


他人のためにやるんじゃないよ。自分がやりたいからやるんだ。

何十年先も俺たちの曲は君のそばにいる

徳川家康や武田信玄の本読むけどさ、こんなふうにやって生きて天下とったって、70・80で死ぬわけだしさ。

人は素敵な経験があるかないかで、心の汚れとか全然変わってくる

いつもとは違う部屋の中に見たくないものを置いておく

The heresy of one age becomes the orthodoxy of the next.
ある時代の異端は、次の時代の正統になるのです。

原因は何十年かのちに学者が明らかにするだろうが、行動する経営者としては待っていられないだろう。使えるもの、分かったことはどんどん使いなさい

マラソンランナーと一緒で、長距離を走り抜くにはペースを崩さないこと

孤独であって、充実している、そういうのが人間だ

生きたくても生きれねぇ奴がいるんだって そんなんも考えないで生きてる気になんなって

自分自身によかれと思う者は、好ましく心やさしい妻をめとるがいい。さもなければ、いっそめとらぬがいい

苦労しないでフッと浮かんだ曲が結果的にいい曲になる

人々の求めるニーズに無関係であってはならない、かといってニーズに迎合してもいけない

夢はぶれずにいることなんです。わたしにとってはいちばん大切なのです。

「久しぶりィ、四つの国ィ」「サロンでキティだぜ!」(松山サロンキティライブにて)

Knowledge is love and light and vision.
知識は愛であり、光であり、ビジョンです。

成果をあげる人とあげない人の差は才能ではない。いくつかの習慣的な姿勢と、基礎的な方法を身につけているかどうかの問題である。しかし、組織というものが最近の発明であるために、人はまだこれらのことに優れるに至っていない

何だって自分次第なんだわ。んなもん、当たり前だよな。お前がクソなら、世の中はクソだよ。

焦点の定まった明確な使命がなければ、組織はただちに組織としての信頼性を失う

歌なんて誰でも歌えるからヴォーカリストになった。だから、誰にでも歌えるような歌しか歌わないんよ。

(身長・体重・胸囲は?)168cmぐらい、50kgそこそこ。胸囲は僕に抱かれてみて判断しろ

自分の姿をありのまま直視する、それは強さだ

生産性の本質を測る真の基準は「量」ではなく、「質」である

さよならとか別れとか、似たことしか歌わなくなってきたなあって。でも本能では、自分はそういうものを書いていくんだろうなってわかっていて

生涯に一作であれば、誰でもいい曲がつくれる

人間はコンピュータとは違って揺れ動いてますよね。だから、すべてのものを何かの思い入れを持って見ているんですね。なので、その時々によって違って見えてくることがあるんでしょうね

自然は生命を更新するためにのみ死を役立てる

上手であることはそんなにいいことか?とも思う

なんとなく楽しくいたい。それがゴールでしょ?そのゴールを目指していくために、いろいろやらなきゃいけないことがあってさ。その為には寝ないで頑張ることもあってさ。血ヘド吐くくらい頑張ることもある。いいことじゃん。だって目的に向かってがんばる手段として「金も必要、じゃ働くか」とかさ。

運命に耐えているとき、そこに真理が見える

人って、炎とか波とか、長い時間見てても飽きないらしい。同じ形になることがないから、って。変化し続けるものって儚い

ブルースを忘れない方がいい。いろいろな名前の音楽が流行するけれど基本はすべてブルースなのだ

大リーグで活躍したいと思うことは夢じゃないんだよ。野球をやりたいというのが夢だ。

聴いてる音楽とやってる音楽がつながらなくても、それはどうでもいいんです。

この世は偶然に満ちている。だから人間は人工管理の街を造った。でも、街はいづれ老朽化し、その隙間から、追い出された偶然がまた顔をのぞかせる。カメラにはそれが美味しい

モノを作ることを職業としていくには、一つや二ついいものができるだけではダメだ

もしマーケティングが完全に行われていたら、販売努力は不要だ

普通の大人なら、球場はボールが飛んでくるから人にいわれなくても自分で注意する。それができないのは五歳か六歳で、つまりそれがいまの日本人の精神年齢ということだろう

犬や猫は偶然など当たり前のこととして、偶然の海をゆったりと泳いでいるのではないだろうか

今日が幸せすぎるとだいたい明日が怖い

全生命が瞬間に開ききること。それが爆発だ

女が愛し、愛されると彼女は変わる。誰も彼女にかまわなくなると、精神が乱れてその魅力が失われる

聴く人がどう受け止めるかは、聴く人の自由

眼が見えるということは一生涯もかかる教育の果実です

志を立て、その目的を達成する手段の中で最も近道だと思うのは、聖人の書物や種々の歴史本の中で、自分が特に刺激を受けた部分を別紙に書き抜いて壁に貼っておくか、扇などに書いておき、日夜朝夕それを眺め、常に反省しつつ及ばない点について勉め、進歩を楽しむのがよい

ずーっと出発点に立ってんだよ、ロックンロールって。どっかの道のりにいるっていうんじゃなくて、今いるここがいつも出発点。いつもどっかに行こうとしてるんだよ。

時間は私たちに残された数少ない大切なものだ

いかなる創造的活動も、はじめは破壊的活動だ

あなたには安らぎがある。贅沢さはない。お金が一端を握っているなんて言わないでくれ。私が提案している贅沢には、金はまったく関係ない

100の好きを見つけても1の嫌いに心を裂かれたりもするし、言葉や感情は、削れば削るほど尖っていったり伝わりやすくなったり。自由自在の怖さ!

芸術とは、自然が人間に映ったものです。大事なことは、鏡をみがくことです

希望を捨てない方がいい。俺はサイコーなんだって信じるんだ。既成の概念なんか疑ってかかった方がいい。「なんでなんだ?」っていつも子供みたいに感じていたいぜ。

何があっても、賛成反対両方あるのは自然

誰のために創るんだろう。考えたことあるか。自分のために?そんなの甘っちょろいよ。植木づくりでもやるんならそれでいいんだ。金のために?だったら創るより早いやり方がいくらでもあるだろう

憎しみや苦しみのない世界があるからお前来ない?って言われたら、「俺はいかない」って言うわ

すべては奇跡だ。例えば、お風呂に入ったとき、あなたがお湯に溶けてしまわないことだって

誰にでも何かの仕事に適する素質がある。世の中が必要とするものは多く、自分が役に立てることが必ずある

弱気になる瞬間も多いけど、そんな時は過去のライブ映像を観たりしてます

何びとも信用しない者は、己れ自身が信用されていないことを知っている

何かを表現していく人間にとって、自分の拠り所を気分に置いてしまうのは危ういこと

お芝居の世界でお仕事をするときは、簡単にベラベラしてはいけないというのは自分の中にあるんですよね

さみだれの かぎり有りとは しりながら 照る日をいのる こころせはしき

人間一人ひとりを見ると、みんな利口で分別ありげだが、集団をなせばたちまち馬鹿が出てくる

私は、自分の作品に心と魂を込める。そして制作過程では我を失う

富は一つの才能であり、貧しさも同様に一つの才能である。金持ちになった貧乏人は、贅沢な貧しさをひけらかすであろう

私は芸術でも何でも、全部がエロビデオみたいに受け止めてもらえればいいって思ってるんです。グッとくるか来ないかっていう、ただそれだけ

回教徒が寺院に入るとき靴を脱ぐように、私は仕事中、ドアの外に肉体を置いてくる

心ある 繊細すぎる魂を持つ人たちが一瞬でも「もうこの世に生きる意味はない」と感じることのない社会を 空気をみんなで作っていきたい。

Walking with a friend in the dark is better than walking alone in the light.
暗闇の中を友達と歩くことは、明るい中を一人で歩くことより良いもの。

DQのスライムは可愛いんだよね。これで僕の基本的な音楽の方向性も決まったなぁという感じ

日々楽しく、面白おかしく暮らしたい(笑)

少なくとも僕にも誰かを楽しませることはできる

ビートルズとか音楽は、暗いほう暗いほうに行きがちな自分を包んでくれる

自分の個性に 自信を持てよ。そうすりゃあ自分好きになれる。姿形よりも 自分って人間を。磨いて輝る 美しさを

何したっていいんだよ。自分で責任取れればいい。責任を取るっつうのは、この道で満足してるなって思えること。

低気圧が僕を責め立てる。

何事も、上手く進まないときは、停滞の時期ではなく、変化の時期だ。

私の観察によれば、成果をあげる者は仕事からスタートしない。時間からスタートする。計画からもスタートしない。何に時間がとられているかを明らかにすることからスタートする。次に、時間を管理すべく自らの時間を奪おうとする非生産的な要素を退ける

ナマ身で運命と対決して歓喜する。それがほんとうの生命感

(名古屋の「な」はどういった字か、と客に確認した後)「何だよっ、知らねえよ!大体なー、『名前が古い屋根』だぞ? 何なんだよ?! ……『名前が古い屋根』って…シャチホコ? …で、シャチホコってなんだ? コイか? 」(名古屋ライブにて)

最初はダメでも何度でもやり直せという態度は誤りである

大金を持った貧しい人のように暮らしたい

かっちょよく死ぬ瞬間を逃してしまったんだよ。俺たち人類はもうさ生きのびちゃったんだからさ。もうかっこよく終われないんだよ。人類は。だからかっこよく終われないんだから終わらせないようにしようぜって思うんだよ

極端な話だけど、希望と絶望が同時に存在するのがいい日々だと思うんです。

とりあえず放送した方がいいというので、日本の世の中には形式だけのアナウンスがわんさと流れている。日本人は形式が好きだ、と思われても仕方のないことだ

生きる日のよろこび、悲しみ。一日一日が新しい彩りをもって息づいている

人の曲を歌う時こそ、恥ずかしい気持ちもなく思い切り出せる声もあるのかもしれないとも思ったし、その、声に焦点を絞ったものもやってみたいって考えられるようにもなってきて

Billy Mack: This is shit, isn’t it?Joe: Yep, solid gold shit, maestro.
ビリー「こいつはクソだな」
ジョー「そうだな。だが金のクソだぞ」

言葉なんていらなくなるよ、きっと。僕が立派になれれば。

私の耳は貝から 海の響きを懐かしむ

思いついたことは出来る。思いつかないものは出来ない。これは避けがたく、明白なことだ

あなたの日常は唄になるんです。

曲って自分の子供みたいなもんでさ、自分から生み出したものだけど喧嘩して遠ざけたり、仲直りしたりして、時には向き合うことができなくなったりもして。

人それぞれに求めるものは違うけど、それでいいんじゃないか。自分の思うようにすればいい

真のイノベーションと新奇さを混同してはいけない。イノベーションは価値を生む。新奇さは面白いだけである。ところが組織の多くが毎日同じことを行い、毎日同じものをつくることに飽きたというだけで、新奇なものに取り組んでしまう

究極の善、究極の悪、究極の価値がなければ、人間のある活動が別の活動よりも本質的に優っていることなどあり得ない。だから、全ての行為が同じ価値しか持っていないということを認めざるを得ない。とするなら、一つの行為を別の行為よりも優先させるのは、我々が自分で独自の選択を行っているからある

会計学者や経営者は「純利益」という言葉を使うが、企業経営ではそんな言葉を使ってはいけない。「フューチャー・コスト(未来費用)」と呼ぶべきだ。企業というのは、リスクを負うために失敗することもある、そのときのために未来のコストを留保してあるのであって、利益の蓄積ではないのだ

自分のああいう時の、ああいう行動が知らぬ間に自分の手を汚してたと。つまり誰かをはじき出してたところがあったというか。読者の方にもそういうことぐらいはあると思います、たぶん。ないかな?怖いな、すごい怖いな。
