40歳になって「来た来た!」と思っています。40歳からが私に似合う年齢だと思っていましたから、それまで、どうやって時間をつぶしたらいいかと長く苦しんでいました。
手慣れたものには飛躍がない。常に猛烈なシロウトとして、危険をおかし、直感に賭けてこそ、ひらめきが生まれるのだ
今日と明日と明後日のことぐらいを考えていればいいんだよ。
The highest result of education is tolerance.
教育の最高の成果は寛容さです。
もしもイライラしてたり、つまんねえなと思ってたら、チャンスだよ
明日のための今日じゃありません。今日のための今日です
何したっていいんだよ。自分で責任取れればいい。責任を取るっつうのは、この道で満足してるなって思えること。
地震の後には戦争がやってくる。軍隊を持ちたい政治家がTVででかい事を言い始めてる。国民をバカにして戦争にかり立てる。自分は安全なところで偉そうにしてるだけ。
津波が来ます。(酒に酔いながらのラヂヲで地震が来たとき勝手に)
やりたい事やったもん勝ちなので全部やりたい
のめり込み過ぎちゃうと、いざ自分が何か失敗した時に逃げ道がなくなって、音楽で失敗することが怖くなっちゃう
今日のライブは、俺達の大親友だったアベフトシに捧げます。(2009年8月 RSRにて)
手加減はしねぇ、死にてぇ奴だけかかってこい!!!
内を見るよりも外を見るほうが易しい。しかもそのほうが賢い
効果的な経営者の共通点は、ひたすらひとつの作業に集中する点にある。彼らは最も大切なことのみを行い、そのことが完了するまで、他の事に目を向けないという集中力を持っている
日本の文化っていうのは、常に「明日は知れぬ身」って考えるのが基本じゃないですか
時間は私たちに残された数少ない大切なものだ
全力を注がなければ、単に約束と希望があるだけで、計画はない
Being honest may not get you a lot of friends but it’ll always get you the right ones.
自分に正直でいれば、多くの友人には恵まれなくとも、いつでも理想の友人が得られる。
生まれたとき、死んじゃう可能性のある病気の手術を受けて助かったことがあったからか、あたし、生きることにとても執着がある
詩人は未来を回想する
正しくない事を言ったりしてるやつが居たら自分ひとりでもちゃんと「それは違う」って言えよ。そしたら俺みたいに嫌われたりもするだろうけど、最後は正直者が笑うんだからさ
今、俺の考えるライブは祭りだから、日本各地でみんなと祭りをやるという感覚が楽しみでしょうがない。小難しいことを考えず、嫌なことも全部置いてくればいいと思うんだ。きっと楽しめるはずだから
そもそも不用のものや、そこに転がっているものに「妙なもの」があるんです。これは「妙なもの」としか言いようがないんですけど、それは、まだ誰も見ていないということもあって、それを発見するのが面白かったんですね
私は常々「偶然耳にされたリスナーの方が、わくわくなさるような時間を提供せねば」と考えています。せっかくなら。子供の頃観た歌番組では、いろいろな歌手がよく、一緒に歌ったりしていました。ああいうフランクさが近年どんどん失われているのを寂しく思っています。
思い出したいことなんていっぱいありすぎて、いっそのこと全部忘れてしまいたいぐらい幸せなんだよ
僕は一貫して自己満足です、めざすものは
エライこと引き受けてしもうたなぁ。しゃーない!真島吾朗、いっちょやったろやないかい!
僕たちは心の中にたまごを抱えています。何かを経験して心が大きく揺れたとき、たまごはパカッと割れて新しい命が飛び出します。ロックンロールに出会ったとき 僕の心の中で1つのたまごが割れました。それは初恋のように僕を夢中にさせました。今も元気なその心の住人は僕にマイクを握らせました。
自分の打ったボールがどこへ飛ぼうがかまわない。スカッと飛びさえすれば、いい気持ちなんだ
As selfishness and complaint pervert the mind, so love with its joy clears and sharpens the vision.
わがままと不平は、心を歪めたり曇ったりさせるように、 愛の喜びは視界をクリアにし、鋭敏にさせる。
急流中底の柱、即ち是れ大丈夫の心
もともと人は全員、孤独なんだよ
太陽を黄色い点に変えてしまう絵描きもいれば、黄色い点を太陽へと変えられる絵描きもいる
妄想と勘違いでロックンロールは転がり続けてるんだから、これを解放しないことには何も始まらない。
どうにもならないことなんて、どうにでもなっていいこと。
結局ね、夢はみんなもってると思うんですよ。だけど、その夢の見方としてね、ただボーっとそれこそテレビで見てるだけで『あぁ、こんな事いいなぁ』みたいな見方と、それから実際にやってみようとして夢の実現に一歩近づくために何か行動をおこす。
人と同じものが嫌とか、そういうのはあまりない。自分が好きなものを集めてたら、人と同じにはならないでしょう?
フッ…… まったく不謹慎やのお〜……お前ら、最高やで!
出産じゃなくても、女の人にはあることだと思いますよ。(感覚ではなく)頭で理解しようとしちゃう瞬間が、人生で何度かあるんじゃないでしょうか。大きな選択っていうか
アキラメというのは人生的なものである。体験に基づくというか、体験の集積というか、いずれにしろ体に発するというか、体からじわりと湧き出る。それにひきかえ、シラケというのは、体験からのものとは違う
恥ずかしさというのは、自分をよく見せたいと思う心の裏返し
そりゃあもちろん世の中のいろんな出来事を知らないわけじゃないけど、俺たちがやりたいのは楽しくバンドをやりたいということだけ…それを手段として何か目的を達成したいと思ったことはないんで。それでも二次的なものとしてみんなの明日の朝メシがうまくなるんだったら、それより最高なことはないですよ
なにもかもうまくいってるのになんか足んねえって時は未来に進む道にポッンポッンと自分で種をまくと知らないうちに種まできてはいけるから楽しい
自分の人間力なんて分からないし、そこで勝負しようなんて思ってないんだよね
高校生の時、僕はズブズブと音楽にのめりこんだ。なにかあるたんびに寂しく一人で音楽を聴くような、僕をそんな人間にしたのは間違いなくパンクがきっかけだと思う
一生のうちの勇気の絶対量があるとしたら、もう使い果たしていると思うんですよ、ビビりだから。
悪行の呪いは、絶えずそれが悪を産まざるをえないところにある
残る音楽を作りたい
限界を越えることは絶対出来ないと思うんです。越えられないから限界と書くわけで。でも越えられるから不思議なんです。
事業を行うときは、次の4つの条件を満たしておかなければならない。まず経営環境、使命、強みが現実と一致していること。そして、それらの条件が互いに合致していること。そして、周知徹底されなければならない。さらに、たえず検証されなければならない
DQのスライムは可愛いんだよね。これで僕の基本的な音楽の方向性も決まったなぁという感じ
それは所詮、極道の勝手な都合ってやつだ!
売れているものが良いものなら、世界一のラーメンはカップラーメンだよ。
自分の声は好きじゃなかったです。凄い低いし。でも音楽やりはじめてからは気に入ってる
The heresy of one age becomes the orthodoxy of the next.
ある時代の異端は、次の時代の正統になるのです。
何かを生み出していくと、いつか誰かが見つけてくれることもある
ネガティブな奴とポジティブな奴はまるで行動の仕方が変わってくるのさ
自分が感動できるものを提出していかないと、周りの人、ひいては観客に響いていかない
世界史は世界審判である
いいんだ。岡本太郎の責任でやるんだから
誰のために創るんだろう。考えたことあるか。自分のために?そんなの甘っちょろいよ。植木づくりでもやるんならそれでいいんだ。金のために?だったら創るより早いやり方がいくらでもあるだろう
どうか、履き違えないで欲しい。人の足を止めるのは、絶望じゃなく諦めだけだということを。
顧客にとっての価値を想像してはならない。直に聞かなければならない
今が楽しいかどうかは自分が今を楽しんでいるかにかかっていること 目の前にある大事な事 見失うほど未来に目をやってしまうのはとても愚かな事
愛しあってるかい?
曲作りの勉強は独学です
楽しいことは、みんないい事だとは思わないか?つまらないことは、罪悪だとは思わないか?
人間は、「自分でなければ出来ない」と錯覚していることが多すぎる
涙が出てきたら、耐えて、苦しんで、そして前進あるのみだ
女は変幻自在。それを面白がるしかないでしょ。もっと小気味よく生きる女性が増えたらいいなって、ずっと思っていました
ジャンルがどうとかじゃなくて、音楽全般、様々な角度と方向にどんどん広がってほしいと思う。限りある音楽ファンを奪い合うイメージで話しちゃうとどんどん貧しくなるけど、そもそも、音楽文化自体にそれほど興味を持ってもらえてないってのは骨身に沁みてる。
猛烈に自分を強くし、鋭くし、責任をとって問題を進めていく以外にない
幸福には翼がある。つないでおくことは難しい
上司を過大評価することはあってもいいが、決して過小評価するな
いかなる成果もあげられない人の方がよく働いている。成果の上がらない人は、第一に、ひとつの仕事に必要な時間を過小評価する。第二に、彼らは急ごうとする。第三に、彼らは同時にいくつかのことをしようとする
何よりも辛いのは、永遠に完成することがないということだ
So long as the memory of certain beloved friends lives in my heart, I shall say that life is good.
心に愛する友の思い出が生き続ける限り、人生は素晴らしいと私は言い続けるでしょう。