


少なくとも僕にも誰かを楽しませることはできる

作曲家として一番大切な事は、とにかく曲を書き続ける事

今まであんなにときめいてきて、あんなに翻弄されて、電話のなかに彼がいると思って電話をずっと見てた、ああいう時間は何だったんだというぐらい、まったく次元の違う大事なものができてしまう瞬間があるんですよね

子供の頃からやりたいことは変わってなくて、それができるようになるのが大人

音楽を作ることに対しては迷いはないから。音楽っていうのは前衛的なものだし、発明であり発見であり実験であり冒険であると思ってる。俺はそこを誇りに思ってるから。

余り考え過ごす者は何事をも成し得ない

気とは人に負けまいと思う心、すなわち負けじ魂と恥辱を知ってそれを悔しく思う気象のことである

「人生っていうのは勝手に与えられるんだから、自分が追求してもいいんだ。幸せ追求権ってあるだろう!」と思ったんですね

ベートーベン、モーツアルトなどのクラシック音楽を全人類が200年以上聴いていてもまだ飽きないというのは、飽きない音楽の真髄

指揮者は、一人の人間を受け入れるために楽譜を書き直したりはしない

急にひとりぼっちにされちゃった気持ちになったんですよね。共犯者はいっぱいいるのに、私だけが訴訟を起こされてるような。

オリンピックってどこが優勝したか知ってる?(長野オリンピック後の長野ライブにて)

「林檎」は筆名で。17ぐらいの時に。「少女A」みたいな名前だから、実際に何言われても平気。

人生をね、棒に振りたいんだよ

子どもは誰でも芸術家だ。問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかだ

私にとってはテレビは想像できるものしか映らない画面の一種でしかない

人々の求めるニーズに無関係であってはならない、かといってニーズに迎合してもいけない

運が悪かったんだよ …お前等は

俺は東城会四代目桐生一馬だ!!

As selfishness and complaint pervert the mind, so love with its joy clears and sharpens the vision.
わがままと不平は、心を歪めたり曇ったりさせるように、 愛の喜びは視界をクリアにし、鋭敏にさせる。

美術館はちょっとまとまり過ぎてる感じで、博物館的な世界には思わぬものがあるんだよね

やった分しか、返ってこない。適当にやっていて、超ラッキーでこんなすごいことになっちゃいましたってことは絶対ないよ。そんなに甘くないから。

お前らの心は 見たくないものを見ずに閉ざしてしまうのか 見えないものを 見ようとするか

好奇心と衝動は音楽を作る上でめちゃめちゃ大事

音楽の世界の人間は、どっちかって言うとやっぱりスポーツなんかと近いんじゃないですかね。かなり身体的ですから。

We can do anything we want to if we stick to it long enough.
あきらめずにいれば、あなたが望む、どんなことだってできるものです。

どうしてなんだ?どうして俺が来るとこうなるんだ?どうして誰かが、犠牲にならなきゃならないんだ……? なんでだ?なんでなんだ……!

こんなに色んな人が関わりあうのは、俺、音楽しかねぇと思うんだ。てか、音楽しかしらねぇ

若いとき旅をしなければ、老いてからの物語がない

僕の部屋は僕を守るけど、僕をひとりぼっちにする

何かを表現していく人間にとって、自分の拠り所を気分に置いてしまうのは危ういこと

常に恥とは何かを知り、人に負けない様に強い気を持ち、どんなときでも権力に盲従してはならない

音楽への情熱だけを頼りに、作曲家としての道を進むことができた

教養ある人間は、勉強し続けなければならないということを自覚している

経営者は、その企業の将来について、もっと時間と思索を割くべきである

人のだらしなさって、たまに妙な愛しさがあるからずるい

判断の代わりに公式を使うことは、つねに間違いである

ちっちゃい子供は成人の10倍笑うんだって!! 負けてらんねーっつうんだよ!! あっはっは

「いてもいいんだよ」「生きてもいいんだよ」「感動してもいいんだよ」「泣いてもいいんだよ」「笑ってもいいんだよ」「そこに存在してもいいんだよ」って言ってくれてるかんじ。誰の許可もいらないんだ。それをロックンロールが僕に言ってくれるんだよ

まず、やりたいを決め、次に何に集中すべきかを決めなさい

(どうしてすぎやまこういちと平仮名なの?)漢字では椙山浩一と書くのですが、間違えて「まさやま」と読む人がいたり、「杉山」と書く人がいるので

美しい景色を探すな。景色の中に美しいものを見つけるんだ

自然は常に完全である。決してまちがわない。まちがいは我々の立脚点、視点の方にある

そりゃバイク乗るのも楽しいし、映画も好きだし。でも、桁外れなんだよ。富士山と石ころくらいの違いなんだよ。ロックンロールやってるときの楽しさは、桁外れなんだ。好きなものを見つけるってそういうこと。

着物を脱ぐ女性の美しさは、雲を貫く太陽のようだ

結果オーライって凄くいいことだと思わない?

恋愛だって芸術だって、おなじだ。一体なんだ。全身をぶつけること。そこに素晴らしさがある

私は死ぬまで、死ぬことについて、そして生きることについて、考えていると思う。

テクニックばかりに気を取られる人たちは全ておいてミスをする

我々は自分たちを巡る奥深い知られざる者の真ん中にいて、絶えず昏迷する

久ぶりやのぅ… 桐生チャン!!ワシャ〜 嬉しゅうてたまらんのやぁ。“堂島の龍” と直接やり合える…本物の命張った ケンカができる。なぁ、桐生チャンなら 分かるやろぉ?…なぁ!?

自然に生き、自分の気持ちをほんとうに伸ばしてゆこうとすれば、まず、いたるところで残酷に、壁に突きあたる

一個気に入ったモノが見つかったらずっとそれでいいんだ。俺にはお前らしか要らねぇから

自分があまりにも日本語を知らな過ぎることがコンプレックスでした

沈黙は絶叫よりも恐ろしい

自分にいろんな矛盾があることが当然

何十年後も、みんなが知ってるし、歌えるし、聴かれているという音楽を作りたいなと思いますね。芸術は残らなきゃいけないと思っているので。

学問は生涯を通じて心掛けねばならない

私の健康を祝して乾杯してくれ

むしろ「成功は失敗のもと」と逆に言いたい。その方が、この人生の面白さを正確に言いあてている

膝からなし崩しに倒れてしまうような、そういう曲ができちゃって。『なんだこれ?』と思って。とりあえずでも1曲出来上がったと。わけわかんねえって気分のまま東京に帰って。で、歌ってみて、そういう現象で。人知れずひっそり泣いてみたりとか泣けなかったりとかそういう夜もあったりして。(Title of mineについて)

そもそも老人力とは、転んでもただでは起きない力のことである。というか、そもそも老人とは、人が間断なくゆっくりと転んでいく状態のことなのである。気がつけば少しずつ転んでいくのは人生の常。例外はない。時期のずれや度合いの違いはあるにしても、人類の全員がゆるゆると、やんわりと、気がつけば転んでいる状態なのだ

見るために、私は目を閉じる

最後は直感なのだ

今どきレコード評なんか読んでる奴はいやしないさ。評論家が書いてることなんて、もう誰も相手にしないぜ

危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ

俺は峯に教わったんだ。信じる心ってのは・・・人間死ぬ間際でも持てるんだってことを・・・!

ツアーなのにウィークデーに東京に戻ってくるのは、旅している感じが全然しないんだよね。車で走り回って、その土地の美味くて安いものを探しにいく。夜はそこで待っている仲間たちと音楽を楽しんで、酒を飲んで寝るみたいな3ヶ月。こんな人生、なかなかないでしょう

人間、しがみついてでも、這いつくばってでも、生きることに価値があるんだ。分かるか?

煮詰まったらドラクエやる

芸術というものは自然の研究に過ぎません。自然です。何もかもそこにあります

弱気になる瞬間も多いけど、そんな時は過去のライブ映像を観たりしてます

笑いどころやないかい!笑えや このボケェ!!

傑作なのか屑なのかわからない

芸術は何かっていうと、抑制だよね

芸術において不道徳は存在しない。芸術はつねに神聖である

俺がとりたいのは100点じゃないんだ。ロックンロールが100点満点だとしたら10000点くらい取りたいんだ。

自分が感動できるものを提出していかないと、周りの人、ひいては観客に響いていかない

6才の時、コックになりたかった。7才の時、ナポレオンになりたかった。そして、私の野心は、それ以来着実に成長し続けている

俺がホントについてるなぁとか幸せだなぁとか思うのは、周りにそうやって怒ってくれる人がたーくさんいるんですよね

覚めていて夢みることは、眠っていて夢みることとほとんど同じである

100の好きを見つけても1の嫌いに心を裂かれたりもするし、言葉や感情は、削れば削るほど尖っていったり伝わりやすくなったり。自由自在の怖さ!

ジョークを言った本人が笑ったら、そのジョークはジョークでなくなる

期待なしに恋をするものだけが、真の恋を知る

俺はゆるキャラだがなぁ、お前らを見逃すほどゆるくねぇんだよ

非合理的な顧客なるものは存在しない。顧客は、顧客にとっての現実にもとづいて合理的に行動している

いつまで出来るか分からないことだし、毎回これが人生最後でも後悔しないというツアーをやりたくて生きているから、今回も長ければ長いほどいいんですよ

運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする

昔のファミコンの音楽は、3音しかありません。だから、本当に必要な音だけを残す作業を行いました

返信への返信(「Re:Re:」)という意味ですが、アルバムの場合、曲の並びが“ラストシーン”から“サイレン”で悲しすぎたので、『もう一度』という意味をこめてタイトルをつけました。(『Re:Re』について)

「五稜郭ジャンキーズ! 」「みんな、牛好きかー?!ジンギスカーン!」(札幌ライブにて)

生まれたら最後死ぬ訳じゃないですか。それはもう生き物として当たり前の事で。

我々は決して悪を選ぶことが出来ない。我々が選ぶのは常に善である

あのアナウンス(「ファウルボールにはご注意下さい」)であらためて注意する間抜けはいない。でもあのようにいっておかないと、後で怪我して訴えられたら困るというのがある。アメリカ仕込みの訴訟社会の風習である

家の仕事をしている女性は、この世でもっとも美しい

自分の作った曲で自分が震えたいし、自分を感じたいし、伝えたいし、証明したい。

以前にも成功をおさめたからといって、今度も以前と同様の仕事のやり方をし続ける経営者というものは必然的に失敗する運命にある

生産性の本質を測る真の基準は「量」ではなく、「質」である

True happiness… is not attained through self-gratification, but through fidelity to a worthy purpose.
真の幸福は、自己の快楽によって達成されるのではなく、価値ある目的への忠誠心によって得られるのです。