ありがとうじゃ足りないけどありがとうしかない。悔しい
創造性の最大の敵は良きセンスだ
作曲には、論理的な思考と感覚的なひらめきを要する。論理的思考の基になるものが、 自分の中にある知識や体験などの集積だ
We need to learn to love ourselves first, in all our glory and our imperfections.
僕らは、自らのすばらしさと不完全さのなかで、何よりも自分自身を愛することから学ばなければいけない。
何にもやってなかったなあって気持ちになる時もよくあるよ
何も真似したくないと思う者は、何も生み出さない
やりたい事やったもん勝ちなので全部やりたい
俺はマコトを殺せへんかった……俺にはマコトを生かした責任があるんや。ただ命があったらええってことやない。人として生かさなアカン責任や。極道の食い物にはさせへん……!
今の音楽の置かれてる状況の事とか、悲しくなっちゃう所がありますよね。パソコンで150円で買えるとか、若い頃の自分にとって凄い高かった、3000円とか2800円っていう感覚、その感じがもう無いっていうのは、なんかちょっと悲しいですね。
リーダーは尊敬されるが、必ずしも好かれるとは限らない
我々は自分たちを巡る奥深い知られざる者の真ん中にいて、絶えず昏迷する
お前らの人生がライブハウスみたいだったらいいなぁ。おされたり、ぶつかり合ったり、倒れちゃったりして、でも自分の力で立ち上がったり、時には周りの人に助けられたりしながら起き上がって、次の瞬間にはものっすごい笑顔で前を向いてる。お前らの人生がそんなだったらいいなぁ
老年は騒音から遠ざかる。沈黙と忘却に仕える
Love is like a beautiful flower which I may not touch, but whose fragrance makes the garden a place of delight just the same.
愛は美しい花のようなもの。それに触れることはないかもしれないけれど、その香りは花と同じように庭を喜びの場所にしてくれます。
心に鍵をかけてるひと。かけすぎて人と話すのが苦手になったりしてる人。自殺をしようとした事がある人。俺はそのままでもいいと思うよ。かっこ良いと思うよ。でもどうか生き延びてください
集中が必要なのは、仕事の本質と人間の本質による。いくつかの理由はすでに明らかである。貢献を行うための時間よりも、行わなければならない貢献の方が多いからである
希望と失望は同じものですよね? 心が優しい人ほど毎日泣いていて幸せな時間ほど早く過ぎて、失望したことがない人は希望の意味を知らないし。同じものなんですよね。だから、俺はひたすら希望を綴っているだけなんです
100の好きを見つけても1の嫌いに心を裂かれたりもするし、言葉や感情は、削れば削るほど尖っていったり伝わりやすくなったり。自由自在の怖さ!
東芝で電話番しながら、すごいハッタリ言ってました。「やれば売れるって誰に言ったら分かってくれる?何でも歌うよ?社長呼んできてよ!!」って。
絵を描くのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、一種の魔術なのだ
落ち込むのと失望は違うんよ。 だって、落ち込んでても夢や愛は信じとるもん。
子どもが大人になった時に、母が自分との時間を犠牲にしてまで、何を作っていたのか。知られた時に、恥ずかしくないもの、単純にわかるものを残したい。
「ブルーフォレスト! 」「ねぶた根性見せてみろ! 」(青森ライブにて)
(ビリーアイリッシュの曲で、あえて「音圧」という言葉を使ったのは、低い音って部屋自体が振動して、まさに音の圧って感じがするんですよね。プレッシャーみたいな音というか。これまでの「音圧」みたいな言葉は、ラウドネスメーターの数値の話だと思うので、それとは別の感覚についての話です)
本当の芸術というのは、音楽にしたって映画にしたって文章にしたって演芸にしたってなんにしたって、ドアが開かぬままにあなたに会いに行ける魔法だって。
肉体的に落ちていくものは取り戻せない。残っているものを生かすしかない
日本人が何をするにも明確であることが、私にはうらやましい
生きたくても生きれねぇ奴がいるんだって そんなんも考えないで生きてる気になんなって
なんかさー、ほら、あんまり愛された経験とかねぇだろ? お前らもそうだと思うけどさ。もう受け止めきれないんだよね。幸せ死にっていうジャンルがあったら確実に死んでる…いま
僕の場合、作曲の作業に入っているときは生活も一定のペースを保ち、できるだけ規則的に坦々と過ごすように心がけている
ゴッホは美しい。しかしきれいではない。ピカソは美しい。しかし、決してキレイではない
何を取られたら死ぬかっつったら、やっぱ「唄う事」なんじゃねぇかなと。
僕もほっときゃ歳も取るからさ、今と昔をそのまま比べることはできないけど、基本的にやっぱ何も考えてなくて、たいして成長も進歩もしてないからおんなじようなものがいつもステージに乗っかってるんだと思うんだ。
ジャンルがどうとかじゃなくて、音楽全般、様々な角度と方向にどんどん広がってほしいと思う。限りある音楽ファンを奪い合うイメージで話しちゃうとどんどん貧しくなるけど、そもそも、音楽文化自体にそれほど興味を持ってもらえてないってのは骨身に沁みてる。
世の中には違った考え方をする種族がいる
やらないってのも一つの行動だと思う
子供の頃からやりたいことは変わってなくて、それができるようになるのが大人
監督の意向に従うことは大事だが、望んでいる通りのものを書いていたのではいけない
アーティストの生き方を曲に乗せて、憧れていただく。あたしは全然そういうのやってないんだけど、語られる時にすごく良くないもののように、見世物のように言われますが、実際にはその時お客さんが欲してらっしゃる、期待してきたものであり、それを超えるものでなければいけないと思ってます。こちらの生活、暮らしとか気分とか、そういったものは一切知られてはいけない。それが芸。
新しい事業をつくり出すときは、大きなビジョンである必要はない。しかし、今日の常識とは違うものでなければならない
いま大戦中でもないのに、人に「どっちなんだ!?右なのか、左なのか」と問うこと自体、ナンセンスだとは思います
ベイビーアイラブユーだぜ!
どうか、履き違えないで欲しい。人の足を止めるのは、絶望じゃなく諦めだけだということを。
確かに2年前、俺はお前の相手が出来んかった。それはなぁ…… あん時のお前が弱過ぎたからや!
人それぞれに求めるものは違うけど、それでいいんじゃないか。自分の思うようにすればいい
「やさしくなりたい」という意思、それはすごく大切だなと思う
いいんだよ。 消えないもんは消えないままで。 消えないもんを消そうっていうのは嘘だから。 だって傷は癒えるったってそんな簡単に癒えるわけないじゃん。 傷を負ったっていう過去は消えないんだよ。 消えない傷を持ってて、でもそれは今を生きてる証拠なんだと。
人間を偉大にしたり卑小にしたりするのは、その人の志である
現代人の欠点は自分の職業に愛と誇りを持っていないことである。多くの人が職業を必要悪の労役苦役と考えている
売れているものが良いものなら、世界一のラーメンはカップラーメンだよ。
着物を脱ぐ女性の美しさは、雲を貫く太陽のようだ
「林檎」は筆名で。17ぐらいの時に。「少女A」みたいな名前だから、実際に何言われても平気。
『大切な人の死』という出来事は、大切な人が自分にくれる最後のプレゼントだと思います。どんな形の死であれ、僕はそう思います。だからこのプレゼントをいつまでも大切に愛することができます。
ロックだろうが、ポップだろうが関係ねぇよ。『プラネタリウム』は『プラネタリウム』だよ。(プラネタリウムについて)
自分の中で一度燃え上がった想いというのは、止めることが出来ない
……別に、誰かのために尽くすってことは悪いことやないで?互いが互いのことを思いやり、惜しむことなく尽くしあえる関係が、一番ええ関係ってやつなんやないか?
そりゃバイク乗るのも楽しいし、映画も好きだし。でも、桁外れなんだよ。富士山と石ころくらいの違いなんだよ。ロックンロールやってるときの楽しさは、桁外れなんだ。好きなものを見つけるってそういうこと。
運が悪かったんだよ、お前らは
複雑なものはうまくいかない
日本の文化っていうのは、常に「明日は知れぬ身」って考えるのが基本じゃないですか。
色彩は、それ自体が何かを表現している
んだ。学びは終わらない。んだ。
嫌われることは愛されることより難しい
後継者を自分一人で選んではならない。どうしても20年前の自分に似た者を選びたくなる
勝負をしない奴には勝ちも負けもないと思ってるんだろ? でもそれは間違いだ。勝負できない奴はもう負けてるんだよ
自分の写真に、ほんのちょっと言葉をつけたいと思っていて…。はじめは簡単だと思って書いていたんですけど、あくる日にそれを見直してみたら、全然ダメで驚いたんです
火の国熊本、暑さにゃかなわねぇ!!(熊本ライブにて)
『無罪モラトリアム』の意味は、一個の人間としてまだ社会に出なくても許されてる立場の人間。さらに「無罪」って言って、立場的にも生きてる事が許されるんだって付け足したかった
結局はひたすら考えるしかないという心境になっている
創造力で大きな仕事をしていく人たちは予定調和を嫌う
評価されるなんて一切必要なし!音が好きならば、音になっていないといわれようと「音」を出す。これが前提だな
さっき決めたんだーどうしてもどうしてもどうしても笑顔じゃいられない時以外は、笑っていようって
(中学を卒業したら東京に行かせてくれ、と父親に言ったときに反論されて)お父さん、僕を止められるんか。音楽しかやりたいことないんじゃ。お父さんには、僕の音楽を反対するだけの材料があるんか。
ガキンチョだますのがロックだと思う
もっとたくさん僕らの曲聞いてもらって、皆を励まして背中を押してあげたい。
作曲家の基本命題は「いい曲をつくる」こと
なにもかもうまくいってるのになんか足んねえって時は未来に進む道にポッンポッンと自分で種をまくと知らないうちに種まできてはいけるから楽しい
明日に延ばしてもいいのは、やり残して死んでもかまわないことだけ
There is no king who has not had a slave among his ancestors, and no slave who has not had a king among his.
王の先祖に奴隷がいない者はなく、奴隷の先祖に王がいない者はいません。
この世界中の人口の1%の人たちが世界中の富の90%を持ってて、残りの99%の人たちが残り10%の富を持ってるんだってよ。俺らはそんな世の中クソくらえって思うんだ。でももしかしたら(音楽で)こんな世の中変えていけるんじゃねーかって思ってる奴の人口の方が多いんじゃねーかって思ってる
今どきレコード評なんか読んでる奴はいやしないさ。評論家が書いてることなんて、もう誰も相手にしないぜ
ジョークを言った本人が笑ったら、そのジョークはジョークでなくなる
作詞には苦しむことが多いです。曲がもともと持っている性格みたいなものは自分でコントロールしてるわけじゃない。自然に持ってるもので、それをいかに感じ取ってふさわしいものにするか。ふさわしい詞というのはもともと決まっているようなものという認識。
アキラメというのは人生的なものである。体験に基づくというか、体験の集積というか、いずれにしろ体に発するというか、体からじわりと湧き出る。それにひきかえ、シラケというのは、体験からのものとは違う
上手にするってことなんか必要じゃなくて、熱くなればいいんだよね。
鉛筆や紙と同等の費用で映画が創れたときにのみ、映画は芸術作品となるだろう
俺も好きなバンドには一方的な想いをぶつける
人間にとって成功とはいったいなんだろう。結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか
何か感じたり思ったりしたことっていうのは、将来の何かに影響してんだよな
芸術家を何とお思いか。画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。それはとんでもない勘違い。芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている
何十年先も俺たちの曲は君のそばにいる
インディーズの頃は、有名になって注目されたいとか、めっちゃ広い家に住みたいということが活力になってて
私が誰かの背中を押したくて作った曲が背中を押すわけでもないし、そんなことを考えずに書いた曲が誰かに「助けられました」って言ってもらえればいい。
最終日だからって、特別なことはありません。最終日が特別なんじゃないんだよ。ロックンロールが特別なんだよ
今度会うときも、今持ってるもの失わないでほしい。今のまんまで
幸せのまんま放っておいてほしい
Everything will be okay in the end. If it’s not okay, it’s not the end.
最後には全て上手くいくよ。もし上手くいっていないのなら、それは最後じゃないってことだ。