


酒は何も発明しない。ただ秘密をしゃべるだけである

偉大な精神は、静かに忍耐する事を知っている

作曲には、論理的な思考と感覚的なひらめきを要する。論理的思考の基になるものが、 自分の中にある知識や体験などの集積だ

モノを作ることを職業としていくには、一つや二ついいものができるだけではダメだ

「最近バンドの調子がいいですね。」とか会ったこともない奴に言われる機会が増えました。そういう奴らには、これからも「おめー誰だよ!!??」ってやっていくんで、皆さんよろしくお願いします

どんな顔の人だって輝くときはとてもいい顔だ。どんな美形だってつまらない人間では、それほど美しくもないぜ。

君はあなた自身を創造していると思いなさい

何十年先も俺たちの曲は君のそばにいる

世の中の物事には似たようなものが満ちあふれているわけで、手探りでいく文章とはその似たようなものを飛び石伝いに踏んで渡って行くようなことである。似たようなものをいくつも乗り換えて渡って行くうちに、探しているものの形に次第に近づいていく

孤独であって、充実している、そういうのが人間だ

出会わなければ良かった出会いなんてきっとない…ないよ。

イメージの共有がしたいだけなんだ。言葉の共有じゃなくてどこかもやもやっとしたイメージをひねりだして曲にする。そのもやもやを共有したいだけなんだ。それで「生きてやるぜ!」って思ってもらえれば、「生きるっていいな」と思ってくれればそれでいいです。

毎日必ずギターには触っていますし、ずっと続けていきたいのは音楽です

Until the great mass of the people shall be filled with the sense of responsibility for each other’s welfare, social justice can never be attained.
社会正義は、人々の大多数がお互いの福祉に対する責任感で満たされるまで、決して達成されることはありません。

私が死んだら、まるで船が遭難するようなものだな。大きな船が沈むと、その近くにいる人はみな、渦に巻き込まれてしまうんだ

組織に働く者は、組織の使命が社会において重要であり、他のあらゆるものの基盤であるとの信念を持たねばならない。この信念がなければ、いかなる組織といえども、自信と誇りを失い、成果をあげる能力を失う

人間おのずから用に適する所あり、天下何ぞなすべき時なからむ

人は、まず当たり前の作品に対してでも、ある程度は尊重して、それも少しは何かを表していることを認めなければいけない。そして、大いに努力しなければ、その程度にすら到達できない

僕はいつも自分が純粋に感じたこと、考えたことを、理解されようがされまいがダイレクトにぶつける

「ブルーフォレスト! 」「ねぶた根性見せてみろ! 」(青森ライブにて)

僕がしてきたことは、僕たちとって一番いいことなんだ。どうしようもないんだ、僕はこの憂鬱から絶対に逃れられない

言葉なんていらなくなるよ、きっと。僕が立派になれれば。

ひとりの富者がなんと多数の乞食を養うことか!王が建築を始めれば、馬車曳きに仕事が生まれる

最後は直感なのだ

熱帯の夜の静寂の中で、私が私の心からの囁きと柔軟な音楽を聞くことができます

いつだって、今やるのが一番いい

(カメラは)カビたり錆びたりもしますから、送られてきたお菓子とかに入っているシリカゲルを棚に入れたりしています。まあ、普通に置いてます

芸術家は自分の芸術について語ることはできない。植物が園芸を語れないように

希望と失望は同じものですよね? 心が優しい人ほど毎日泣いていて幸せな時間ほど早く過ぎて、失望したことがない人は希望の意味を知らないし。同じものなんですよね。だから、俺はひたすら希望を綴っているだけなんです

生きてる人間が『生きてる』っていう事を証明する為に言葉とか色々方法があるんだとしたら、そのいくつもある方法の中から音楽を選んだヤツらが集まっているのがこのバンドだと思う。

著者の死後、彼の日記を読むことは、彼からの長い手紙を受け取るようなものだ

完璧を恐れるな。完璧になんてなれっこないんだから

闇鍋みたいなもんですよ、人生。何入ってるかわかんないけどどれかつまんで食べるしかないみたいな

希望を捨てない方がいい。俺はサイコーなんだって信じるんだ。既成の概念なんか疑ってかかった方がいい。なんでなんだ?っていつも子供みたいに感じていたいぜ

(ビートルズの音楽は)8:2くらいの割合で、暗いところか隠されているところが好き

私は「わかってたまるか」っていうことをやるのも面白いと思ってます。いまだに。

こむずかしい理屈をこねたりしてる歌なんて、最悪。単純なラブ・ソングこそ、最高なのに。

夫婦とは二つの半分になるのではなく、一つの全体になる事だ

寝床につくときに、翌朝起きることを楽しみにしている人間は、幸福である

それしかないんだから。腹をくくって、あきらめて。そこに行き着くまでにいっぱい考えればいいと思うし、失敗もすればいいと思うんだよ。

誰かのサイズに合わせて自分を変えることはない。自分を殺すことはない。ありのままでいいじゃないか

家族でも、うっかり見ていないゲームの結果を言おうものなら、次の日までずっと機嫌悪いみたいな。「センスねえ人間だ」っていう感じになっちゃうじゃないですか(笑)。サッカーには、人をそうさせる何かがある。熱くさせるスポーツですよね

なんかさー、ほら、あんまり愛された経験とかねぇだろ? お前らもそうだと思うけどさ。もう受け止めきれないんだよね。幸せ死にっていうジャンルがあったら確実に死んでる…いま

「楽しく続いていくうちは最高に楽しいことをやろうぜ。駄目になったら、それはそれ」っていう考え方の方が、逆に物事が続いてったりするじゃん。もちろん続けることは大切な意味があるけれど、それが目標になっちゃうと挑戦も冒険もできなくなっちゃうからね

誰のために創るんだろう。考えたことあるか。自分のために?そんなの甘っちょろいよ。植木づくりでもやるんならそれでいいんだ。金のために?だったら創るより早いやり方がいくらでもあるだろう

若い内から理論でがんじがらめになってのたうち回る癖をつけろ

You either get tired fighting for peace, or you die.
平和のために戦うことに疲れるか、死ぬかだ。

最高や 、まさかゾンビとやりあえる日が来るとはのお。

何もかも切り離さずにやってる人たちはたくさんいるよ。ずっと、ちゃんと、いる。

要は自分次第なんですよ 世の中君の映るように映る 君の感じるように感じる 君が変えれば変えるほど 変わってく。

今日から聖人、豪傑を志した者が、明日、明後日と順次にそれに合わない性質を少しづつ取り去れば、最初は才能の無い者でも、聖人・豪傑の地位にまで達することが必ずできる

経験も知識も上手く活かせないと意味がない。 自分を狭めてしまうような経験だったら、豊富にならない方がいい

そもそも不用のものや、そこに転がっているものに「妙なもの」があるんです。これは「妙なもの」としか言いようがないんですけど、それは、まだ誰も見ていないということもあって、それを発見するのが面白かったんですね

(「日出処」のタイトルについて)意味としては、「メーン・ストリート、目抜き通りを闊歩したいと願っている人物の、色んな瞬間を切り取った曲たち」という風にストーリーをつくりたかったんです

人間にとって成功とはいったいなんだろう。結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか

僕の場合、作曲の作業に入っているときは生活も一定のペースを保ち、できるだけ規則的に坦々と過ごすように心がけている

(名古屋の「な」はどういった字か、と客に確認した後)「何だよっ、知らねえよ!大体なー、『名前が古い屋根』だぞ? 何なんだよ?! ……『名前が古い屋根』って…シャチホコ? …で、シャチホコってなんだ? コイか? 」(名古屋ライブにて)

さみだれの かぎり有りとは しりながら 照る日をいのる こころせはしき

芸術家を何とお思いか。画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。それはとんでもない勘違い。芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている

限界を越えることは絶対できないと思うんです。 越えられないから限界と書くわけで。でも越えるから不思議なんです。

俺はすごく欲張りな人間で完璧主義なの。表現の間口を広げていた時期は、まずはひとつのことに特化していって。例えば、「甘いものってなんだろう?」と考え始めると、甘いものを徹底的に追求していたけれども、最終的にはひとつのことが満たされたとしても物足りないんですよね

「久しぶりィ、四つの国ィ」「サロンでキティだぜ!」(松山サロンキティライブにて)

世の中は悪くなっている。おそろしく退化している。何も考えない人間が増えている。甘ったれたバカが増殖している

本当の芸術というのは、音楽にしたって映画にしたって文章にしたって演芸にしたってなんにしたって、ドアが開かぬままにあなたに会いに行ける魔法だって。

死を怖れない者に何を怖れろというのだ

我々が描くのは顔の表?中?それとも裏か

自分のなかに自分だけが感じている匂いみたいなものだとか、あると思うんですけど。

自分が自分自身に出会う、彼女が彼女自身に出会う、お互いが相手の中に自分自身を発見する。それが運命的な出会いというものだ

市場において目指すべき地位は、最大ではなく、最適である

流行なんて、文字どおり流れていく

今日思った事があって、みんなが俺達に会いたいとかライブが見たいとか思って見にきてくるんじゃなくて、俺達があいつらに会いたくて会いにいくんだって、逆だなって思いました

おれたちみたいにブサイクに生まれたやつがカッコよく見せれるとこってのはひとつしかないよな、そうだな“生きざま”だよな

音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う。

あんたがたが俺の財産だ。俺達の誇りだ。それで生きていられるんだ。いっつも助けられっぱなしで申し訳ねぇと思う。精一杯作曲する。本当にありがとう

ここ何県?(ロサンゼルスにて)

子どもの頃は、おもちゃよりもレコードを買ってもらう方が嬉しかった

他の人間はなぜそうなったかを問う。私はいつも何ができるのか、なぜできないのかを問う

お前らが死んでも音楽は何万年も続いていくんだよ

もし、黄色と橙色がなければ青色もない

今は、もう感動はない。だから感想が湧くのである。感動には叫びはあるだろうが言葉はない

高松の不良の皆さんこんばんは!(高知ライヴにて)

愛の前で自分の損得を考えること自体ナンセンスだ。そんな男は女を愛する資格はない

1回でもつまらない仕事をしちゃえば、そこで終わり

「命短し、目抜き通りを歩こう」っていう気持ちなんです、今。本当に。人生がどんどんシンプルになってきている

凡庸な人間が自然を模写しても決して芸術品にはなりません。それは彼が「見」ないで眺めるからです

本当に。自分は誤りのない人間だと例外化してしまうのが、いちばん恐ろしいことだなと自分を戒めます。あとは、発言や行いや考えを批判することと、人を非難することの違いを考えてます。この違いって、悩ましいんですが、結構大きいことなんじゃないかと思っていて。

ひらめきも何も考えていないという事ではなく、必死に悩んで考え、自分を追い込んだ結果として、ぽっと生まれるもの

『何をやるか』じゃなくて、『どんなふうにやるか』

感動っていうものに限界は無いじゃないですか、日々。それに突き動かされるんですよ

見るために、私は目を閉じる

何処に居ても俺らの唄声とか届いてると思うし。

音楽って難しいけど楽しいな。昨日今日でやってこと、明日全部やり直し。でも、そういうの嫌じゃない。多分、必要なプロセス。

余り考え過ごす者は何事をも成し得ない

神を知る最善の方法は、多くの物を愛することだ

働く人たちの姿勢は、何にもまして経営管理者の行動を反映する。彼らの姿勢は、経営管理者の能力と構造を映す

わたしは立ち止まりはしない

画家の質はその人の過去の経験の量に左右される

(初めて買ったCDは?)中学生の時に買った久保田利伸さんのアルバム
