俺は右でも左でもかまわないんだ。そんなことどーでもいいんだ。右にどんどん行ってみろ。やがて左側に来ているのさ。地球は丸いからね。
創造性の最大の敵は良きセンスだ
多数とは何か?多数は阿呆のみ、真理は常に少数者にある
誰もが芸術を理解しようとする。ならば、なぜ鳥の声を理解しようとはしないのか
自分が興奮できないようなものではダメ
曲のメロディはもちろん大事ですが、大きな構造で考えるとスコアは設計図みたいなもの
僕って未熟だなって話です。どうすりゃいいのか未だにわからないし、わかって楽になったらいいなとは思う。ライブでも毎回緊張しますからね、どんな声が出るかわかんなくて。
「何事も一人で大丈夫」っていう基本さえあれば、あとはもう全部楽しいんだよ
ほんの一秒でもいいから、俺が俺として機能したい。 全ての時間がその一秒の為に無駄になっても構わない。
俺がとりたいのは100点じゃないんだ。ロックンロールが100点満点だとしたら10000点くらい取りたいんだ。
お前らの人生がライブハウスみたいだったらいいなぁ。おされたり、ぶつかり合ったり、倒れちゃったりして、でも自分の力で立ち上がったり、時には周りの人に助けられたりしながら起き上がって、次の瞬間にはものっすごい笑顔で前を向いてる。お前らの人生がそんなだったらいいなぁ
面白いねぇ、実に。オレの人生は。だって道がないんだ。眼の前にはいつも、なんにもない。ただ前に向かって身心をぶつけて挑む瞬間、瞬間があるだけ
低級な芸術家たちは、常に他人の眼鏡をかける
勝手に誰かと比べられて、色々決め付けられるのってどう考えても悔しいな
ミュージアムをひとつくれ。埋めてやる
効率とは物事を正しく行うことで、有効性とは正しいことを行うことである
沖縄じゃどれだけ有名か知らねえが・・・そんな脅しが通る程、世の中甘くねえぜ。
ほうきとか持ってエアギターとかしたりするわけじゃん、憧れて。それの延長なんだよ
ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎
俺以外のメンバーってのはすごいいいヤツでさ、見てて眩しいんだ。誰見てても眩しいんだ。それはうちのスタッフ、ファンもそう。嬉しいし、最高なんだけど、自分が最低の人間だなって思わされる
笑いどころやないかい!笑えや このボケェ!!
凄くふさわしいところに自分が立ってて、凄くふさわしい行動を取っているような気がするんだよ
革命家になろうとも思わないし、政治家にも宗教家になろうとも思わないけどさ、同じ事考えてる人いっぱい居るんだなと思ったら安心するじゃん。で、その記憶が俺を支えるしみんなの事も支えてくれるんだったら、やった意味はあるよね
志を立て、その目的を達成する手段の中で最も近道だと思うのは、聖人の書物や種々の歴史本の中で、自分が特に刺激を受けた部分を別紙に書き抜いて壁に貼っておくか、扇などに書いておき、日夜朝夕それを眺め、常に反省しつつ及ばない点について勉め、進歩を楽しむのがよい
大切なことは、熱狂的状況をつくり出すことだ
確かに……一度 “黒” に染まったモンはどこまでいっても “黒” や。そっから抜けることはできん。けどな、それでも噛みつく相手選ぶくらいはできる。それが俺の流儀や
それは所詮、極道の勝手な都合ってやつだ!
自分を好きになれない奴が、どうあがいたって好きになってはもらえないだろうな、きっと。
バンドって楽しいや。ライブやれるってこんな幸せなことないよね。自分家からすげぇ離れた土地で待っててくれる人がいる。拳をあげて一緒に歌ってくれる野郎どもがいるなんて、すごいよね。もし俺たちが音楽やってなかったら 俺個人的に言えば歌を歌ってなかったら、きっと何もなかっただろうな
人生は、水平方向に落ちていくことである
普通=そこそこ、そうじゃないでしょう。最高じゃん!
創造の最大の敵は「良い」センスだ
俺もお前らも不器用なんだから、だからとりあえず信じよう。それでもし裏切られたら傷つこう。それを繰り返すだけ
上手い歌なんか歌いたくないんだよな。いくらでもいるし。
絵というものはぼくにとって、愛すべきもの、愉しくて美しいものでなければならないんだよ。そう、美しいものだ!人生には厭なことが多すぎるんでね、これ以上厭なものなんかこしらえたくないんだよ
俺は右でも左でもかまわないんだ。そんなことどーでもいいんだ。右にどんどん行ってみろ。やがて左側に来ているのさ。地球は丸いからね
弱気になる瞬間も多いけど、そんな時は過去のライブ映像を観たりしてます
筋肉で力任せに殴るよりも、腰を入れて体重の乗ったストレートの方がズドンと重いじゃないですか
運が悪かったんだよ、お前らは
マネジメントたる者は、共に働く者から自らの仕事を教わらなければならない
世の中で生きてるうちに起こるほとんどのことは僕にとってたいしたことじゃない。それよりも1回のロックンロールコンサートの方が大きい。1枚のCDを聴くことの方がよっぽど大事件なんだ
「林檎」は筆名で。17ぐらいの時に。「少女A」みたいな名前だから、実際に何言われても平気。
お前らが全員霜降り肉に見えるぜ!(兵庫ライブにて)
人間が生きる限り、死人も生きているんだ
どうか、履き違えないで欲しい。人の足を止めるのは、絶望じゃなく諦めだけだということを。
作詞には苦しむことが多いです。曲がもともと持っている性格みたいなものは自分でコントロールしてるわけじゃない。自然に持ってるもので、それをいかに感じ取ってふさわしいものにするか。ふさわしい詞というのはもともと決まっているようなものという認識。
同じことばっかりやるのはつまらない。だから私はいつも自分が良いと思うことを自由にやっています。
いつでも大空が、自然の果てしないものが私を引きつけ、喜びをもって眺める機会を私に与えてくれる
You won’t get anything unless you have the vision to imagine it.
心に思い描かなければ、何も得られない。
親からもらった立派な体、というけど、じつは親からもらっているのは運の方かもしれない。運が脊髄のように芯としてあって、人間の人生というのはその運命の芯の回りにまつわる蛋白質、あるいは脂肪質、悪くいうと贅肉みたいなものなのだろうか
今日と明日と明後日のことぐらいを考えていればいいんだよ。
もしマーケティングが完全に行われていたら、販売努力は不要だ
聴いてる音楽とやってる音楽がつながらなくても、それはどうでもいいんです。
生産性を上げる一番簡単な方法は、今、一番成果が出ている仕事に集中し、成果が出ていない仕事からは、撤退してしまうことである
大人になると人生がつまんなくなっちゃうって思ってる方が、若者の中にもすごく多いと思うんですけど、そんなことはないです。
手加減はしねぇ、死にてぇ奴だけかかってこい!!!
正しくない事を言ったりしてるやつが居たら自分ひとりでもちゃんと「それは違う」って言えよ。そしたら俺みたいに嫌われたりもするだろうけど、最後は正直者が笑うんだからさ
アンタには諦めんことの重要さを教わったわ。俺も執着するで、真島吾朗っちゅう男の生き方に
相手を尊敬することができぬなら恋は起こりえない
愛は人生において、最も優れた栄養源である
毎日必ずギターには触っていますし、ずっと続けていきたいのは音楽です
あなたの中に、あなたの知らない芸術家がいる。彼は月夜に物事がどの様に違って見えるか興味がないのだ
俺には嫌いなタイプの人間が2種類おってなぁ。1つは、人が苦労して取ったぬいぐるみちゃんたちをバラすようなアホンダラ……もう1つは、立場の弱い女子供を食い物にするようなクソッタレ……どっちもお前らのことじゃボケェ!
The most pathetic person in the world is someone who has sight, but has no vision.
世界で最も哀れな人とは、目は見えてもビジョンのない人です。
上司を過大評価することはあってもいいが、決して過小評価するな
酒は何も発明しない。ただ秘密をしゃべるだけである
1、より速くすること。2、よりよくすること。3、今やるべきことをすること
そもそも老人力とは、転んでもただでは起きない力のことである。というか、そもそも老人とは、人が間断なくゆっくりと転んでいく状態のことなのである。気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常。例外はない。時期のずれや度合いの違いはあるにしても、人類の全員がゆるゆると、やんわりと、気がつけば転んでいる状態なのだ
心理の何か変化があるんですよ。人間行動すべき理由がある。
明日のための今日ではなく、今日のための今日ですよ
日本の文化っていうのは、常に「明日は知れぬ身」って考えるのが基本じゃないですか。
とにかく俺は本気で、音楽で少しでもこの世界をよくできると信じてる。いつ終わるかわからない自分の人生を、その目的のために捧げたいといつからか思うようになりました。だから、休んでる暇なんかない
昔、俺はずっとシャイだったが、世の中が超シャイになってしまった現代ではとても図々しいロック・スター・オヤジに見えるらしい。
インディーズの頃は、有名になって注目されたいとか、めっちゃ広い家に住みたいということが活力になってて
いまだに『磔磔』って字が書けない…。 (03年京都磔磔にて)
生まれたとき、死んじゃう可能性のある病気の手術を受けて助かったことがあったからか、あたし、生きることにとても執着がある
ステージに出る前、死刑台に上がってく気分になるときがあるんだ。ギロチンの下に頭を置いて審判が下される。
私が生まれるということは不条理である。私が死ぬということも不条理である
だいたい世の中にある「もの」って用件のあるものですよね。でも、単に「もの」を道具としてみるのではなくて、ものの見方の楽しさを感じて欲しいと思います。こういうのってフィールドワークなんです
So long as the memory of certain beloved friends lives in my heart, I shall say that life is good.
心に愛する友の思い出が生き続ける限り、人生は素晴らしいと私は言い続けるでしょう。