今やらなきゃならないことは今やれ。今しかないこの時間はもう、取り戻せないから。
悪貨は良貨を駆逐するという原理と同じで、形式は実質を駆逐する
ノスタルジアに屈してはならない。道に出て、隣町や外国に行くんだ。ただ、痛々しい過去を旅していけない
神々と肩を並べるには、たった一つのやり方しかない。神々と同じように残酷になることだ
気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常
周りからどんなにバカに見られたって俺らが楽しけりゃ俺らの勝ちだよな
自分の声に何かがあって、歌えなくなったとしても、作詞は続ける。
だって欲しいから手に入れるんだし、好きだから抱きしめるんだよ。もったいないからとっとこう、ってのはちがう。その時点でそれはゴミなんだ。
人生で最もすばらしい癒し、それが愛なのだ
感動っていうものに限界は無いじゃないですか、日々。それに突き動かされるんですよ
絶望で生きてようと、希望で生きてようと、どちらも生きてるんであれば、まずそれが奇跡だなと。生きてることが本当にミラクルなことだと思うんですよね。
判断の代わりに公式を使うことは、つねに間違いである
芸術家になるのは難しいことではない。内容を別にすれば、世間的には自分が決めればいいだけのことだ。誰からも認めてもらえなくても、己さえ納得していればいいのだから話は早い
芸術が愛らしいものであってなぜいけないんだ?世の中は不愉快なことだらけじゃないか
天才になるには天才のふりをすればいい
退屈を怖がってちゃいけない
素晴らしくマネジメントされた組織というものは、日常はむしろ退屈な組織である
本物の涙は、悲しい一ページからではなく、見事に置かれた言葉の奇跡から引き出される
さっき決めたんだーどうしてもどうしてもどうしても笑顔じゃいられない時以外は、笑っていようって
残る音楽を作りたい
高い金払ってチケット買って見に来てくれてんだろ? 50分だけで良いから何もかも忘れろ! どうせ最後は全員くたばるんだから怖い物なんかねぇだろ
死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど
何にもなりはしない。僕が生きていれば、悲しみはいつまでも続くだろう。僕はこんな風に死んでゆきたいと思ってだんだ
聴く人がどう受け止めるかは、聴く人の自由
妙に前向きになるのはなぜだろう。心配はしないでくれ。このくらいのこと(癌が腰に転移したこと)は覚悟してた。
後悔は いつもうらめしそうに ちょっと先でこっちを見てるね いやなヤツ。
神は勇者を叩く
人は、若くても年をとっても、絶えず成長したり変化したりしていますよね。固定したものはないんですね。だから、今、面白くないものは、あえて見ることもないなっていう気もします
僕はずっと一人ぼっちでいるせいか、人と話すと自分のことばかり話してしまう
(死んだら地獄と極楽のとちらに行きたいか?)どっちでもいいさ。そのどちらにも会いたい友人がいるのでね
私は死ぬまで、死ぬことについて、そして生きることについて、考えていると思う。
99回倒されても、100回目に立ち上がればよい
(ビートルズの音楽は)8:2くらいの割合で、暗いところか隠されているところが好き
私は大理石の石塊を選び、必要としないものは何でも切り落とす
基本的に全てのキャラクターは、レベル99まで上げます(※自身が無類のゲーム好き)
妄想と勘違いでロックンロールは転がり続けてるんだから、これを解放しないことには何も始まらない。
集中するための第一の原則は、もはや生産的でなくなった過去のものを捨てることである。そのためには、自らの仕事と部下の仕事を定期的に見直し、「まだ行っていなかったとして、いまこれに手を付けるか」と問わなければならない
仕事のやり方を変えるのではなく、仕事の意味を考えなさい
今日のライブは、俺達の大親友だったアベフトシに捧げます。(2009年8月 RSRにて)
Your success and happiness lies in you. Resolve to keep happy, and your joy and you shall form an invincible host against difficulties.
あなたの成功と幸福はあなた自身にあります。幸せであることを心に決めれば、あなたの喜びとあなた自身は困難に対して決してくじけません。
見放さなければ、失うということもありません
何も後悔することがなければ、人生はとても空虚なものになるだろう
笑ってくれりゃあ本望だよ
とどのつまり歴史とは何か?歴史とは伝説と化した事実であり、伝説とは歴史と化したウソである
僕の何かを信じた時の強さですか?信じるっていう感情の強さですか?行為の強さですか?ハンパないと思いますよ。
……別に、誰かのために尽くすってことは悪いことやないで?互いが互いのことを思いやり、惜しむことなく尽くしあえる関係が、一番ええ関係ってやつなんやないか?
私が死んだら、まるで船が遭難するようなものだな。大きな船が沈むと、その近くにいる人はみな、渦に巻き込まれてしまうんだ
アバウトは健康にいい
僕はいつも自分が純粋に感じたこと、考えたことを、理解されようがされまいがダイレクトにぶつける
人々を動機付ける能力がなくては、経営者とは言えない
本当に。自分は誤りのない人間だと例外化してしまうのが、いちばん恐ろしいことだなと自分を戒めます。あとは、発言や行いや考えを批判することと、人を非難することの違いを考えてます。この違いって、悩ましいんですが、結構大きいことなんじゃないかと思っていて。
決断の場面においてはトップは常に孤独である
筋肉で力任せに殴るよりも、腰を入れて体重の乗ったストレートの方がズドンと重いじゃないですか
儚いって言う字は『人』の『夢』っていう形をしているけれどそんなものぶち壊して、ざまぁ見ろって言ってやりな。
女の美は性格の中にあるのです。情熱の中にあるのです
ナマ身で運命と対決して歓喜する。それがほんとうの生命感
とりあえず放送した方がいいというので、日本の世の中には形式だけのアナウンスがわんさと流れている。日本人は形式が好きだ、と思われても仕方のないことだ
太陽を黄色い点に変えてしまう絵描きもいれば、黄色い点を太陽へと変えられる絵描きもいる
”世界”というのは自分の中にあるんです
自分が何をやるかさえ確かだったら、少しぐらい待ってもなんでもない
俺には嫌いなタイプの人間が2種類おってなぁ。1つは、人が苦労して取ったぬいぐるみちゃんたちをバラすようなアホンダラ……もう1つは、立場の弱い女子供を食い物にするようなクソッタレ……どっちもお前らのことじゃボケェ!
悪行の呪いは、絶えずそれが悪を産まざるをえないところにある
(曲を)作ること自体が究極のセラピー
失敗者が何をして失敗したかよりも、成功者が何をして成功したかを学びなさい
愛することは、愛されること
ドレミファソラシドの中で泳ぎたかった。空白の中にリズムを置いていきたかった。音符のない空白の中にこそリズムを感じたかった。
現代の若さの最大の悲惨さはもうそれに属さないということ
どんな人でも努力すれば、“それなり”の能力は身につけることが出来る。そして、この世で成功するためには、“それなり”の能力があれば十分なのである
東京事変はこの5人で、最後のその瞬間までを、全力で駆け抜けたいと思います。
生命の一分が過ぎていく!それを在るがままに描き、それをなすためにはあらゆるものを忘れよ!そのものになりきれ・・実際に見るもののイメージを与えよ
感動の出発点は感動にあると思うんだ。なんで感動したのかを辿っていくと、表現されたものがどう作られていて、「だから俺は感動したのか」って分かる。もっともっと辿っていくと、その表現者が、かつて感動した瞬間に帰結すると思うんだよ。それが色んな何かをぐるぐると通過して、また人に届く。錬金術なんかじゃないんだよ。感動が伝わって、感動を生む。
最高や 、まさかゾンビとやりあえる日が来るとはのお。
自然は常に完全である。決してまちがわない。まちがいは我々の立脚点、視点の方にある
シンメトリーになってないと気持が悪いんですよ。呼吸が奇数だったりすると、「急いで吸わなきゃ!」みたいな気になる。対に関してはかなり重症なので。
何したっていいんだよ。自分で責任取れればいい。責任を取るっつうのは、この道で満足してるなって思えること。
シュルレアリズムは破壊的だ。しかし、それは我々のビジョンを限定する錠の留め金とみなされるものだけを破壊するものだ
ひとりの富者がなんと多数の乞食を養うことか!王が建築を始めれば、馬車曳きに仕事が生まれる
俺はいったい何がしたいんだ? なんでこんなんなってんだ? 答えはすごく簡単だ。これが自分の選んだ生きる道だからだ
自由であるとは、自由であるべく呪われていることである
この曲に関しては、音圧があったほうがいいかなって。ハジけたところがあったほうがいい、って思ったし。でも、気持ち的には大きいかもしれないですね。開いた気分でやれば、そうなるだろうし。(『或る街の群青』について)
俺は決めたんや。何が正しくて 何が悪いか分からんこの街で誰よりも楽しく 誰よりも狂った生き方 したるってな
世の中で生きてるうちに起こるほとんどのことは僕にとってたいしたことじゃない。それよりも1回のロックンロールコンサートの方が大きい。1枚のCDを聴くことの方がよっぽど大事件なんだ
Love is like a beautiful flower which I may not touch, but whose fragrance makes the garden a place of delight just the same.
愛は美しい花のようなもの。それに触れることはないかもしれないけれど、その香りは花と同じように庭を喜びの場所にしてくれます。