アーティストの生き方を曲に乗せて、憧れていただく。あたしは全然そういうのやってないんだけど、語られる時にすごく良くないもののように、見世物のように言われますが、実際にはその時お客さんが欲してらっしゃる、期待してきたものであり、それを超えるものでなければいけないと思ってます。こちらの生活、暮らしとか気分とか、そういったものは一切知られてはいけない。それが芸。
企業はなによりもアイデアであり、アイデアを生むことのできるのは個々の人間だけである。勇を鼓して自ら思考し、既成観念にあえてそむける人なくして、その企業の成長と繁栄は望めない
長く続いた友情なのに、別れるときはあっという間だ
ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎
テストの点数でお前らの価値は決まらねぇ
基本と原則に則っていないものは、かならず破綻する
どの曲も全力でやって一番いいと思えるものを出している
ただこの世の中に生まれてきたから、惰性で生きてるなんて、そんなやつは、生きてる必要ない
何事も、上手く進まないときは、停滞の時期ではなく、変化の時期だ。
その日、歩ける一歩を歩くだけ
アンタには諦めんことの重要さを教わったわ。俺も執着するで、真島吾朗っちゅう男の生き方に
(上京前に自身で)ツイキャスで配信やってて、オールナイトすっぽんぽんっていうのをやってた
10年かかってもまだわかんねぇのか?お前らが俺らを必要としてるんじゃない。俺らがお前らを必要としてるんだ
信仰と信頼の間にのみ平和があります
モノを作ることを職業としていくには、一つや二ついいものができるだけではダメだ
自分の写真に、ほんのちょっと言葉をつけたいと思っていて…。はじめは簡単だと思って書いていたんですけど、あくる日にそれを見直してみたら、全然ダメで驚いたんです
目の前で襲われてる女の子を黙ってみてられるほど、俺は大人やないんや。
「人生っていうのは勝手に与えられるんだから、自分が追求してもいいんだ。幸せ追求権ってあるだろう!」と思ったんですね。
我々はどこから来たのか?我々は何者なのか?我々はどこへ行くのか?
「五稜郭ジャンキーズ! 」「みんな、牛好きかー?!ジンギスカーン!」(札幌ライブにて)
何かがあった瞬間というのは、何かが終わった瞬間だと思う。 何かが終わった瞬間が、何かが始まった瞬間だと思う。
ドブネズミが美しいとわかんねえ奴はたいしたことねえ。
夏は嫌いなんだけど、夏の土の臭いが凄い好き。
学問的な言い方ではないが、仕事ができる組織は仕事を楽しんでいる
綺麗に生きるなんて、誰ができるんだ
楽しめてるって事はカッコいいんじゃねえかな
アキラメというのは人生的なものである。体験に基づくというか、体験の集積というか、いずれにしろ体に発するというか、体からじわりと湧き出る。それにひきかえ、シラケというのは、体験からのものとは違う
惚れたはれたの世界じゃなくて、もっと性別を超越したもの、生命を見つめるようなものーそういう温度にまで、お客さんの器を大きく広げてさしあげることができたらいいと思ったんですよね
芸術は何かっていうと、抑制だよね
俺は、正直モンが好きなだけや。人の顔色うかがったりせんと。俺が、そうやからなぁ。
ようやく子どものような絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ
人の曲を歌う時こそ、恥ずかしい気持ちもなく思い切り出せる声もあるのかもしれないとも思ったし、その、声に焦点を絞ったものもやってみたいって考えられるようにもなってきて
絶対に誰かと肩がぶつかる。でも『ごめんね』って言うしかないんです。『ごめんね、でも俺も生きてるし、お前も生きてるからさぁ』って。『お互い痛いわけだしさぁ』っていうね。そういうのをお互いが感じるんだと思います。そういう肩がぶつかったその痛みすら、俺は愛しいと思えるんです。確実に自分も存在してるし、その人も存在してるから。肩がぶつかるよりも、抱き合えたら1番嬉しいんですけど。
人間と人間との間柄には、愛よりほかの財産はない
憎しみや苦しみのない世界があるからお前来ない?って言われたら、「俺はいかない」って言うわ
声でねぇけど唄わしてくれ。今回のツアーで俺わかった。お客さんがいると唄えます。聴きてぇって思ってるヤツがいつと唄える。だから、一呼吸分の力を分けてくれ!
40歳になって「来た来た!」と思っています。40歳からが私に似合う年齢だと思っていましたから、それまで、どうやって時間をつぶしたらいいかと長く苦しんでいました。
数千のアイデアを育てて、やっと一つの成果を得ることが出来る
簡単なことを完璧にやる忍耐力の持ち主だけが、いつも困難なことを軽々とこなす熟練を身につける
「人生っていうのは勝手に与えられるんだから、自分が追求してもいいんだ。幸せ追求権ってあるだろう!」と思ったんですね
死ぬなとは言わないし、悩むなとも言わない。近道がしたいならすればいい。でも、そこで全部が終わる。我慢してきた努力も未来も夢もやり残したことも記憶も肉体も全部全部。
絶対に言えるのは、時間が経つとワインと同じで良くなるんです。少々の時間じゃだめだけどね、100年後とかね。何でもない写真でも100年経ったらすごく良く感じるんですよ
創造性の最大の敵は良きセンスだ
僕がどうしてもそこから逃げられないぐらいに取り憑かれてるものっていうのはロックンロールに秘められた把握できない未知の価値観なんだよ。
これからは、誰もが自らをマネジメントしなければならない。自らを最も貢献できる場所に置き、成長していかなければならない
究極の善、究極の悪、究極の価値がなければ、人間のある活動が別の活動よりも本質的に優っていることなどあり得ない。だから、全ての行為が同じ価値しか持っていないということを認めざるを得ない。とするなら、一つの行為を別の行為よりも優先させるのは、我々が自分で独自の選択を行っているからある
せやけど俺は……何があっても親父の子ですわ
楽しいことは、みんないい事だとは思わないか?つまらないことは、罪悪だとは思わないか?
僕もほっときゃ歳も取るからさ、今と昔をそのまま比べることはできないけど、基本的にやっぱ何も考えてなくて、たいして成長も進歩もしてないからおんなじようなものがいつもステージに乗っかってるんだと思うんだ。
やっぱり大事な人ほど傷つけてるなという感覚と、傷つけてまで一緒にいたい、愛したいという感覚。それが自分の根本なんだなって。
Life is an exciting business, and most exciting when it is lived for others.
人生は胸おどるものです。そしてもっともワクワクするのは、人のために生きるときです。
何かを表現していく人間にとって、自分の拠り所を気分に置いてしまうのは危ういこと
やっぱり私は表現をする事が好きやなー
(中学を卒業したら東京に行かせてくれ、と父親に言ったときに反論されて)お父さん、僕を止められるんか。音楽しかやりたいことないんじゃ。お父さんには、僕の音楽を反対するだけの材料があるんか。
我々は決して悪を選ぶことが出来ない。我々が選ぶのは常に善である
最初にして最高の聴き手は自分自身
ありとあらゆる感覚を総動員させ、自分を限界まで追い込んでいく
この国は島国だから、なかなか人間の本当の痛みは伝わってこない
Prime Minister: Whenever I get gloomy with the state of the world, I think about the arrivals gate at Heathrow Airport. General opinion’s starting to make out that we live in a world of hatred and greed, but I don’t see that. It seems to me that love is everywhere. Often, it’s not particularly dignified or newsworthy, but it’s always there – fathers and sons, mothers and daughters, husbands and wives, boyfriends, girlfriends, old friends. When the planes hit the Twin Towers, as far as I know, none of the phone calls from the people on board were messages of hate or revenge – they were all messages of love. If you look for it, I’ve got a sneaky feeling you’ll find that love actually is all around.
デイヴィッド「私は世界のことを考えて落ち込むと、ヒースロー空港の到着ゲートのことを考える。有識者は、世界が憎しみや強欲で満ちているというけれど、私はそうは思わない。愛があちこちに存在していると思う。神々しいわけでも、ニュース性があるわけでもないが、愛はいつもそこにある。父と子、母と娘、夫と妻、彼氏と彼女、旧友。飛行機がツインタワーに突入したときでさえ、私の知る限りは誰も憎しみや復讐に満ちたメッセージを電話で送ったりはしなかった。それは愛のメッセージだった。見つけたかったら、探そうとしなくても、実は愛はいたるところで見つけられる」
若さと年齢は無関係
同じことばっかりやるのはつまらない。だから私はいつも自分が良いと思うことを自由にやっています。
他人を、誰かを愛するという行為は、全ての可能性の始まりだと思っている。
僕は自慢ができることが1つあるの。それは自分の中学生時代に、リアルにパンクを体験したってこと。
エライこと引き受けてしもうたなぁ。しゃーない!真島吾朗、いっちょやったろやないかい!
私が誰かの背中を押したくて作った曲が背中を押すわけでもないし、そんなことを考えずに書いた曲が誰かに「助けられました」って言ってもらえればいい。
人は見た目で判断する、そんなもんだ
欲張りな人間が、諦観を覚えたときは強いよ
ウインカーはひっこめようぜ、俺たちは直進するんだ
癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた
10年後に生きている確率より明日生きている確率の方が高いので明日持つ夢が大事
孤独の中では何もできることはない
最近は安定して良いライブが出来ているけれども、もっと陰に転がり込んでしまって、どうにもならなくなってた時もあるんですよ。ステージの上で、「客席のみんなが俺のことを嫌いなんだ」としか思えない瞬間があったりして。パニック障害というか、今この瞬間、全員が俺を憎んでいると思ってしまう。みんなチケットを買ってライブに来てくれているのだから、そんなはずはないのにね
「林檎」は筆名で。17ぐらいの時に。「少女A」みたいな名前だから、実際に何言われても平気。
Self-pity is our worst enemy and if we yield to it, we can never do anything wise in this world.
自己憐憫は最悪の敵です。それに負けたら、この世で賢明なことは何一つできないのです。
自分が何をやりたいか、何を伝えたいかが分かっていたら、技術は後からついてくる
志を立て、その目的を達成する手段の中で最も近道だと思うのは、聖人の書物や種々の歴史本の中で、自分が特に刺激を受けた部分を別紙に書き抜いて壁に貼っておくか、扇などに書いておき、日夜朝夕それを眺め、常に反省しつつ及ばない点について勉め、進歩を楽しむのがよい
感情が伴わない作品は、芸術ではない
第一印象というのは作り手として「いいものを作ってやろう」という思いから生じる余計な観念にまだ支配されてないから、感じたままが最も素直に表れている
なんで嫌な時に笑ってんだよ。なんで悲しいのに笑ってんだよ。泣きたい時は泣いて、笑うときにバカみたいに笑えよ
お前らが全員霜降り肉に見えるぜ!(兵庫ライブにて)
神々と肩を並べるには、たった一つのやり方しかない。神々と同じように残酷になることだ
成果をあげる人とあげない人の差は才能ではない。いくつかの習慣的な姿勢と、基礎的な方法を身につけているかどうかの問題である。しかし、組織というものが最近の発明であるために、人はまだこれらのことに優れるに至っていない
スタイルとは、複雑なことを表現するための簡単な方法だ
たいていの経営者は、その時間の大半を過ぎ去った「きのう」の諸問題に費やしている
何かをするのに私は歳を取りすぎてると言われたら、そのことにすぐに取り組むようにしている
太陽のように生きて、太陽のように死にたい
自然にやってく中でぼんやり何となく楽しいっていうのは、凄く大事なこと
Trying to please everybody is impossible – if you did that, you’d end up in the middle with nobody liking you. You’ve just got to make the decision about what you think is your best, and do it.
みんなを喜ばせようなんて不可能だよ。そうしたところで、結果は誰からも好かれないで終わるだけさ。