もう俺は、相手がお客さんであろうが、メンバーであろうが、友人であろうが、音楽でしかきっと何も伝えられない。
本気も本気 “大本気” や!
今日のライブは、俺達の大親友だったアベフトシに捧げます。(2009年8月 RSRにて)
感覚って信じてます? 僕は感覚なんて全く信じていない
いまさら、自分を変えようとしてはならない。そんなのは、うまくいくわけがない
津波が来ます。(酒に酔いながらのラヂヲで地震が来たとき勝手に)
中学時代はラジオが好きで、「オールナイトニッポン」をよく聞いていました
10年後に生きている確率より明日生きている確率の方が高いので明日持つ夢が大事
ミュージアムをひとつくれ。埋めてやる
ロックだろうが、ポップだろうが関係ねぇよ。『プラネタリウム』は『プラネタリウム』だよ。(プラネタリウムについて)
全然文明化されていない環境と孤独が、死の間際にいたり、私の内部で、最後の熱情のひらめきを復活させるのです。そしてその熱情こそ、私の想像力を、今いちど燃やし、私の才能を、最後の出口へと導いてくれるものなのです
ジョークを言った本人が笑ったら、そのジョークはジョークでなくなる
現在持っているものに満足しない者は、持ちたいと思っているものを手に入れたところで、満足しないだろう
色々不安だろ?なあ、イライラするしなあ。それなあ、大人になっても不安だし、50過ぎてもイライラするから、そのまんまでいいんじゃないすか。物事解決するよりも、イライラしたまんまさあ、ロック聴きゃあいいじゃん。うん。
マーケティングは事業全体を完全に包含する。それは最終成果の観点、つまり顧客の視点から見たビジネスすべてである。それゆえにマーケティングに対する配慮と責任は企業全体に浸透していなければならない
風景なら その中を散歩したくなるような、女性なら その人を抱きしめたくなるような、そんな絵を私は描きたい
ものがそこにあるという尊厳。これはいったいなんだろう。ただあるというだけなのに
運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする
言葉なんていらなくなるよ、きっと。僕が立派になれれば
心ある 繊細すぎる魂を持つ人たちが一瞬でも「もうこの世に生きる意味はない」と感じることのない社会を 空気をみんなで作っていきたい。
毎回が真剣勝負
指揮者は、一人の人間を受け入れるために楽譜を書き直したりはしない
私の創造の源泉は、私が愛する人々である
おれたちみたいにブサイクに生まれたやつがカッコよく見せれるとこってのはひとつしかないよな、そうだな“生きざま”だよな
ボクシングって勝った方が腕を上げるじゃないですか。でも天秤は負けた(軽い)方が上がるんですよ。・・・・・それっておもしれぇなぁと思って
僕もほっときゃ歳も取るからさ、今と昔をそのまま比べることはできないけど、基本的にやっぱ何も考えてなくて、たいして成長も進歩もしてないからおんなじようなものがいつもステージに乗っかってるんだと思うんだ。
運命は人がその糸をもつれさせるのを好まない
個人としての嗜好が投影された「普通にそのままのもの」っていうのがあるべきだと、私は思ってしまう
たった一曲だって、他人に最後まで聴かせるということは、結構すごいことなんだ。音楽に限らず、映画だってマンガだってお笑いだってね
10年かかってもまだわかんねぇのか?お前らが俺らを必要としてるんじゃない。俺らがお前らを必要としてるんだ
その曲の伝えたい事が、あなたがあなたに伝えたい事だと思って欲しい。
何か感じたり思ったりしたことっていうのは、将来の何かに影響してんだよな
人の卓越性は、ひとつの分野、あるいはわずかの分野においてのみ、実現されるのである
jupiterは「木星」の他にも「雨の神様」って意味があって、俺はその言葉がいいなって思って。「太陽の神様」じゃなくて「雨の神様」だって。じゃぁ、俺は皆を濡らしてやろうと。俺らは泣いてもいいんだよって言いたいバンドな訳だから。
低級な芸術家たちは、常に他人の眼鏡をかける
焦点の定まった明確な使命がなければ、組織はただちに組織としての信頼性を失う
すべての偉大な画家はみな空間を探ります。厚みの観念の中にこそ彼らの力は宿るのです
太陽のように生きて、太陽のように死にたい
火の国熊本、暑さにゃかなわねぇ!!(熊本ライブにて)
俺は「頑張らなきゃダメだ」と唄った事はないし、「這い上がって来い」と唄った事もない。 でも、歩み寄って来てくれたなら最高の味方になるし、ほっといても邪魔にはならないし、そういう音楽だと思いますね。
国が無くなっても自由に生きられるよ。国なんていう考え方に縛られているのは人間だけだ。
Life is very short and there’s no time for fussing and fighting, my friends.
人生は本当に短い。空騒ぎしたり、争ったりする暇なんてないんだ。
女性って20代までは大変ですよね~自分次第で何者にもなれるはずなのに、社会だったり男性の目線だったり、余計なことに捕らわれて不自由になりがち。それはもったいないと思う。
偽の絵描きは、この木、この犬を見ない。木というもの、犬というものを見るだけだ。同じものは何ひとつないのに
恋愛だって芸術だって、おなじだ。一体なんだ。全身をぶつけること。そこに素晴らしさがある
純粋に泣けてしまうことって本当にある
「出来ないこと」ではなく、「出来ること」に集中しなさい
だいたい世の中にある「もの」って用件のあるものですよね。でも、単に「もの」を道具としてみるのではなくて、ものの見方の楽しさを感じて欲しいと思います。こういうのってフィールドワークなんです
『無罪モラトリアム』の意味は、一個の人間としてまだ社会に出なくても許されてる立場の人間。さらに「無罪」って言って、立場的にも生きてる事が許されるんだって付け足したかった
目の前で襲われてる女の子を黙ってみてられるほど、俺は大人やないんや。
自分が嫌いな相手にまで好かれたいとは思わないですし
どんどん、くだらなくなっていってる。音楽もTVも低能になっていってる。殺人も犯罪も短絡的になっている。警察は庶民を守ってはくれなくなった。
最後は直感なのだ
未来を予知しようとすることは、夜中に田舎道をライトもつけずに走りながら、後ろの窓から外を見るようなものである
言葉は自由自在なので、聞き手や語り手によって自分も全く思ってもいない方向に変形してしまう面白さもあれば、それが自分の考えとは真逆に動きすぎて混乱しまう場合もあります
まず、やりたいを決め、次に何に集中すべきかを決めなさい
俺はあれについて、一つ勘違いして欲しくない事は、孤独に強くなって欲しんじゃなくて、今よりもっと孤独を怖がって欲しいって事。(バイバイサンキューについて)
(どうしてすぎやまこういちと平仮名なの?)漢字では椙山浩一と書くのですが、間違えて「まさやま」と読む人がいたり、「杉山」と書く人がいるので
私にとってはテレビは想像できるものしか映らない画面の一種でしかない
僕は楽しいから、成功していると思う
「人生っていうのは勝手に与えられるんだから、自分が追求してもいいんだ。幸せ追求権ってあるだろう!」と思ったんですね。
女性を尊べ。彼女らは地上の生活のために天国のバラを織りなす
無茶苦茶だよ。熱だけしかなくてさ、意味はないんだよ。
わがままさっていうのはさ、必要なんじゃねえかなあ
反原発集会へのお誘いも多かったけど、そういうところへ行って歌えば受けるの当たり前だし。目にみえててつまらない。むしろ推進派の集まりに呼ばれてやりたかった。
感情が伴わない作品は、芸術ではない
Knowledge is love and light and vision.
知識は愛であり、光であり、ビジョンです。
ユーモアを失わないように戦うのだ。ユーモアの欠如は愚の骨頂だ
So long as the memory of certain beloved friends lives in my heart, I shall say that life is good.
心に愛する友の思い出が生き続ける限り、人生は素晴らしいと私は言い続けるでしょう。