自然に線は存在しない
わがままさっていうのはさ、必要なんじゃねえかなあ
楽しいと楽は違うよ。楽しいと楽は対極だよ。楽しいことがしたいんだったら楽はしちゃダメだと思うよ。楽しようと思ったら、楽しいことはあきらめなきゃダメだね。ただ、生活は楽な方が絶対いいと思うよ。でも人生は楽しい方がいいじゃん。生活は楽に、余計なことには気をとられず人生は楽しく。
周囲からの反対やら妨害やら軋轢やらがあるからこそ、自分が本当は何をやりたいのか、何になりたいのか輪郭がはっきりしてきて、よし、オレの気持ちはホンモノだっていう確信が固まっていく……そういうものなんじゃないのか?
指揮者は、一人の人間を受け入れるために楽譜を書き直したりはしない
例えを言って、それが即、通じるというのは、お互いに共通するものをもっているということ
女性は行動するより前にこうしよう、と考えることがあまりない生き物なんじゃないかと思うんです。先に手が出るというか、体で感じて体で動くっていう
自分に能力がないなんて決めて、引っ込んでしまっては駄目だ。なければ尚いい、今まで世の中で能力とか、才能なんて思われていたものを越えた、決意の凄みを見せてやる、というつもりでやればいいんだよ
生産性を向上させるためにまず問うべきは、何が目的か、何を実現させようとしているか、なぜそれを行うかである
基本的に全てのキャラクターは、レベル99まで上げます(※自身が無類のゲーム好き)
何事も他人に負けてはならないとする気持ちと、決めた目的の下に一刻も油断なく、心の緊張を失わないことが大事だ
(作曲家として)僕は、子どもの頃に「ベートーベン」というスゴイご馳走の味をいっぱい覚えたのが、本当にありがたい
時間が無尽蔵にありさえすればいいものができるという物ではない。むしろ、 期限が決められているのは、モノを作る人間にとってはありがたい事
生産性の本質を測る真の基準は「量」ではなく、「質」である
『健康法』にとらわれないことが、健康の秘訣
「ありきたりな女」を書いたのは、次の曲の「カーネーション」を聴かせたかったからでもあるんです。「カーネーション」は「何を言っているかわからない」とか、散々言われたので。私が意図した通りに聴いていただくために、その導入部分が書きたいな、と思って
高松の不良の皆さんこんばんは!(高知ライヴにて)
昔、『天空の城ラピュタ』を観て、自分の目の前には守るべき少女も追いかけるべき宝もないことに絶望した
人間は、毎日生まれ変わる
どうしてなんだ?どうして俺が来るとこうなるんだ?どうして誰かが、犠牲にならなきゃならないんだ……? なんでだ?なんでなんだ……!
仕事は人間に必要だ。だから人は目覚まし時計を発明した
判断の代わりに公式を使うことは、つねに間違いである
私は最初、写真っていうのは、機械が撮るもんだから誰が撮っても一緒。だから絵とは違うなって思っていたんですけど、そうじゃないんですね。写真って、あなどれないなと思いました
大人になったらなったで、子供の頃よりもっと自分と向き合うんだと思うんです。
熱帯の夜の静寂の中で、私が私の心からの囁きと柔軟な音楽を聞くことができます
過去とは、所有者の贅沢だ。過去を整頓しておくには一軒の家を持つことが必要だ。私は自分の体しか持たない
『大切な人の死』という出来事は、大切な人が自分にくれる最後のプレゼントだと思います。どんな形の死であれ、僕はそう思います。だからこのプレゼントをいつまでも大切に愛することができます。
自分がちゃんと物事をやってる時って人はさ、温和でいられるけど、自分が何もしてない時ほど人が醜く見えるモンだから。
神は、もはや人間の力では助けられない時のみ助ける
口先だけじゃ海を越えられないのさ
人に善をなせば、とがめられるものだ
生きる日のよろこび、悲しみ。一日一日が新しい彩りをもって息づいている
もし私が犬よりも猫が好きだというのなら、それは警察猫というものがいないからである
思い出したいことなんていっぱいありすぎて、いっそのこと全部忘れてしまいたいぐらい幸せなんだよ
We could never learn to be brave and patient, if there were only joy in the world.
もしもこの世が喜びばかりなら、人は決して勇気と忍耐を学ばないでしょう。