人やないんや。
「桃太郎ってどこにいるの? 山? (客:『家にいるよ!』) 今度見せて。」(岡山ライブにて)
私は死ぬまで死ぬことについて、そして生きる事について考えていると思う
心理の何か変化があるんですよ。人間行動すべき理由がある。
いいかい、気をつけろよ。だまされんなよ。腐った奴らが増えているんだ。自分を見失わないで欲しいんだ
欲張りな人間が、諦観を覚えたときは強いよ
一生のうちの勇気の絶対量があるとしたら、もう使い果たしていると思うんですよ、ビビりだから。
回教徒が寺院に入るとき靴を脱ぐように、私は仕事中、ドアの外に肉体を置いてくる
DQのスライムは可愛いんだよね。これで僕の基本的な音楽の方向性も決まったなぁという感じ
藤くん、心からおめでとう。本当に本当に嬉しかった。他人のことでこんなに嬉しかったのはいつ以来だろう。昨日もらった連絡で僕は眠れなくなりました。これからも大好き。おめでとうございます。
毎日必ずギターには触っていますし、ずっと続けていきたいのは音楽です
この世には、何一つ決まってることなんてないんだよ。 ただ、そう思いこんでるだけ。
高松の不良の皆さんこんばんは!(高知ライヴにて)
お前らがここに来るまでに何があったかなんかどーでもいい。お前らの父親が死のうが母親が死のうがそんなのかんけーない。ただこの中で思いっきり楽しんでいってくれー!!
一番悪い奴は「口だけいいことを言って実践しない奴」次に悪いのは「悪いことばかり考えてる奴」そうなりたくねぇんだ
一人立てる時に強き者は、真正の勇者なり
自然にやってく中でぼんやり何となく楽しいっていうのは、凄く大事なこと
僕は死なないと思いながら死ぬんだろうな。
Love is like a flower, you’ve got to let it grow.
愛とは、育てなくてはいけない花のようなもの。
作曲の際はパソコンを使って作業しています。もちろん昔は五線紙に鉛筆で楽譜を書いていました
自分には絶対に音楽の才能があるんだと思いながらやってます
女が何を考えているのか、すっかりわかれば、男は何千倍も大胆になるだろう
この世は偶然に満ちている。だから人間は人工管理の街を造った。でも、街はいづれ老朽化し、その隙間から、追い出された偶然がまた顔をのぞかせる。カメラにはそれが美味しい
レコーディングするようになって18年。いまだにミックスってわからない。難しい。だからおもしろい。なんだろな。なんだろな。音楽っておもしろい。
太陽が輝くかぎり、希望もまた輝く
僕の何かを信じた時の強さですか?信じるっていう感情の強さですか?行為の強さですか?ハンパないと思いますよ。
優秀な芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む
近道は何度も出来たんだけど、後ろを振り返ったときに後ろがないと不安でしょうがない
孤独の中では何もできることはない
何かを生み出していくと、いつか誰かが見つけてくれることもある
芸術家の資格は、智慧と注意と誠実と意志のみである
これからは、誰もが自らをマネジメントしなければならない。自らを最も貢献できる場所に置き、成長していかなければならない
どうしたって笑えないけど、それでも笑わないといけない時かぁー。…泣いちゃえばいいんじゃないか
夫婦とは二つの半分になるのではなく、一つの全体になる事だ
現状を把握しなければ未来は語れない
青春小説、青春映画っていうのがあるんだから、青春音楽っていうのもあっていいんだ
戦争やってる遠くの国のことよりも友達の方が大切だと思うけどなぁ
運が続くというのは、じつはどこかで運のウィルスに感染して、症状が広がっている、という状態なのではないだろうか
「病気になったのは罰なんだ」「人の言うことを聞かないからこういうことになるんだ」と、自分を責める気持ちから曲が生まれた。ネガティブな気持ちを書いている。
世の中で生きてるうちに起こるほとんどのことは僕にとってたいしたことじゃない。それよりも1回のロックンロールコンサートの方が大きい。1枚のCDを聴くことの方がよっぽど大事件なんだ
書いたり発したりすることも大切だけど、今必要なのはちゃんと耳を傾けることなんじゃないかと思います。読むこと、感じること、と言い換えてもいい。受け取ること。吸い込むこと。それを温めること。そのうえで書くこと、発すること。それをまた、お互いによく聞くこと。俺もできてませんが…。
子供の頃からやりたいことは変わってなくて、それができるようになるのが大人
自分を好きになれない奴が、どうあがいたって好きになってはもらえないだろうな、きっと。
We need to learn to love ourselves first, in all our glory and our imperfections.
僕らは、自らのすばらしさと不完全さのなかで、何よりも自分自身を愛することから学ばなければいけない。
間違いは神聖なもの、それを正すというよりは合理的に考え、誤りを理解せよ。そうすれば間違いを昇華することが可能になる
約束の額だ・・・悪く思うな。
手には、物を掴む手と放す手がある
誰のために創るんだろう。考えたことあるか。自分のために?そんなの甘っちょろいよ。植木づくりでもやるんならそれでいいんだ。金のために?だったら創るより早いやり方がいくらでもあるだろう
部下の成長は、育成した者にとって昇進に値する貢献としなければならない
ロックンロールは吐き出した瞬間と受け取る瞬間があって、受け取った瞬間に完成するものだとは思ってる。僕の出すロックンロールは僕だけでは未完成なんだよ。聴く人がいてその人の心の奥の中で完成する
俺もお前らも不器用なんだから、だからとりあえず信じよう。それでもし裏切られたら傷つこう。それを繰り返すだけ
努力というのは、恐らく運や偶然を追いつめて縮めて微細なものにしていって、自分で掴まえやすくするためのものではないのかと思うのである
大事なのは縛りあうことじゃなくて、お互いがお互いをひきつけ合うことじゃん
名古屋のニワトリって、羽根が何枚もあるんだろ?じゃなきゃあんなに沢山手羽先がつくれる訳ねぇ!
私は、自分の作品に心と魂を込める。そして制作過程では我を失う
明日描く絵が、一番すばらしい
もし全員に好まれるものがあるとしたら、それは間違いなくくだらないものだ
今どきレコード評なんか読んでる奴はいやしないさ。評論家が書いてることなんて、もう誰も相手にしないぜ
いつだって、今やるのが一番いい
どんな人でも努力すれば、“それなり”の能力は身につけることが出来る。そして、この世で成功するためには、“それなり”の能力があれば十分なのである
別に社会に出ようが学生だろうが変わらねぇと思うけど、あの、…結局ね戦い、だと思うよ人生。 戦わなきゃぁそりゃ、寄ってたかって叩かれて、お終いさぁ。だから、不安なのはしょうがないけど、自分の足で立つしかねぇんじゃね
1、より速くすること。2、よりよくすること。3、今やるべきことをすること
人生に意味はないよ。だって暇つぶしじゃん。暇なんだよ。みんな人生80年もいらないんだよ。3日もあれば終わるんだ。やることなんて。意味なんかないんだ。楽しければいいんだ。
ものがそこにあるという尊厳。これはいったいなんだろう。ただあるというだけなのに
芸術家は自然の親友である。草花は茎の優美な曲線と花びらの調和のとれた色合いで芸術と対話をする。どの花にも、自然が芸術家に心から語りかける言葉があるのだ
低級な芸術家たちは、常に他人の眼鏡をかける
天才?そんなものは決してない。ただ勉強である。方法である。不断に計画しているということだ
本物の涙は、悲しい一ページからではなく、見事に置かれた言葉の奇跡から引き出される
現代の若さの最大の悲惨さはもうそれに属さないということ
僕はずっと一人ぼっちでいるせいか、人と話すと自分のことばかり話してしまう
We were a savage little lot, Liverpool kids, not pacifist or vegetarian or anything. But I feel I’ve gone beyond that, and that it was immature to be so prejudiced and believe in all the stereotypes.
俺たちは、リバプールの子供たちで、非暴力主義者でも菜食主義者でも何でもなかった。しかし、俺はそれを超えてきたと感じていて、偏見を持ち、全てのステレオタイプを信じることは未熟だったと思う。
出産じゃなくても、女の人にはあることだと思いますよ。(感覚ではなく)頭で理解しようとしちゃう瞬間が、人生で何度かあるんじゃないでしょうか。大きな選択っていうか
みんなにとってこの曲がどんな意味を持つかは分からないけど、俺はこの曲が嫌いなうちはさ、なんでこんな曲作っちゃったんだろうって思ってるうちは、あぁ俺幸せなんだなって思えるから。
好奇心と衝動は音楽を作る上でめちゃめちゃ大事
傲(おご)ってはいけません。企業は、社会によって存在させてもらっている存在なのです
直観力と想像力を、抑え込んではならない
癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた
愛は永久不滅なもの。姿かたちを変えることはあるが、本質は決して変わらない
のめり込み過ぎちゃうと、いざ自分が何か失敗した時に逃げ道がなくなって、音楽で失敗することが怖くなっちゃう
音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う
音楽の世界の人間は、どっちかって言うとやっぱりスポーツなんかと近いんじゃないですかね。かなり身体的ですから。
In the end, the love you take is equal to the love you make.
結局、あなたが得る愛は、あなたが与える愛の量に等しい。