


ブルースを忘れない方がいい。いろいろな名前の音楽が流行するけれど基本はすべてブルースなのだ

人の本当の仕事は30歳になってから始まる

ビートルズとか音楽は、暗いほう暗いほうに行きがちな自分を包んでくれる

「絵になる風景」を探すな。よく見ると、どんな自然でも美しい

音楽を創る上で一番大切な感受性は習って身につくものではない

リミッターってさ、取れた瞬間にその存在に気づくよね

作詞には苦しむことが多いです。曲がもともと持っている性格みたいなものは自分でコントロールしてるわけじゃない。自然に持ってるもので、それをいかに感じ取ってふさわしいものにするか。ふさわしい詞というのはもともと決まっているようなものという認識。

で、みんなが「そうやるべき」だなんてことは全然ない。好きにすればいい。俺はどうするかは、俺が決める。それが売れるとか売れないとか、そういうことじゃなくて、自分が恥ずかしいと思わないように、書き続けるだけ。毎回、たったひとりの場所からそれをやる。

私は死ぬまで、死ぬことについて、そして生きることについて、考えていると思う。

なんで嫌な時に笑ってんだよ。なんで悲しいのに笑ってんだよ。泣きたい時は泣いて、笑うときにバカみたいに笑えよ

もともと人は全員、孤独なんだよ

人生には不愉快な事柄が多い。だからこれ以上、不愉快なものを作る必要はない

普段の生活が幸せならいいんだよ。だけど、本当につらいときに聴いてみな。ROCKはお前等を救うよ

あせってはなかったね。いつでも出来るし、やり始めたら一瞬だって思ったから

世間が決して飽きない唯一のものは誇張表現だ

愛することは、愛されること

考えられないですよ、東京事変がない状態って。いろんな意味で、どうしても、こうしなきゃいけなかったというか。うーん、抗えなかった。避ける道がなかったと思いますけどね。

批評家は常に比較する。比較できないもの、つまり「類まれなもの」はそこからすり抜ける

昔のファミコンの音楽は、3音しかありません。だから、本当に必要な音だけを残す作業を行いました

基本と原則に則っていないものは、かならず破綻する

アーティストの生き方を曲に乗せて、憧れていただく。あたしは全然そういうのやってないんだけど、語られる時にすごく良くないもののように、見世物のように言われますが、実際にはその時お客さんが欲してらっしゃる、期待してきたものであり、それを超えるものでなければいけないと思ってます。こちらの生活、暮らしとか気分とか、そういったものは一切知られてはいけない。それが芸。

聴く人がどう受け止めるかは、聴く人の自由

過去のバンドの名前や音楽を具体的に挙げて、こういうふうにしようと話し合ったことはない。やりたいときに、やりたいことを、やりたいようにやる。そんな自由さを失わずにいこう、みたいなことは話したけど。

(「日出処」のタイトルについて)意味としては、「メーン・ストリート、目抜き通りを闊歩したいと願っている人物の、色んな瞬間を切り取った曲たち」という風にストーリーをつくりたかったんです

私は仕事をしているとくつろげる。何もしていなかったり、訪問客の相手をしていたりすると疲れる

組織の活動というのは、「いかに世の中に貢献していくか」という一点に集約される

本物の涙は、悲しい一ページからではなく、見事に置かれた言葉の奇跡から引き出される

やっぱりその時(写真を撮った時)に「良い」と気が付くのは感覚というか、その時の感受性ですからね。それがないとゴミはゴミのままなんですね。実際にゴミだったのかも知れないし、わからないですよね。写真は固定されたものではないっていうのを実感しますね

ロックだろうが、ポップだろうが関係ねぇよ。『プラネタリウム』は『プラネタリウム』だよ。(プラネタリウムについて)

私は対象を見えるようにではなく、私が思うように描くのだ

確かに……一度 “黒” に染まったモンはどこまでいっても “黒” や。そっから抜けることはできん。けどな、それでも噛みつく相手選ぶくらいはできる。それが俺の流儀や

悪貨は良貨を駆逐するという原理と同じで、形式は実質を駆逐する

日々楽しく、面白おかしく暮らしたい(笑)

私は大理石の石塊を選び、必要としないものは何でも切り落とす

曲って自分の子供みたいなもんでさ、自分から生み出したものだけど喧嘩して遠ざけたり、仲直りしたりして、時には向き合うことができなくなったりもして。

ゲームと違って、人生には決まった攻略法はありません

Life is an exciting business, and most exciting when it is lived for others.
人生は胸おどるものです。そしてもっともワクワクするのは、人のために生きるときです。

たとえ僕の人生が負け戦であっても、僕は最後まで戦いたいんだ

内を見るよりも外を見るほうが易しい。しかもそのほうが賢い

数曲唄って思ったけど、見える・見えないの問題じゃねぇな。きっと、何処にでも届いてると思う。

他人というものがいなければ「一人が一番好き」っという気持ちもない訳で、そして一人の良さなんてわからない訳で。 その台詞はつまり、他人というものを一番意識していて、一番人とのつながりを求めている人なんじゃないのかなと。

(作曲家として)僕は、子どもの頃に「ベートーベン」というスゴイご馳走の味をいっぱい覚えたのが、本当にありがたい

As selfishness and complaint pervert the mind, so love with its joy clears and sharpens the vision.
わがままと不平は、心を歪めたり曇ったりさせるように、 愛の喜びは視界をクリアにし、鋭敏にさせる。

ようやく何かわかりかけてきたような気がする。私はまだ、進歩している

あいつが…運命と闘うなら…、俺はあいつのために、命張ってやろうと思うんだ。

売れているものが良いものなら、世界一のラーメンはカップラーメンだよ。

我々が行動可能なのは現在であり、また未来のみである

急成長会社では無能な者が要職にいる。会社の成長についていけなかった人々である

生きてりゃ、そりゃあシラケるだろう

全部は混沌としてるから面白い

迷い、夢見ることをはばかるな。高い志向はしばしば子供じみた遊びの中にあるのだ

勉、つとめるというのは、自己の力を出し尽し、目的を達成するまではどこまでも続けるという意味合いを含んだ文字である

未来は真っ暗。 お先真っ暗というのはすげー前向きな言葉だよ。真っ暗なんだよ。どこがいけないんだよ。そん中に すっげー誰も見たことがない、どんなに勉強したってわかりっこない、 素晴らしいものが隠れてるかもしんない。 真っ暗ってことはいいねえ。みんな平等で。

いかなる革命も、3日目から堕落が始まる

安定とか定着ならこっちから願い下げだ。媚びるのも飼いならされるのもごめんだ。すごいシンプルにいこう。作家は作れなければ死ぬだけだ。そのルールに異論は全くない。やったろうじゃんか

楽しめてるって事はカッコいいんじゃねえかな

音楽家は勉強が好きじゃないと務まらない仕事

ジャンルがどうとかじゃなくて、音楽全般、様々な角度と方向にどんどん広がってほしいと思う。限りある音楽ファンを奪い合うイメージで話しちゃうとどんどん貧しくなるけど、そもそも、音楽文化自体にそれほど興味を持ってもらえてないってのは骨身に沁みてる。

期限までに毎日どのくらいのペースでやっていかなければならないか考える

直観力と想像力を、抑え込んではならない

突破口は1つしかないんだ。ほかにもう道はないんだ。ロックンロールしかないんだよ。それがわかったときにさ、そこにやっぱり全身全霊を傾けるしかないじゃん。

作曲の際はパソコンを使って作業しています。もちろん昔は五線紙に鉛筆で楽譜を書いていました

幹部の仕事と知識とは、あまり関係はない

(バンド活動においての演奏技術など)スマートにできない分、ぶつかって行くしかない、気持ちで行くしかない

チャンスとは一つのことに心に集中することによって、かろうじて見つけることができるものである

もし婦人の乳ぶさと尻がなかったら、私は絵を描かなかったかもしれない

やった分しか、返ってこない。適当にやっていて、超ラッキーでこんなすごいことになっちゃいましたってことは絶対ないよ。そんなに甘くないから。

絵というものはぼくにとって、愛すべきもの、愉しくて美しいものでなければならないんだよ。そう、美しいものだ!人生には厭なことが多すぎるんでね、これ以上厭なものなんかこしらえたくないんだよ

未来を予知しようとすることは、夜中に田舎道をライトもつけずに走りながら、後ろの窓から外を見るようなものである

私は今、生きようと努めている。というよりも、どのように生きるかを、私の中の死に教えようとしている

俺達が、日本のミッシェル・ガン・エレファントだー!(98年フジロックにて)

自分の好きな音を勝手に出す、出したい音を出したらいい

『自分の謎』で言っているような、自分への不思議な感覚というのはみんなもっているはずだけど、ほかの遊びに忙しくなって、どんどん忘れていっちゃう。でもその感覚ってどこかには残ってるんですね

私は、愛したいと思いながら、それができない。私は、愛すまいと思いながら、それができない

モノを作るというのは、そういう多様な面を併せ持った自分を総動員させながらも、本人が意識しているものを剥ぎ取ったところに妙味が出るものなのではないだろうか

経験も知識も上手く活かせないと意味がない。 自分を狭めてしまうような経験だったら、豊富にならない方がいい

後世必ず吾が心を知り、吾が志を憐み、吾が道を信ずる者あらんか

我々は脳をブン投げて、ただ目だけで見ることができればいいのだが

手には、物を掴む手と放す手がある

音楽でも童謡とか、誰が作ったかもわからないものが残っているのは、すごく素敵やなと思うんです

自然は常に完全である。決してまちがわない。まちがいは我々の立脚点、視点の方にある

どんな偉い奴が来ても君は君の夢を主張できるかい? 俺は主張できるよ

出産じゃなくても、女の人にはあることだと思いますよ。(感覚ではなく)頭で理解しようとしちゃう瞬間が、人生で何度かあるんじゃないでしょうか。大きな選択っていうか

5年も6年も前の曲。これから歌う曲。この曲書いたときあぁ夢見てるんだねっていわれた。夢追いかけてると必ず言われることがあんだ。お前らも言われてると思う。俺らもよく言われた。今でも言われんだ。[大人になれ]って。でも大人になったからって夢みないってのとは違うと思うんだ

イメージの共有がしたいだけなんだ。言葉の共有じゃなくてどこかもやもやっとしたイメージをひねりだして曲にする。そのもやもやを共有したいだけなんだ。それで「生きてやるぜ!」って思ってもらえれば、「生きるっていいな」と思ってくれればそれでいいです。

この曲はもう一回は出来ねぇんだ申し訳ねぇ…出来ねぇなぁ。だけど俺たちとお前らで出来ないことが、出来なかったことがあってもいいじゃん。次はうまくやろうぜ

『無罪モラトリアム』の意味は、一個の人間としてまだ社会に出なくても許されてる立場の人間。さらに「無罪」って言って、立場的にも生きてる事が許されるんだって付け足したかった

ありとあらゆる感覚を総動員させ、自分を限界まで追い込んでいく

私は絵の中で、音楽のように何か心慰めるものを表現したい

僕は一生のうちに一晩でいいからあんなふうに歌えたら、死んでもいいと思った。

運を信じるしかない。そうでなければ、気にくわない人たちの成功をどう説明すればいいのだ

音楽は心のタイムマシーン。 〜中略〜 音楽を聴くことによって、その音楽に初めて触れたとき、音楽で何かを感じたとき、そのときの気持ちに、それが10年前であろうと20年前であろうと一瞬にしてパーンとその人をその時の気持や情景に送り込むことができる

ツアーなのにウィークデーに東京に戻ってくるのは、旅している感じが全然しないんだよね。車で走り回って、その土地の美味くて安いものを探しにいく。夜はそこで待っている仲間たちと音楽を楽しんで、酒を飲んで寝るみたいな3ヶ月。こんな人生、なかなかないでしょう

負けず嫌いなので、自分の人生には刺激が足りない、喜怒哀楽においてのすべての感情が足りない

そもそも老人力とは、転んでもただでは起きない力のことである。というか、そもそも老人とは、人が間断なくゆっくりと転んでいく状態のことなのである。気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常。例外はない。時期のずれや度合いの違いはあるにしても、人類の全員がゆるゆると、やんわりと、気がつけば転んでいる状態なのだ

The heresy of one age becomes the orthodoxy of the next.
ある時代の異端は、次の時代の正統になるのです。

一番美しい絵は、寝床のなかでパイプをくゆらしながら夢見て、決して実現しない絵だ

画家がどれだけ素晴らしいパレットを持っていても意味がない。大事なのは、どんな眼を持っているかなんだ
