


「病気になったのは罰なんだ」「人の言うことを聞かないからこういうことになるんだ」と、自分を責める気持ちから曲が生まれた。ネガティブな気持ちを書いている。

人に善をなせば、とがめられるものだ

最初にして最高の聴き手は自分自身

否定する材料を探したいんでしょうね。色々言おうと思えば言える材料がたまたまそろっているから、面白おかしくおっしゃりたいんじゃないでしょうか。それで私の何が奪えるというのだっていう感じですよね。

絵というものはぼくにとって、愛すべきもの、愉しくて美しいものでなければならないんだよ。そう、美しいものだ!人生には厭なことが多すぎるんでね、これ以上厭なものなんかこしらえたくないんだよ

まず、やりたいを決め、次に何に集中すべきかを決めなさい

非合理的な顧客なるものは存在しない。顧客は、顧客にとっての現実にもとづいて合理的に行動している

ツアー中、ステージからみえたお客さんの顔。知ってる人もいた。知らない人もいた。ひょっとしたら また会えるのかな

死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど、私はちっともいいと思っていなくて。

Yeah we all shine on, like the moon, and the stars, and the sun.
そうさ、僕らは輝けるんだ。月のように、星のように、太陽のように。

日々楽しく、面白おかしく暮らしたい(笑)

楽しくなかったら絵なんか描きませんよ

(印象派について)彼らはもっぱらその装飾の結果のために、真実を妨害するように、自由なしで、色を使っています。彼らは目だけで物を見て、神秘的な思念を基にしていません。彼らは単に明日の公式画家です

偶然というのは、結局人間的なことなんじゃないか

音楽やる上では、リアクションしかない。だからパッて出したものに対して、リアクションする。その繰り返しで、完成できる。

人生の長さは一秒にも満たない。その僅かな時間に永遠に向けての準備をしなければならないとは!

書いたり発したりすることも大切だけど、今必要なのはちゃんと耳を傾けることなんじゃないかと思います。読むこと、感じること、と言い換えてもいい。受け取ること。吸い込むこと。それを温めること。そのうえで書くこと、発すること。それをまた、お互いによく聞くこと。俺もできてませんが…。

いいかい、気をつけろよ。だまされんなよ。腐った奴らが増えているんだ。自分を見失わないで欲しいんだ

何か新しいものを作るとき、それを作るのは実に複雑だから、作品はどうしても醜くなってしまうのだ

ビートルズとか音楽は、暗いほう暗いほうに行きがちな自分を包んでくれる

芸術作品が時代に先駆けてあらわれるとき、時代は芸術作品の後ろでもたもたしている

誰にも何の役にも立たないではないか。絵、展覧会──それがいったい何になる

どうにもならないことなんて、どうにでもなっていいこと。

明日は明日の風が吹くんだ。明日の風には誰も逆らえないぜ。今日を生きるしかないだろう。明日も生きてるとは限らないしな。

自分が何をやりたいか、何を伝えたいかが分かっていたら、技術は後からついてくる

やらないってのも一つの行動だと思う

自分のなかに自分だけが感じている匂いみたいなものだとか、あると思うんですけど。

俺達が、日本のミッシェル・ガン・エレファントだー!(98年フジロックにて)

自分が元気ない時でも、周りに元気で接すると周りが明るくなるから自然と自分も元気になれる

真のマーケティングは顧客から出発する。すなわち人間、現実、欲求、価値から出発する

(「日出処」のタイトルについて)意味としては、「メーン・ストリート、目抜き通りを闊歩したいと願っている人物の、色んな瞬間を切り取った曲たち」という風にストーリーをつくりたかったんです

ものがそこにあるという尊厳。これはいったいなんだろう。ただあるというだけなのに

もともと変わった曲にしようとしていたわけじゃなくて、自然に出来たんで。まぁ、奇跡って言い方はおかしいですけど、偶然的にあのような曲になったっていうところも大きいんですよね(『サイレン』について)

結局はひたすら考えるしかないという心境になっている

僕の場合、作曲の作業に入っているときは生活も一定のペースを保ち、できるだけ規則的に坦々と過ごすように心がけている

どーだろう?日本は民主主義国家だなんて言ってないで、事無かれ主義国家だって世界に向けて言った方がよっぽどカッコいいんじゃねえか。ロックっぽいぜ。

ロックンロールは吐き出した瞬間と受け取る瞬間があって、受け取った瞬間に完成するものだとは思ってる。僕の出すロックンロールは僕だけでは未完成なんだよ。聴く人がいてその人の心の奥の中で完成する

学問は生涯を通じて心掛けねばならない

詩はなくてはならないものだ。ただそれが何のためにあるのかを知ってさえいればなあ

「夢は全部かなう」って僕は言うし、今でもそう本気で信じてる。夢はかならずかなう。かなわない夢はないよ。これ、本気だよ?1ミリもブレたことがない。100パーセント、誰の夢もかないます。

時間が無尽蔵にありさえすればいいものができるという物ではない。むしろ、 期限が決められているのは、モノを作る人間にとってはありがたい事

自分自身がありのままでいられないから、ありのままであろうとする

たいていの経営者は、その時間の大半を過ぎ去った「きのう」の諸問題に費やしている

人は、若くても年をとっても、絶えず成長したり変化したりしていますよね。固定したものはないんですね。だから、今、面白くないものは、あえて見ることもないなっていう気もします

「これをやりてえ」ってことが増えると、そうやってお茶を濁してる時間はなくなってくる

直観力と想像力を、抑え込んではならない

みんなの前で歌わんかったら下手になる

自分が変わるんじゃなくて、変わり続ける何かが俺の中にいるんだよね。

リミッターってさ、取れた瞬間にその存在に気づくよね

偉人の経歴を読書により知って憧れること、師や友から聞いたことに発憤すること、自分が逆境に陥ったときに勇猛心を起こすこと、感激することの四つが志を立てる大きな理由となる

世界一になりなさい。さもなければ撤退しなさい

数千のアイデアを育てて、やっと一つの成果を得ることが出来る

歌詞の中にこの言葉を入れたら、昔はそれが、「面白いね」とか「馬鹿じゃね」とか、笑われて済むようなところだったのに、今はもう笑えなくなってきたところもあります(コンプライアンスが厳しくなって)

真理に年齢はない

美しさの極致は一人の女にだけあるのではない。すべての女にある。彼女たちはそれを知らないが、皆がこの美に到達するのだ。ちょうど果実が熟するように

勝手に誰かと比べられて、色々決め付けられるのってどう考えても悔しいな

愛しあう前と後では、火の消えたランプと火のともったランプほどの違いがある

色彩は、それ自体が何かを表現している

空気の大事さなんて、なくなんないとわかんないですよ。溺れて初めて空気の美味さって感じるんですよ。なくなんないとわかんない大事さ。相手のことをそんなもの(空気みたいな存在)にしてしまったのかって思ってしまう。

愛することは、愛されること

集中するための第一の原則は、もはや生産的でなくなった過去のものを捨てることである。そのためには、自らの仕事と部下の仕事を定期的に見直し、「まだ行っていなかったとして、いまこれに手を付けるか」と問わなければならない

やるからにはナンバーワンを目指したい

子どもの頃は、おもちゃよりもレコードを買ってもらう方が嬉しかった

私は死ぬまで死ぬことについて、そして生きる事について考えていると思う

明日のための今日じゃありません。今日のための今日です

私の耳は貝から 海の響きを懐かしむ

俺は錦みてえにはなれねえよ

言葉なんていらなくなるよ、きっと。僕が立派になれれば

何百万枚も売れるロックなんて、あんましロックじゃない

今日思った事があって、みんなが俺達に会いたいとかライブが見たいとか思って見にきてくるんじゃなくて、俺達があいつらに会いたくて会いにいくんだって、逆だなって思いました

「ロックな手と書いて岩手と読むんだぜ。」「あのさー、冷麺てなにでできてんの?原材料はなんなの?」(岩手ライブにて)

私は仕事をしているとくつろげる。何もしていなかったり、訪問客の相手をしていたりすると疲れる

ネガティブな奴とポジティブな奴はまるで行動の仕方が変わってくるのさ

やっぱりその時(写真を撮った時)に「良い」と気が付くのは感覚というか、その時の感受性ですからね。それがないとゴミはゴミのままなんですね。実際にゴミだったのかも知れないし、わからないですよね。写真は固定されたものではないっていうのを実感しますね

何事もそうだが、中途半端な決断で道を選ぶと、途中で大変な試練があったときに気持ちが挫けやすい

激流にも耐えうる柱のように揺るぎない信念を心に持て

一番美しい絵は、寝床のなかでパイプをくゆらしながら夢見て、決して実現しない絵だ

喜びは成果の中になければならない。石臼に向かいながらも丘の上を見なければならない

目の前で襲われてる女の子を黙ってみてられるほど、俺は大人やないんや。

現代人の欠点は自分の職業に愛と誇りを持っていないことである。多くの人が職業を必要悪の労役苦役と考えている

芸術家とは自分のやっていることに喜びを覚える人のこと。だから、すべての職業に芸術家がいるのが望ましいのだ

俺は最近認めてるよ。自分のなかのリベンジを

我々は自分の内に天使をかくまっている。我々はこの天使の保護者でなくてはならない

10年かかってもまだわかんねぇのか?お前らが俺らを必要としてるんじゃない。俺らがお前らを必要としてるんだ

Billy Mack: This is shit, isn’t it?Joe: Yep, solid gold shit, maestro.
ビリー「こいつはクソだな」
ジョー「そうだな。だが金のクソだぞ」

人生自体にも限りがあって、いつ終わるか分からなくて、その中で『たった今、美しい者を求めても構わないんじゃないか?』って思って、 『どうせそれが繋がって積み重なって美学というものになってんじゃないの?』と

誰かのサイズに合わせて自分を変えることはない。自分を殺すことはない。ありのままでいいじゃないか

昔、メーカーさんがよく、「アルバムアーティスト」という言葉を使われていたでしょう。私がデビューした頃はそういう言葉が残っており、自分はそれだと自負していたんです。シングル曲がアルバム内で違った匂いを発するよう、意図して構成するとき、「これこそが私の本業の終点だ」と感じたりします。

女の美は性格の中にあるのです。情熱の中にあるのです

バンドって楽しいや。ライブやれるってこんな幸せなことないよね。自分家からすげぇ離れた土地で待っててくれる人がいる。拳をあげて一緒に歌ってくれる野郎どもがいるなんて、すごいよね。もし俺たちが音楽やってなかったら 俺個人的に言えば歌を歌ってなかったら、きっと何もなかっただろうな

運命というのもひょっとしてウィルスみたいなものではないだろうか。それ自体では何事も起きないけど、他の実力をもったサルモネラ菌や、あるいは紙幣や、恋文や、試験の答案用紙や、いろんな物につくことで、それを動かす。でもそれ自体は姿も形もなくて、見ることができない

とりあえず放送した方がいいというので、日本の世の中には形式だけのアナウンスがわんさと流れている。日本人は形式が好きだ、と思われても仕方のないことだ

ダサいんですね。言葉を入れすぎると説明になっちゃって、言葉も写真もつまらないものになってしまうんです

今日此処に来たかったけど、チケット取れなかったヤツが沢山いるの分かってるから。そんなヤツらにも届くように唄ってるから。

ジョークを言った本人が笑ったら、そのジョークはジョークでなくなる

なんか人見知りですって自分で言う人いるじゃないですか。それってめっちゃよくないなって思ってて、すごい自分から人を引き離してるの良くないなって思って。

オーケストラ音楽に触れたきっかけはラジオ

砂漠では、教養など何の役にも立たない。生きる技術を持っているかどうかが生き残れるかどうかを分ける。厳しいビジネスの世界も同じである
