手段ではなくて目的
人のだらしなさって、たまに妙な愛しさがあるからずるい
「楽しく続いていくうちは最高に楽しいことをやろうぜ。駄目になったら、それはそれ」っていう考え方の方が、逆に物事が続いてったりするじゃん。もちろん続けることは大切な意味があるけれど、それが目標になっちゃうと挑戦も冒険もできなくなっちゃうからね
学問は生涯を通じて心掛けねばならない
オトナになろうが、教室から武道館になろうが、ひとりの前でやろうが一万人の前でやろうが、やってることって一緒なんだよね。音楽がやりたくてバンドを組むってそういうことなんだ。もう、そこで全部終わっちゃってるんだよ。だから目指すことは、もうないよ。
There is no king who has not had a slave among his ancestors, and no slave who has not had a king among his.
王の先祖に奴隷がいない者はなく、奴隷の先祖に王がいない者はいません。
普通の大人なら、球場はボールが飛んでくるから人にいわれなくても自分で注意する。それができないのは五歳か六歳で、つまりそれがいまの日本人の精神年齢ということだろう
こんなに色んな人が関わりあうのは、俺、音楽しかねぇと思うんだ。てか、音楽しかしらねぇ
人の卓越性は、ひとつの分野、あるいはわずかの分野においてのみ、実現されるのである
私はドラッグをしない。私自身がドラッグだ
ゲームと違って、人生には決まった攻略法はありません
Everything has its wonders, even darkness and silence, and I learn, whatever state I may be in, therein to be content.
すべてには驚くべきものがあります、暗闇や静寂にさえも。そして私はどんな状態にあっても満足して、学びます。
俺は俺でしかない。BUMP OF CHICKENはBUMP OF CHICKENでしかない。いつの時代でも。そういうことを強く目指している。
思いついたことは出来る。思いつかないものは出来ない。これは避けがたく、明白なことだ
運命というのもひょっとしてウィルスみたいなものではないだろうか。それ自体では何事も起きないけど、他の実力をもったサルモネラ菌や、あるいは紙幣や、恋文や、試験の答案用紙や、いろんな物につくことで、それを動かす。でもそれ自体は姿も形もなくて、見ることができない
音楽ってゆうのは、なんだろ。何回聴いても毎回ちがうふうに聴こえてくる
ようやく子どものような絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ
ちっちゃい子供は成人の10倍笑うんだって!! 負けてらんねーっつうんだよ!! あっはっは
ニンジンきらいな馬っているのかな?そりゃいるよな。
確かに……一度 “黒” に染まったモンはどこまでいっても “黒” や。そっから抜けることはできん。けどな、それでも噛みつく相手選ぶくらいはできる。それが俺の流儀や
画家とは売れるものを描く人のことで、アーティストとは描くものが売れる人のことをいう
愛しあう前と後では、火の消えたランプと火のともったランプほどの違いがある
もともと変わった曲にしようとしていたわけじゃなくて、自然に出来たんで。まぁ、奇跡って言い方はおかしいですけど、偶然的にあのような曲になったっていうところも大きいんですよね(『サイレン』について)
(印象派について)彼らはもっぱらその装飾の結果のために、真実を妨害するように、自由なしで、色を使っています。彼らは目だけで物を見て、神秘的な思念を基にしていません。彼らは単に明日の公式画家です
生まれたら最後死ぬ訳じゃないですか。それはもう生き物として当たり前の事で。
「出来ないこと」ではなく、「出来ること」に集中しなさい
くたばりたいってのはもう無くなりましたね。それは多分、裏返しじゃないですか、生きていたいっていう事の
太陽が輝くかぎり、希望もまた輝く
Our life is our art.
人生はアートだ。
見るために、私は目を閉じる
興奮した党派の叫びの中から、真理の声を聞き取ることは難しい
自然は生命を更新するためにのみ死を役立てる
オリンピックってどこが優勝したか知ってる?(長野オリンピック後の長野ライブにて)
人間にとって成長ないし発展とは、何に対して貢献すべきかを自らが決定できるようになることである
作詞には苦しむことが多いです。曲がもともと持っている性格みたいなものは自分でコントロールしてるわけじゃない。自然に持ってるもので、それをいかに感じ取ってふさわしいものにするか。ふさわしい詞というのはもともと決まっているようなものという認識。
神々と肩を並べるには、たった一つのやり方しかない。神々と同じように残酷になることだ
抽象画なんてものは無い。とりあえず描き始めて、それから現実の痕跡の全てを排除していくのだ
日本人はやはり全員が五、六歳か、もしくはたんなる訴訟の素材なのだ
Life is an exciting business, and most exciting when it is lived for others.
人生は胸おどるものです。そしてもっともワクワクするのは、人のために生きるときです。
確かに2年前、俺はお前の相手が出来んかった。それはなぁ…… あん時のお前が弱過ぎたからや!
世の中の物事には似たようなものが満ちあふれているわけで、手探りでいく文章とはその似たようなものを飛び石伝いに踏んで渡って行くようなことである。似たようなものをいくつも乗り換えて渡って行くうちに、探しているものの形に次第に近づいていく
仙台って『陸の孤島』だよな。 (仙台ライブにて)
砂漠では、教養など何の役にも立たない。生きる技術を持っているかどうかが生き残れるかどうかを分ける。厳しいビジネスの世界も同じである
仕事は点ではなく線だ
何が伝わってほしいって言ってさ、いろんなメッセージとか、いろんなことを訊かれるんだけど、何もないんだよ。みんなが楽しくなってくれたら、もうそれで僕たちがやりたいことは100%成し遂げられてるんだ
(バンド活動においての演奏技術など)スマートにできない分、ぶつかって行くしかない、気持ちで行くしかない
俺は「頑張らなきゃダメだ」と唄った事はないし、「這い上がって来い」と唄った事もない。 でも、歩み寄って来てくれたなら最高の味方になるし、ほっといても邪魔にはならないし、そういう音楽だと思いますね。
明日に引き伸ばせば、それは死んでしまう
妄想と勘違いでロックンロールは転がり続けてるんだから、これを解放しないことには何も始まらない。
幸せのまんま放っておいてほしい
「桃太郎ってどこにいるの? 山? (客:『家にいるよ!』) 今度見せて。」(岡山ライブにて)
I do not want the peace which passeth understanding, I want the understanding which bringeth peace.
私は理解を超えた平穏を求めているのではありません。むしろ、平穏をもたらす理解を求めています。
生活と人生は違う。質素な生活、豊かな人生。
Imagine all the people living life in peace.
想像してごらん。だれもが平和に生きていることを。
国が無くなっても自由に生きられるよ。国なんていう考え方に縛られているのは人間だけだ。
自然に線は存在しない
俺はゆるキャラだがなぁ、お前らを見逃すほどゆるくねぇんだよ
やっぱりゴツいなぁ。桐生ちゃんよ。
芸術家にとって、自然の中に醜いものなど決して存在しない
勉、つとめるというのは、自己の力を出し尽し、目的を達成するまではどこまでも続けるという意味合いを含んだ文字である
誰かが勇気ある決断をしなければ、どんな事業も成功しないだろう
なんかさー、ほら、あんまり愛された経験とかねぇだろ? お前らもそうだと思うけどさ。もう受け止めきれないんだよね。幸せ死にっていうジャンルがあったら確実に死んでる…いま
暴力は、常に恐ろしいものだ。たとえそれが正義のためであっても
私、雑音がほしくて。綺麗なノイズのない環境が嫌
体力的な無理はできるけど、精神的な無理は良くない
俺、ホント、意味ねえと思うもん人生なんて。「人は何のために生まれてきたのか、何をすべきかなのか」なんて、どうでもいいじゃん。そんなの誰にも決められないことじゃん。自分で決めるんでしょ、人生の価値ってのは。本当に自分が素晴らしいと思うことに一生を費やすこと、それがいちばん価値があること。
本物の涙は、悲しい一ページからではなく、見事に置かれた言葉の奇跡から引き出される
私は常々「偶然耳にされたリスナーの方が、わくわくなさるような時間を提供せねば」と考えています。せっかくなら。子供の頃観た歌番組では、いろいろな歌手がよく、一緒に歌ったりしていました。ああいうフランクさが近年どんどん失われているのを寂しく思っています。
このまま行けと、僕の中の僕が命じるんだ
1回でもつまらない仕事をしちゃえば、そこで終わり
批評家は常に比較する。比較できないもの、つまり「類まれなもの」はそこからすり抜ける
God is a concept by which we measure our pain.
神は痛みを測る概念にすぎない。