人生は、水平方向に落ちていくことである
絵を描くのは美的活動ではない。この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、一種の魔術なのだ
ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎
うわー凄げぇな。学校や会社でうまくいってない奴らがここには多いと思うけど、そんな奴らが集まるとこんなキレイな景色になるんだな
僕は流れるって感じが好きなんだ。固定したものは全然つまらない。人生だってそうだろう?いつも流動的で、何が起こるかわからない。だから面白いんだ
確かに2年前、俺はお前の相手が出来んかった。それはなぁ…… あん時のお前が弱過ぎたからや!
問題の分析によって解決案が一つしか見つからなければ、その解決案は先入観に理屈をつけたにすぎないものと疑うべきである
色彩は、それ自体が何かを表現している
運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする
日本の文化っていうのは、常に「明日は知れぬ身」って考えるのが基本じゃないですか
ベートーベン、モーツアルトなどのクラシック音楽を全人類が200年以上聴いていてもまだ飽きないというのは、飽きない音楽の真髄
いい子な自分と、悪い子な自分、みんな含めて一人の自分
よほど守らなきゃいけないものができるとか。自分の人生をすべて捧げなきゃいけない時が来るんですよね。
(カメラは)カビたり錆びたりもしますから、送られてきたお菓子とかに入っているシリカゲルを棚に入れたりしています。まあ、普通に置いてます
ナマ身で運命と対決して歓喜する。それがほんとうの生命感
Character cannot be developed in ease and quiet. Only through experience of trial and suffering can the soul be strengthened, ambition inspired, and success achieved.
人格は、楽で平穏無事ということのうちには発展させることができない。試練と苦難の経験を通してのみ、魂は強化され、展望は明快にされ、野望は刺激され、そして成功は達成される。
ゲームと違って、人生には決まった攻略法はありません
アクシデントが起きると、人はそれを変えようとするが、人には変えることが出来ない。アクシデントが人の内面を明らかにするだけだ
何が正しいかなんてわからんでしょ。俺が死んでも答えは出んよ。 そんなら好きだと思う事やるしかないんじゃないかなあ。
自分が何をやりたいか、何を伝えたいかが分かっていたら、技術は後からついてくる
この曲に関しては、音圧があったほうがいいかなって。ハジけたところがあったほうがいい、って思ったし。でも、気持ち的には大きいかもしれないですね。開いた気分でやれば、そうなるだろうし。(『或る街の群青』について)
(どんな音楽を聴いて育った?)スピッツ、浜田省吾、平井堅、ユーミン、BOØWY、オザケン、フリッパーズギター。でも自分が学生時代に流行っていた、HYとかORANGE RANGEなんかもたくさん聞いてきました
私には規則や方式は一切ない。裸婦を見る、すると幾千ものちいさな色合いが見えてくる。その中から、生き続けるものを探し出し、そのようにして真新しい色調をキャンバスの上に躍動させるのだ
目の前の困難から逃げてばかりではダメです
私は常々「偶然耳にされたリスナーの方が、わくわくなさるような時間を提供せねば」と考えています。せっかくなら。子供の頃観た歌番組では、いろいろな歌手がよく、一緒に歌ったりしていました。ああいうフランクさが近年どんどん失われているのを寂しく思っています。
お前らもありがとな。なんか、勘違いしてるやつがいたら言っといて。これが最後じゃないからね
真実のほかに美はない
恋はその始まりがいつも美しすぎる。だから結末が決して良くないのも無理はない
人間さ、もちろん嫌いな人とか誰だっていると思うの。でも1個は絶対いいとこあるんだよ。例え100個嫌いなとこあっても、1個いいとこあればその人と友達になれると思うんだ。だから俺も桑とこうやってるんだよね笑。
何十年先も俺たちの曲は君のそばにいる
路上観察の場合はある種の説明で、見る人の手助けになるようにと思って書いています。でも、作品としての写真となると、見る人がその作品の中にどうやって入っていけば良いかわからない…入り口のない場合が多いんですね
非合理的な顧客なるものは存在しない。顧客は、顧客にとっての現実にもとづいて合理的に行動している
モノを作ることを職業としていくには、一つや二ついいものができるだけではダメだ
僕は自慢ができることが1つあるの。それは自分の中学生時代に、リアルにパンクを体験したってこと。
詩はなくてはならないものだ。ただそれが何のためにあるのかを知ってさえいればなあ
私が猫好きなのは、家で過ごす方が好きだからだ。そして次第に、猫が家の一部に思えてくる
我々はどこから来たのか?我々は何者なのか?我々はどこへ行くのか?
すべての偉大な画家はみな空間を探ります。厚みの観念の中にこそ彼らの力は宿るのです
僕らの音楽は誰にも揺るがされなくなりました。他のどんな要素にもびくともしない、僕らと音楽の関係が完全に守られました。
人生は継続的なパーティーでなければいけないと思う
このまま行けと、僕の中の僕が命じるんだ
普通なことが特別で特別であることが普通なこと
傷ついても裏切られても、人を最初から疑ってかかるような生き方はしたくないと思うんだよね。裏切られたりして傷つく部分と、すげぇ嬉しいと思う部分て心の同じ部分で、同じところが傷ついたり喜んだりしてるから、傷つかないように心にふたをしていってしまうと、喜びまで感じなくなってしまうんじゃないかなぁ
私は日頃悩んでる事が作品になって、日記みたいなもんなんだけど……
子どもは誰でも芸術家だ。問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかだ
「命短し、目抜き通りを歩こう」っていう気持ちなんです、今。本当に。人生がどんどんシンプルになってきている
心理の何か変化があるんですよ。人間行動すべき理由がある。
自信なんてものは、与えられるものじゃない。自然と湧き出てくるものだよ
歴史上いかなる国においても、企業とくに大企業は株主のためにのみマネジメントすべきであるという主張はもちろん、主として株主のためにマネジメントすべきであるという主張さえ、主流になったことはない
アキラメというのは人生的なものである。体験に基づくというか、体験の集積というか、いずれにしろ体に発するというか、体からじわりと湧き出る。それにひきかえ、シラケというのは、体験からのものとは違う
人間と人間社会の問題なのかもしれない。つまり偶然というのは、本当はこの世の中を無数に満たしている事柄なのかもしれない。世の中はむしろ無限の偶然で成り立っている
安定とか定着ならこっちから願い下げだ。媚びるのも飼いならされるのもごめんだ。すごいシンプルにいこう。作家は作れなければ死ぬだけだ。そのルールに異論は全くない。やったろうじゃんか
生まれたら最後死ぬ訳じゃないですか。それはもう生き物として当たり前の事で。
(印象派について)彼らはもっぱらその装飾の結果のために、真実を妨害するように、自由なしで、色を使っています。彼らは目だけで物を見て、神秘的な思念を基にしていません。彼らは単に明日の公式画家です
飛べないホソミはただのタケシだぜ
学問的な言い方ではないが、仕事ができる組織は仕事を楽しんでいる
日本人の強みは、組織の構成員として、一種の「家族意識」を有することにある
企業はなによりもアイデアであり、アイデアを生むことのできるのは個々の人間だけである。勇を鼓して自ら思考し、既成観念にあえてそむける人なくして、その企業の成長と繁栄は望めない
近道は何度も出来たんだけど、後ろを振り返ったときに後ろがないと不安でしょうがない
自然にやってく中でぼんやり何となく楽しいっていうのは、凄く大事なこと
Until the great mass of the people shall be filled with the sense of responsibility for each other’s welfare, social justice can never be attained.
社会正義は、人々の大多数がお互いの福祉に対する責任感で満たされるまで、決して達成されることはありません。