意味もなく生まれてきた人は一人もいない!自分でも気付かないんだ。だから自分らしい生き方をしろ!
芸術家は自分の芸術について語ることはできない。植物が園芸を語れないように
手を伸ばせば掴んでやるよ。掴んだら離さねぇぞって自信はある
As the eagle was killed by the arrow winged with his own feather, so the hand of the world is wounded by its own skill.
ワシが自分の羽根の付いた矢で殺されるのと同じように、世界は自らの技術によって傷付けられる。
自分の作った曲で自分が震えたいし、自分を感じたいし、伝えたいし、証明したい。
夢を夢と呼ぶうちは、それは叶わない。
子どもが大人になった時に、母が自分との時間を犠牲にしてまで、何を作っていたのか。知られた時に、恥ずかしくないもの、単純にわかるものを残したい。
「人生っていうのは勝手に与えられるんだから、自分が追求してもいいんだ。幸せ追求権ってあるだろう!」と思ったんですね。
自然にやってく中でぼんやり何となく楽しいっていうのは、凄く大事なこと
人生で起こりうる悪いことは二つしかない。パブロ・ピカソになることか、サルバドール・ダリになれないこと
新潟…新しい『潟』…。『潟』ってどういう意味だーっ?! (新潟ライブにて)
愛することは、愛されること
私は天才になるし、世界は私を称賛するだろう。評価されないかもしれないし、理解されないかもしれない。しかし天才になる、偉大な天才にね。なぜなら私はそのことを確信しているからさ
なんとなく楽しくいたい。それがゴールでしょ?そのゴールを目指していくために、いろいろやらなきゃいけないことがあってさ。その為には寝ないで頑張ることもあってさ。血ヘド吐くくらい頑張ることもある。いいことじゃん。だって目的に向かってがんばる手段として「金も必要、じゃ働くか」とかさ。
基本的に私は家の中で曲を作る
今の音楽の置かれてる状況の事とか、悲しくなっちゃう所がありますよね。パソコンで150円で買えるとか、若い頃の自分にとって凄い高かった、3000円とか2800円っていう感覚、その感じがもう無いっていうのは、なんかちょっと悲しいですね。
誰にも何の役にも立たないではないか。絵、展覧会──それがいったい何になる
俺は強いヤツが好きや!俺に命令出来んのは強いヤツだけや!
トマソンには作者というものがいないんです。そこがむしろ面白くて、だから「偶然」とか「出会い」ってことが一番不思議なことに思えてくる
あと二曲なんだよ。「え~!?」って気持ちも分かるぜ?その気持ちも分かるが、でもあと二曲を精一杯唄うからさ、お前等も精一杯楽しめ。また絶対来るからさ。な?
明日に延ばしてもいいのは、やり残して死んでもかまわないことだけ
大体、いちばん素晴らしい絵を描くのは四、五才くらいの子どもだよ
シュルレアリズムは破壊的だ。しかし、それは我々のビジョンを限定する錠の留め金とみなされるものだけを破壊するものだ
みんなの前で歌わんかったら下手になる
世界一になりなさい。さもなければ撤退しなさい
自分を支えているのは、自分
今真剣なんだ。邪魔するな!
俺がホントについてるなぁとか幸せだなぁとか思うのは、周りにそうやって怒ってくれる人がたーくさんいるんですよね
感情が伴わない作品は、芸術ではない
こんなに色んな人が関わりあうのは、俺、音楽しかねぇと思うんだ。てか、音楽しかしらねぇ
作曲家の基本命題は「いい曲をつくる」こと
そうだったな。俺らはいつもそうやって生きてきたんだったな。
「それにしてもあの絵は全然彼女に似ていないな」なに、彼女の方でだんだん絵に似てくるさ
ビートルズとか音楽は、暗いほう暗いほうに行きがちな自分を包んでくれる
眼が見えるということは一生涯もかかる教育の果実です
イノベーションを成功するためには、小さくスタートしなければならない。大がかりであってはならない。具体的なことだけに絞らなければならない
後継者を自分一人で選んではならない。どうしても20年前の自分に似た者を選びたくなる
(どんな時に曲が思い浮かぶ?)ほっといて、浮かんでくるのを待つ
What I am looking for is not out there, it is in me.
探しているものは外になく、自身の中にあるものです。
ギタリストのピークはギターを初めて弾いて感動した瞬間。
何も真似したくないと思う者は、何も生み出さない
人間にとって成長ないし発展とは、何に対して貢献すべきかを自らが決定できるようになることである
ドローンが敷かれて、そこに何かが乗っていくスタイルって本当に、自分でも作るけど畑が焼き尽くされているっていうか、「ああまたこれか」って感じあるんですよね。自分で作ると自分の趣味に沿うから楽しく聴けるけど。それでいいとも言えるし、よくないとも言える。
楽しくなかったら絵なんか描きませんよ
死ぬと分かってて戦うのが一人前の男って訳じゃない。男なら命を張る場面はきっと来る。お前にその時が来たら、思いきりやればいい。
私の誕生の日から、死がその歩みを始めている。急ぐこともなく、死は私に向かって歩いている
ほうきとか持ってエアギターとかしたりするわけじゃん、憧れて。それの延長なんだよ
楽しいと思った瞬間、そこがゴール
歌だってそうなんだ。歌唱力がうまいへたではなくってね、ちゃんとあなたのところに飛んでいくようなメロディを歌いたい
僕の部屋は僕を守るけど、僕をひとりぼっちにする
長く続いた友情なのに、別れるときはあっという間だ
この街は牢獄や……。俺が塀の外に出られんのは いつなんやろな兄弟……
真摯さはごまかせない
文学の偉大なる傑作とは、使えない辞書のようなものである
負けず嫌いなので、自分の人生には刺激が足りない、喜怒哀楽においてのすべての感情が足りない
人はあらゆる物や人に意味を見出そうとする。これは我々の時代にはびこる病気だ
Self-pity is our worst enemy and if we yield to it, we can never do anything wise in this world.
自己憐憫は最悪の敵です。それに負けたら、この世で賢明なことは何一つできないのです。
勝負をしない奴には勝ちも負けもないと思ってるんだろ? でもそれは間違いだ。勝負できない奴はもう負けてるんだよ
近道は何度も出来たんだけど、後ろを振り返ったときに後ろがないと不安でしょうがない
黒は特別な色ですね。共感覚はそんなに意識していないけれども、誰でも音楽を聴いたら何色なのかを感じるじゃないですか。俺は黒とか青黒いものが好きで、それは何だろうなと思うと、俺の青春が90’sだったから、低音が強いものが好きという感じなんですよ
自然は生命を更新するためにのみ死を役立てる
人間と人間社会の問題なのかもしれない。つまり偶然というのは、本当はこの世の中を無数に満たしている事柄なのかもしれない。世の中はむしろ無限の偶然で成り立っている
例えばスリーコードでエイトビートならみんなロックンロールかって言ったらそうじゃないものもあるわけ。スタイルじゃないんですよ。だから様式美ではなく、そこにある熱が大事なんですね。
勇敢な男は自分自身のことは最後に考えるものである
間違いは神聖なもの、それを正すというよりは合理的に考え、誤りを理解せよ。そうすれば間違いを昇華することが可能になる
それは夢のまた夢、夢の中の夢の中の夢の中のそのまた夢の中の、夢の夢さ。でも、夢はあきらめない方がいいぜ
若き時代に数千の帆柱を押し立てて船出したその港へ、老いさらばえて救いのボートに助けられ、人知れず帰ってくる
まじめに考えて出てくる答えっていうのはろくなもんじゃないんです
今日は本当に最高じゃ。どうやら、この鉄の檻(おり)は人の心までも縛れんようじゃな。
上手であることはそんなにいいことか?とも思う
理論というものは現実に従って変化していく
現状を把握しなければ未来は語れない
イエスとノーのあいだに真実が息づいている
こむずかしい理屈をこねたりしてる歌なんて、最悪。単純なラブ・ソングこそ、最高なのに。
昔のファミコンの音楽は、3音しかありません。だから、本当に必要な音だけを残す作業を行いました
ドリフターズのお客さんを見てごらん? 大人がいないだろう? 小学生くらいの子供たちでいっつも会場は満員なの。で、大人になったらその子たちは卒業していなくなる。でも次の子たちが入学してまたドリフターズを観に来るの。
親からもらった立派な体、というけど、じつは親からもらっているのは運の方かもしれない。運が脊髄のように芯としてあって、人間の人生というのはその運命の芯の回りにまつわる蛋白質、あるいは脂肪質、悪くいうと贅肉みたいなものなのだろうか
商業的に音楽を作ろうと思ってしまったら、多分やる気をなくします。
女は変幻自在。それを面白がるしかないでしょ。もっと小気味よく生きる女性が増えたらいいなって、ずっと思っていました
私は努力をしてこなかった人間。ただ努力をしなかった分、自分の好きなものに囲まれて生きることはできたというか
「大丈夫、なにもかも上手くいく」なんて、口が裂けても言えない。でも俺が見ている世界の中で、本当に前向きな、魂が楽になれる言葉を綴ったつもり
エライこと引き受けてしもうたなぁ。しゃーない!真島吾朗、いっちょやったろやないかい!
覚えておくんだ。生涯あなたに付き添ってくれる唯一の人はあなた自身なんだ
人々の求めるニーズに無関係であってはならない、かといってニーズに迎合してもいけない
運が悪かったんだよ …お前等は
自分にとっていちばん面白いのは、思いもしないものに出会うことだ。自分の思いを超えたものにめぐり合うことである。何故それが面白いかといえば、そのことで自分が広がっていく快感があるからである
釣りをやる人には、釣れそうなところがわかるそうなんですね。私たちの路上観察も同じような感じで、ありそうなところっていうのが、何となく雰囲気でわかるんですね。あまりピカピカの出来たての街だと、他の要素が入り込む要素がないので、妙なものを発見することが少ないんです。だいぶ時間がたって、壊れたり色々用途が変更になったり、何だかんだと生活にもまれたところで、見る人が見れば妙なものになる。そういうところがすごく面白いところなんですね
ブルースって、どうしてブルースっていうか、知ってる?それはブルースが悲しいから…(02年RSR)
「人生っていうのは勝手に与えられるんだから、自分が追求してもいいんだ。幸せ追求権ってあるだろう!」と思ったんですね
大小様々な仮想敵を作って「XXXXよりこっちが良い!」みたいに比較するのではなくて、「楽しい!」とか「ヤベー!」とか、言葉にできない魅力とか、そういうことをシェアしたいなって思う。
Jesus was all right, but his disciples were thick and ordinary. It’s them twisting it that ruins it for me.
イエスは悪くない奴だったけど、弟子たちは鈍かったし普通だった。彼らがイエスを歪めたことが、僕は残念だよ。
せやけど俺は……何があっても親父の子ですわ
母は、私にこう言った。「あなたは、軍人になれば、いずれ将軍となるでしょう。修道士になれば、最後には法王となるでしょう」私は、その代わりに画家になり、結局ピカソとなった
Until the great mass of the people shall be filled with the sense of responsibility for each other’s welfare, social justice can never be attained.
社会正義は、人々の大多数がお互いの福祉に対する責任感で満たされるまで、決して達成されることはありません。