


Prime Minister: Whenever I get gloomy with the state of the world, I think about the arrivals gate at Heathrow Airport. General opinion’s starting to make out that we live in a world of hatred and greed, but I don’t see that. It seems to me that love is everywhere. Often, it’s not particularly dignified or newsworthy, but it’s always there – fathers and sons, mothers and daughters, husbands and wives, boyfriends, girlfriends, old friends. When the planes hit the Twin Towers, as far as I know, none of the phone calls from the people on board were messages of hate or revenge – they were all messages of love. If you look for it, I’ve got a sneaky feeling you’ll find that love actually is all around.
デイヴィッド「私は世界のことを考えて落ち込むと、ヒースロー空港の到着ゲートのことを考える。有識者は、世界が憎しみや強欲で満ちているというけれど、私はそうは思わない。愛があちこちに存在していると思う。神々しいわけでも、ニュース性があるわけでもないが、愛はいつもそこにある。父と子、母と娘、夫と妻、彼氏と彼女、旧友。飛行機がツインタワーに突入したときでさえ、私の知る限りは誰も憎しみや復讐に満ちたメッセージを電話で送ったりはしなかった。それは愛のメッセージだった。見つけたかったら、探そうとしなくても、実は愛はいたるところで見つけられる」

イライラや不満を、ただ我慢することなんだよ。いつか来るための大切なエネルギーだから

ベイビーアイラブユーだぜ!

お前らの心は 見たくないものを見ずに閉ざしてしまうのか 見えないものを 見ようとするか

私の観察によれば、成果をあげる者は仕事からスタートしない。時間からスタートする。計画からもスタートしない。何に時間がとられているかを明らかにすることからスタートする。次に、時間を管理すべく自らの時間を奪おうとする非生産的な要素を退ける

今日のライブは、俺達の大親友だったアベフトシに捧げます。(2009年8月 RSRにて)

選択肢とか自由な表現が辛いのは、自分という位置の束縛が出てくるからである。自由による束縛といってもいい。いまの子供たちは、自由な表現というものを強要されて、ずいぶん辛い思いをしているのではないか。表現したいことなんて特になくても、とにかく自由にして見せないといけない。それよりもむしろ固苦しい習いごとを押しつけられて、そのことに抵抗を感じている方がよほどネイティブの自由がふくらんでくる

俺がホントについてるなぁとか幸せだなぁとか思うのは、周りにそうやって怒ってくれる人がたーくさんいるんですよね

何したっていいんだよ。自分で責任取れればいい。責任を取るっつうのは、この道で満足してるなって思えること。

重荷をいただいた胸は打ち明ければ軽くなる

私は子供のときに自転車に乗ったことのない唯一の男である。描くことにしか興味がなかった

結局ね、夢はみんなもってると思うんですよ。だけど、その夢の見方としてね、ただボーっとそれこそテレビで見てるだけで『あぁ、こんな事いいなぁ』みたいな見方と、それから実際にやってみようとして夢の実現に一歩近づくために何か行動をおこす。

普通の大人なら、球場はボールが飛んでくるから人にいわれなくても自分で注意する。それができないのは五歳か六歳で、つまりそれがいまの日本人の精神年齢ということだろう

絵というものはぼくにとって、愛すべきもの、愉しくて美しいものでなければならないんだよ。そう、美しいものだ!人生には厭なことが多すぎるんでね、これ以上厭なものなんかこしらえたくないんだよ

弱気になる瞬間も多いけど、そんな時は過去のライブ映像を観たりしてます

んだ。学びは終わらない。んだ。

オリンピックってどこが優勝したか知ってる?(長野オリンピック後の長野ライブにて)

一番美しい絵は、寝床のなかでパイプをくゆらしながら夢見て、決して実現しない絵だ

傑作なのか屑なのかわからない

他人を、誰かを愛するという行為は、全ての可能性の始まりだと思っている。

自分の中に炎を持ち、魂を抱えているのに、どうして、閉じ込めておくことが出来ようか

基本的に私は家の中で曲を作る

ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎

誰のようにもなりたくない

ロックだろうが、ポップだろうが関係ねぇよ。『プラネタリウム』は『プラネタリウム』だよ。(プラネタリウムについて)

黒は特別な色ですね。共感覚はそんなに意識していないけれども、誰でも音楽を聴いたら何色なのかを感じるじゃないですか。俺は黒とか青黒いものが好きで、それは何だろうなと思うと、俺の青春が90’sだったから、低音が強いものが好きという感じなんですよ

(どんな音楽を聴いて育った?)スピッツ、浜田省吾、平井堅、ユーミン、BOØWY、オザケン、フリッパーズギター。でも自分が学生時代に流行っていた、HYとかORANGE RANGEなんかもたくさん聞いてきました

いつもね 最新作が最高傑作なんだよ 僕の中ではいつもそうだよ

結局芸術の唯一の原則は、見るものを模写することだ

大人になったらなったで、子供の頃よりもっと自分と向き合うんだと思うんです。

芸術というものは自然の研究に過ぎません。自然です。何もかもそこにあります

俺は右でも左でもかまわないんだ。そんなことどーでもいいんだ。右にどんどん行ってみろ。やがて左側に来ているのさ。地球は丸いからね。

私が生きているのは国王のため、スペインのため、カタロニアのためだ。天才は決して死なない。人類の進化は我々の手中にある。国王、万歳!スペイン、万歳!カタロニア万歳!

「ありきたりな女」を書いたのは、次の曲の「カーネーション」を聴かせたかったからでもあるんです。「カーネーション」は「何を言っているかわからない」とか、散々言われたので。私が意図した通りに聴いていただくために、その導入部分が書きたいな、と思って

あなたの家庭はあなたの避難所だ。ただ、そこに閉じこもってはいけない

一回わがまま言い始めたらもう、他人の言うことなんか聞いてらんねえよ

Before Elvis, there was nothing.
すべての始まりは、エルヴィスだった。

宇宙には緊急な、致命的な、動かせない法則がある。なければならぬ

(作曲家として)僕は、子どもの頃に「ベートーベン」というスゴイご馳走の味をいっぱい覚えたのが、本当にありがたい

芸術は、盗作であるか革命であるか、そのいずれかだ

大丈夫。君は愛されてる。全て上手くいってるんだ。何も心配する事はないよ。君は自信持って笑ってればいいのさ。

10年後に生きている確率よりも、明日生きている確率の方がきっと高いじゃないですか。だから明日持つ夢の方がすごく大事です。

どうにもならないことなんて、どうにでもなっていいこと。

他人のためにやるんじゃないよ。自分がやりたいからやるんだ。

苦しい時には、自分よりもっと不幸な男がいたことを考えよ

ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎

何十年後も、みんなが知ってるし、歌えるし、聴かれているという音楽を作りたいなと思いますね。芸術は残らなきゃいけないと思っているので。

アァン?…お前、ベッピンさんやないかい。どや、俺の女にならんかぁ?どやねん? えぇ〜?

創造の泉を自分の内に持っていれば、書きたいものを書き続けられる

失敗者が何をして失敗したかよりも、成功者が何をして成功したかを学びなさい

恥ずかしくない生き方はしたくないもんね。だから恥をかくんだよ

俺はいったい何がしたいんだ? なんでこんなんなってんだ? 答えはすごく簡単だ。これが自分の選んだ生きる道だからだ

俺は、『ひとりじゃ生きていけねぇ』っていう弱々しい感覚を、本当に強く言える男だから。

その曲の伝えたい事が、あなたがあなたに伝えたい事だと思って欲しい。

毎朝起きるたびに、私は最高の喜びを感じる。「サルバドール・ダリである」という喜びを

闇鍋みたいなもんですよ、人生。何入ってるかわかんないけどどれかつまんで食べるしかないみたいな

素晴らしい夢ほど笑われるものです。 もし、他人に自分の夢を笑われたら「あぁ、自分の夢は素晴らしいんだ」っと誇ってください。

熱帯の夜の静寂の中で、私が私の心からの囁きと柔軟な音楽を聞くことができます

私は憧れの人になれないけど、私は私になれたし、よかった

自分を好きになれない奴が、どうあがいたって好きになってはもらえないだろうな、きっと。

Everything will be okay in the end. If it’s not okay, it’s not the end.
最後には全て上手くいくよ。もし上手くいっていないのなら、それは最後じゃないってことだ。

私は同時に他人の自由をも目標にするのでなければ、自分の自由を目標にすることはできない

この余白にたくさんの文字を書いたけど、沢山消した。俺の喉から貴方の耳まで新しい唄がお使いに行く。俺の唄は迷わないから、俺も心配しない。いってらっしゃい。

情欲に流されるのはいい。だけど、流されているという自覚を持つんだ

「ヒットさせなきゃ」とかはないです。ただ、自分自身が毎回前作を超えたいだけで。

百の欠点を無くしている暇があるなら、一つの長所を伸した方がいい

絵を描くのは人生に耐えるための手段だ

俺には夢があるんだ!それは、この世界中から戦争が無くなること、それが俺の夢です!

自然には未だ知られていない諸力がある。我々が自分自身の余すことなき全てを自然へ委ねるとき、自然はそれらの力を我々に貸してくれる。我々の眼では見えず、知性でも理解・推測できないその諸力の形相を示してくれる

他の人間はなぜそうなったかを問う。私はいつも何ができるのか、なぜできないのかを問う

明日は明日の風が吹くんだ。明日の風には誰も逆らえないぜ。今日を生きるしかないだろう。明日も生きてるとは限らないしな。

神なんて全くその辺の芸術家と変わらない。キリン作ってゾウ作ってネコだろう。様式もへたくれもありゃしない。前と違うもの延々と作り続けてるだけ

夢はぶれずにいることなんです。わたしにとってはいちばん大切なのです。

絶対に誰かと肩がぶつかる。でも『ごめんね』って言うしかないんです。『ごめんね、でも俺も生きてるし、お前も生きてるからさぁ』って。『お互い痛いわけだしさぁ』っていうね。そういうのをお互いが感じるんだと思います。そういう肩がぶつかったその痛みすら、俺は愛しいと思えるんです。確実に自分も存在してるし、その人も存在してるから。肩がぶつかるよりも、抱き合えたら1番嬉しいんですけど。

俺の喜びはいつか忘れるもんばかりだった。でも忘れたくない。

マンホールをずっと撮っている林丈二さんも、オートになってから奥さんに「ちょっと、あなたの写真、最近、あんまりよくない」って言われたらしいです。どっかに出ちゃうんですね。何でしょうね。自覚して使えばいいんだけど、カメラの機能に寄りかかって撮っちゃうとダメなんでしょうね。何にでもそういうことはいえますね

現代人の欠点は自分の職業に愛と誇りを持っていないことである。多くの人が職業を必要悪の労役苦役と考えている

アクシデントが起きると、人はそれを変えようとするが、人には変えることが出来ない。アクシデントが人の内面を明らかにするだけだ

明日に延ばしてもいいのは、やり残して死んでもかまわないことだけ

簡単なことを完璧にやる忍耐力の持ち主だけが、いつも困難なことを軽々とこなす熟練を身につける

20代で音楽的に成熟したものや洗練されたものを書くには生意気に見えてしまいそうでしょう。20代は本当にずーっと困っているという感じでした。30歳くらいから力加減を探っていけるようになってきて、ここ数年でやっと、等身大の仕事をするようになってこれた気がしています。すると今度は体力が落ちてきて……ねえ、人生って。それも全部描くしかないです。

学とはならうということで、すぐれた人物の立派な行いを習い、みずからもそれを実行していくことである

もって行かれるぞ。甘い考えで生きてるとあっという間にもって行かれてしまう。この国をたて直すためには戦争をするしかないと考える人間がたくさん居るんだ。

自然は至上の建築物である。自然の一切は最も美しい釣り合いをもって建てられている

仕事のやり方を変えるのではなく、仕事の意味を考えなさい

The rumors of my death have been greatly exaggerated.
俺の死の噂は大げさに語られている。

儚いって言う字は『人』の『夢』っていう形をしているけれどそんなものぶち壊して、ざまぁ見ろって言ってやりな。

何か感じたり思ったりしたことっていうのは、将来の何かに影響してんだよな

While they were saying among themselves it cannot be done, it was done.
不可能だとみんなが内輪で言っている間に、それはなされました。

お客が来なくなったらバイトすりゃいい

今日と明日と明後日のことぐらいを考えていればいいんだよ。

死ぬと分かってて戦うのが一人前の男って訳じゃない。男なら命を張る場面はきっと来る。お前にその時が来たら、思いきりやればいい。

意味もなく生まれてきた人は一人もいない!自分でも気付かないんだ。だから自分らしい生き方をしろ!

子どものころから、四角形に対する漠然とした疑問はありましたね

もともと人は全員、孤独なんだよ

信念のためには、たとえ敗れると分かっていても、おのれを貫くそういう精神の高貴さがなくて、何が人間ぞと僕は言いたいんだ

音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う。

変わるっていうのはそんな大きな話じゃなくて。今日の夜から、母ちゃんにありがとうって言ってみるとか、言えなかったひと言を言ってみるとか…。100年後、ここにいる全員がいないから、たぶんね。それぐらいあっという間のことなんだよ。
