


偉大な男の背後には必ず、その男を愛してくれる女がいた。「愛する女がかなえてくれるレベルより、もっと偉大になんか男はなれない」という言葉には、多くの真理が含まれている

ライブってゆうのはお茶の間でせんべえかじりながら見るようなもんじゃねぇんだよ。チケット取れなかったとか色々あるかもしれないけど死ぬ気でチケット取れ。で、見にこい。俺らあれだから。ブラウン管の前で評価されたくねえから

手加減はしねぇ、死にてぇ奴だけかかってこい!!!

「命短し、目抜き通りを歩こう」っていう気持ちなんです、今。本当に。人生がどんどんシンプルになってきている

青春小説、青春映画っていうのがあるんだから、青春音楽っていうのもあっていいんだ

普通なことが特別で特別であることが普通なこと

「楽しく続いていくうちは最高に楽しいことをやろうぜ。駄目になったら、それはそれ」っていう考え方の方が、逆に物事が続いてったりするじゃん。もちろん続けることは大切な意味があるけれど、それが目標になっちゃうと挑戦も冒険もできなくなっちゃうからね

今日此処に来たかったけど、チケット取れなかったヤツが沢山いるの分かってるから。そんなヤツらにも届くように唄ってるから。

すべては奇跡だ。例えば、お風呂に入ったとき、あなたがお湯に溶けてしまわないことだって

今まであんなにときめいてきて、あんなに翻弄されて、電話のなかに彼がいると思って電話をずっと見てた、ああいう時間は何だったんだというぐらい、まったく次元の違う大事なものができてしまう瞬間があるんですよね

人生は継続的なパーティーでなければいけないと思う

仕事は点ではなく線だ

イエスとノーのあいだに真実が息づいている

アバウトは健康にいい

運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする

多くの人が80代まで生きれないのは、彼らが長期に渡って40代で止まろうと努力するからだ

「ありきたりな女」を書いたのは、次の曲の「カーネーション」を聴かせたかったからでもあるんです。「カーネーション」は「何を言っているかわからない」とか、散々言われたので。私が意図した通りに聴いていただくために、その導入部分が書きたいな、と思って

愛の前で自分の損得を考えること自体ナンセンスだ。そんな男は女を愛する資格はない

人は素敵な経験があるか無いかで、心の汚れが全然変わってくる

絵を描くのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、一種の魔術なのだ

自分の作った曲で自分が震えたいし、自分を感じたいし、伝えたいし、証明したい。

自分が興奮できないようなものではダメ

感動っていうものに限界は無いじゃないですか、日々。それに突き動かされるんですよ

全然文明化されていない環境と孤独が、死の間際にいたり、私の内部で、最後の熱情のひらめきを復活させるのです。そしてその熱情こそ、私の想像力を、今いちど燃やし、私の才能を、最後の出口へと導いてくれるものなのです

何かを表現していく人間にとって、自分の拠り所を気分に置いてしまうのは危ういこと

これからは自分の為に歌おうと思います。 俺が俺であることを好きでいるとその日はすげぇー楽しいのね。でも俺が俺であることが嫌になってしまうと、その日1日もぅ何もかもが駄目なわけ。俺はかっこよく生きたいです

生きる日のよろこび、悲しみ。一日一日が新しい彩りをもって息づいている

人は素敵な経験があるかないかで、心の汚れとか全然変わってくる

確信を持つこと、いや確信を持っているかのように行動しなさい。そうすれば次第に本物の確信が生まれてくる

人生はキミ自身が決意し、貫くしかないんだよ

歌詞の中にこの言葉を入れたら、昔はそれが、「面白いね」とか「馬鹿じゃね」とか、笑われて済むようなところだったのに、今はもう笑えなくなってきたところもあります(コンプライアンスが厳しくなって)

よう動く舌やなあどないな作りになっとんねん?もうすぐ夜やで。次のパーティーの話はまだ早すぎなんとちゃうか?

沖縄、色んなものがあるんでしょうね。…珍しい鳥もいるんだろうね…ほら、青いのとか…(石垣島にて)

周囲より僕は歌の力ってのを信じてます。

Love is like a flower, you’ve got to let it grow.
愛とは、育てなくてはいけない花のようなもの。

なんか人見知りですって自分で言う人いるじゃないですか。それってめっちゃよくないなって思ってて、すごい自分から人を引き離してるの良くないなって思って。

神は勇者を叩く

バンドって楽しいや。ライブやれるってこんな幸せなことないよね。自分家からすげぇ離れた土地で待っててくれる人がいる。拳をあげて一緒に歌ってくれる野郎どもがいるなんて、すごいよね。もし俺たちが音楽やってなかったら 俺個人的に言えば歌を歌ってなかったら、きっと何もなかっただろうな

犬や猫は偶然など当たり前のこととして、偶然の海をゆったりと泳いでいるのではないだろうか

経営者がかならず身につけておかなければいけない、大事な要素がひとつだけある。それは品性である

死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど

出産じゃなくても、女の人にはあることだと思いますよ。(感覚ではなく)頭で理解しようとしちゃう瞬間が、人生で何度かあるんじゃないでしょうか。大きな選択っていうか

私には規則や方式は一切ない。裸婦を見る、すると幾千ものちいさな色合いが見えてくる。その中から、生き続けるものを探し出し、そのようにして真新しい色調をキャンバスの上に躍動させるのだ

以前にも成功をおさめたからといって、今度も以前と同様の仕事のやり方をし続ける経営者というものは必然的に失敗する運命にある

絵画は家を飾るためにあるのではなく、敵と対峙するための攻撃的かつ防御的な戦争のツールなんだ

自然は常に完全である。決してまちがわない。まちがいは我々の立脚点、視点の方にある

家族同様に暮らしていくうちに、猫はしだいに家庭の中心的存在になってくる

俺はあまり友達付き合いが得意ではないから友達が多くはないけれど、バンドだけが自分の居場所だったのがそうではなくなった今、「バンドがないと生きていけない」みたいに重たく考えなくなった。もちろんバンドはめっちゃくちゃ大事なんだけど、なんていうか、すがりつかなくなったっていうのかな

明日は必ず来る。そして、明日は今日とは違う

大多数の世間の人々が、平凡な一生を終るのは志が小さく、意志が弱いからだ

自分は燃え尽きることは一生ない

運を信じるしかない。そうでなければ、気にくわない人たちの成功をどう説明すればいいのだ

未来は真っ暗。 お先真っ暗というのはすげー前向きな言葉だよ。真っ暗なんだよ。どこがいけないんだよ。そん中に すっげー誰も見たことがない、どんなに勉強したってわかりっこない、 素晴らしいものが隠れてるかもしんない。 真っ暗ってことはいいねえ。みんな平等で。

ああ、俺にもできそうだ!

(デビュー当時は)「ゴースト何人いるの?」とか「ほんとはいくつ?」とか散々言われて。子どもだから全然こたえないんだけど

俺かて そない馬鹿正直に生きてきたわけやない。せやけどな、俺のまわりには馬鹿に生きて……馬鹿に死んでった男たちがおった。そいつらのくだらん生き方が 俺は男の最高の生き様やと気がついたんや

音楽に限らず、あらゆるクリエイターって2タイプに分かれると思うんですよ。第六感で作るタイプと、いろんなものを分析して構築的・理論的に作っていくタイプと

音楽は言語のルーツなんじゃないかな

さみだれの かぎり有りとは しりながら 照る日をいのる こころせはしき

私にとっては、この外気の中での美しい研究がありがたい。私の部屋は私を苦しめる。小さすぎ手足を痛める靴のようだ。そして都会・・ 美しい都会、幾度も言わねばならないが、私が自分を知る一切のものを学び得たのは野原や森の外気の中でのことである

商業的に音楽を作ろうと思ってしまったら、多分やる気をなくします。

後回しにできないあせりみたいなものが非常にあって。ボヤボヤしてられないんだよ、休んでる場合じゃないんだよ

一人立てる時に強き者は、真正の勇者なり

大人のくせに子供と同じような人間ばっかりになっちまったんじゃねえのか。

本当の芸術というのは、音楽にしたって映画にしたって文章にしたって演芸にしたってなんにしたって、ドアが開かぬままにあなたに会いに行ける魔法だって

生き方の基準は、正しいか正しくないかではなく、美しいか否かである

40歳になって「来た来た!」と思っています。40歳からが私に似合う年齢だと思っていましたから、それまで、どうやって時間をつぶしたらいいかと長く苦しんでいました。

何かがあった瞬間というのは、何かが終わった瞬間だと思う。 何かが終わった瞬間が、何かが始まった瞬間だと思う。

音楽っていうのは、96%まで技術です

真理に年齢はない

重荷をいただいた胸は打ち明ければ軽くなる

「とりあえず、テレビのドラマに合った曲を書かなきゃいけない」とかって音楽の価値を下げることだと思う

生命の一分が過ぎていく!それを在るがままに描き、それをなすためにはあらゆるものを忘れよ!そのものになりきれ・・実際に見るもののイメージを与えよ

絵というものはぼくにとって、愛すべきもの、愉しくて美しいものでなければならないんだよ。そう、美しいものだ!人生には厭なことが多すぎるんでね、これ以上厭なものなんかこしらえたくないんだよ

世の中で生きてるうちに起こるほとんどのことは僕にとってたいしたことじゃない。それよりも1回のロックンロールコンサートの方が大きい。1枚のCDを聴くことの方がよっぽど大事件なんだ

書いた曲が誰かに「助けられました」って言ってもらえればいい

運が続くというのは、じつはどこかで運のウィルスに感染して、症状が広がっている、という状態なのではないだろうか

自分が自分自身に出会う、彼女が彼女自身に出会う、お互いが相手の中に自分自身を発見する。それが運命的な出会いというものだ

芸術作品が時代に先駆けてあらわれるとき、時代は芸術作品の後ろでもたもたしている

女が何を考えているのか、すっかりわかれば、男は何千倍も大胆になるだろう

芸術家になるためには、まず自分の目や耳でよいものを感じて選びとる「審美眼」が大切

Being honest may not get you a lot of friends but it’ll always get you the right ones.
自分に正直でいれば、多くの友人には恵まれなくとも、いつでも理想の友人が得られる。

何よりも辛いのは、永遠に完成することがないということだ

私は死ぬまで、死ぬことについて、そして生きることについて、考えていると思う。

時間は私たちに残された数少ない大切なものだ

生産性を向上させるためにまず問うべきは、何が目的か、何を実現させようとしているか、なぜそれを行うかである

私の耳は貝から 海の響きを懐かしむ

No pessimist ever discovered the secret of the stars, or sailed to an uncharted land, or opened a new doorway for the human spirit.
悲観論者は星の神秘を発見したり、未発見の土地に航海したり、人類の魂への新しい扉を開くことは決してできません。

ものがそこにあるという尊厳。これはいったいなんだろう。ただあるというだけなのに

世間が決して飽きない唯一のものは誇張表現だ

I think our society is run by insane people for insane objectives.
僕らの社会は、ばかげた目的のために、あきれた人々によって動かされている。

人生は退屈すれば長く、充実すれば短い

一人ひとりと7万回握手がしたいです。

闇鍋みたいなもんですよ、人生。何入ってるかわかんないけどどれかつまんで食べるしかないみたいな

友達に好かれようなどと思わず、友達から孤立してもいいと腹をきめて、自分を貫いていけば、本当の意味でみんなに喜ばれる人間になれる

問題になろうがどうしようがいいんだもん。それはまた対処していけば。だけど大人たちに相談しちゃうと問題になりそうだからやめようってことになっちゃうんだ。

なんかやろうと思えば、何でもできるもんやねー

僕たちの小さな情動が僕たちの人生の偉大な船長であることを、また僕たちは意識することなくこの小さな情動にしたがっていることを忘れないようにしよう
