


お前らもありがとな。なんか、勘違いしてるやつがいたら言っといて。これが最後じゃないからね

惚れたはれたの世界じゃなくて、もっと性別を超越したもの、生命を見つめるようなものーそういう温度にまで、お客さんの器を大きく広げてさしあげることができたらいいと思ったんですよね

北海道、広いよなあ、カナダぐらいあるんじゃねえの?人口、ロシアぐらいあるんじゃねえの?

笑いどころやないかい!笑えや このボケェ!!

自分のなかに自分だけが感じている匂いみたいなものだとか、あると思うんですけど

6才の時、コックになりたかった。7才の時、ナポレオンになりたかった。そして、私の野心は、それ以来着実に成長し続けている

俺はいったい何がしたいんだ? なんでこんなんなってんだ? 答えはすごく簡単だ。これが自分の選んだ生きる道だからだ

あいつが…運命と闘うなら…、俺はあいつのために、命張ってやろうと思うんだ。

汝が死ぬ前日に懺悔せよ

その人がいい趣味をしてるかどうかを見極めるのは簡単だ。絨毯と眉毛がマッチしているかだ

死ぬと分かってて戦うのが一人前の男って訳じゃない。男なら命を張る場面はきっと来る。お前にその時が来たら、思いきりやればいい。

本物の涙は、悲しい一ページからではなく、見事に置かれた言葉の奇跡から引き出される

女の美は性格の中にあるのです。情熱の中にあるのです

自然には未だ知られていない諸力がある。我々が自分自身の余すことなき全てを自然へ委ねるとき、自然はそれらの力を我々に貸してくれる。我々の眼では見えず、知性でも理解・推測できないその諸力の形相を示してくれる

癌もロックンロールだ。

何を取られたら死ぬかっつったら、やっぱ「唄う事」なんじゃねぇかなと。

私は「わかってたまるか」っていうことをやるのも面白いと思ってます。いまだに

太陽が輝くかぎり、希望もまた輝く

生産性を向上させるためにまず問うべきは、何が目的か、何を実現させようとしているか、なぜそれを行うかである

目の前の困難から逃げてばかりではダメです

死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど、私はちっともいいと思っていなくて。

作曲には、論理的な思考と感覚的なひらめきを要する。論理的思考の基になるものが、 自分の中にある知識や体験などの集積だ

何にもなりはしない。僕が生きていれば、悲しみはいつまでも続くだろう。僕はこんな風に死んでゆきたいと思ってだんだ

「林檎」は筆名で。17ぐらいの時に。「少女A」みたいな名前だから、実際に何言われても平気。

癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた

明日は必ず来る。そして、明日は今日とは違う

楽しいと楽は違うよ。楽しいと楽は対極だよ。楽しいことがしたいんだったら楽はしちゃダメだと思うよ。楽しようと思ったら、楽しいことはあきらめなきゃダメだね。ただ、生活は楽な方が絶対いいと思うよ。でも人生は楽しい方がいいじゃん。生活は楽に、余計なことには気をとられず人生は楽しく。

作詞には苦しむことが多いです。曲がもともと持っている性格みたいなものは自分でコントロールしてるわけじゃない。自然に持ってるもので、それをいかに感じ取ってふさわしいものにするか。ふさわしい詞というのはもともと決まっているようなものという認識。

私は子供のときに自転車に乗ったことのない唯一の男である。描くことにしか興味がなかった

会計学者や経営者は「純利益」という言葉を使うが、企業経営ではそんな言葉を使ってはいけない。「フューチャー・コスト(未来費用)」と呼ぶべきだ。企業というのは、リスクを負うために失敗することもある、そのときのために未来のコストを留保してあるのであって、利益の蓄積ではないのだ

声でねぇけど唄わしてくれ。今回のツアーで俺わかった。お客さんがいると唄えます。聴きてぇって思ってるヤツがいつと唄える。だから、一呼吸分の力を分けてくれ!

与えようとばかりして、貰おうとしなかった。なんと愚かな、間違った、誇張された、高慢な、短気な恋愛ではなかったか。ただ相手に与えるだけではいけない。相手からも貰わなくては

あなたの中に、あなたの知らない芸術家がいる。彼は月夜に物事がどの様に違って見えるか興味がないのだ

Everything has its wonders, even darkness and silence, and I learn, whatever state I may be in, therein to be content.
すべてには驚くべきものがあります、暗闇や静寂にさえも。そして私はどんな状態にあっても満足して、学びます。

世界中のヤツらに嫌われてても、たった一人にでも愛されていたなら、そいつはすくわれる。たくさんの不幸せの中に一つでも幸せがあるなら、そいつは幸せなんだよ

人間さ、もちろん嫌いな人とか誰だっていると思うの。でも1個は絶対いいとこあるんだよ。例え100個嫌いなとこあっても、1個いいとこあればその人と友達になれると思うんだ。だから俺も桑とこうやってるんだよね笑。

私は死ぬまで、死ぬことについて、そして生きることについて、考えていると思う。

抽象画なんてものは無い。とりあえず描き始めて、それから現実の痕跡の全てを排除していくのだ

嫌われることは愛されることより難しい

『何をやるか』じゃなくて、『どんなふうにやるか』

人って、炎とか波とか、長い時間見てても飽きないらしい。同じ形になることがないから、って。変化し続けるものって儚い

私は仕事をしているとくつろげる。何もしていなかったり、訪問客の相手をしていたりすると疲れる

何かを表現していく人間にとって、自分の拠り所を気分に置いてしまうのは危ういこと

素朴に、無邪気に、幼児のような眼をみはらなければ、世界はふくらまない

(ゲーム音楽は)何回聴いても飽きない曲でないといけない

死に方は生き方、生き方は死に方。

やった分しか、返ってこない。適当にやっていて、超ラッキーでこんなすごいことになっちゃいましたってことは絶対ないよ。そんなに甘くないから。

苦痛は短く、喜びは永遠である

スペイン内戦は、スペイン人民と自由に対して、反動勢力が仕掛けた戦争である。私の芸術家としての生涯は反動勢力に対する絶え間なき闘争以外の何物でもなかった。私が反動勢力すなわち死に対して賛成できるなどと誰が考えることができようか。私は「ゲルニカ」と名付ける現在制作中の作品において、スペインを苦痛と死の中に沈めてしまったファシズムに対する嫌悪をはっきりと表明する

何かを成し遂げるためには、そのことをしか考えられないという“狂い”が必要となる

俺は俺でしかない。BUMP OF CHICKENはBUMP OF CHICKENでしかない。いつの時代でも。そういうことを強く目指している。

私が死んだら、まるで船が遭難するようなものだな。大きな船が沈むと、その近くにいる人はみな、渦に巻き込まれてしまうんだ

眠い人が眠るように、瀕死の人は死を必要としているのです。抵抗が間違いで無駄だというときが、いずれきますよ

希望と失望は同じものですよね? 心が優しい人ほど毎日泣いていて幸せな時間ほど早く過ぎて、失望したことがない人は希望の意味を知らないし。同じものなんですよね。だから、俺はひたすら希望を綴っているだけなんです

すべてはむなしい

いいんだ。岡本太郎の責任でやるんだから

信仰と信頼の間にのみ平和があります

毎日やりたいことを精一杯やるっていうことが、すべてにおいて最善策

俺はマコトを殺せへんかった……俺にはマコトを生かした責任があるんや。ただ命があったらええってことやない。人として生かさなアカン責任や。極道の食い物にはさせへん……!

生まれたからには、生きてやる。

自然は常に完全である。決してまちがわない。まちがいは我々の立脚点、視点の方にある

やっぱりみんな自分の手を動かして曲を書かないとダメですよ。作家っていうのは実態のないものだから、いっぱい書かないと本当の姿というのが現れてこない。書いて初めて、実態というのがあるように見えてくるというだけで。

優しくなりたいと思う人は、優しいんだと思います。

音楽家は勉強が好きじゃないと務まらない仕事

数字なんて関係ねーんだ。ホント関係ねーんだ。お前らもよく虐げられてるだろ? 数字の強い人たちにさ

誰もが芸術を理解しようとする。ならば、なぜ鳥の声を理解しようとはしないのか

言葉は自由自在なので、聞き手や語り手によって自分も全く思ってもいない方向に変形してしまう面白さもあれば、それが自分の考えとは真逆に動きすぎて混乱しまう場合もあります

もうすぐクリスマスだねぇ・・・なんか楽しいねぇ(笑)(2006/12 The Birthday広島にて)

学ぶことは何もないの。楽しむだけでいいんだ

ゴッホは美しい。しかしきれいではない。ピカソは美しい。しかし、決してキレイではない

絵を描き始める前に、すでにそれは私の心の中に形作られている

人は素敵な経験があるかないかで、心の汚れとか全然変わってくる

ヘルマン・ヘッセも書いている。ユーモアが大切なんだ。ユーモアのわからない人間が戦争を始めるんだってね。

音楽ってゆうのは、なんだろ。何回聴いても毎回ちがうふうに聴こえてくる

「とりあえず、テレビのドラマに合った曲を書かなきゃいけない」とかって音楽の価値を下げることだと思う

なにもかもうまくいってるのになんか足んねえって時は未来に進む道にポッンポッンと自分で種をまくと知らないうちに種まできてはいけるから楽しい

「出来ないこと」ではなく、「出来ること」に集中しなさい

(どんな時に曲が思い浮かぶ?)ほっといて、浮かんでくるのを待つ

危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ

どうにもならないことなんて、どうにでもなっていいこと。

他人を模写するのは必要なことである。しかし、自分を模写するのは哀れなものだ

生まれたとき、死んじゃう可能性のある病気の手術を受けて助かったことがあったからか、あたし、生きることにとても執着がある

決断の場面においてはトップは常に孤独である

誰にでも何かの仕事に適する素質がある。世の中が必要とするものは多く、自分が役に立てることが必ずある

全然ネガティブとかポジティブとかではなく、それ(死の存在)を知ってるから僕たちは生きてるって、そう思えたんですよね。死なないやつは生きられないわけですよ。で、生きてないやつは死ねないわけですよ、やっぱり。(死の存在について)

私は大金を持った、貧乏人のように暮らしたい

希望を捨てない方がいい。俺はサイコーなんだって信じるんだ。既成の概念なんか疑ってかかった方がいい。「なんでなんだ?」っていつも子供みたいに感じていたいぜ。

仕事はまず核心をつく、一番大事なところからやるようにしている

大人になったらなったで、子供の頃よりもっと自分と向き合うんだと思うんです。

私にとっては、この外気の中での美しい研究がありがたい。私の部屋は私を苦しめる。小さすぎ手足を痛める靴のようだ。そして都会・・ 美しい都会、幾度も言わねばならないが、私が自分を知る一切のものを学び得たのは野原や森の外気の中でのことである

僕はいつも自分が純粋に感じたこと、考えたことを、理解されようがされまいがダイレクトにぶつける

詩はなくてはならないものだ。ただそれが何のためにあるのかを知ってさえいればなあ

画家は労働者が働くように勉強しなければならない

死を怖れない者に何を怖れろというのだ

上手であることはそんなにいいことか?とも思う

モノを作ることを職業としていくには、一つや二ついいものができるだけではダメだ

太陽のように生きて、太陽のように死にたい

女は変幻自在。それを面白がるしかないでしょ。もっと小気味よく生きる女性が増えたらいいなって、ずっと思っていました
