


自然は常に完全である。決してまちがわない。まちがいは我々の立脚点、視点の方にある

ロックンロールは吐き出した瞬間と受け取る瞬間があって、受け取った瞬間に完成するものだとは思ってる。僕の出すロックンロールは僕だけでは未完成なんだよ。聴く人がいてその人の心の奥の中で完成する

福島っていうからには…やっぱり福がいっぱいあるんでしょうねぇ。(福島ライブにて)

「人生っていうのは勝手に与えられるんだから、自分が追求してもいいんだ。幸せ追求権ってあるだろう!」と思ったんですね。

私にとってはテレビは想像できるものしか映らない画面の一種でしかない

約束の額だ・・・悪く思うな。

犬や猫は偶然など当たり前のこととして、偶然の海をゆったりと泳いでいるのではないだろうか

なんか最近いろんなことが理屈っぽくなってるじゃない。でも人をふさぎ込ませるものなんてそんなになくていいんだよ。悲しいことは世の中にいっぱいあるんだから。

大切な人がいなくなっても、それは無じゃなくて“空っぽ”があるんです。

歌だってそうなんだ。歌唱力がうまいへたではなくってね、ちゃんとあなたのところに飛んでいくようなメロディを歌いたい

デッサンと色彩とは区別することはできぬもので、彩色をほどこすにつれてデッサンがなり、色彩が調和していくにつれてデッサンは正確になる。色彩が豊富になる時、形も充実する

一個気に入ったモノが見つかったらずっとそれでいいんだ。俺にはお前らしか要らねぇから

いかなる創造的活動も、はじめは破壊的活動だ

本物の画家というのは何もない砂漠で異常なシーンを描ける人だ

言葉は自由自在なので、聞き手や語り手によって自分も全く思ってもいない方向に変形してしまう面白さもあれば、それが自分の考えとは真逆に動きすぎて混乱しまう場合もあります

決断の場面においてはトップは常に孤独である

沖縄じゃどれだけ有名か知らねえが・・・そんな脅しが通る程、世の中甘くねえぜ。

これも人生経験。この新しいブルースを楽しむような気持ちで治療(喉頭癌)に専念したい。

現実とつじつまが合わないイノベーションを手掛けてはいけない。そのようなイノベーションが実を結ぶことは希である。たんにその新奇さのゆえに、魅力的に見えることが少なくない。しかし、それらの多くはたとえ失敗しなくとも、莫大な資金と時間を要する

心に鍵をかけてるひと。かけすぎて人と話すのが苦手になったりしてる人。自殺をしようとした事がある人。俺はそのままでもいいと思うよ。かっこ良いと思うよ。でもどうか生き延びてください

アバウトは健康にいい

壊れたギリシアの彫刻は、多くの傑作に分かたれた傑作です

聴く人がどう受け止めるかは、聴く人の自由

要は自分次第なんですよ 世の中君の映るように映る 君の感じるように感じる 君が変えれば変えるほど 変わってく。

明日からさ、また頑張れよ。お前らの周りにはさクソみたいにどうしようもないヤツがいるだろ? そんなのに限って良い点取ったりすげぇ稼いだりするんだよな。そんなのにぜってぇ負けんじゃねぇぞ

人間の運命は人間の手中にある

むしろ「成功は失敗のもと」と逆に言いたい。その方が、この人生の面白さを正確に言いあてている

芸術家になるのは難しいことではない。内容を別にすれば、世間的には自分が決めればいいだけのことだ。誰からも認めてもらえなくても、己さえ納得していればいいのだから話は早い

俺もな、お前と一緒で目の前に困ってるガキがいると放っておけない性質なんだ

頑張ってる最中の奴を手助けしないで見守ることをみんなできるはずなのに、そこで水差すのはいいかっこしたいからじゃん。僕は私は、こういう困ってる人は見過ごせない。自分より弱い立場の人は絶対助けてあげなきゃいけないほど心の優しい人間です。そういう心の持ち主ですって他にアピールしたいだけじゃないの?恥を知れ!

自然に線は存在しない

この世の中すっげー頑張ってる奴らが上手くいかなかったり、だからとにかく俺達はまだまだこの世の中にぶっ壊したいものがたくさんあって、そういう奴らに中指立ててやっていくつもりなんで、またライブ見にきてやってください

のめり込み過ぎちゃうと、いざ自分が何か失敗した時に逃げ道がなくなって、音楽で失敗することが怖くなっちゃう

裏切られたなら落胆を味わえばいい。信じた先の素晴らしさを俺は知ってるから。

いかなる成果もあげられない人の方がよく働いている。成果の上がらない人は、第一に、ひとつの仕事に必要な時間を過小評価する。第二に、彼らは急ごうとする。第三に、彼らは同時にいくつかのことをしようとする

jupiterは「木星」の他にも「雨の神様」って意味があって、俺はその言葉がいいなって思って。「太陽の神様」じゃなくて「雨の神様」だって。じゃぁ、俺は皆を濡らしてやろうと。俺らは泣いてもいいんだよって言いたいバンドな訳だから。

究極の善、究極の悪、究極の価値がなければ、人間のある活動が別の活動よりも本質的に優っていることなどあり得ない。だから、全ての行為が同じ価値しか持っていないということを認めざるを得ない。とするなら、一つの行為を別の行為よりも優先させるのは、我々が自分で独自の選択を行っているからある

周囲より僕は歌の力ってのを信じてます。

運命に抵抗したってしょうがないんですよ。 どうしようもないんですよ。 そういう俺が「sailing day」で運命に抵抗って歌詞を書いてるんですよ。 だってその方が楽しいじゃないですか。

人は大きな目的を持ってこそ、おのずから大きくなれる

覚めていて夢みることは、眠っていて夢みることとほとんど同じである

最終的な完成形を頭の中でイメージしないで闇雲にキーボードを叩いても良い作品は生まれない

人生で最もすばらしい癒し、それが愛なのだ

これはほんとに昔っから思うんだけど、これがこうなったら幸せなのに、 あれがあったら幸せなのに、と思ってたら一生幸せになれないね。自分の問題だと思うんだ。もっともっと内面の問題だと思うんだ。今の状況を幸福だと思える心を 持った人が幸福なんやな。

運を信じるしかない。そうでなければ、気にくわない人たちの成功をどう説明すればいいのだ

直観力と想像力を、抑え込んではならない

我々は脳をブン投げて、ただ目だけで見ることができればいいのだが

癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた

『大切な人の死』という出来事は、大切な人が自分にくれる最後のプレゼントだと思います。どんな形の死であれ、僕はそう思います。だからこのプレゼントをいつまでも大切に愛することができます。

I do not want the peace which passeth understanding, I want the understanding which bringeth peace.
私は理解を超えた平穏を求めているのではありません。むしろ、平穏をもたらす理解を求めています。

本当に死んでもいいくらい好きって奴は、認められないなんてことで不平を言わないよね

「焦りすぎないでいいよ」と言われ焦った

誰にも何の役にも立たないではないか。絵、展覧会──それがいったい何になる

芸術は、意識と無意識の融合である

上手い歌なんか歌いたくないんだよな。いくらでもいるし。

Everything is clearer when you’re in love.
恋に落ちたら、何もかもがクリアになる。

Death is no more than passing from one room into another. But there’s a difference for me, you know. Because in that other room I shall be able to see.
死はただ一つの部屋から別の部屋へ移ることに過ぎません。しかし、私にとっては別です。なぜなら、その別の部屋ではきっと私は見ることができるからです。

インディーズの頃は、有名になって注目されたいとか、めっちゃ広い家に住みたいということが活力になってて

心ある 繊細すぎる魂を持つ人たちが一瞬でも「もうこの世に生きる意味はない」と感じることのない社会を 空気をみんなで作っていきたい。

みんな神話が好きだ。だから私の絵を愛するのだ

私はユダヤの偉大な指導者、モーゼのように約束の土地に入れるのでしょうか?わずかに進歩しましたが、なぜこんなに遅々として骨が折れるのでしょう。芸術とは、ほんとうに聖職者のように、それに全身全霊を捧げる純粋な人々を求めるものなのでしょうか?

情欲に流されるのはいい。だけど、流されているという自覚を持つんだ

完璧な青写真なるものは、二重に人を欺く。それは、問題を解決できないだけでなく、問題を隠すことによって、本当の解決を難しくする

ベートーベン、モーツアルトなどのクラシック音楽を全人類が200年以上聴いていてもまだ飽きないというのは、飽きない音楽の真髄

傷ついても裏切られても、人を最初から疑ってかかるような生き方はしたくないと思うんだよね。裏切られたりして傷つく部分と、すげぇ嬉しいと思う部分て心の同じ部分で、同じところが傷ついたり喜んだりしてるから、傷つかないように心にふたをしていってしまうと、喜びまで感じなくなってしまうんじゃないかなぁ

音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う

モノを作ることを職業としていくには、一つや二ついいものができるだけではダメだ

レコーディングするようになって18年。いまだにミックスってわからない。難しい。だからおもしろい。なんだろな。なんだろな。音楽っておもしろい。

空に手を掲げれば、俺はここに存在してるって信じられる気がする。それは必然ではないけれど、存在理由として必要だと思う。要は下ばかり見るなってことだ。

完璧を恐れるな。完璧になんてなれっこないんだから

空気の大事さなんて、なくなんないとわかんないですよ。溺れて初めて空気の美味さって感じるんですよ。なくなんないとわかんない大事さ。相手のことをそんなもの(空気みたいな存在)にしてしまったのかって思ってしまう。

顧客にとっての価値を想像してはならない。直に聞かなければならない

未来は誰のものでもない。先駆者というものはおらず、時間に遅れた者しかいないのだ

突破口は1つしかないんだ。ほかにもう道はないんだ。ロックンロールしかないんだよ。それがわかったときにさ、そこにやっぱり全身全霊を傾けるしかないじゃん。

選んだ道のその先よりも、選ばなかった道の運命を考えることの方が多い

人それぞれに求めるものは違うけど、それでいいんじゃないか。自分の思うようにすればいい

偉業は一時的な衝動でなされるものではなく、小さなことの積み重ねによって成し遂げられるのだ

今日此処に来たかったけど、チケット取れなかったヤツが沢山いるの分かってるから。そんなヤツらにも届くように唄ってるから。

「久しぶりィ、四つの国ィ」「サロンでキティだぜ!」(松山サロンキティライブにて)

私たちは生涯、忠義を尽くし、御恩に報いる目的で一切の艱難を乗り越えなければならない

詩人は未来を回想する

幼稚な心を取り去らなければならない。自己の修業を怠り、父母への依頼心を持つなどは幼稚な心である

目の前で襲われてる女の子を黙ってみてられるほど、俺は大人やないんや。

ロックは世界を変えることができない!世界を変えるのはお前らだ

最初にして最高の聴き手は自分自身

みんなの愛にこたえてちゃんと元気になるから、全然大丈夫だよ。心配しないで待っててね

曲が浮かぶのは、いつも本当に突然です

昔、メーカーさんがよく、「アルバムアーティスト」という言葉を使われていたでしょう。私がデビューした頃はそういう言葉が残っており、自分はそれだと自負していたんです。シングル曲がアルバム内で違った匂いを発するよう、意図して構成するとき、「これこそが私の本業の終点だ」と感じたりします。

コピーとかカバーっていうのもそうで、曲をカバーするんじゃなくて、そこにある熱をカバーするんだよ。

When we do the best that we can, we never know what miracle is wrought in our life, or in the life of another.
ベストを尽くしてみると、あなたの人生にも他人の人生にも思いがけない奇跡が起こるかもしれません。

俺はマコトを殺せへんかった……俺にはマコトを生かした責任があるんや。ただ命があったらええってことやない。人として生かさなアカン責任や。極道の食い物にはさせへん……!

郡山って水うまいの?(06年 HipShotJAPANライブ中にて)

人生は継続的なパーティーでなければいけないと思う

愛は永久不滅なもの。姿かたちを変えることはあるが、本質は決して変わらない

私は大理石の石塊を選び、必要としないものは何でも切り落とす

僕たちの小さな情動が僕たちの人生の偉大な船長であることを、また僕たちは意識することなくこの小さな情動にしたがっていることを忘れないようにしよう

私は「わかってたまるか」っていうことをやるのも面白いと思ってます。いまだに

5年も6年も前の曲。これから歌う曲。この曲書いたときあぁ夢見てるんだねっていわれた。夢追いかけてると必ず言われることがあんだ。お前らも言われてると思う。俺らもよく言われた。今でも言われんだ。[大人になれ]って。でも大人になったからって夢みないってのとは違うと思うんだ
