


この瞬間、瞬間に、若さとか、年よりとか、力があるないとか、才能とか、金とか、あらゆる条件を超えて、その持てるぎりぎりいっぱいの容量で挑み、生きるということだ

その日、歩ける一歩を歩くだけ

「夢は全部かなう」って僕は言うし、今でもそう本気で信じてる。夢はかならずかなう。かなわない夢はないよ。これ、本気だよ?1ミリもブレたことがない。100パーセント、誰の夢もかないます。

大小様々な仮想敵を作って「XXXXよりこっちが良い!」みたいに比較するのではなくて、「楽しい!」とか「ヤベー!」とか、言葉にできない魅力とか、そういうことをシェアしたいなって思う。

好きなことだったらめんどくさくていいじゃない!

人々を動機付ける能力がなくては、経営者とは言えない

自分の強さを実感している人は、謙虚になる

俺もな、お前と一緒で目の前に困ってるガキがいると放っておけない性質なんだ

何百万枚も売れるロックなんて、あんましロックじゃない

俺は強いヤツが好きや!俺に命令出来んのは強いヤツだけや!

幸せのまんま放っておいてほしい

俺は峯に教わったんだ。信じる心ってのは・・・人間死ぬ間際でも持てるんだってことを・・・!

真のマーケティングは顧客から出発する。すなわち人間、現実、欲求、価値から出発する

毎朝起きるたびに、私は最高の喜びを感じる。「サルバドール・ダリである」という喜びを

何かをうまく語ることは、何かをうまく描くことと同様に難しくもあり面白いものだ

俺の喜びはいつか忘れるもんばかりだった。でも忘れたくない。

時間を管理するには、まず自らの時間をどのように使っているかを知らなければならない

仕事じゃなくてもやるもんね!

期待なしに恋をするものだけが、真の恋を知る

お前は自分しか信じちゃいない。自分以外の人間を心から信じれない。だから人から愛されないんだ。

歴史上いかなる国においても、企業とくに大企業は株主のためにのみマネジメントすべきであるという主張はもちろん、主として株主のためにマネジメントすべきであるという主張さえ、主流になったことはない

(死は)誰でも迎えるものなのに、それを忌々しく言うのは変だし、滑稽だなって思います

We can do anything we want to if we stick to it long enough.
あきらめずにいれば、あなたが望む、どんなことだってできるものです。

映画を観てる時もご飯食べてる時も漫画読んでる時も友達と喋ってる時も、なんにもしていない時なんて特に、いつもいつも音楽のことを考えてる

jupiterは「木星」の他にも「雨の神様」って意味があって、俺はその言葉がいいなって思って。「太陽の神様」じゃなくて「雨の神様」だって。じゃぁ、俺は皆を濡らしてやろうと。俺らは泣いてもいいんだよって言いたいバンドな訳だから。

どうだ。内地の腰抜けのオッサンのパンチは痛かったか?

幸せじゃない瞬間も含めて、幸せだと思いますね。

本当に。自分は誤りのない人間だと例外化してしまうのが、いちばん恐ろしいことだなと自分を戒めます。あとは、発言や行いや考えを批判することと、人を非難することの違いを考えてます。この違いって、悩ましいんですが、結構大きいことなんじゃないかと思っていて。

楽曲を作ることの方が楽しい。それをいつ本業にできるかって最初から思ってた。

ようやく何かわかりかけてきたような気がする。私はまだ、進歩している

悪趣味とはクリエイティブなもので、生物学を知識で操るようなもの

お前らもありがとな。なんか、勘違いしてるやつがいたら言っといて。これが最後じゃないからね

人は幸運の時は偉大に見えるかもしれないが、真に向上するのは不運の時である

ただ大人たちにほめられるようなバカにはなりたくない

人間は毅然として、現実の運命に耐えていくべきだ

人生をね、棒に振りたいんだよ

自然は至上の建築物である。自然の一切は最も美しい釣り合いをもって建てられている

恥ずかしくない生き方はしたくないもんね。だから恥をかくんだよ

変わることをこばむのでなく、変われたことを褒めたいんだ。

いつもね 最新作が最高傑作なんだよ 僕の中ではいつもそうだよ

企業の目的は顧客創造である以上、企業の基本的な機能はマーケティングとイノベーションの2つしかなく、そのほかはすべてコストだ

お金なかったのでお母さんのお兄ちゃんにトラック運転してもらってトラックで上京した

非合理的な顧客なるものは存在しない。顧客は、顧客にとっての現実にもとづいて合理的に行動している

今までやってきたことを、ひとりひとりが一所懸命やることだよ

極端な話だけど、希望と絶望が同時に存在するのがいい日々だと思うんです。

我々はどこから来たのか?我々は何者なのか?我々はどこへ行くのか?

他人の価値観を尊重できないなら、自分の価値観なんて主張しちゃいけないと思う

(どうしてすぎやまこういちと平仮名なの?)漢字では椙山浩一と書くのですが、間違えて「まさやま」と読む人がいたり、「杉山」と書く人がいるので

自分が変わるんじゃなくて、変わり続ける何かが俺の中にいるんだよね。

芸術作品は、部屋を飾るためにあるのではない。敵との闘争における武器なのだ

著者の死後、彼の日記を読むことは、彼からの長い手紙を受け取るようなものだ

NUTOPIA has no land, no boundaries, no passports, only people.
ヌートピアには、国土も国境もパスポートも持たない。人々だけだ。

私の観察によれば、成果をあげる者は仕事からスタートしない。時間からスタートする。計画からもスタートしない。何に時間がとられているかを明らかにすることからスタートする。次に、時間を管理すべく自らの時間を奪おうとする非生産的な要素を退ける

こないだまでうつだったんだよ。みんなはうつにならないかもしれないが、僕はなるんだ。自分はなんて嫌な人間なんだろうって自己嫌悪になって…ずっと自分は変わっていると思ってたんだけど、みんなも良い所と悪い所があって、変わっていて、それが普通なんだよな。だから、僕も普通なんだって思えるようになりました

私はユダヤの偉大な指導者、モーゼのように約束の土地に入れるのでしょうか?わずかに進歩しましたが、なぜこんなに遅々として骨が折れるのでしょう。芸術とは、ほんとうに聖職者のように、それに全身全霊を捧げる純粋な人々を求めるものなのでしょうか?

いい歌をつくって、なんでも話せる友達がバンドメンバーで、気持ちをこめて歌って、聴いてくれる人をアッ!と言わせたい。それだけでいい

文学の偉大なる傑作とは、使えない辞書のようなものである

やりたい事やったもん勝ちなので全部やりたい

恋はその始まりがいつも美しすぎる。だから結末が決して良くないのも無理はない

太陽が輝くかぎり、希望もまた輝く

どんな悲しい事だって、明るい陽射しの中にあれば暗い夜の中にあるより、悲しくはないはずだ

運命というのもひょっとしてウィルスみたいなものではないだろうか。それ自体では何事も起きないけど、他の実力をもったサルモネラ菌や、あるいは紙幣や、恋文や、試験の答案用紙や、いろんな物につくことで、それを動かす。でもそれ自体は姿も形もなくて、見ることができない

今の音楽の置かれてる状況の事とか、悲しくなっちゃう所がありますよね。パソコンで150円で買えるとか、若い頃の自分にとって凄い高かった、3000円とか2800円っていう感覚、その感じがもう無いっていうのは、なんかちょっと悲しいですね。

私は「わかってたまるか」っていうことをやるのも面白いと思ってます。いまだに

芸術家にとって、自然の中に醜いものなど決して存在しない

世の中は悪くなっている。おそろしく退化している。何も考えない人間が増えている。甘ったれたバカが増殖している

We were a savage little lot, Liverpool kids, not pacifist or vegetarian or anything. But I feel I’ve gone beyond that, and that it was immature to be so prejudiced and believe in all the stereotypes.
俺たちは、リバプールの子供たちで、非暴力主義者でも菜食主義者でも何でもなかった。しかし、俺はそれを超えてきたと感じていて、偏見を持ち、全てのステレオタイプを信じることは未熟だったと思う。

誰もが芸術を理解しようとする。ならば、なぜ鳥の声を理解しようとはしないのか

ユーモアを失わないように戦うのだ。ユーモアの欠如は愚の骨頂だ

日本の文化っていうのは、常に「明日は知れぬ身」って考えるのが基本じゃないですか。

口先だけじゃ海を越えられないのさ

ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎

風景なら その中を散歩したくなるような、女性なら その人を抱きしめたくなるような、そんな絵を私は描きたい

だいたい世の中にある「もの」って用件のあるものですよね。でも、単に「もの」を道具としてみるのではなくて、ものの見方の楽しさを感じて欲しいと思います。こういうのってフィールドワークなんです

あなたの人生の灰色を消してごらん。そして内に秘めたカラーで彩るんだ

反原発集会へのお誘いも多かったけど、そういうところへ行って歌えば受けるの当たり前だし。目にみえててつまらない。むしろ推進派の集まりに呼ばれてやりたかった。

私は努力をしてこなかった人間。ただ努力をしなかった分、自分の好きなものに囲まれて生きることはできたというか

最近いろんな人と話していて思うのは、結局いかに多くのものを観て、聴いて、読んでいるかが大切だということ

運が続くというのは、じつはどこかで運のウィルスに感染して、症状が広がっている、という状態なのではないだろうか

悲しいことも苦しいことも、全てを楽しみに変えていけるのが人間の力だよ

長く続いた友情なのに、別れるときはあっという間だ

何もしなくても、ほっといても勝手に時間は進む

芸術は何かっていうと、抑制だよね

人々の求めるニーズに無関係であってはならない、かといってニーズに迎合してもいけない

あなたには安らぎがある。贅沢さはない。お金が一端を握っているなんて言わないでくれ。私が提案している贅沢には、金はまったく関係ない

いつだって、今やるのが一番いい

私が生まれるということは不条理である。私が死ぬということも不条理である

私は絵の中で、音楽のように何か心慰めるものを表現したい

自然に生き、自分の気持ちをほんとうに伸ばしてゆこうとすれば、まず、いたるところで残酷に、壁に突きあたる

私はいつも自分のできないことをしている。そうすればそのやり方を学べるからだ

誰にでも何かの仕事に適する素質がある。世の中が必要とするものは多く、自分が役に立てることが必ずある

あのアナウンス(「ファウルボールにはご注意下さい」)であらためて注意する間抜けはいない。でもあのようにいっておかないと、後で怪我して訴えられたら困るというのがある。アメリカ仕込みの訴訟社会の風習である

人が、夜や花を、そして自分を取り巻く全てのものを、理解しようとしないで愛せるのはなぜだろうか。なぜか芸術に限って、人は理解したがるのだ

指揮者は、一人の人間を受け入れるために楽譜を書き直したりはしない

リンゴひとつでパリを征服する

優秀な芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む

若くなるには時間がかかる

明日は明日の風が吹くんだ。明日の風には誰も逆らえないぜ。今日を生きるしかないだろう。明日も生きてるとは限らないしな。
