


そりゃあもちろん世の中のいろんな出来事を知らないわけじゃないけど、俺たちがやりたいのは楽しくバンドをやりたいということだけ…それを手段として何か目的を達成したいと思ったことはないんで。それでも二次的なものとしてみんなの明日の朝メシがうまくなるんだったら、それより最高なことはないですよ

多くの人が渇望するような、毎日の生活で繰り返し聴く必要のあるものでなければダメでしょって思っています。

仙台って『陸の孤島』だよな。 (仙台ライブにて)

会いたいって言った方が負けみたいなとこある気がする。男女

本物の涙は、悲しい一ページからではなく、見事に置かれた言葉の奇跡から引き出される

毎日やりたいことを精一杯やるっていうことが、すべてにおいて最善策

We’re not disinterested in politics. It’s just that politicians are disinteresting.
僕らは政治に無関心なわけじゃない。ただ政治家がつまらないだけだよ。

若い時から優れた作品に触れることが重要

自分の思い通りにしかできないことは、自分の思いだけに閉じ込められるということになる。自分の思い通りが突っ走った結果は、自分が自分の壁の中に閉じ込められて、外気は遮断されて、そのままでは一酸化炭素中毒となってしまう

マネジメントたる者は、共に働く者から自らの仕事を教わらなければならない

昔、メーカーさんがよく、「アルバムアーティスト」という言葉を使われていたでしょう。私がデビューした頃はそういう言葉が残っており、自分はそれだと自負していたんです。シングル曲がアルバム内で違った匂いを発するよう、意図して構成するとき、「これこそが私の本業の終点だ」と感じたりします。

目の前の困難から逃げてばかりではダメです

ロックだろうが、ポップだろうが関係ねぇよ。『プラネタリウム』は『プラネタリウム』だよ。(プラネタリウムについて)

意味もなく生まれてきた人は一人もいない!自分でも気付かないんだ。だから自分らしい生き方をしろ!

どうか、履き違えないで欲しい。人の足を止めるのは、絶望じゃなく諦めだけだということを。

何があっても、賛成反対両方あるのは自然。

不得手なことの改善にあまり時間を使ってはならない。自らの強みに集中すべきである

人間、しがみついてでも、這いつくばってでも、生きることに価値があるんだ。分かるか?

その日、歩ける一歩を歩くだけ

結局芸術の唯一の原則は、見るものを模写することだ

我々は脳をブン投げて、ただ目だけで見ることができればいいのだが

俺も好きなバンドには一方的な想いをぶつける

手慣れたものには飛躍がない。常に猛烈なシロウトとして、危険をおかし、直感に賭けてこそ、ひらめきが生まれるのだ

そもそも不用のものや、そこに転がっているものに「妙なもの」があるんです。これは「妙なもの」としか言いようがないんですけど、それは、まだ誰も見ていないということもあって、それを発見するのが面白かったんですね

仕事じゃなくてもやるもんね!

そりゃバイク乗るのも楽しいし、映画も好きだし。でも、桁外れなんだよ。富士山と石ころくらいの違いなんだよ。ロックンロールやってるときの楽しさは、桁外れなんだ。好きなものを見つけるってそういうこと。

肝心なのは感動すること、愛すること、希望を持つこと、打ち震えること、生きること。芸術家である以前に、人間であることだ

人と繋がりたかったら、求めるんじゃなくて、求めたものを持つんじゃなくて、求めるもの全部、自分が閉じ込めてしまうぐらいの、一方通行の自分勝手な行動をぶつけて、それに答えてくれた時に、本当に繋がれるんじゃねぇのかな。

汝が死ぬ前日に懺悔せよ

あいつが…運命と闘うなら…、俺はあいつのために、命張ってやろうと思うんだ。

私は、愛したいと思いながら、それができない。私は、愛すまいと思いながら、それができない

私の観察によれば、成果をあげる者は仕事からスタートしない。時間からスタートする。計画からもスタートしない。何に時間がとられているかを明らかにすることからスタートする。次に、時間を管理すべく自らの時間を奪おうとする非生産的な要素を退ける

お客さんが広い所に何万人いますっていう世界ではなくて、個人個人が広い所に個人個人の思いで一人ずっと立ってるって思ってるし。

100の好きを見つけても1の嫌いに心を裂かれたりもするし、言葉や感情は、削れば削るほど尖っていったり伝わりやすくなったり。自由自在の怖さ!

ゲームも人生も、逃げたら経験値は上がりません

人の曲を歌う時こそ、恥ずかしい気持ちもなく思い切り出せる声もあるのかもしれないとも思ったし、その、声に焦点を絞ったものもやってみたいって考えられるようにもなってきて

(初めて買ったCDは?)中学生の時に買った久保田利伸さんのアルバム

芸術家にとって、自然の中に醜いものなど決して存在しない

やりたい放題やるとか、自由でいるとか。その理想がすべて叶った瞬間、とりあえず俺の人生、終わりでいいかなと思った。

大切な人がいなくなっても、それは無じゃなくて“空っぽ”があるんです。

一生のうちの勇気の絶対量があるとしたら、もう使い果たしていると思うんですよ、ビビりだから。

絵というものはぼくにとって、愛すべきもの、愉しくて美しいものでなければならないんだよ。そう、美しいものだ!人生には厭なことが多すぎるんでね、これ以上厭なものなんかこしらえたくないんだよ

客の二酸化炭素は俺らの酸素なんだ

今日思った事があって、みんなが俺達に会いたいとかライブが見たいとか思って見にきてくるんじゃなくて、俺達があいつらに会いたくて会いにいくんだって、逆だなって思いました

いったい何を見て来たんだい? その若さでミイラか? 可能性はどこにあるんだ? それは君の目で見て耳で聞いたものの中にしかないはずだ。

欲張りな人間が、諦観を覚えたときは強いよ

人って、炎とか波とか、長い時間見てても飽きないらしい。同じ形になることがないから、って。変化し続けるものって儚い

悪貨は良貨を駆逐するという原理と同じで、形式は実質を駆逐する

自分を肯定するために一所懸命考えるんだ

わがままさっていうのはさ、必要なんじゃねえかなあ

現在持っているものに満足しない者は、持ちたいと思っているものを手に入れたところで、満足しないだろう

オリンピックってどこが優勝したか知ってる?(長野オリンピック後の長野ライブにて)

俺にとって音楽って魔物でしかなくて、常に。ごほうびなんて与えてくれないんですよ、基本的に。とにかく捧げものをひたすた貢いで貢いで貢いで貢いで、で、ちょっとおこぼれをいただくような真っ黒い、闇みたいな存在だった

何にもなりはしない。僕が生きていれば、悲しみはいつまでも続くだろう。僕はこんな風に死んでゆきたいと思ってだんだ

時間を管理するには、まず自らの時間をどのように使っているかを知らなければならない

やり方を学ぶ

ひらめくまで待つ

落ち込むのと失望は違うんよ。 だって、落ち込んでても夢や愛は信じとるもん。

素晴らしくマネジメントされた組織というものは、日常はむしろ退屈な組織である

芸術が愛らしいものであってなぜいけないんだ?世の中は不愉快なことだらけじゃないか

曲のコンセプトを考えるとき、これはやはり論理が主

さよならとか別れとか、似たことしか歌わなくなってきたなあって。でも本能では、自分はそういうものを書いていくんだろうなってわかっていて

音楽ってゆうのは、なんだろ。何回聴いても毎回ちがうふうに聴こえてくる

ものがそこにあるという尊厳。これはいったいなんだろう。ただあるというだけなのに

一番美しい絵は、寝床のなかでパイプをくゆらしながら夢見て、決して実現しない絵だ

人生は意義ある悲劇だ。それで美しいのだ。生き甲斐がある

いつもとは違う部屋の中に見たくないものを置いておく

俺はあれについて、一つ勘違いして欲しくない事は、孤独に強くなって欲しんじゃなくて、今よりもっと孤独を怖がって欲しいって事。(バイバイサンキューについて)

孤独の中では何もできることはない

みんながやっぱ、自分は人間のクズだと思ってればさ、素晴らしい世界が来ると思うんだよね(笑)。

大切なことは混沌を拡大することだ。混沌を消し去ってはいけない

建造物を新しく建てるとき、その外壁に現地の砂を混ぜるように、作詞段階で現地の砂を混ぜて仕上げるというのが、ずっと変わらない自分のやり方です。

要は自分次第なんですよ 世の中君の映るように映る 君の感じるように感じる 君が変えれば変えるほど 変わってく。

アーティストの生き方を曲に乗せて、憧れていただく。あたしは全然そういうのやってないんだけど、語られる時にすごく良くないもののように、見世物のように言われますが、実際にはその時お客さんが欲してらっしゃる、期待してきたものであり、それを超えるものでなければいけないと思ってます。こちらの生活、暮らしとか気分とか、そういったものは一切知られてはいけない。それが芸。

インスピレーションは常に存在する。見つけに行くんだ

俺はゆるキャラだがなぁ、お前らを見逃すほどゆるくねぇんだよ

We could never learn to be brave and patient, if there were only joy in the world.
もしもこの世が喜びばかりなら、人は決して勇気と忍耐を学ばないでしょう。

何十年後も、みんなが知ってるし、歌えるし、聴かれているという音楽を作りたいなと思いますね。芸術は残らなきゃいけないと思っているので。

「楽しく続いていくうちは最高に楽しいことをやろうぜ。駄目になったら、それはそれ」っていう考え方の方が、逆に物事が続いてったりするじゃん。もちろん続けることは大切な意味があるけれど、それが目標になっちゃうと挑戦も冒険もできなくなっちゃうからね

(デビュー当時は)「ゴースト何人いるの?」とか「ほんとはいくつ?」とか散々言われて。子どもだから全然こたえないんだけど

国際級のすごいソリストを入れても、中に一人下手な人間がいるとアンサンブルとしての実力は、そのレベルに下がってしまう

お前らの心は 見たくないものを見ずに閉ざしてしまうのか 見えないものを 見ようとするか

悪魔は悪しか行なうことができないゆえに純粋である

確信を持つこと、いや確信を持っているかのように行動しなさい。そうすれば次第に本物の確信が生まれてくる

目の前で襲われてる女の子を黙ってみてられるほど、俺は大人やないんや。

(作品をどのように見て欲しいですか?)ものの見方の色んな角度を感じてもらえたらいいですね

究極の善、究極の悪、究極の価値がなければ、人間のある活動が別の活動よりも本質的に優っていることなどあり得ない。だから、全ての行為が同じ価値しか持っていないということを認めざるを得ない。とするなら、一つの行為を別の行為よりも優先させるのは、我々が自分で独自の選択を行っているからある

我々は決して悪を選ぶことが出来ない。我々が選ぶのは常に善である

Living is easy with eyes closed, misunderstanding all you see.
目を閉じてれば、生きるなんて楽なことさ。目を開けてるから誤解が生じる。

真実のほかに美はない

「最初はグー」ってなんであるんだろう。

皆ね、知らず知らずのうちに、はじき出したビー玉持ってると思いますよ。その存在がおそらく誰にでもあると思いますよ。だから場所をとってるわけですよね、僕らはね。

この余白にたくさんの文字を書いたけど、沢山消した。俺の喉から貴方の耳まで新しい唄がお使いに行く。俺の唄は迷わないから、俺も心配しない。いってらっしゃい。

言いたいことは言う。 その時は心を込めて言う。

壁は自分自身だ

私は絵の中で、音楽のように何か心慰めるものを表現したい

この世は偶然に満ちている。だから人間は人工管理の街を造った。でも、街はいづれ老朽化し、その隙間から、追い出された偶然がまた顔をのぞかせる。カメラにはそれが美味しい

上手であることはそんなにいいことか?とも思う
