


(スーツもシャツもネクタイも黒だったので「真っ黒だね!」と客に言われた後)ああ、黒人だからな。(97年TOKYO COOL CAMP)

ちょっと力抜いちゃうと(ライブ会場の雰囲気に)飲まれそうになっちゃうから、ずっと気を張っていなくちゃいけない

音楽は心のタイムマシーン。 〜中略〜 音楽を聴くことによって、その音楽に初めて触れたとき、音楽で何かを感じたとき、そのときの気持ちに、それが10年前であろうと20年前であろうと一瞬にしてパーンとその人をその時の気持や情景に送り込むことができる

芸術は悲しみと苦しみから生まれる

全部は混沌としてるから面白い

自分を混乱させるような何かが欲しい。それによって私は新しいものを生み出す

目標に達するまでの道筋を多くしないこと

人間、しがみついてでも、這いつくばってでも、生きることに価値があるんだ。分かるか?

「病気になったのは罰なんだ」「人の言うことを聞かないからこういうことになるんだ」と、自分を責める気持ちから曲が生まれた。ネガティブな気持ちを書いている。

何もかも切り離さずにやってる人たちはたくさんいるよ。ずっと、ちゃんと、いる。

筋肉で力任せに殴るよりも、腰を入れて体重の乗ったストレートの方がズドンと重いじゃないですか

結局ね、夢はみんなもってると思うんですよ。だけど、その夢の見方としてね、ただボーっとそれこそテレビで見てるだけで『あぁ、こんな事いいなぁ』みたいな見方と、それから実際にやってみようとして夢の実現に一歩近づくために何か行動をおこす。

複雑なものはうまくいかない

聴いてる音楽とやってる音楽がつながらなくても、それはどうでもいいんです。

昔、俺はずっとシャイだったが、世の中が超シャイになってしまった現代ではとても図々しいロック・スター・オヤジに見えるらしい。

妙に前向きになるのはなぜだろう。心配はしないでくれ。このくらいのこと(癌が腰に転移したこと)は覚悟してた。

友人の中にも損友と益友がある。益友とは自分の欠点を遠慮なく告げてくれる友のことである。益友の印象は悪い。時には自分の感情を害する言行もあるが、大切にしなければならない。益友の言葉により自分を正しい道に導き、欠点に気付き、矯正するのがよい

なんとなくこうなる気はしとったやろ、吾朗!泣いたらあかん、泣いたらあかんで!

もし婦人の乳ぶさと尻がなかったら、私は絵を描かなかったかもしれない

Everything will be okay in the end. If it’s not okay, it’s not the end.
最後には全て上手くいくよ。もし上手くいっていないのなら、それは最後じゃないってことだ。

何があっても、賛成反対両方あるのは自然

逃げない、はればれと立ち向かう、それが僕のモットーだ

言いたいことは言う。 その時は心を込めて言う。

ブルースを忘れない方がいい。いろいろな名前の音楽が流行するけれど基本はすべてブルースなのだ

集中が必要なのは、仕事の本質と人間の本質による。いくつかの理由はすでに明らかである。貢献を行うための時間よりも、行わなければならない貢献の方が多いからである

It is for us to pray not for tasks equal to our powers, but for powers equal to our tasks, to go forward with a great desire forever beating at the door of our hearts as we travel toward our distant goal.
私たちは、自分の力に見合った課題を願うのではなく、課題に見合った力を願うべきです。心の扉を叩き続ける強い願望と共に、遠い目標に向かって旅を進めるのです。

明日のための今日じゃありません。今日のための今日です

常に非現実を生きてる気がしてならないなぁ。本当にこれ、私の生活か?

Prime Minister: Whenever I get gloomy with the state of the world, I think about the arrivals gate at Heathrow Airport. General opinion’s starting to make out that we live in a world of hatred and greed, but I don’t see that. It seems to me that love is everywhere. Often, it’s not particularly dignified or newsworthy, but it’s always there – fathers and sons, mothers and daughters, husbands and wives, boyfriends, girlfriends, old friends. When the planes hit the Twin Towers, as far as I know, none of the phone calls from the people on board were messages of hate or revenge – they were all messages of love. If you look for it, I’ve got a sneaky feeling you’ll find that love actually is all around.
デイヴィッド「私は世界のことを考えて落ち込むと、ヒースロー空港の到着ゲートのことを考える。有識者は、世界が憎しみや強欲で満ちているというけれど、私はそうは思わない。愛があちこちに存在していると思う。神々しいわけでも、ニュース性があるわけでもないが、愛はいつもそこにある。父と子、母と娘、夫と妻、彼氏と彼女、旧友。飛行機がツインタワーに突入したときでさえ、私の知る限りは誰も憎しみや復讐に満ちたメッセージを電話で送ったりはしなかった。それは愛のメッセージだった。見つけたかったら、探そうとしなくても、実は愛はいたるところで見つけられる」

常に悲しみを要求する人生に対して、僕らにできる最上のことは、小さな不幸を滑稽だと思い、また大きな悲しみをも笑い飛ばすことだ

成果をあげる者は、時間が制約要因であることを知っている。あらゆるプロセスにおいて、成果の限界を規定するものは、最も欠乏した資源である。それが時間である

周りからどんなにバカに見られたって俺らが楽しけりゃ俺らの勝ちだよな

考えられないですよ、東京事変がない状態って。いろんな意味で、どうしても、こうしなきゃいけなかったというか。うーん、抗えなかった。避ける道がなかったと思いますけどね。

有益な言葉は飾り気のない口から出ることが多い

私は天才になるし、世界は私を称賛するだろう。評価されないかもしれないし、理解されないかもしれない。しかし天才になる、偉大な天才にね。なぜなら私はそのことを確信しているからさ

問題の分析によって解決案が一つしか見つからなければ、その解決案は先入観に理屈をつけたにすぎないものと疑うべきである

人間生きてりゃ、終わりなんて無い。いつだってやり直せるんだ。

俺も好きなバンドには一方的な想いをぶつける

「大丈夫、なにもかも上手くいく」なんて、口が裂けても言えない。でも俺が見ている世界の中で、本当に前向きな、魂が楽になれる言葉を綴ったつもり

私は今、生きようと努めている。というよりも、どのように生きるかを、私の中の死に教えようとしている

なんで一番光るのが一番最後でさあ、なんでそれを僕らがここで見た時にはもう手遅れなんだろう?って。ほんとに子供心ながらにせつなすぎて愛しすぎて。全部そうじゃないですか。人の死んじゃう時とか、もうバイバイしなきゃいけない時とか。だから、あの…適当に生きてちゃダメですね。(supernovaについて)

喧嘩に必要なのは、強さじゃなく、慣れているかどうかだ

監督の意向に従うことは大事だが、望んでいる通りのものを書いていたのではいけない

大切なことは混沌を拡大することだ。混沌を消し去ってはいけない

市場において目指すべき地位は、最大ではなく、最適である

死ぬなとは言わないし、悩むなとも言わない。近道がしたいならすればいい。でも、そこで全部が終わる。我慢してきた努力も未来も夢もやり残したことも記憶も肉体も全部全部。

僕らは、今存在している人達は皆、存在する事を選んだ人達だと思います。

僕の場合、作曲の作業に入っているときは生活も一定のペースを保ち、できるだけ規則的に坦々と過ごすように心がけている

笑ってくれりゃあ本望だよ

笑いどころやないかい!笑えや このボケェ!!

手ぇ離せや。俺はもう誰の命令も聞かん。あの娘のことはもうほっといたれ。これ以上 手ぇ出すんやったら嶋野の親父やろうが殺すで 俺は……

選択肢を前にした若者が答えるべき問題は、正確には、何をしたらよいかではなく、自分を使って何をしたいかである

凡庸な人間が自然を模写しても決して芸術品にはなりません。それは彼が「見」ないで眺めるからです

自分にいろんな矛盾があることが当然

孤独であって、充実している、そういうのが人間だ

やるからにはナンバーワンを目指したい

俺らはハリウッドスターほど会えない人達ではない。現に俺らは曲で君達のそばにいるから

自分が自分自身に出会う、彼女が彼女自身に出会う、お互いが相手の中に自分自身を発見する。それが運命的な出会いというものだ

運命というのもひょっとしてウィルスみたいなものではないだろうか。それ自体では何事も起きないけど、他の実力をもったサルモネラ菌や、あるいは紙幣や、恋文や、試験の答案用紙や、いろんな物につくことで、それを動かす。でもそれ自体は姿も形もなくて、見ることができない

運命に耐えているとき、そこに真理が見える

頭を使いすぎると楽しくなくなる。それより 大事なのはココ(胸を叩いて)じゃん。誰にも譲れねぇってものが1つや2つ絶対あるだろ。それを大事にしてやろうぜ

好きだから、大切だからこそ人は高いところを目指す

どうせやり切るなら極限までやっちゃえ!

自分のなかに自分だけが感じている匂いみたいなものだとか、あると思うんですけど

人は、まず当たり前の作品に対してでも、ある程度は尊重して、それも少しは何かを表していることを認めなければいけない。そして、大いに努力しなければ、その程度にすら到達できない

『自分にはなにもない』って言う人いるけど、そんなことない。コンビニの店員がいなかったら、お弁当あっためてもらえない、銭湯のおばちゃんがいなかったら、銭湯入れない。みんなやることやってる。それを誇りに持てよ!

アイディアは出発点以上のものではない。固まったらその先かたちを決めるのは思考だ

大人になって大好きな人ができて、今まで男の子とチョメチョメしてきたのがリハーサルだったのかと思うぐらい、「私はこの人のために、経験や知識やこれから学ぶこと全部を捧げなければいけない。捧げるべきなんだ」って心に決める。すごく本能的に感じるんですよね

人間にとって成長ないし発展とは、何に対して貢献すべきかを自らが決定できるようになることである

結局はひたすら考えるしかないという心境になっている

効果的な経営者の共通点は、ひたすらひとつの作業に集中する点にある。彼らは最も大切なことのみを行い、そのことが完了するまで、他の事に目を向けないという集中力を持っている

死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど、私はちっともいいと思っていなくて。

芸術は、盗作であるか革命であるか、そのいずれかだ

素描を通してのみわれわれは陰影の知識に到達する

最も重要なことから始めなさい

出会わなければ良かった出会いなんてきっとない…ないよ。

そやったわ。わし花粉症やったわ。

なんか最近いろんなことが理屈っぽくなってるじゃない。でも人をふさぎ込ませるものなんてそんなになくていいんだよ。悲しいことは世の中にいっぱいあるんだから。

音楽って難しいけど楽しいな。昨日今日でやってこと、明日全部やり直し。でも、そういうの嫌じゃない。多分、必要なプロセス。

持てる者は失うことを知り、幸せは苦しみを知る

人は幸運の時は偉大に見えるかもしれないが、真に向上するのは不運の時である

今が楽しいかどうかは自分が今を楽しんでいるかにかかっていること 目の前にある大事な事 見失うほど未来に目をやってしまうのはとても愚かな事

ほうきとか持ってエアギターとかしたりするわけじゃん、憧れて。それの延長なんだよ

んだ。学びは終わらない。んだ。

今日はジョン・レノンの命日。家に帰ってイマジンを聴く

幸福には翼がある。つないでおくことは難しい

腑に落ちた道を進んでいかないと、 苦労や失敗を背負い込む覚悟もできない

画家の質はその人の過去の経験の量に左右される

でたらめをやってごらん。口先では簡単にでたらめなら、と言うけれども、いざでたらめをやろうとすると、それができない

いかなる道でも効果が無くなると、最後の手段として剣が与えられてるのです。最高の財宝だけは、われわれは暴力に対して正当防衛をしてもよいのです

自分の置かれている環境を整備しないと、レベルというものは、いとも簡単に下がっていく

曲を書く際に、人を感動させようとか、美しいメロディーを書いてやろう、と考えているわけではない

音楽を創る上で一番大切な感受性は習って身につくものではない

好きなことだったらめんどくさくていいじゃない!

突破口は1つしかないんだ。ほかにもう道はないんだ。ロックンロールしかないんだよ。それがわかったときにさ、そこにやっぱり全身全霊を傾けるしかないじゃん。

「ロックな手と書いて岩手と読むんだぜ。」「あのさー、冷麺てなにでできてんの?原材料はなんなの?」(岩手ライブにて)

(名古屋の「な」はどういった字か、と客に確認した後)「何だよっ、知らねえよ!大体なー、『名前が古い屋根』だぞ? 何なんだよ?! ……『名前が古い屋根』って…シャチホコ? …で、シャチホコってなんだ? コイか? 」(名古屋ライブにて)

苦痛は短く、喜びは永遠である

Love is like a beautiful flower which I may not touch, but whose fragrance makes the garden a place of delight just the same.
愛は美しい花のようなもの。それに触れることはないかもしれないけれど、その香りは花と同じように庭を喜びの場所にしてくれます。