テクニックばかりに気を取られる人たちは全ておいてミスをする
ロックンロールは続いていくんだよ
その人がいい趣味をしてるかどうかを見極めるのは簡単だ。絨毯と眉毛がマッチしているかだ
成功する人間に必要な生まれつきの能力などありはしない。ただ、あなたが成し遂げたいことに、必要な能力だけを身につければいいのだ
あと二曲なんだよ。「え~!?」って気持ちも分かるぜ?その気持ちも分かるが、でもあと二曲を精一杯唄うからさ、お前等も精一杯楽しめ。また絶対来るからさ。な?
人生山あり谷ありでさぁ、今は山にいるかもしんねぇけど、いつかは絶対に谷になるんだ。お前らも絶対辛い時期があって、楽になりたいって思うときがあると思う。そういうのにあったときってさ、すーげぇいい人になっちゃうんだよ。もう傷つきたくないって思って、周りから愛されるようないい人に・・・でもそれって罠だから! いつまでも、何かに対抗する牙は捨てちゃなんねぇ。牙を抜くんじゃねぇぞ、牙を磨いとけよ! 最後まで油断すんなよ
急流中底の柱、即ち是れ大丈夫の心
なんかやろうと思えば、何でもできるもんやねー
「とりあえず、テレビのドラマに合った曲を書かなきゃいけない」とかって音楽の価値を下げることだと思う
僕の何かを信じた時の強さですか?信じるっていう感情の強さですか?行為の強さですか?ハンパないと思いますよ。
チャンスは鳥のようなものだ。飛び去らないうちに捕らえよ
死を忌まわしいものと考えて、遠ざけたがる。死の匂いのするものを隔離して暮らしていく。そうやって管理するのは便利だろうし、すごく現代的だと思うけど
(印象派について)彼らはもっぱらその装飾の結果のために、真実を妨害するように、自由なしで、色を使っています。彼らは目だけで物を見て、神秘的な思念を基にしていません。彼らは単に明日の公式画家です
カメラっていうのは難しいんですね。湿気が一番良くないんだけど、乾燥しすぎても良くないらしい。湿度調整する装置がありますけど、あれで安心しても良くないらしいとか。やっぱり、使っているのが一番良くて、しまい込むのが一番良くないんですね。人間と同じなんですね。人間だって引きこもってばかりじゃよくないしね
落ち込むのと失望は違うんよ。 だって、落ち込んでても夢や愛は信じとるもん。
アホくさ。喧嘩すんのは結構やが、もしウチのシマに入ってきたら・・・そん時は怪我するだけじゃすまへんで。
本当を言えば、すべてが思想で、すべてが象徴である
俺はいったい何がしたいんだ? なんでこんなんなってんだ? 答えはすごく簡単だ。これが自分の選んだ生きる道だからだ
問題の分析によって解決案が一つしか見つからなければ、その解決案は先入観に理屈をつけたにすぎないものと疑うべきである
ベイビーアイラブユーだぜ!
今までやってきたことを、ひとりひとりが一所懸命やることだよ
歌なんて誰でも歌えるからヴォーカリストになった。だから、誰にでも歌えるような歌しか歌わないんよ。
自分じゃない自分を出すのが怖い
ノスタルジアに屈してはならない。道に出て、隣町や外国に行くんだ。ただ、痛々しい過去を旅していけない
世の中を変えるには政治家になりゃいいとか自分に言い聞かせてたりするけど違う、おれらには音楽っていう武器がある
その曲の伝えたい事が、あなたがあなたに伝えたい事だと思って欲しい。
夏は嫌いなんだけど、夏の土の臭いが凄い好き
楽曲は成り行きだけど、僕とマーシーは20数年間、その成り行きの『成り行かせ方』をやってきた。スタジオに入った瞬間に、僕とマーシーの空気はあるんだと思う。今は4人でうまーい成り行かせ方をしてんじゃない?そんな気がする
自分の中で一度燃え上がった想いというのは、止めることが出来ない
頭を使いすぎると楽しくなくなる。それより 大事なのはココ(胸を叩いて)じゃん。誰にも譲れねぇってものが1つや2つ絶対あるだろ。それを大事にしてやろうぜ
芸術家を何とお思いか。画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。それはとんでもない勘違い。芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている
芸術は、われわれに自然が永遠であることを味わわせなければならない
優しくなりたいと思う人は、優しいんだと思います。
絵画というのは手で作った写真だ
最も重要なことから始めなさい
完璧を恐れるな。完璧になんてなれっこないんだから
よほど守らなきゃいけないものができるとか。自分の人生をすべて捧げなきゃいけない時が来るんですよね。
自由であるとは、自由であるべく呪われていることである
目立たないように目立たないように、さりげなくさりげなく自分の存在を消し続けた(高校)三年間
俺もお前らも不器用なんだから、だからとりあえず信じよう。それでもし裏切られたら傷つこう。それを繰り返すだけ
モネは、ひとえに眼にほかならない。しかし、何という眼だろう
コミュニケーションで一番大切なことは、相手が口にしていない言葉を聞き分ける力である
我々は脳をブン投げて、ただ目だけで見ることができればいいのだが
私は大理石の石塊を選び、必要としないものは何でも切り落とす
言いたいことは言う。 その時は心を込めて言う。
いったい何を見て来たんだい? その若さでミイラか? 可能性はどこにあるんだ? それは君の目で見て耳で聞いたものの中にしかないはずだ。
個人としての嗜好が投影された「普通にそのままのもの」っていうのがあるべきだと、私は思ってしまう
日本人の強みは、組織の構成員として、一種の「家族意識」を有することにある
10年後に生きている確率より明日生きている確率の方が高いので明日持つ夢が大事
愛しあう前と後では、火の消えたランプと火のともったランプほどの違いがある
いいかい、気をつけろよ。だまされんなよ。腐った奴らが増えているんだ。自分を見失わないで欲しいんだ
「出来ないこと」ではなく、「出来ること」に集中しなさい
僕はどんな完成の仕方をしてもその人の実力だと思う。聴く人の実力。だからみんなそれぞれ立派に仕上げてください。そこで自分が楽しい 最高じゃんと思ってくれたらすごく嬉しい。
好きなものを作る、それだけをやるってなるとブレない
「お客様は神様」ですから
聴く人がどう受け止めるかは、聴く人の自由
曲って自分の子供みたいなもんでさ、自分から生み出したものだけど喧嘩して遠ざけたり、仲直りしたりして、時には向き合うことができなくなったりもして。
幼稚な心を取り去らなければならない。自己の修業を怠り、父母への依頼心を持つなどは幼稚な心である
私が生まれるということは不条理である。私が死ぬということも不条理である
思い出すのは、あんまよくないよ
私の耳は貝から 海の響きを懐かしむ
死を怖れない者に何を怖れろというのだ
希望を捨てない方がいい。俺はサイコーなんだって信じるんだ。既成の概念なんか疑ってかかった方がいい。「なんでなんだ?」っていつも子供みたいに感じていたいぜ。
僕は楽しいから、成功していると思う
もし私が犬よりも猫が好きだというのなら、それは警察猫というものがいないからである
自然は無限に分割された神である。神と自然は、完全に相等しい二つの偉大な力である
教養ある人間は、勉強し続けなければならないということを自覚している
「人生っていうのは勝手に与えられるんだから、自分が追求してもいいんだ。幸せ追求権ってあるだろう!」と思ったんですね
仲間なんか居ねえって部屋の隅で泣いてるやつとか、もうすぐ学校卒業するやつとか、それで青春が終わると思ったら大間違いだからな! 必ず青春とか最高の時がくるからな!! だから音楽ずっと好きで居ろよ
大事は寄せ集められた小事によってなされる
自分がちゃんと物事をやってる時って人はさ、温和でいられるけど、自分が何もしてない時ほど人が醜く見えるモンだから。
大小様々な仮想敵を作って「XXXXよりこっちが良い!」みたいに比較するのではなくて、「楽しい!」とか「ヤベー!」とか、言葉にできない魅力とか、そういうことをシェアしたいなって思う。
何か新しいものを作るとき、それを作るのは実に複雑だから、作品はどうしても醜くなってしまうのだ
手ぇ離せや。俺はもう誰の命令も聞かん。あの娘のことはもうほっといたれ。これ以上 手ぇ出すんやったら嶋野の親父やろうが殺すで 俺は……
組織は常に進化していなくてはならない
前の方にいようが、そんなの関係ない。俺はそんなにやわに唄ってないからさ。
現状を把握しなければ未来は語れない
眠い人が眠るように、瀕死の人は死を必要としているのです。抵抗が間違いで無駄だというときが、いずれきますよ
自分に能力がないなんて決めて、引っ込んでしまっては駄目だ。なければ尚いい、今まで世の中で能力とか、才能なんて思われていたものを越えた、決意の凄みを見せてやる、というつもりでやればいいんだよ
女性はやっぱり、おいしそうなものにクンクンって吸い寄せられて、それで満腹になったら飽きて、別の方に行って。そういう風に生きていくものだと思うんです
徳川家康や武田信玄の本読むけどさ、こんなふうにやって生きて天下とったって、70・80で死ぬわけだしさ。
新潟…新しい『潟』…。『潟』ってどういう意味だーっ?! (新潟ライブにて)
それは所詮、極道の勝手な都合ってやつだ!
俺がホントについてるなぁとか幸せだなぁとか思うのは、周りにそうやって怒ってくれる人がたーくさんいるんですよね
神童。それは多くの場合、非常に想像力の豊かな親を持った子供のことである
作詞には苦しむことが多いです。曲がもともと持っている性格みたいなものは自分でコントロールしてるわけじゃない。自然に持ってるもので、それをいかに感じ取ってふさわしいものにするか。ふさわしい詞というのはもともと決まっているようなものという認識。
昔、メーカーさんがよく、「アルバムアーティスト」という言葉を使われていたでしょう。私がデビューした頃はそういう言葉が残っており、自分はそれだと自負していたんです。シングル曲がアルバム内で違った匂いを発するよう、意図して構成するとき、「これこそが私の本業の終点だ」と感じたりします。
情熱をもって君たちの使命を愛せよ。これより美しいことはない
Security is mostly a superstition. It does not exist in nature, nor do the children of men as a whole experience it. Avoiding danger is no safer in the long run than outright exposure. Life is either a daring adventure, or nothing.
安全とは思いこみにすぎない場合が多いのです。現実には安全というものは存在せず、子供たちも、誰一人として安全とは言えません。危険を避けるのも、危険に身をさらすのと同じくらい危険なのです。人生は危険に満ちた冒険か、もしくは無か、そのどちらかを選ぶ以外にはありません。