ツアーなのにウィークデーに東京に戻ってくるのは、旅している感じが全然しないんだよね。車で走り回って、その土地の美味くて安いものを探しにいく。夜はそこで待っている仲間たちと音楽を楽しんで、酒を飲んで寝るみたいな3ヶ月。こんな人生、なかなかないでしょう
やっぱり音楽は大好きなことで、他に代わりがないから緊張するんですよ。今日のライブがダメでも、他でがんばればいいやとか、そういうもんじゃないから。
私は常々「偶然耳にされたリスナーの方が、わくわくなさるような時間を提供せねば」と考えています。せっかくなら。子供の頃観た歌番組では、いろいろな歌手がよく、一緒に歌ったりしていました。ああいうフランクさが近年どんどん失われているのを寂しく思っています。
複雑なものはうまくいかない
一生懸命考えたり思ったりしてわからなくなって、最後の最後のところで逃げ場のないところまで追い詰められて、だからロックンロールをやってる気がするんだよ
人間が生きる限り、死人も生きているんだ
ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎
作曲家として一番大切な事は、とにかく曲を書き続ける事
恋はその始まりがいつも美しすぎる。だから結末が決して良くないのも無理はない
人のだらしなさって、たまに妙な愛しさがあるからずるい
お芝居の世界でお仕事をするときは、簡単にベラベラしてはいけないというのは自分の中にあるんですよね
芸術は醜いものを生み出すが、しばしばそれは時とともに美しくなる。一方、流行は美しいものを生み出すが、それは常に時とともに醜くなる
人はあらゆる物や人に意味を見出そうとする。これは我々の時代にはびこる病気だ
私が生まれるということは不条理である。私が死ぬということも不条理である
どの曲も全力でやって一番いいと思えるものを出している
ライブで観たときのダイナミクスってすごいでしょう。そのための技術を磨いておきたいと思いながらやってきたけれども、ライブってそれだけじゃ足りなくなる瞬間があって。そのときに引っ張り出されてきているのが人間力みたいなものなのかもしれないけれど、あまりそこに頼りたくないと思いつつ、歌っているだけですごいと言われるような歌い手になりたいというのはずっとあるんだよね
想像力の源である感性は、その土台になっているのは自分の中の知識や経験の蓄積だ。そのストックを、絶対量を増やしていくことが、自分のキャパシティを広げることにつながる
壁を見つけて超えていく……。人ってのは乗り越えることでしか成長できねぇんだ。 お前の理屈は間違っちゃいない。乗り越えるべき壁が俺だと言うのなら、付き合ってやる。二度と乗り越えようとすら思えない力の差――一度だけ味あわせてやる
失敗することを恐れず、とりあえず何となくやりたい事をやってみたら?
型にはハマらずにいたい
私は「わかってたまるか」っていうことをやるのも面白いと思ってます。いまだに
ほうきとか持ってエアギターとかしたりするわけじゃん、憧れて。それの延長なんだよ
芸術は、盗作であるか革命であるか、そのいずれかだ
被写体に最初に出会った時の写真が一番良いんですね。うまく撮ろうとたくらんだ写真は、素直な力がなくなる
デッサンと色彩とは区別することはできぬもので、彩色をほどこすにつれてデッサンがなり、色彩が調和していくにつれてデッサンは正確になる。色彩が豊富になる時、形も充実する
頑張ってる最中の奴を手助けしないで見守ることをみんなできるはずなのに、そこで水差すのはいいかっこしたいからじゃん。僕は私は、こういう困ってる人は見過ごせない。自分より弱い立場の人は絶対助けてあげなきゃいけないほど心の優しい人間です。そういう心の持ち主ですって他にアピールしたいだけじゃないの?恥を知れ!
美術館はちょっとまとまり過ぎてる感じで、博物館的な世界には思わぬものがあるんだよね
火の国熊本、暑さにゃかなわねぇ!!(熊本ライブにて)
Life is what happens to you while you’re busy making other plans.
人生とは、人生以外のことを夢中で考えている時にあるんだよ。
スペイン内戦は、スペイン人民と自由に対して、反動勢力が仕掛けた戦争である。私の芸術家としての生涯は反動勢力に対する絶え間なき闘争以外の何物でもなかった。私が反動勢力すなわち死に対して賛成できるなどと誰が考えることができようか。私は「ゲルニカ」と名付ける現在制作中の作品において、スペインを苦痛と死の中に沈めてしまったファシズムに対する嫌悪をはっきりと表明する
親からもらった立派な体、というけど、じつは親からもらっているのは運の方かもしれない。運が脊髄のように芯としてあって、人間の人生というのはその運命の芯の回りにまつわる蛋白質、あるいは脂肪質、悪くいうと贅肉みたいなものなのだろうか
気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常
人間が生きている社会基盤は、一瞬なりとも安定することなく、さまざまな変動によってつねに変化する
自分じゃない自分を出すのが怖い
お前らの心は 見たくないものを見ずに閉ざしてしまうのか 見えないものを 見ようとするか
汝が死ぬ前日に懺悔せよ
なんつーか…俺もなに言ってっかわかんなくなってきた! つかこんな事言うとホントてれくせぇけど、なんてゆーか…なんかお前ら可愛いんだよ(笑) いや…女子に言ってんじゃねぇよ!? ここでは女だとか男だとかそんなの関係ねぇ。ここにいる奴らはみんな同じだって…今回もブスばっかだなぁ
芸術家とは、不滅の存在である。刑務所や強制収容所に入れられていても、芸術の世界に身を沈めていれば、私は全能でいられる。たとえ、ほこりまみれの牢屋で濡れた舌を使って絵を描かねばならぬとしても
勉、つとめるというのは、自己の力を出し尽し、目的を達成するまではどこまでも続けるという意味合いを含んだ文字である
一事を根気よく長時間続けることは困難なのである。勉とはそれに打つ勝つだけの忍耐力の養成を意味する
明日のための今日ではなく、今日のための今日ですよ
喧嘩に必要なのは、強さじゃなく、慣れているかどうかだ
モネは、ひとえに眼にほかならない。しかし、何という眼だろう
自然に生き、自分の気持ちをほんとうに伸ばしてゆこうとすれば、まず、いたるところで残酷に、壁に突きあたる
激流にも耐えうる柱のように揺るぎない信念を心に持て
他人の価値観を尊重できないなら、自分の価値観なんて主張しちゃいけないと思う
すべてはむなしい
その曲の伝えたい事が、あなたがあなたに伝えたい事だと思って欲しい。
学とはならうということで、すぐれた人物の立派な行いを習い、みずからもそれを実行していくことである
世界一になりなさい。さもなければ撤退しなさい
若くなるには時間がかかる
私が猫好きなのは、家で過ごす方が好きだからだ。そして次第に、猫が家の一部に思えてくる
私が誰かの背中を押したくて作った曲が背中を押すわけでもないし、そんなことを考えずに書いた曲が誰かに「助けられました」って言ってもらえればいい。
芸術家は自然の親友である。草花は茎の優美な曲線と花びらの調和のとれた色合いで芸術と対話をする。どの花にも、自然が芸術家に心から語りかける言葉があるのだ
人は素敵な経験があるかないかで、心の汚れとか全然変わってくる
目の前で女殴られて引き下がれるほど大人じゃあねえんだ・・・
俺にはなぁ……桐生ちゃんの 命より大切なモン━━見捨てることは できんかったんや。
猛烈に自分を強くし、鋭くし、責任をとって問題を進めていく以外にない
最高で当たり前なんだよ
期限までに毎日どのくらいのペースでやっていかなければならないか考える
直観力と想像力を、抑え込んではならない
自分の声に何かがあって、歌えなくなったとしても、作詞は続ける。
だが重要なのは血じゃない。俺と親っさんは絆で繋がってる!
何を取られたら死ぬかっつったら、やっぱ「唄う事」なんじゃねぇかなと。
音楽、アート、読書、スポーツ、アニメ、ゲーム、etc.好きなものはいくつあったって怒られないのがいいところ。笑。
それしかないんだから。腹をくくって、あきらめて。そこに行き着くまでにいっぱい考えればいいと思うし、失敗もすればいいと思うんだよ。
いま大戦中でもないのに、人に「どっちなんだ!?右なのか、左なのか」と問うこと自体、ナンセンスだとは思います
長く生きてるほうが絶対おもしろいよ
本当の芸術というのは、音楽にしたって映画にしたって文章にしたって演芸にしたってなんにしたって、ドアが開かぬままにあなたに会いに行ける魔法だって。
エライこと引き受けてしもうたなぁ。しゃーない!真島吾朗、いっちょやったろやないかい!
人間さ、もちろん嫌いな人とか誰だっていると思うの。でも1個は絶対いいとこあるんだよ。例え100個嫌いなとこあっても、1個いいとこあればその人と友達になれると思うんだ。だから俺も桑とこうやってるんだよね笑。
生まれたからには、生きてやる。
The rumors of my death have been greatly exaggerated.
俺の死の噂は大げさに語られている。