


ユーモアを失わないように戦うのだ。ユーモアの欠如は愚の骨頂だ

選択肢を前にした若者が答えるべき問題は、正確には、何をしたらよいかではなく、自分を使って何をしたいかである

お前は自分しか信じちゃいない。自分以外の人間を心から信じれない。だから人から愛されないんだ。

否定する材料を探したいんでしょうね。色々言おうと思えば言える材料がたまたまそろっているから、面白おかしくおっしゃりたいんじゃないでしょうか。それで私の何が奪えるというのだっていう感じですよね。

他者同士だからさ、分かりあえなくて当然

(渋谷の路上で歌っていた時)最初は誰ももちろん集まらないですし、私が歌ってるのに目の前でカップルがめちゃめちゃチューし始めたりしたのも、めちゃムカつきましたし、結構忘れられない。東京の路上はキツかったですね

何にもなりはしない。僕が生きていれば、悲しみはいつまでも続くだろう。僕はこんな風に死んでゆきたいと思ってだんだ

大事なのは縛りあうことじゃなくて、お互いがお互いをひきつけ合うことじゃん

テクニックばかりに気を取られる人たちは全ておいてミスをする

どうにもならないことなんて、どうにでもなっていいこと。

人生には不愉快な事柄が多い。だからこれ以上、不愉快なものを作る必要はない

基本的に完成は信用しない

芸術は、われわれに自然が永遠であることを味わわせなければならない

モノを作るというのは、そういう多様な面を併せ持った自分を総動員させながらも、本人が意識しているものを剥ぎ取ったところに妙味が出るものなのではないだろうか

侮辱に悪影響を受けるのは、侮辱に感染しているのだ

僕は楽しいから、成功していると思う

ブルースを忘れない方がいい。いろいろな名前の音楽が流行するけれど基本はすべてブルースなのだ

モネは、ひとえに眼にほかならない。しかし、何という眼だろう

「独りでも生きていける強さ」なんてモノは要らん。リボン付きでプレゼントされても捨てちまうだろうな。独りで生きる意味ってあるのか?俺は孤独には全力で抵抗するよ。いつだって誰かを探すよ。他人が居てこその俺だろう。傷付け合って存在確認だろう。これらを放棄した俺なんて死んでいる様なモンだ。

幅を広げたかったら、知性を磨くことと本当の修羅場をくぐり抜けること

世の中の物事には似たようなものが満ちあふれているわけで、手探りでいく文章とはその似たようなものを飛び石伝いに踏んで渡って行くようなことである。似たようなものをいくつも乗り換えて渡って行くうちに、探しているものの形に次第に近づいていく

オリンピックってどこが優勝したか知ってる?(長野オリンピック後の長野ライブにて)

批評家は常に比較する。比較できないもの、つまり「類まれなもの」はそこからすり抜ける

誰をも恐れない者は、誰からも恐れられている者に劣らず強い

何事もそうだが、中途半端な決断で道を選ぶと、途中で大変な試練があったときに気持ちが挫けやすい

若き時代に数千の帆柱を押し立てて船出したその港へ、老いさらばえて救いのボートに助けられ、人知れず帰ってくる

「満足」って言葉は究極以外使っちゃいけないんだよ

自然を円筒形と球形と円錐形によって扱いなさい。自然は平面よりも深さにおいて存在します。そのため、赤と黄で示される光の震動の中に空気を感じさせる青系統を入れる必要性があるのです

飛べないホソミはただのタケシだぜ

何もかも切り離さずにやってる人たちはたくさんいるよ。ずっと、ちゃんと、いる。

やっぱ俺は唄を選んだ人間なんだなって思ったんだよ。どんどん喋るのが下手になってって、どんどん唄うのが好きになってって、これは唄えって事だ。

俺は黒にはすごく強いイメージを持っていて。例えば、何も悪いことをやっていない神父さんもいれば、元死刑囚だけど途中で神に出会って神父さんになるのでは全然違うでしょう。そういう存在に対する憧れがありますね。そういう人にしか出せない優しさみたいなものがすごく好き。逆に、潔白潔癖なものには優しくない感じがあるんですよ

この会場には仕事やっとるやつ、やっとらんやつ、学校行っとるやつ、行っとらんやつ。いろんな人がおると思うけど、お前らはライブを見に来とる。俺らはライブをやりに来とる。それで問題なかろう。

「五稜郭ジャンキーズ! 」「みんな、牛好きかー?!ジンギスカーン!」(札幌ライブにて)

ロックであるとかないとか言ってるアンタが一番ロックじゃねえんだよ

詩人にとって最大の悲劇は、誤解によって賞嘆されることだ

座って弾き語りやってても激しいなあこの音楽って思う時もある。だけど逆にフルボリュームでアンプ鳴らしてガーって大暴れしてるのに何も感じない時がある。それはもしかしたら内面が伝わってるんじゃないかと思うんですよ。

ミュージシャンなんて死ぬほどいっぱいいるじゃないですか。そんな中で俺らの曲を見つけてくれてね、自分が求めてるものがあるってなんとなく感じて、その中から探そうって思ったその感覚がまずその人の才能であり、努力だったんじゃねぇかな。

高校生の時、僕はズブズブと音楽にのめりこんだ。なにかあるたんびに寂しく一人で音楽を聴くような、僕をそんな人間にしたのは間違いなくパンクがきっかけだと思う

残る音楽を作りたい

夢を夢と呼ぶうちは、それは叶わない。

僕らは、今存在している人達は皆、存在する事を選んだ人達だと思います。

金 金 言うてもヤクザは最後は力や。力失うた人間は 力ある人間にその道 譲らなアカン。冴島 お前は東城会の力や。絶対に強いまま 神室町に戻って来るんやで。

終わりのあるものしか信用できない。終わりのあるものしか生きてないからね。

あなたの人生の灰色を消してごらん。そして内に秘めたカラーで彩るんだ

私は日頃悩んでる事が作品になって、日記みたいなもんなんだけど……

自分の写真に、ほんのちょっと言葉をつけたいと思っていて…。はじめは簡単だと思って書いていたんですけど、あくる日にそれを見直してみたら、全然ダメで驚いたんです

なにが芸術家かって?それを知ってたら、注意深く、ばらさないようにしておくよ

私はいつも、まだ自分ができないことをする

みんながやっぱ、自分は人間のクズだと思ってればさ、素晴らしい世界が来ると思うんだよね(笑)。

いかなる創造活動も、はじめは破壊活動だ

紅葉ってさぁ、葉っぱなの木なの?」(05年夏フェスにて)

常に悲しみを要求する人生に対して、僕らにできる最上のことは、小さな不幸を滑稽だと思い、また大きな悲しみをも笑い飛ばすことだ

Zepp Tokyoには幾つか強烈な印象が残っているライブがあって。以前、声が出なくて点滴を打ってステージに立ったこともあったんですよ。あのライブも良かったんだよな

あなたの日常は唄になるんです。

人の本当の仕事は30歳になってから始まる

僕たちは心の中にたまごを抱えています。何かを経験して心が大きく揺れたとき、たまごはパカッと割れて新しい命が飛び出します。ロックンロールに出会ったとき 僕の心の中で1つのたまごが割れました。それは初恋のように僕を夢中にさせました。今も元気なその心の住人は僕にマイクを握らせました。

みんなの前で歌わんかったら下手になる

作曲には、論理的な思考と感覚的なひらめきを要する。論理的思考の基になるものが、 自分の中にある知識や体験などの集積だ

「命短し、目抜き通りを歩こう」っていう気持ちなんです、今。本当に。人生がどんどんシンプルになってきている

世の中に言いきれることってねえが。 でも恋愛は絶対素晴らしいと言いきるよ

いつからこの国はこんなにもセコイ人間の集まりになってしまったんだ。

生きてりゃ、そりゃあシラケるだろう

久ぶりやのぅ… 桐生チャン!!ワシャ〜 嬉しゅうてたまらんのやぁ。“堂島の龍” と直接やり合える…本物の命張った ケンカができる。なぁ、桐生チャンなら 分かるやろぉ?…なぁ!?

幸福には翼がある。つないでおくことは難しい

現代の若さの最大の悲惨さはもうそれに属さないということ

曲を書く際に、人を感動させようとか、美しいメロディーを書いてやろう、と考えているわけではない

俺達が、日本のミッシェル・ガン・エレファントだー!(98年フジロックにて)

思い出すのは、あんまよくないよ

Alone we can do so little; together we can do so much.
私たちがひとりで出来ることはほとんど無い。私たちが一緒に出来ることはたくさんある。

私は絵を描く夢を見、そして私の夢を描く

私は天才を自覚している

覚めていて夢みることは、眠っていて夢みることとほとんど同じである

傲(おご)ってはいけません。企業は、社会によって存在させてもらっている存在なのです

経営者は、その企業の将来について、もっと時間と思索を割くべきである

余り考え過ごす者は何事をも成し得ない

今までやってきたことを、ひとりひとりが一所懸命やることだよ

笑いどころやないかい!笑えや このボケェ!!

死ぬなとは言わないし、悩むなとも言わない。近道がしたいならすればいい。でも、そこで全部が終わる。我慢してきた努力も未来も夢もやり残したことも記憶も肉体も全部全部。

歌詞の中にこの言葉を入れたら、昔はそれが、「面白いね」とか「馬鹿じゃね」とか、笑われて済むようなところだったのに、今はもう笑えなくなってきたところもあります(コンプライアンスが厳しくなって)

運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする

逃げない、はればれと立ち向かう、それが僕のモットーだ

ドレミファソラシドの中で泳ぎたかった。空白の中にリズムを置いていきたかった。音符のない空白の中にこそリズムを感じたかった。

結局はひたすら考えるしかないという心境になっている

意味もなく生まれてきた人は一人もいない!自分でも気付かないんだ。だから自分らしい生き方をしろ!

惚れたはれたの世界じゃなくて、もっと性別を超越したもの、生命を見つめるようなものーそういう温度にまで、お客さんの器を大きく広げてさしあげることができたらいいと思ったんですよね

何かを生み出していくと、いつか誰かが見つけてくれることもある

いつまで出来るか分からないことだし、毎回これが人生最後でも後悔しないというツアーをやりたくて生きているから、今回も長ければ長いほどいいんですよ

青年は決して安全な株を買ってはならない

普通なことが特別で特別であることが普通なこと

「これはしたくない」「こういうやり方はしない」っていうことさえ自分でわかっていれば、何とかなる気がする

星なんて見えなくたって心の中にありゃぁいいし、なきゃ唄えばいいし、唄えないまま死んだって全然OKだし、だからお前なんか大嫌いだけど大好きなんです。

偉業は一時的な衝動でなされるものではなく、小さなことの積み重ねによって成し遂げられるのだ

「人生っていうのは勝手に与えられるんだから、自分が追求してもいいんだ。幸せ追求権ってあるだろう!」と思ったんですね

悪行の呪いは、絶えずそれが悪を産まざるをえないところにある

素朴に、無邪気に、幼児のような眼をみはらなければ、世界はふくらまない

人は、まず当たり前の作品に対してでも、ある程度は尊重して、それも少しは何かを表していることを認めなければいけない。そして、大いに努力しなければ、その程度にすら到達できない

やり方を学ぶ
