


(身長・体重・胸囲は?)168cmぐらい、50kgそこそこ。胸囲は僕に抱かれてみて判断しろ

老年は騒音から遠ざかる。沈黙と忘却に仕える

忍耐もまた行動の一つの形態だ

本当を言えば、すべてが思想で、すべてが象徴である

いつもとは違う部屋の中に見たくないものを置いておく

生まれたからには、生きてやる。

商業的に音楽を作ろうと思ってしまったら、多分やる気をなくします。

これも人生経験。この新しいブルースを楽しむような気持ちで治療(喉頭癌)に専念したい。

なんで一番光るのが一番最後でさあ、なんでそれを僕らがここで見た時にはもう手遅れなんだろう?って。ほんとに子供心ながらにせつなすぎて愛しすぎて。全部そうじゃないですか。人の死んじゃう時とか、もうバイバイしなきゃいけない時とか。だから、あの…適当に生きてちゃダメですね。(supernovaについて)

芸術家は自分の芸術について語ることはできない。植物が園芸を語れないように

志のない人間は魂のない虫と同じで、いつまでも発展することは無いのだ

楽しくなかったら絵なんか描きませんよ

失敗することを恐れず、とりあえず何となくやりたい事をやってみたら?

ニンジンきらいな馬っているのかな?そりゃいるよな。

学ぶことは何もないの。楽しむだけでいいんだ

芸術家の資格は、智慧と注意と誠実と意志のみである

喧嘩に必要なのは、強さじゃなく、慣れているかどうかだ

路上観察の場合はある種の説明で、見る人の手助けになるようにと思って書いています。でも、作品としての写真となると、見る人がその作品の中にどうやって入っていけば良いかわからない…入り口のない場合が多いんですね

闇鍋みたいなもんですよ、人生。何入ってるかわかんないけどどれかつまんで食べるしかないみたいな

(ビートルズの音楽は)8:2くらいの割合で、暗いところか隠されているところが好き

電子辞書は確かに早く正確に引けるが遊びがない。紙の辞書は、引いた語句の両脇の語句が視界に入る。この種のノイズが文化を生む

「久しぶりィ、四つの国ィ」「サロンでキティだぜ!」(松山サロンキティライブにて)

1回でもつまらない仕事をしちゃえば、そこで終わり

Zepp Tokyoには幾つか強烈な印象が残っているライブがあって。以前、声が出なくて点滴を打ってステージに立ったこともあったんですよ。あのライブも良かったんだよな

(バンド活動においての演奏技術など)スマートにできない分、ぶつかって行くしかない、気持ちで行くしかない

ものがそこにあるという尊厳。これはいったいなんだろう。ただあるというだけなのに

ようやく子どものような絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ

自然に生き、自分の気持ちをほんとうに伸ばしてゆこうとすれば、まず、いたるところで残酷に、壁に突きあたる

青春小説、青春映画っていうのがあるんだから、青春音楽っていうのもあっていいんだ

みんなで盛り上がることをするな。お前が一番盛り上がれ

例え、一流よりもいい音が出せたとしてもまだニ流なのです。大事なのは、その音を出し続けることができるかということ

女性はやっぱり、おいしそうなものにクンクンって吸い寄せられて、それで満腹になったら飽きて、別の方に行って。そういう風に生きていくものだと思うんです

芸術家というものは、自分に才能があると思うとだめになってしまう。つけあがらず、職人みたいに仕事をしてこそ、はじめて救われる

40歳になって「来た来た!」と思っています。40歳からが私に似合う年齢だと思っていましたから、それまで、どうやって時間をつぶしたらいいかと長く苦しんでいました。

芸術家を何とお思いか。画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。それはとんでもない勘違い。芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている

アァン?…お前、ベッピンさんやないかい。どや、俺の女にならんかぁ?どやねん? えぇ〜?

Trying to please everybody is impossible – if you did that, you’d end up in the middle with nobody liking you. You’ve just got to make the decision about what you think is your best, and do it.
みんなを喜ばせようなんて不可能だよ。そうしたところで、結果は誰からも好かれないで終わるだけさ。

自然は生命を更新するためにのみ死を役立てる

同じことは二度とできないし、マネもできないんですよ。

ゲームも人生も、逃げたら経験値は上がりません

「桃太郎ってどこにいるの? 山? (客:『家にいるよ!』) 今度見せて。」(岡山ライブにて)

筋肉で力任せに殴るよりも、腰を入れて体重の乗ったストレートの方がズドンと重いじゃないですか

我々は何をするにも、常に自分自身に問わなければならない。もし皆がそうしたら、どんなことになるだろうと

人生は退屈すれば長く、充実すれば短い

私は努力をしてこなかった人間。ただ努力をしなかった分、自分の好きなものに囲まれて生きることはできたというか

画家の質はその人の過去の経験の量に左右される

その日、歩ける一歩を歩くだけ

自分の感情を音楽を通じて人々の前に発表してみたいという心がなければ、作曲しないほうがいい

残る音楽を作りたい

意図して作ったものがそういう結果になるとは限らないし、絶対、狙いにいかないほうがいい

大人になったらなったで、子供の頃よりもっと自分と向き合うんだと思うんです。

俺にはなぁ……桐生ちゃんの 命より大切なモン━━見捨てることは できんかったんや。

間違いや失敗を犯したことのない者というのは、単に無難なこと、安全なこと、つまらないことしか、やってこなかっただけである。逆に優れている者ほど、数えきれない間違いを犯すものであり、これは常に新しいことに挑戦している証拠である

大切なことは、熱狂的状況をつくり出すことだ

自分を混乱させるような何かが欲しい。それによって私は新しいものを生み出す

どうしてなんだ?どうして俺が来るとこうなるんだ?どうして誰かが、犠牲にならなきゃならないんだ……? なんでだ?なんでなんだ……!

自分の思い通りにしかできないことは、自分の思いだけに閉じ込められるということになる。自分の思い通りが突っ走った結果は、自分が自分の壁の中に閉じ込められて、外気は遮断されて、そのままでは一酸化炭素中毒となってしまう

他人を模写するのは必要なことである。しかし、自分を模写するのは哀れなものだ

芸術作品が時代に先駆けてあらわれるとき、時代は芸術作品の後ろでもたもたしている

やっぱりその時(写真を撮った時)に「良い」と気が付くのは感覚というか、その時の感受性ですからね。それがないとゴミはゴミのままなんですね。実際にゴミだったのかも知れないし、わからないですよね。写真は固定されたものではないっていうのを実感しますね

Count your age by friends, not years. Count your life by smiles, not tears.
年ではなく友人で年齢を数え、涙ではなく笑顔で人生を数えようよ。

(上京前に自身で)ツイキャスで配信やってて、オールナイトすっぽんぽんっていうのをやってた

恋する女であれ。そうすれば幸せになれる。神秘的な女であれ。そうすれば幸せになれる

私は対象を見えるようにではなく、私が思うように描くのだ

組織は常に進化していなくてはならない

極端な話だけど、希望と絶望が同時に存在するのがいい日々だと思うんです。

日本人はやはり全員が五、六歳か、もしくはたんなる訴訟の素材なのだ

返信への返信(「Re:Re:」)という意味ですが、アルバムの場合、曲の並びが“ラストシーン”から“サイレン”で悲しすぎたので、『もう一度』という意味をこめてタイトルをつけました。(『Re:Re』について)

人は生涯、同一水準の作品しか書けない

常に恥とは何かを知り、人に負けない様に強い気を持ち、どんなときでも権力に盲従してはならない

誰にも何の役にも立たないではないか。絵、展覧会──それがいったい何になる

信仰と信頼の間にのみ平和があります

本当に死んでもいいくらい好きって奴は、認められないなんてことで不平を言わないよね

芸術は何かっていうと、抑制だよね

我々は決して悪を選ぶことが出来ない。我々が選ぶのは常に善である

どうしたって笑えないけど、それでも笑わないといけない時かぁー。…泣いちゃえばいいんじゃないか

今、俺の考えるライブは祭りだから、日本各地でみんなと祭りをやるという感覚が楽しみでしょうがない。小難しいことを考えず、嫌なことも全部置いてくればいいと思うんだ。きっと楽しめるはずだから

せやけど俺は……何があっても親父の子ですわ

何かを作りたいと思ってエキサイトしている状態っていうのは、めちゃめちゃ青春しているんやって思った。

jupiterは「木星」の他にも「雨の神様」って意味があって、俺はその言葉がいいなって思って。「太陽の神様」じゃなくて「雨の神様」だって。じゃぁ、俺は皆を濡らしてやろうと。俺らは泣いてもいいんだよって言いたいバンドな訳だから。

やっぱりみんな自分の手を動かして曲を書かないとダメですよ。作家っていうのは実態のないものだから、いっぱい書かないと本当の姿というのが現れてこない。書いて初めて、実態というのがあるように見えてくるというだけで。

個人としての嗜好が投影された「普通にそのままのもの」っていうのがあるべきだと、私は思ってしまう

一人立てる時に強き者は、真正の勇者なり

自然には未だ知られていない諸力がある。我々が自分自身の余すことなき全てを自然へ委ねるとき、自然はそれらの力を我々に貸してくれる。我々の眼では見えず、知性でも理解・推測できないその諸力の形相を示してくれる

やっぱ東城会はアホばっかりや。大好きやで。

変わるっていうのはそんな大きな話じゃなくて。今日の夜から、母ちゃんにありがとうって言ってみるとか、言えなかったひと言を言ってみるとか…。100年後、ここにいる全員がいないから、たぶんね。それぐらいあっという間のことなんだよ。

自分の写真に、ほんのちょっと言葉をつけたいと思っていて…。はじめは簡単だと思って書いていたんですけど、あくる日にそれを見直してみたら、全然ダメで驚いたんです

運が続くというのは、じつはどこかで運のウィルスに感染して、症状が広がっている、という状態なのではないだろうか

すべての偉大な成功は、地味で面倒な事の積み重ねの上に成り立っている

一回わがまま言い始めたらもう、他人の言うことなんか聞いてらんねえよ

As selfishness and complaint pervert the mind, so love with its joy clears and sharpens the vision.
わがままと不平は、心を歪めたり曇ったりさせるように、 愛の喜びは視界をクリアにし、鋭敏にさせる。

「大丈夫、なにもかも上手くいく」なんて、口が裂けても言えない。でも俺が見ている世界の中で、本当に前向きな、魂が楽になれる言葉を綴ったつもり

決断の場面においてはトップは常に孤独である

Part of me suspects that I’m a loser, and the other part of me thinks I’m God Almighty.
自分が負け犬じゃないかと思う一方で、全能の神のように感じる自分もいるんだ。

Living is easy with eyes closed, misunderstanding all you see.
目を閉じてれば、生きるなんて楽なことさ。目を開けてるから誤解が生じる。

真のイノベーションと新奇さを混同してはいけない。イノベーションは価値を生む。新奇さは面白いだけである。ところが組織の多くが毎日同じことを行い、毎日同じものをつくることに飽きたというだけで、新奇なものに取り組んでしまう

ミュージシャンなんて死ぬほどいっぱいいるじゃないですか。そんな中で俺らの曲を見つけてくれてね、自分が求めてるものがあるってなんとなく感じて、その中から探そうって思ったその感覚がまずその人の才能であり、努力だったんじゃねぇかな。

私が生きているのは国王のため、スペインのため、カタロニアのためだ。天才は決して死なない。人類の進化は我々の手中にある。国王、万歳!スペイン、万歳!カタロニア万歳!
