私は天才になるし、世界は私を称賛するだろう。評価されないかもしれないし、理解されないかもしれない。しかし天才になる、偉大な天才にね。なぜなら私はそのことを確信しているからさ
希望を捨てない方がいい。俺はサイコーなんだって信じるんだ。既成の概念なんか疑ってかかった方がいい。「なんでなんだ?」っていつも子供みたいに感じていたいぜ。
私は日頃悩んでる事が作品になって、日記みたいなもんなんだけど……
ブルースって、どうしてブルースっていうか、知ってる?それはブルースが悲しいから…(02年RSR)
If everyone demanded peace instead of another television set, then there’d be peace.
もしすべての人がもう一台のテレビよりも平和を欲すれば、きっと平和は実現する。
芸術は、盗作であるか革命であるか、そのいずれかだ
上司を過大評価することはあってもいいが、決して過小評価するな
人間は毅然として、現実の運命に耐えていくべきだ
日本の文化っていうのは、常に「明日は知れぬ身」って考えるのが基本じゃないですか
現代人の欠点は自分の職業に愛と誇りを持っていないことである。多くの人が職業を必要悪の労役苦役と考えている
今は、もう感動はない。だから感想が湧くのである。感動には叫びはあるだろうが言葉はない
焦点の定まった明確な使命がなければ、組織はただちに組織としての信頼性を失う
私は努力をしてこなかった人間。ただ努力をしなかった分、自分の好きなものに囲まれて生きることはできたというか
まっさらな目をもて!そして目的を捨てろ!
銀杏BOYZ聴いてるつってよ、そのよ、会社の中でそんなのがバレてしまったらよ、「うぇ、アイツ銀杏BOYZ聴いてんの?」なんて差別されるような音楽を俺は作っていきたいワケ
生きているうちに天才って言われたい
幸せのまんま放っておいてほしい
ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎
若いとき旅をしなければ、老いてからの物語がない
あまり頭が良くない俺には、温度を低くして生きることは向いていないと分かっているから、身体を使って、燃えて生きていたいなという想いがあって
いかなる世界が広がっていても、望んだ世界だと頷きたい。
日本人はやはり全員が五、六歳か、もしくはたんなる訴訟の素材なのだ
詩人にとって最大の悲劇は、誤解によって賞嘆されることだ
いいんだ。岡本太郎の責任でやるんだから
評価されるなんて一切必要なし!音が好きならば、音になっていないといわれようと「音」を出す。これが前提だな
くたばりたいってのはもう無くなりましたね。それは多分、裏返しじゃないですか、生きていたいっていう事の
理論というものは現実に従って変化していく
(ビリーアイリッシュの曲で、あえて「音圧」という言葉を使ったのは、低い音って部屋自体が振動して、まさに音の圧って感じがするんですよね。プレッシャーみたいな音というか。これまでの「音圧」みたいな言葉は、ラウドネスメーターの数値の話だと思うので、それとは別の感覚についての話です)
あなたの日常は唄になるんです。
むしろ「成功は失敗のもと」と逆に言いたい。その方が、この人生の面白さを正確に言いあてている
激流にも耐えうる柱のように揺るぎない信念を心に持て
人はいつも、行動する時より口で言う時の方が大胆になる
創造力で大きな仕事をしていく人たちは予定調和を嫌う
大好きなものと付き合っていくことだよ
そもそも老人力とは、転んでもただでは起きない力のことである。というか、そもそも老人とは、人が間断なくゆっくりと転んでいく状態のことなのである。気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常。例外はない。時期のずれや度合いの違いはあるにしても、人類の全員がゆるゆると、やんわりと、気がつけば転んでいる状態なのだ
俺はあれについて、一つ勘違いして欲しくない事は、孤独に強くなって欲しんじゃなくて、今よりもっと孤独を怖がって欲しいって事。(バイバイサンキューについて)
ライブってゆうのはお茶の間でせんべえかじりながら見るようなもんじゃねぇんだよ。チケット取れなかったとか色々あるかもしれないけど死ぬ気でチケット取れ。で、見にこい。俺らあれだから。ブラウン管の前で評価されたくねえから
何百万枚も売れるロックなんて、あんましロックじゃない
私は子供のときに自転車に乗ったことのない唯一の男である。描くことにしか興味がなかった
膝からなし崩しに倒れてしまうような、そういう曲ができちゃって。『なんだこれ?』と思って。とりあえずでも1曲出来上がったと。わけわかんねえって気分のまま東京に帰って。で、歌ってみて、そういう現象で。人知れずひっそり泣いてみたりとか泣けなかったりとかそういう夜もあったりして。(Title of mineについて)
音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う。
そや桐生チャン…龍司とかいう奴に負けたら承知せぇへんで。俺との勝負も残っとるんやからなぁ。
リミッターってさ、取れた瞬間にその存在に気づくよね
いいかい、怖かったら怖いほど、逆にそこに飛び込むんだ
Music is everybody’s possession. It’s only publishers who think that people own it.
音楽はみんなのものだ。自分のものと思っているのは作った人だけさ。