


九州は暑いね。君らはこんなあったかい所に住んでるけど、北の寒い所に住む子らとは人生が違うんだよ。例えば……気温。(福岡ライブにて)

大事なものは他者に求めてはいけないと思ってた

組織の活動というのは、「いかに世の中に貢献していくか」という一点に集約される

Never bend your head. Always hold it high. Look the world straight in the eye.
決して顔を伏せないで。いつも堂々と顔を上げて。この世界を直視して

線の芸術と色の芸術とがあるように、言葉の芸術だってそれより劣るものじゃない

The most pathetic person in the world is someone who has sight, but has no vision.
世界で最も哀れな人とは、目は見えてもビジョンのない人です。

喜びは成果の中になければならない。石臼に向かいながらも丘の上を見なければならない

多数とは何か?多数は阿呆のみ、真理は常に少数者にある

みんな何かしら人知れず苦労しているものだ。だから自分から進んで苦労する必要はない

自分が変わるんじゃなくて、変わり続ける何かが俺の中にいるんだよね。

音楽って難しいけど楽しいな。昨日今日でやってこと、明日全部やり直し。でも、そういうの嫌じゃない。多分、必要なプロセス。

人生は継続的なパーティーでなければいけないと思う

私は同時に他人の自由をも目標にするのでなければ、自分の自由を目標にすることはできない

あたしロマン派だから。猫の名前もゲーテとシューマンだし。

やっぱりその時(写真を撮った時)に「良い」と気が付くのは感覚というか、その時の感受性ですからね。それがないとゴミはゴミのままなんですね。実際にゴミだったのかも知れないし、わからないですよね。写真は固定されたものではないっていうのを実感しますね

Life is an exciting business, and most exciting when it is lived for others.
人生は胸おどるものです。そしてもっともワクワクするのは、人のために生きるときです。

僕らは、今存在している人達は皆、存在する事を選んだ人達だと思います。

ニンジンきらいな馬っているのかな?そりゃいるよな。

アキラメというのは人生的なものである。体験に基づくというか、体験の集積というか、いずれにしろ体に発するというか、体からじわりと湧き出る。それにひきかえ、シラケというのは、体験からのものとは違う

何かと比べて自分は優れてるっていうんじゃなくて、俺にしか書けねぇ曲があるんだって言えなきゃお金取っちゃダメでしょ。伝えられないでしょ。だから今だってずっと言ってるじゃないですか。僕らは僕らの曲を愛してるって…。

その日、歩ける一歩を歩くだけ

(それぞれの曲に色んな人物や設定を想定しているのですか)場面は変わりますが、一人称はずっと同じイメージです

俺は右でも左でもかまわないんだ。そんなことどーでもいいんだ。右にどんどん行ってみろ。やがて左側に来ているのさ。地球は丸いからね。

悪趣味とはクリエイティブなもので、生物学を知識で操るようなもの

自分が何をやりたいか、何を伝えたいかが分かっていたら、技術は後からついてくる

反原発集会へのお誘いも多かったけど、そういうところへ行って歌えば受けるの当たり前だし。目にみえててつまらない。むしろ推進派の集まりに呼ばれてやりたかった。

みんなで盛り上がることをするな。お前が一番盛り上がれ

純粋に泣けてしまうことって本当にある

欲張りな人間が、諦観を覚えたときは強いよ

芸術家を何とお思いか。画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。それはとんでもない勘違い。芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている

私は毎日進歩しつつある。私の本領はこれだけだ

普通、表現の仕事であれば作者というものがいますよね。しかし、トマソンには作者というものがいないんです。そこがむしろ面白くて、だから「偶然」とか「出会い」ってことが一番不思議なことに思えてくるんですよね

好きだから、大切だからこそ人は高いところを目指す

「久しぶりィ、四つの国ィ」「サロンでキティだぜ!」(松山サロンキティライブにて)

私は子供のときに自転車に乗ったことのない唯一の男である。描くことにしか興味がなかった

情熱をもって君たちの使命を愛せよ。これより美しいことはない

友情は、喜びを二倍にし、悲しみを半分にしてくれる

路上観察の場合はある種の説明で、見る人の手助けになるようにと思って書いています。でも、作品としての写真となると、見る人がその作品の中にどうやって入っていけば良いかわからない…入り口のない場合が多いんですね

No pessimist ever discovered the secret of the stars, or sailed to an uncharted land, or opened a new doorway for the human spirit.
悲観論者は星の神秘を発見したり、未発見の土地に航海したり、人類の魂への新しい扉を開くことは決してできません。

ロックだろうが、ポップだろうが関係ねぇよ。『プラネタリウム』は『プラネタリウム』だよ。(プラネタリウムについて)

基本と原則に則っていないものは、かならず破綻する

オトナになろうが、教室から武道館になろうが、ひとりの前でやろうが一万人の前でやろうが、やってることって一緒なんだよね。音楽がやりたくてバンドを組むってそういうことなんだ。もう、そこで全部終わっちゃってるんだよ。だから目指すことは、もうないよ。

今まであんなにときめいてきて、あんなに翻弄されて、電話のなかに彼がいると思って電話をずっと見てた、ああいう時間は何だったんだというぐらい、まったく次元の違う大事なものができてしまう瞬間があるんですよね

Optimism is the faith that leads to achievement. Nothing can be done without hope and confidence.
楽観主義は達成へとつながる信念である。 希望と自信なくして何事も成しえない。

「大丈夫、なにもかも上手くいく」なんて、口が裂けても言えない。でも俺が見ている世界の中で、本当に前向きな、魂が楽になれる言葉を綴ったつもり

偽物が本物に変身する瞬間がある

作曲には、論理的な思考と感覚的なひらめきを要する。論理的思考の基になるものが、 自分の中にある知識や体験などの集積だ

自分の夢に必要やと思えるもの、好きやと思えるものには一生懸命になったらいい。

「桃太郎ってどこにいるの? 山? (客:『家にいるよ!』) 今度見せて。」(岡山ライブにて)

人は素敵な経験があるか無いかで、心の汚れが全然変わってくる

老年は騒音から遠ざかる。沈黙と忘却に仕える

僕は一生のうちに一晩でいいからあんなふうに歌えたら、死んでもいいと思った。

いかなる世界が広がっていても、望んだ世界だと頷きたい。

そりゃバイク乗るのも楽しいし、映画も好きだし。でも、桁外れなんだよ。富士山と石ころくらいの違いなんだよ。ロックンロールやってるときの楽しさは、桁外れなんだ。好きなものを見つけるってそういうこと。

さぁライヴハウスへ帰ろう

(身長・体重・胸囲は?)168cmぐらい、50kgそこそこ。胸囲は僕に抱かれてみて判断しろ

例えを言って、それが即、通じるというのは、お互いに共通するものをもっているということ

凄くふさわしいところに自分が立ってて、凄くふさわしい行動を取っているような気がするんだよ

釣りをやる人には、釣れそうなところがわかるそうなんですね。私たちの路上観察も同じような感じで、ありそうなところっていうのが、何となく雰囲気でわかるんですね。あまりピカピカの出来たての街だと、他の要素が入り込む要素がないので、妙なものを発見することが少ないんです。だいぶ時間がたって、壊れたり色々用途が変更になったり、何だかんだと生活にもまれたところで、見る人が見れば妙なものになる。そういうところがすごく面白いところなんですね

肉体的に落ちていくものは取り戻せない。残っているものを生かすしかない

お前らの心は 見たくないものを見ずに閉ざしてしまうのか 見えないものを 見ようとするか

選択肢とか自由な表現が辛いのは、自分という位置の束縛が出てくるからである。自由による束縛といってもいい。いまの子供たちは、自由な表現というものを強要されて、ずいぶん辛い思いをしているのではないか。表現したいことなんて特になくても、とにかく自由にして見せないといけない。それよりもむしろ固苦しい習いごとを押しつけられて、そのことに抵抗を感じている方がよほどネイティブの自由がふくらんでくる

そりゃあもちろん世の中のいろんな出来事を知らないわけじゃないけど、俺たちがやりたいのは楽しくバンドをやりたいということだけ…それを手段として何か目的を達成したいと思ったことはないんで。それでも二次的なものとしてみんなの明日の朝メシがうまくなるんだったら、それより最高なことはないですよ

後継者を自分一人で選んではならない。どうしても20年前の自分に似た者を選びたくなる

人を掴むのはコンセプトの面白さじゃなくて、それを実行に移している瞬間のテンション

自然は無限に分割された神である。神と自然は、完全に相等しい二つの偉大な力である

「それにしてもあの絵は全然彼女に似ていないな」なに、彼女の方でだんだん絵に似てくるさ

おそらく今日、高等教育を受けた人の割合が世界でもっとも多い国が日本である。日本にとっての問題は、いかにして彼ら高等教育を受けた人たちを生産的な存在にするかである

聴いてる音楽とやってる音楽がつながらなくても、それはどうでもいいんです。

私が猫好きなのは、家で過ごす方が好きだからだ。そして次第に、猫が家の一部に思えてくる

ウィンターってウィンターって意味じゃないらしいよ。(The Birthdayの神戸ウィンターランドでのライブにて)

先に見出し、後に捜し求めよ

俺も好きなバンドには一方的な想いをぶつける

僕の何かを信じた時の強さですか?信じるっていう感情の強さですか?行為の強さですか?ハンパないと思いますよ。

私にとっては、この外気の中での美しい研究がありがたい。私の部屋は私を苦しめる。小さすぎ手足を痛める靴のようだ。そして都会・・ 美しい都会、幾度も言わねばならないが、私が自分を知る一切のものを学び得たのは野原や森の外気の中でのことである

(音楽にスーパースターは必要?という質問に対し)自分がなればいいんじゃないッスか、自分にとってね。そう思えないヤツはずっと誰かの真似になっちゃうんじゃないかな。

生き方の基準は、正しいか正しくないかではなく、美しいか否かである

インディーズの頃は、有名になって注目されたいとか、めっちゃ広い家に住みたいということが活力になってて

絵を描くのは人生に耐えるための手段だ

単純なことを完璧にやり続ける忍耐力の持ち主だけが、偉大なことを成し遂げる

青春小説、青春映画っていうのがあるんだから、青春音楽っていうのもあっていいんだ

あのアナウンス(「ファウルボールにはご注意下さい」)であらためて注意する間抜けはいない。でもあのようにいっておかないと、後で怪我して訴えられたら困るというのがある。アメリカ仕込みの訴訟社会の風習である

If everyone demanded peace instead of another television set, then there’d be peace.
もしすべての人がもう一台のテレビよりも平和を欲すれば、きっと平和は実現する。

人間、しがみついてでも、這いつくばってでも、生きることに価値があるんだ。分かるか?

音楽にはいろんな力がある

「何事も一人で大丈夫」っていう基本さえあれば、あとはもう全部楽しいんだよ

デビューした時は、前途多難だなぁっていう感じでしたね。決して華々しい感じじゃなかった

人間の運命は人間の手中にある

人生山あり谷ありでさぁ、今は山にいるかもしんねぇけど、いつかは絶対に谷になるんだ。お前らも絶対辛い時期があって、楽になりたいって思うときがあると思う。そういうのにあったときってさ、すーげぇいい人になっちゃうんだよ。もう傷つきたくないって思って、周りから愛されるようないい人に・・・でもそれって罠だから! いつまでも、何かに対抗する牙は捨てちゃなんねぇ。牙を抜くんじゃねぇぞ、牙を磨いとけよ! 最後まで油断すんなよ

生まれたとき、死んじゃう可能性のある病気の手術を受けて助かったことがあったからか、あたし、生きることにとても執着がある

何か感じたり思ったりしたことっていうのは、将来の何かに影響してんだよな

僕らの音楽は誰にも揺るがされなくなりました。他のどんな要素にもびくともしない、僕らと音楽の関係が完全に守られました。

トマソンには作者というものがいないんです。そこがむしろ面白くて、だから「偶然」とか「出会い」ってことが一番不思議なことに思えてくる

この世は、良いのと悪いのとかさ、苦痛と幸福とかさ、相反するふたつのことで成り立ってると思うわけ。俺は、頭が悪いなりに考えた結果ね。で、頭がいい人とバカっていう争いもあると思うんだよ。今日は、三万人もバカばっか集まってくださってどうもありがとうございます

世界中で今日もどこかでライブがあるだろうし、明日もどこかでやるだろうし、世界中でも何百何千万、すごい数のライブがあるんだろうけど 、俺の言ってるこのすげえロックンロールっていうのは 多分、ほんの一握りなんだよ

高い金払ってチケット買って見に来てくれてんだろ? 50分だけで良いから何もかも忘れろ! どうせ最後は全員くたばるんだから怖い物なんかねぇだろ

俺達の事な、忘れてもいいけど、此処でお前らがしてるその顔を忘れんな!お前等一人一人が主役なんだ!

俺はいったい何がしたいんだ? なんでこんなんなってんだ? 答えはすごく簡単だ。これが自分の選んだ生きる道だからだ
