


今日のライブは、俺達の大親友だったアベフトシに捧げます。(2009年8月 RSRにて)

あのアナウンス(「ファウルボールにはご注意下さい」)であらためて注意する間抜けはいない。でもあのようにいっておかないと、後で怪我して訴えられたら困るというのがある。アメリカ仕込みの訴訟社会の風習である

コピーとかカバーっていうのもそうで、曲をカバーするんじゃなくて、そこにある熱をカバーするんだよ。

どーだろう?日本は民主主義国家だなんて言ってないで、事無かれ主義国家だって世界に向けて言った方がよっぽどカッコいいんじゃねえか。ロックっぽいぜ。

僕の何かを信じた時の強さですか?信じるっていう感情の強さですか?行為の強さですか?ハンパないと思いますよ。

急成長会社では無能な者が要職にいる。会社の成長についていけなかった人々である

人々を動機付ける能力がなくては、経営者とは言えない

偉人の経歴を読書により知って憧れること、師や友から聞いたことに発憤すること、自分が逆境に陥ったときに勇猛心を起こすこと、感激することの四つが志を立てる大きな理由となる

破壊こそ創造の母だ

いいんだよ。 消えないもんは消えないままで。 消えないもんを消そうっていうのは嘘だから。 だって傷は癒えるったってそんな簡単に癒えるわけないじゃん。 傷を負ったっていう過去は消えないんだよ。 消えない傷を持ってて、でもそれは今を生きてる証拠なんだと。

頭のおかしい人と私の唯一の違いは私は頭がおかしくないということ

みんながやっぱ、自分は人間のクズだと思ってればさ、素晴らしい世界が来ると思うんだよね(笑)。

ゲームと違って、人生には決まった攻略法はありません

期限までに毎日どのくらいのペースでやっていかなければならないか考える

集中が必要なのは、仕事の本質と人間の本質による。いくつかの理由はすでに明らかである。貢献を行うための時間よりも、行わなければならない貢献の方が多いからである

原因は何十年かのちに学者が明らかにするだろうが、行動する経営者としては待っていられないだろう。使えるもの、分かったことはどんどん使いなさい

自殺はやめろ。生きろ。

出会えた喜びはいつも一瞬なのにどうして別れの悲しみは永遠なの

選んだ道のその先よりも、選ばなかった道の運命を考えることの方が多い

好きだから、大切だからこそ人は高いところを目指す

歌なんて誰でも歌えるからヴォーカリストになった。だから、誰にでも歌えるような歌しか歌わないんよ。

毎回が真剣勝負

なんで嫌な時に笑ってんだよ。なんで悲しいのに笑ってんだよ。泣きたい時は泣いて、笑うときにバカみたいに笑えよ

俺達が、日本のミッシェル・ガン・エレファントだー!(98年フジロックにて)

この国の憲法九条を知っているかい。戦争はしない。戦争に加担しない。愛と平和なんだ。まるでジョン・レノンの歌みたいじゃないか。

線の芸術と色の芸術とがあるように、言葉の芸術だってそれより劣るものじゃない

雨が降るのは聞こえるが、雪が降るのは聞こえない。軽い悩みは大声で叫ぶが、大いなる苦悩は沈黙する

自分の中で一度燃え上がった想いというのは、止めることが出来ない

愛の光なき人生は無意味である

モネは、ひとえに眼にほかならない。しかし、何という眼だろう

すべての偉大な成功は、地味で面倒な事の積み重ねの上に成り立っている

デビューした時は、前途多難だなぁっていう感じでしたね。決して華々しい感じじゃなかった

確信を持つこと、いや確信を持っているかのように行動しなさい。そうすれば次第に本物の確信が生まれてくる

(スーツもシャツもネクタイも黒だったので「真っ黒だね!」と客に言われた後)ああ、黒人だからな。(97年TOKYO COOL CAMP)

彫刻は、凹凸の術である

自分の夢に必要やと思えるもの、好きやと思えるものには一生懸命になったらいい。

嫌われることは愛されることより難しい

癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた

まっさらな目をもて!そして目的を捨てろ!

RADWIMPSが好きだから聴いてんだよって言ってくれる人達の気持ちに恥じないように、うちらはこれからも世界で一番かっこいい音楽を作ってくから、もしよかったらこれからも聴いてください。

相手を尊敬することができぬなら恋は起こりえない

やっぱり大事な人ほど傷つけてるなという感覚と、傷つけてまで一緒にいたい、愛したいという感覚。それが自分の根本なんだなって。

俺が兄さんをムカつかせたんなら、謝ります

俺の喜びはいつか忘れるもんばかりだった。でも忘れたくない。

東芝で電話番しながら、すごいハッタリ言ってました。「やれば売れるって誰に言ったら分かってくれる?何でも歌うよ?社長呼んできてよ!!」って。

小ちゃい頃は入院することが多くて、看護婦さんとか凄いすきなのもそうじゃないかな。だって、生まれてすぐ大手術でしょ?すっごい病院が心地いいのかも知れない。

運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする

長く続いた友情なのに、別れるときはあっという間だ

少しくらい年を重ねたからってわかったような顔をしてもらいたくないんだ。俺は同世代のオヤジどもにそれが言いたい。

全てのものは限られた量しかない。特に幸福は

私の健康を祝して乾杯してくれ

「満足」って言葉は究極以外使っちゃいけないんだよ

偉大な精神は、静かに忍耐する事を知っている

ドローンが敷かれて、そこに何かが乗っていくスタイルって本当に、自分でも作るけど畑が焼き尽くされているっていうか、「ああまたこれか」って感じあるんですよね。自分で作ると自分の趣味に沿うから楽しく聴けるけど。それでいいとも言えるし、よくないとも言える。

凄くふさわしいところに自分が立ってて、凄くふさわしい行動を取っているような気がするんだよ

僕はどんな完成の仕方をしてもその人の実力だと思う。聴く人の実力。だからみんなそれぞれ立派に仕上げてください。そこで自分が楽しい 最高じゃんと思ってくれたらすごく嬉しい。

最初にして最高の聴き手は自分自身

Knowledge is love and light and vision.
知識は愛であり、光であり、ビジョンです。

神は勇者を叩く

もともと変わった曲にしようとしていたわけじゃなくて、自然に出来たんで。まぁ、奇跡って言い方はおかしいですけど、偶然的にあのような曲になったっていうところも大きいんですよね(『サイレン』について)

僕は新しく何かをやりたいんじゃなくて、今何をやりたいかなんだよ、まさに

後回しにできないあせりみたいなものが非常にあって。ボヤボヤしてられないんだよ、休んでる場合じゃないんだよ

作詞には苦しむことが多いです。曲がもともと持っている性格みたいなものは自分でコントロールしてるわけじゃない。自然に持ってるもので、それをいかに感じ取ってふさわしいものにするか。ふさわしい詞というのはもともと決まっているようなものという認識。

時間は私たちに残された数少ない大切なものだ

ライブハウスってのはきれいごとで成り立ってるんだよ! 理想とか夢ばっかり話してる奴しか入っちゃいけないんだよ。ここにはだから嘘みたいな話だけど、お前らの周りにいる奴一人、知らない奴一人でもいいから次こうやってライブで会うまで幸せでありますようにってこの曲を歌って下さい! ありがとうございます。ELLEGARDENでした

傷ついても裏切られても、人を最初から疑ってかかるような生き方はしたくないと思うんだよね。裏切られたりして傷つく部分と、すげぇ嬉しいと思う部分て心の同じ部分で、同じところが傷ついたり喜んだりしてるから、傷つかないように心にふたをしていってしまうと、喜びまで感じなくなってしまうんじゃないかなぁ

戦争は戦争を養う

「出来ないこと」ではなく、「出来ること」に集中しなさい

恋する女であれ。そうすれば幸せになれる。神秘的な女であれ。そうすれば幸せになれる

『何をやるか』じゃなくて、『どんなふうにやるか』

他者同士だからさ、分かりあえなくて当然

All you need is love.
愛こそはすべて。

うわー凄げぇな。学校や会社でうまくいってない奴らがここには多いと思うけど、そんな奴らが集まるとこんなキレイな景色になるんだな

僕って未熟だなって話です。どうすりゃいいのか未だにわからないし、わかって楽になったらいいなとは思う。ライブでも毎回緊張しますからね、どんな声が出るかわかんなくて。

創造力で大きな仕事をしていく人たちは予定調和を嫌う

絶対に言えるのは、時間が経つとワインと同じで良くなるんです。少々の時間じゃだめだけどね、100年後とかね。何でもない写真でも100年経ったらすごく良く感じるんですよ

いかなる世界が広がっていても、望んだ世界だと頷きたい。

人生の長さは一秒にも満たない。その僅かな時間に永遠に向けての準備をしなければならないとは!

近道は何度も出来たんだけど、後ろを振り返ったときに後ろがないと不安でしょうがない

テストの点数でお前らの価値は決まらねぇ

好きなことをやるためには没頭する時間が必要だろ。

最初はダメでも何度でもやり直せという態度は誤りである

ニンジンきらいな馬っているのかな?そりゃいるよな。

自然に基づいて絵画を描くことは、対称を写生することではない。自分の感動を現実化することである

自分が作った曲をいっぱい聴いてもらえたり楽しく歌ってもらえるんが1番嬉しい。難しいこととか考えたくない!作るのが楽しい、歌うのが楽しい、誰かのの思い出になれる事が嬉しい

とりあえず放送した方がいいというので、日本の世の中には形式だけのアナウンスがわんさと流れている。日本人は形式が好きだ、と思われても仕方のないことだ

20代で音楽的に成熟したものや洗練されたものを書くには生意気に見えてしまいそうでしょう。20代は本当にずーっと困っているという感じでした。30歳くらいから力加減を探っていけるようになってきて、ここ数年でやっと、等身大の仕事をするようになってこれた気がしています。すると今度は体力が落ちてきて……ねえ、人生って。それも全部描くしかないです。

言葉なんていらなくなるよ、きっと。僕が立派になれれば。

何が正しいかなんてわからんでしょ。俺が死んでも答えは出んよ。 そんなら好きだと思う事やるしかないんじゃないかなあ。

手加減はしねぇ、死にてぇ奴だけかかってこい!!!

福島っていうからには…やっぱり福がいっぱいあるんでしょうねぇ。(福島ライブにて)

芸術に従って芸術を作ってはならぬ

自分が興奮できないようなものではダメ

手を伸ばせば掴んでやるよ。掴んだら離さねぇぞって自信はある

僕はずっと一人ぼっちでいるせいか、人と話すと自分のことばかり話してしまう

後悔は いつもうらめしそうに ちょっと先でこっちを見てるね いやなヤツ。

(ビリーアイリッシュの曲で、あえて「音圧」という言葉を使ったのは、低い音って部屋自体が振動して、まさに音の圧って感じがするんですよね。プレッシャーみたいな音というか。これまでの「音圧」みたいな言葉は、ラウドネスメーターの数値の話だと思うので、それとは別の感覚についての話です)

人間と人間社会の問題なのかもしれない。つまり偶然というのは、本当はこの世の中を無数に満たしている事柄なのかもしれない。世の中はむしろ無限の偶然で成り立っている
