生きたくても生きれねぇ奴がいるんだって そんなんも考えないで生きてる気になんなって
声でねぇけど唄わしてくれ。今回のツアーで俺わかった。お客さんがいると唄えます。聴きてぇって思ってるヤツがいつと唄える。だから、一呼吸分の力を分けてくれ!
いい子な自分と、悪い子な自分、みんな含めて一人の自分
「焦りすぎないでいいよ」と言われ焦った
先に見出し、後に捜し求めよ
Surrealism had a great effect on me because then I realised that the imagery in my mind wasn’t insanity. Surrealism to me is reality.
シュルレアリスムは僕に大きな影響を与えた。僕の頭の中のイメージが狂気ではないことに気づいたんだ。シュルレアリスムは、僕にとって現実そのものなんだ。
愛は永久不滅なもの。姿かたちを変えることはあるが、本質は決して変わらない
人を掴むのはコンセプトの面白さじゃなくて、それを実行に移している瞬間のテンション
詩人にとって最大の悲劇は、誤解によって賞嘆されることだ
低級な芸術家たちは、常に他人の眼鏡をかける
感動っていうものに限界は無いじゃないですか、日々。それに突き動かされるんですよ
思いついたことは出来る。思いつかないものは出来ない。これは避けがたく、明白なことだ
どうしようもないことをコントロールしようとする気持ちが少ないのかも
声が出なくなっても僕は(ロックンロールを)止めないなと思った
自分の中に炎を持ち、魂を抱えているのに、どうして、閉じ込めておくことが出来ようか
確実にたくさんの曲を作り続けていくには、気分の波に流されてはいけない
僕はいつも自分が純粋に感じたこと、考えたことを、理解されようがされまいがダイレクトにぶつける
他人を模写するのは必要なことである。しかし、自分を模写するのは哀れなものだ
俺かて そない馬鹿正直に生きてきたわけやない。せやけどな、俺のまわりには馬鹿に生きて……馬鹿に死んでった男たちがおった。そいつらのくだらん生き方が 俺は男の最高の生き様やと気がついたんや
地震の後には戦争がやってくる。軍隊を持ちたい政治家がTVででかい事を言い始めてる。国民をバカにして戦争にかり立てる。自分は安全なところで偉そうにしてるだけ。
ああ、俺にもできそうだ!
「人生っていうのは勝手に与えられるんだから、自分が追求してもいいんだ。幸せ追求権ってあるだろう!」と思ったんですね。
他人の短所が目につきすぎる人は、経営者には向いていない。長所を効果的に発揮させるのが自分の仕事だと考える人が、有能な経営者になれる
出会わなければ良かった出会いなんてきっとない…ないよ。
空に手を掲げれば、俺はここに存在してるって信じられる気がする。それは必然ではないけれど、存在理由として必要だと思う。要は下ばかり見るなってことだ。
凡庸な人間が自然を模写しても決して芸術品にはなりません。それは彼が「見」ないで眺めるからです
例え、一流よりもいい音が出せたとしてもまだニ流なのです。大事なのは、その音を出し続けることができるかということ
歌詞の中にこの言葉を入れたら、昔はそれが、「面白いね」とか「馬鹿じゃね」とか、笑われて済むようなところだったのに、今はもう笑えなくなってきたところもあります(コンプライアンスが厳しくなって)
こんなに色んな人が関わりあうのは、俺、音楽しかねぇと思うんだ。てか、音楽しかしらねぇ
絶望で生きてようと、希望で生きてようと、どちらも生きてるんであれば、まずそれが奇跡だなと。生きてることが本当にミラクルなことだと思うんですよね。
郡山って水うまいの?(06年 HipShotJAPANライブ中にて)
人間にとって成長ないし発展とは、何に対して貢献すべきかを自らが決定できるようになることである
体力的な無理はできるけど、精神的な無理は良くない
(「日出処」のタイトルについて)意味としては、「メーン・ストリート、目抜き通りを闊歩したいと願っている人物の、色んな瞬間を切り取った曲たち」という風にストーリーをつくりたかったんです
楽しくなかったら絵なんか描きませんよ
私は絵の中で、音楽のように何か心慰めるものを表現したい
私は、愛したいと思いながら、それができない。私は、愛すまいと思いながら、それができない
群馬の一匹狼の皆さんこんにちは!これからも一人で頑張って生きて行って下さい! (群馬ライブにて)
フィディアスとミケランジェロの前には平伏せよ
マーケティングは事業全体を完全に包含する。それは最終成果の観点、つまり顧客の視点から見たビジネスすべてである。それゆえにマーケティングに対する配慮と責任は企業全体に浸透していなければならない
世界一になりなさい。さもなければ撤退しなさい
この会場には仕事やっとるやつ、やっとらんやつ、学校行っとるやつ、行っとらんやつ。いろんな人がおると思うけど、お前らはライブを見に来とる。俺らはライブをやりに来とる。それで問題なかろう。
大事は寄せ集められた小事によってなされる
少なくとも自然は、生命を更新するためにのみ死を役立てます
世界中のヤツらに嫌われてても、たった一人にでも愛されていたなら、そいつはすくわれる。たくさんの不幸せの中に一つでも幸せがあるなら、そいつは幸せなんだよ
「何事も一人で大丈夫」っていう基本さえあれば、あとはもう全部楽しいんだよ
私は子供のときに自転車に乗ったことのない唯一の男である。描くことにしか興味がなかった
第一番に稚心を去らねばならぬ
死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど
自分の中にどうしても譲れないものがある。それを守ろうとするから弱くなる。そんなもの、ぶち壊してしまえ!
結果オーライって凄くいいことだと思わない?
神なんて全くその辺の芸術家と変わらない。キリン作ってゾウ作ってネコだろう。様式もへたくれもありゃしない。前と違うもの延々と作り続けてるだけ
路上観察の場合はある種の説明で、見る人の手助けになるようにと思って書いています。でも、作品としての写真となると、見る人がその作品の中にどうやって入っていけば良いかわからない…入り口のない場合が多いんですね
オトナになろうが、教室から武道館になろうが、ひとりの前でやろうが一万人の前でやろうが、やってることって一緒なんだよね。音楽がやりたくてバンドを組むってそういうことなんだ。もう、そこで全部終わっちゃってるんだよ。だから目指すことは、もうないよ。
ミュージアムをひとつくれ。埋めてやる
自分の夢に必要やと思えるもの、好きやと思えるものには一生懸命になったらいい。
私は天才になるし、世界は私を称賛するだろう。評価されないかもしれないし、理解されないかもしれない。しかし天才になる、偉大な天才にね。なぜなら私はそのことを確信しているからさ
それは夢のまた夢、夢の中の夢の中の夢の中のそのまた夢の中の、夢の夢さ。でも、夢はあきらめない方がいいぜ
なんかやろうと思えば、何でもできるもんやねー
君はあなた自身を創造していると思いなさい
評価されるなんて一切必要なし!音が好きならば、音になっていないといわれようと「音」を出す。これが前提だな
(それぞれの曲に色んな人物や設定を想定しているのですか)場面は変わりますが、一人称はずっと同じイメージです
It is for us to pray not for tasks equal to our powers, but for powers equal to our tasks, to go forward with a great desire forever beating at the door of our hearts as we travel toward our distant goal.
私たちは、自分の力に見合った課題を願うのではなく、課題に見合った力を願うべきです。心の扉を叩き続ける強い願望と共に、遠い目標に向かって旅を進めるのです。
ダイヤモンドの行商人がやってきて、 このダイヤモンドは永遠の輝きをどうのこうのって言うとるけど せいぜい百年しか生きられん人間に、 永遠の輝きを売りつけてどうするんじゃ。俺らが欲しいのは今だけです。
近代的になるなんて努力しなくていい。悲惨なことになにをやろうと、唯一避けられないのがことがそれだから
トマソンには作者というものがいないんです。そこがむしろ面白くて、だから「偶然」とか「出会い」ってことが一番不思議なことに思えてくる
期限までに毎日どのくらいのペースでやっていかなければならないか考える
重要なことは明日何をするかではなく、今日、何をしたかである
本当に口うるさいロックン・ロールや、口の匂いまでするようなリズム&ブルース。そんな音楽は21世紀には無くなってしまうのだろうか。ロボットやサイボーグが聴くような計算された音楽だけが市場にあふれている。
人間おのずから用に適する所あり、天下何ぞなすべき時なからむ
傑作なのか屑なのかわからない
「僕は永遠に生きます」って今思ってる。明日も思ってる。あさっても思ってる。10年後も思ってる。20年後も思ってる。そしてある日死ぬんだ。うん。それがいいな。
三大欲求以上の高等なことは考えたくないって言ってるんでしょうね。結局それぐらいしか私は本当のことを知らないし、「それ以上の本当のことを見ると私は傷ついてしまうし」っていう。
自分の好きな音を勝手に出す、出したい音を出したらいい
学問的な言い方ではないが、仕事ができる組織は仕事を楽しんでいる
言葉っていうのは、感覚に1番近いものを当てはめるだけだから感覚が伝わるわけじゃないんだよね。自分の心の中で生まれた感情・感覚に、1番似合った服を着せたものが言葉だから。
手段ではなくて目的
限界を越えることは絶対できないと思うんです。 越えられないから限界と書くわけで。でも越えるから不思議なんです。
自分が何をやるかさえ確かだったら、少しぐらい待ってもなんでもない
自分にいろんな矛盾があることが当然
The highest result of education is tolerance.
教育の最高の成果は寛容さです。