


最初はダメでも何度でもやり直せという態度は誤りである

こむずかしい理屈をこねたりしてる歌なんて、最悪。単純なラブ・ソングこそ、最高なのに。

自分が感動できるものを提出していかないと、周りの人、ひいては観客に響いていかない

ふつうは歳をとったとかモーロクしたとかあいつもだいぶボケたとかいうんだけどそういう言葉の代わりに「あいつもかなり老人力がついてきたな」という風に言うのである。そうすると何だか歳をとることに積極性が出てきてなかなかいい

一回わがまま言い始めたらもう、他人の言うことなんか聞いてらんねえよ

考えられないですよ、東京事変がない状態って。いろんな意味で、どうしても、こうしなきゃいけなかったというか。うーん、抗えなかった。避ける道がなかったと思いますけどね。

この曲はもう一回は出来ねぇんだ申し訳ねぇ…出来ねぇなぁ。だけど俺たちとお前らで出来ないことが、出来なかったことがあってもいいじゃん。次はうまくやろうぜ

多数とは何か?多数は阿呆のみ、真理は常に少数者にある

人生は、水平方向に落ちていくことである

経験を賢く活かすならば、何事も時間の無駄にはならない

芸術が愛らしいものであってなぜいけないんだ?世の中は不愉快なことだらけじゃないか

Life is what happens to you while you’re busy making other plans.
人生とは、人生以外のことを夢中で考えている時にあるんだよ。

私は死ぬまで死ぬことについて、そして生きる事について考えていると思う

人生は退屈すれば長く、充実すれば短い

どうにもならないことなんて、どうにでもなっていいこと。

みんなの愛にこたえてちゃんと元気になるから、全然大丈夫だよ。心配しないで待っててね

人生に命を賭けていないんだ。だから、とかくただの傍観者になってしまう

(RC時代、ローリングストーンズのパクリでは?の声に)なんだ、今頃気付いたの?

椎名林檎っていう名義は辞めますよ。もう無理。本名のあたしであることを誰も守ってくれないんだよ?でも、そんなの当たり前じゃないですか、一個の大人だから。「自分で守んなきゃいけないんだから、辞めたっていいだろ!」とか思って

ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎

音楽を創る上で一番大切な感受性は習って身につくものではない

自然に生き、自分の気持ちをほんとうに伸ばしてゆこうとすれば、まず、いたるところで残酷に、壁に突きあたる

大多数の世間の人々が、平凡な一生を終るのは志が小さく、意志が弱いからだ

膝からなし崩しに倒れてしまうような、そういう曲ができちゃって。『なんだこれ?』と思って。とりあえずでも1曲出来上がったと。わけわかんねえって気分のまま東京に帰って。で、歌ってみて、そういう現象で。人知れずひっそり泣いてみたりとか泣けなかったりとかそういう夜もあったりして。(Title of mineについて)

True happiness… is not attained through self-gratification, but through fidelity to a worthy purpose.
真の幸福は、自己の快楽によって達成されるのではなく、価値ある目的への忠誠心によって得られるのです。

本当の芸術というのは、音楽にしたって映画にしたって文章にしたって演芸にしたってなんにしたって、ドアが開かぬままにあなたに会いに行ける魔法だって。

芸術家は自分の芸術について語ることはできない。植物が園芸を語れないように

私は子供のときに自転車に乗ったことのない唯一の男である。描くことにしか興味がなかった

これはほんとに昔っから思うんだけど、これがこうなったら幸せなのに、 あれがあったら幸せなのに、と思ってたら一生幸せになれないね。自分の問題だと思うんだ。もっともっと内面の問題だと思うんだ。今の状況を幸福だと思える心を 持った人が幸福なんやな。

時間は私たちに残された数少ない大切なものだ

凄くふさわしいところに自分が立ってて、凄くふさわしい行動を取っているような気がするんだよ

ノスタルジアに屈してはならない。道に出て、隣町や外国に行くんだ。ただ、痛々しい過去を旅していけない

(作曲家として)僕は、子どもの頃に「ベートーベン」というスゴイご馳走の味をいっぱい覚えたのが、本当にありがたい

何と嫌な商売だ

21世紀に重要視される唯一のスキルは、新しいものを学ぶスキルである。それ以外はすべて時間と共にすたれてゆく

勘違いするな。俺とお前は違う。 お前の極道は死に様。俺の極道は――生き様だ。 同じ道でも、死に向かって戦うのと、生きるために戦うのは違うということだ。いずれ分かる。

それは夢のまた夢、夢の中の夢の中の夢の中のそのまた夢の中の、夢の夢さ。でも、夢はあきらめない方がいいぜ

恋はその始まりがいつも美しすぎる。だから結末が決して良くないのも無理はない

自分の置かれている環境を整備しないと、レベルというものは、いとも簡単に下がっていく

死に方は生き方、生き方は死に方。

自然には未だ知られていない諸力がある。我々が自分自身の余すことなき全てを自然へ委ねるとき、自然はそれらの力を我々に貸してくれる。我々の眼では見えず、知性でも理解・推測できないその諸力の形相を示してくれる

なんかやろうと思えば、何でもできるもんやねー

私が猫好きなのは、家で過ごす方が好きだからだ。そして次第に、猫が家の一部に思えてくる

お前等聴いてるよな。さっきから聴いてるなって思ってたんだ。だからこっちも唄ってやるぞ!って思ったよ。聴いててくれて嬉しかったよ。ありがとね。

自分があまりにも日本語を知らな過ぎることがコンプレックスでした

今度会うときも、今持ってるもの失わないでほしい。今のまんまで

傷ついても裏切られても、人を最初から疑ってかかるような生き方はしたくないと思うんだよね。裏切られたりして傷つく部分と、すげぇ嬉しいと思う部分て心の同じ部分で、同じところが傷ついたり喜んだりしてるから、傷つかないように心にふたをしていってしまうと、喜びまで感じなくなってしまうんじゃないかなぁ

曲を書く際に、人を感動させようとか、美しいメロディーを書いてやろう、と考えているわけではない

芸術は悲しみと苦しみから生まれる

ルソーの「ラブレターを書く時は、何を書きたいか何も考えずに書き始めて、それが思い浮かぶ前に書き終えろ」っていう言葉があって。

そりゃあもちろん世の中のいろんな出来事を知らないわけじゃないけど、俺たちがやりたいのは楽しくバンドをやりたいということだけ…それを手段として何か目的を達成したいと思ったことはないんで。それでも二次的なものとしてみんなの明日の朝メシがうまくなるんだったら、それより最高なことはないですよ

好きなことをやるためには没頭する時間が必要だろ。

生きてりゃ、そりゃあシラケるだろう

Prime Minister: Whenever I get gloomy with the state of the world, I think about the arrivals gate at Heathrow Airport. General opinion’s starting to make out that we live in a world of hatred and greed, but I don’t see that. It seems to me that love is everywhere. Often, it’s not particularly dignified or newsworthy, but it’s always there – fathers and sons, mothers and daughters, husbands and wives, boyfriends, girlfriends, old friends. When the planes hit the Twin Towers, as far as I know, none of the phone calls from the people on board were messages of hate or revenge – they were all messages of love. If you look for it, I’ve got a sneaky feeling you’ll find that love actually is all around.
デイヴィッド「私は世界のことを考えて落ち込むと、ヒースロー空港の到着ゲートのことを考える。有識者は、世界が憎しみや強欲で満ちているというけれど、私はそうは思わない。愛があちこちに存在していると思う。神々しいわけでも、ニュース性があるわけでもないが、愛はいつもそこにある。父と子、母と娘、夫と妻、彼氏と彼女、旧友。飛行機がツインタワーに突入したときでさえ、私の知る限りは誰も憎しみや復讐に満ちたメッセージを電話で送ったりはしなかった。それは愛のメッセージだった。見つけたかったら、探そうとしなくても、実は愛はいたるところで見つけられる」

私は天才を自覚している

6才の時、コックになりたかった。7才の時、ナポレオンになりたかった。そして、私の野心は、それ以来着実に成長し続けている

「人生っていうのは勝手に与えられるんだから、自分が追求してもいいんだ。幸せ追求権ってあるだろう!」と思ったんですね。

人生山あり谷ありでさぁ、今は山にいるかもしんねぇけど、いつかは絶対に谷になるんだ。お前らも絶対辛い時期があって、楽になりたいって思うときがあると思う。そういうのにあったときってさ、すーげぇいい人になっちゃうんだよ。もう傷つきたくないって思って、周りから愛されるようないい人に・・・でもそれって罠だから! いつまでも、何かに対抗する牙は捨てちゃなんねぇ。牙を抜くんじゃねぇぞ、牙を磨いとけよ! 最後まで油断すんなよ

言いたいことは言う。 その時は心を込めて言う。

壁を見つけて超えていく……。人ってのは乗り越えることでしか成長できねぇんだ。 お前の理屈は間違っちゃいない。乗り越えるべき壁が俺だと言うのなら、付き合ってやる。二度と乗り越えようとすら思えない力の差――一度だけ味あわせてやる

歌詞を書いてて出てこない時って、頑張って出そうとして出てくるものじゃない

「大丈夫、なにもかも上手くいく」なんて、口が裂けても言えない。でも俺が見ている世界の中で、本当に前向きな、魂が楽になれる言葉を綴ったつもり

自分に能力がないなんて決めて、引っ込んでしまっては駄目だ。なければ尚いい、今まで世の中で能力とか、才能なんて思われていたものを越えた、決意の凄みを見せてやる、というつもりでやればいいんだよ

天才のランプは人生のランプより早く燃える

顔に性格が表れるように、声には人生が現れる。言葉でどうこうするより、何万時間語り合うより、一曲でいいから自分の書いた歌を聴いてもらえば分かりあえる気がしちゃうんだよな

僕の場合、作曲の作業に入っているときは生活も一定のペースを保ち、できるだけ規則的に坦々と過ごすように心がけている

他人を、誰かを愛するという行為は、全ての可能性の始まりだと思っている。

全てのものは限られた量しかない。特に幸福は

Zepp Tokyoには幾つか強烈な印象が残っているライブがあって。以前、声が出なくて点滴を打ってステージに立ったこともあったんですよ。あのライブも良かったんだよな

真の芸術家とは、喜びのために仕事をする唯一といってよい人達だ

簡単なことを完璧にやる忍耐力の持ち主だけが、いつも困難なことを軽々とこなす熟練を身につける

チャンスとは一つのことに心に集中することによって、かろうじて見つけることができるものである

私が誰かの背中を押したくて作った曲が背中を押すわけでもないし、そんなことを考えずに書いた曲が誰かに「助けられました」って言ってもらえればいい。

何かを作りたいと思ってエキサイトしている状態っていうのは、めちゃめちゃ青春しているんやって思った。

運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする

重荷をいただいた胸は打ち明ければ軽くなる

自分の感情を音楽を通じて人々の前に発表してみたいという心がなければ、作曲しないほうがいい

自然は至上の建築物である。自然の一切は最も美しい釣り合いをもって建てられている

イノベーションを成功するためには、小さくスタートしなければならない。大がかりであってはならない。具体的なことだけに絞らなければならない

あなたには安らぎがある。贅沢さはない。お金が一端を握っているなんて言わないでくれ。私が提案している贅沢には、金はまったく関係ない

行動がすべての成功の鍵だ

私は絵の中で、音楽のように何か心慰めるものを表現したい

何だって自分次第なんだわ。んなもん、当たり前だよな。お前がクソなら、世の中はクソだよ。

同じことばっかりやるのはつまらない。だから私はいつも自分が良いと思うことを自由にやっています。

変わることをこばむのでなく、変われたことを褒めたいんだ。

せやけど俺は……何があっても親父の子ですわ

芸術は、われわれに自然が永遠であることを味わわせなければならない

一番美しい絵は、寝床のなかでパイプをくゆらしながら夢見て、決して実現しない絵だ

情熱をもって君たちの使命を愛せよ。これより美しいことはない

私には規則や方式は一切ない。裸婦を見る、すると幾千ものちいさな色合いが見えてくる。その中から、生き続けるものを探し出し、そのようにして真新しい色調をキャンバスの上に躍動させるのだ

毎回が真剣勝負

Living is easy with eyes closed, misunderstanding all you see.
目を閉じてれば、生きるなんて楽なことさ。目を開けてるから誤解が生じる。

鉛筆や紙と同等の費用で映画が創れたときにのみ、映画は芸術作品となるだろう

私は「わかってたまるか」っていうことをやるのも面白いと思ってます。いまだに

限界を越えることは絶対できないと思うんです。 越えられないから限界と書くわけで。でも越えるから不思議なんです。

親からもらった立派な体、というけど、じつは親からもらっているのは運の方かもしれない。運が脊髄のように芯としてあって、人間の人生というのはその運命の芯の回りにまつわる蛋白質、あるいは脂肪質、悪くいうと贅肉みたいなものなのだろうか

本気も本気 “大本気” や!

制服は征服するためにかかせない。私の人生を通じて、市民の衣装を着るほど自分をおとしめるのは稀だった。私はいつもダリという制服を着ている
