何事もそうだが、中途半端な決断で道を選ぶと、途中で大変な試練があったときに気持ちが挫けやすい
人は、まず当たり前の作品に対してでも、ある程度は尊重して、それも少しは何かを表していることを認めなければいけない。そして、大いに努力しなければ、その程度にすら到達できない
生きてりゃ、そりゃあシラケるだろう
私は、自分の作品に心と魂を込める。そして制作過程では我を失う
気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常
絵の玄人なんていうものは、絵描きに対してロクなアドバイスをしない
この会場には仕事やっとるやつ、やっとらんやつ、学校行っとるやつ、行っとらんやつ。いろんな人がおると思うけど、お前らはライブを見に来とる。俺らはライブをやりに来とる。それで問題なかろう。
日本人はやはり全員が五、六歳か、もしくはたんなる訴訟の素材なのだ
腰の引けたイクジ無しどもがこの世の中を動かしてるのさ。
指輪によって結婚はなりたつ。つまり、指輪とは鎖を編むものなのです
Music is everybody’s possession. It’s only publishers who think that people own it.
音楽はみんなのものだ。自分のものと思っているのは作った人だけさ。
少なくとも自然は、生命を更新するためにのみ死を役立てます
コレラや尿石や結核や癌は、天上へ行く交通機関
若さと年齢は無関係
最終的な完成形を頭の中でイメージしないで闇雲にキーボードを叩いても良い作品は生まれない
私、雑音がほしくて。綺麗なノイズのない環境が嫌
21世紀の最大の不安定化要因は人口の構造変化である。ただし、先進国における最大の問題は高齢化ではない。少子化のほうである
書いた曲が誰かに「助けられました」って言ってもらえればいい
自殺はやめろ。生きろ。
商業的に音楽を作ろうと思ってしまったら、多分やる気をなくします。
私は死ぬまで、死ぬことについて、そして生きることについて、考えていると思う。
Walking with a friend in the dark is better than walking alone in the light.
暗闇の中を友達と歩くことは、明るい中を一人で歩くことより良いもの。
最近いろんな人と話していて思うのは、結局いかに多くのものを観て、聴いて、読んでいるかが大切だということ
俺は、『ひとりじゃ生きていけねぇ』っていう弱々しい感覚を、本当に強く言える男だから。
虫だって光の好きなのと嫌いなのと二通りあるんだ!人間だって同じだよ、皆が皆明るいなんて不自然さ!
自分の写真に、ほんのちょっと言葉をつけたいと思っていて…。はじめは簡単だと思って書いていたんですけど、あくる日にそれを見直してみたら、全然ダメで驚いたんです
素描を通してのみわれわれは陰影の知識に到達する
みんな神話が好きだ。だから私の絵を愛するのだ
Reality leaves a lot to the imagination.
現実は、その多くを想像に委ねている。
いい子な自分と、悪い子な自分、みんな含めて一人の自分
みんなの愛にこたえてちゃんと元気になるから、全然大丈夫だよ。心配しないで待っててね
僕らがひきこもらない理由は、街に出れば女の子がいるからだ
素晴らしくマネジメントされた組織というものは、日常はむしろ退屈な組織である
戦争やってる遠くの国のことよりも友達の方が大切だと思うけどなぁ
お芝居の世界でお仕事をするときは、簡単にベラベラしてはいけないというのは自分の中にあるんですよね
大切な人がいなくなっても、それは無じゃなくて“空っぽ”があるんです。
「たかが音楽にのせる飾りじゃないか」という想いと、「誰かの一生をも変えてしまうかもしれない不思議な魔法」という想い。その間で僕は今も歌詞を書く。
平等は人道の神聖な法則である
パンのための学問
一番悪い奴は「口だけいいことを言って実践しない奴」次に悪いのは「悪いことばかり考えてる奴」そうなりたくねぇんだ
相手を尊敬することができぬなら恋は起こりえない
過去とは、所有者の贅沢だ。過去を整頓しておくには一軒の家を持つことが必要だ。私は自分の体しか持たない
考えられないですよ、東京事変がない状態って。いろんな意味で、どうしても、こうしなきゃいけなかったというか。うーん、抗えなかった。避ける道がなかったと思いますけどね。
……別に、誰かのために尽くすってことは悪いことやないで?互いが互いのことを思いやり、惜しむことなく尽くしあえる関係が、一番ええ関係ってやつなんやないか?
世界史は世界審判である
人の本当の仕事は30歳になってから始まる
優秀な芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む
音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う。
ロックンロールは続いていくんだよ
ドブネズミが美しいとわかんねえ奴はたいしたことねえ。
俺は本当はもっとすごいんだけど、というのがどっかにある
人生の目的は悟ることではありません。生きるんです
俺は峯に教わったんだ。信じる心ってのは・・・人間死ぬ間際でも持てるんだってことを・・・!
『自分にはなにもない』って言う人いるけど、そんなことない。コンビニの店員がいなかったら、お弁当あっためてもらえない、銭湯のおばちゃんがいなかったら、銭湯入れない。みんなやることやってる。それを誇りに持てよ!
閃きは自分で呼び込めるものではない。私にできるのは閃きを形にすることだけだ
直観力と想像力を、抑え込んではならない
ジャンルがどうとかじゃなくて、音楽全般、様々な角度と方向にどんどん広がってほしいと思う。限りある音楽ファンを奪い合うイメージで話しちゃうとどんどん貧しくなるけど、そもそも、音楽文化自体にそれほど興味を持ってもらえてないってのは骨身に沁みてる。
音楽は言語のルーツなんじゃないかな
私が生まれるということは不条理である。私が死ぬということも不条理である
生産性を上げる一番簡単な方法は、今、一番成果が出ている仕事に集中し、成果が出ていない仕事からは、撤退してしまうことである
モノを作ることを職業としていくには、一つや二ついいものができるだけではダメだ
神童などという言葉は、家族のつくったものだ
私は最初、写真っていうのは、機械が撮るもんだから誰が撮っても一緒。だから絵とは違うなって思っていたんですけど、そうじゃないんですね。写真って、あなどれないなと思いました
凄くふさわしいところに自分が立ってて、凄くふさわしい行動を取っているような気がするんだよ
金 金 言うてもヤクザは最後は力や。力失うた人間は 力ある人間にその道 譲らなアカン。冴島 お前は東城会の力や。絶対に強いまま 神室町に戻って来るんやで。
もう俺は、相手がお客さんであろうが、メンバーであろうが、友人であろうが、音楽でしかきっと何も伝えられない。
僕は音楽が大好きです、本当に。感情論や云々より音楽が大好きなんですね。メロディ、リズム、和音。その三大要素からなる音楽っていうものが大好きです。
好きなものを作る、それだけをやるってなるとブレない
親切ではないけど、やさしい。丁寧ではないけど、やさしい
確信を持つこと、いや確信を持っているかのように行動しなさい。そうすれば次第に本物の確信が生まれてくる
周囲からの反対やら妨害やら軋轢やらがあるからこそ、自分が本当は何をやりたいのか、何になりたいのか輪郭がはっきりしてきて、よし、オレの気持ちはホンモノだっていう確信が固まっていく……そういうものなんじゃないのか?
私が生きているのは国王のため、スペインのため、カタロニアのためだ。天才は決して死なない。人類の進化は我々の手中にある。国王、万歳!スペイン、万歳!カタロニア万歳!
想像できることは、すべて現実なのだ
絶望で生きてようと、希望で生きてようと、どちらも生きてるんであれば、まずそれが奇跡だなと。生きてることが本当にミラクルなことだと思うんですよね。
原因は何十年かのちに学者が明らかにするだろうが、行動する経営者としては待っていられないだろう。使えるもの、分かったことはどんどん使いなさい
女性って20代までは大変ですよね~自分次第で何者にもなれるはずなのに、社会だったり男性の目線だったり、余計なことに捕らわれて不自由になりがち。それはもったいないと思う。
学とはならうということで、すぐれた人物の立派な行いを習い、みずからもそれを実行していくことである
生きる日のよろこび、悲しみ。一日一日が新しい彩りをもって息づいている
俺は今日、アンタの為に唄う。ロックに世界を変える力はない。でもロックが一人一人の人間の心に起こすうねり、そのパワーは計りしれない。俺はその力を信じて生きる
偉業は一時的な衝動でなされるものではなく、小さなことの積み重ねによって成し遂げられるのだ
九州は暑いね。君らはこんなあったかい所に住んでるけど、北の寒い所に住む子らとは人生が違うんだよ。例えば……気温。(福岡ライブにて)
やっぱりみんな自分の手を動かして曲を書かないとダメですよ。作家っていうのは実態のないものだから、いっぱい書かないと本当の姿というのが現れてこない。書いて初めて、実態というのがあるように見えてくるというだけで。
私は常々「偶然耳にされたリスナーの方が、わくわくなさるような時間を提供せねば」と考えています。せっかくなら。子供の頃観た歌番組では、いろいろな歌手がよく、一緒に歌ったりしていました。ああいうフランクさが近年どんどん失われているのを寂しく思っています。
What we have once enjoyed we can never lose. All that we love deeply becomes a part of us.
私たちが一度楽しんだものは、決して失うことはありません。私たちが深く愛するすべては、私たちの一部となります。