なんとなくこうなる気はしとったやろ、吾朗!泣いたらあかん、泣いたらあかんで!
ただ大人たちにほめられるようなバカにはなりたくない
基本的に私は家の中で曲を作る
世界中で今日もどこかでライブがあるだろうし、明日もどこかでやるだろうし、世界中でも何百何千万、すごい数のライブがあるんだろうけど 、俺の言ってるこのすげえロックンロールっていうのは 多分、ほんの一握りなんだよ
やっぱりその時(写真を撮った時)に「良い」と気が付くのは感覚というか、その時の感受性ですからね。それがないとゴミはゴミのままなんですね。実際にゴミだったのかも知れないし、わからないですよね。写真は固定されたものではないっていうのを実感しますね
例えを言って、それが即、通じるというのは、お互いに共通するものをもっているということ
俺が兄さんをムカつかせたんなら、謝ります
楽しくなかったら絵なんか描きませんよ
私は捜し求めない。見出すのだ
偉業は一時的な衝動でなされるものではなく、小さなことの積み重ねによって成し遂げられるのだ
お前らがライヴを見ている瞬間は、甲本ヒロト、そしてブルーハーツってバンドはこの宇宙のどこをくまなく探しても、お前らの目の前にしかおらんのじゃ。
さよならとか別れとか、似たことしか歌わなくなってきたなあって。でも本能では、自分はそういうものを書いていくんだろうなってわかっていて
画家の質はその人の過去の経験の量に左右される
まったくもってロックンロールはすげえ。ほんとに。だけど そんなにすごいロックンロールでも 世界中に一握りしかいないんだ
5年も6年も前の曲。これから歌う曲。この曲書いたときあぁ夢見てるんだねっていわれた。夢追いかけてると必ず言われることがあんだ。お前らも言われてると思う。俺らもよく言われた。今でも言われんだ。[大人になれ]って。でも大人になったからって夢みないってのとは違うと思うんだ
オレは糞っタレのダメ人間!お前ら、オレみたいになんなよ!…でもさ、お前らがいるからこんなオレでもここに立てた。今のオレにはもう歌うしかねぇ、だからお前ら、オレにもう少し付きあってくれ
自然は無限に分割された神である。神と自然は、完全に相等しい二つの偉大な力である
経験も知識も上手く活かせないと意味がない。 自分を狭めてしまうような経験だったら、豊富にならない方がいい
愛してるってどういうこと?愛してるって言葉の響きが重すぎるよ。愛せる程立派な人間じゃないですよ。
反原発集会へのお誘いも多かったけど、そういうところへ行って歌えば受けるの当たり前だし。目にみえててつまらない。むしろ推進派の集まりに呼ばれてやりたかった。
砂漠では、教養など何の役にも立たない。生きる技術を持っているかどうかが生き残れるかどうかを分ける。厳しいビジネスの世界も同じである
いつからこの国はこんなにもセコイ人間の集まりになってしまったんだ。
芸術家を何とお思いか。画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。それはとんでもない勘違い。芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている
儚いって言う字は『人』の『夢』っていう形をしているけれどそんなものぶち壊して、ざまぁ見ろって言ってやりな。
たとえこの人生が負け戦であろうと、いずれにせよ僕は「良い戦い」をしたい
『無罪モラトリアム』の意味は、一個の人間としてまだ社会に出なくても許されてる立場の人間。さらに「無罪」って言って、立場的にも生きてる事が許されるんだって付け足したかった
自分の置かれている環境を整備しないと、レベルというものは、いとも簡単に下がっていく
たいていの経営者は、その時間の大半を過ぎ去った「きのう」の諸問題に費やしている
真の芸術家とは、喜びのために仕事をする唯一といってよい人達だ
生きてりゃ、そりゃあシラケるだろう
あなたの中に、あなたの知らない芸術家がいる。彼は月夜に物事がどの様に違って見えるか興味がないのだ
お芝居の世界でお仕事をするときは、簡単にベラベラしてはいけないというのは自分の中にあるんですよね
何か感じたり思ったりしたことっていうのは、将来の何かに影響してんだよな
お前らが全員霜降り肉に見えるぜ!(兵庫ライブにて)
わたしは立ち止まりはしない
偉大な男の背後には必ず、その男を愛してくれる女がいた。「愛する女がかなえてくれるレベルより、もっと偉大になんか男はなれない」という言葉には、多くの真理が含まれている
多くの人が渇望するような、毎日の生活で繰り返し聴く必要のあるものでなければダメでしょって思っています。
楽しいことは、みんないい事だとは思わないか?つまらないことは、罪悪だとは思わないか?
「お客様は神様」ですから
基本と原則に則っていないものは、かならず破綻する
好奇心と衝動は音楽を作る上でめちゃめちゃ大事
私は天才を自覚している
ひらめきも何も考えていないという事ではなく、必死に悩んで考え、自分を追い込んだ結果として、ぽっと生まれるもの
たった一曲だって、他人に最後まで聴かせるということは、結構すごいことなんだ。音楽に限らず、映画だってマンガだってお笑いだってね
目の前で女殴られて引き下がれるほど大人じゃあねえんだ・・・
芸術は、われわれに自然が永遠であることを味わわせなければならない
国が無くなっても自由に生きられるよ。国なんていう考え方に縛られているのは人間だけだ。
普通、表現の仕事であれば作者というものがいますよね。しかし、トマソンには作者というものがいないんです。そこがむしろ面白くて、だから「偶然」とか「出会い」ってことが一番不思議なことに思えてくるんですよね
俺はあれについて、一つ勘違いして欲しくない事は、孤独に強くなって欲しんじゃなくて、今よりもっと孤独を怖がって欲しいって事。(バイバイサンキューについて)
(18歳の頃)もしかしたら現実逃避したかったのかな
(どんな音楽を聴いて育った?)スピッツ、浜田省吾、平井堅、ユーミン、BOØWY、オザケン、フリッパーズギター。でも自分が学生時代に流行っていた、HYとかORANGE RANGEなんかもたくさん聞いてきました
学ぶことは何もないの。楽しむだけでいいんだ
素晴らしくマネジメントされた組織というものは、日常はむしろ退屈な組織である
苦しい時には、自分よりもっと不幸な男がいたことを考えよ
いかなる成果もあげられない人の方がよく働いている。成果の上がらない人は、第一に、ひとつの仕事に必要な時間を過小評価する。第二に、彼らは急ごうとする。第三に、彼らは同時にいくつかのことをしようとする
音楽は言語のルーツなんじゃないかな
上司を過大評価することはあってもいいが、決して過小評価するな
僕らは、今存在している人達は皆、存在する事を選んだ人達だと思います。
大多数の世間の人々が、平凡な一生を終るのは志が小さく、意志が弱いからだ
下手のほうがいいんだ。笑い出すほど不器用だったら、それはかえって楽しいじゃないか
アーティストの生き方を曲に乗せて、憧れていただく。あたしは全然そういうのやってないんだけど、語られる時にすごく良くないもののように、見世物のように言われますが、実際にはその時お客さんが欲してらっしゃる、期待してきたものであり、それを超えるものでなければいけないと思ってます。こちらの生活、暮らしとか気分とか、そういったものは一切知られてはいけない。それが芸。
意図して作ったものがそういう結果になるとは限らないし、絶対、狙いにいかないほうがいい
音楽っていうものは言ってしまえば母の腹の中に着床した時からだと思うんですけど。その後は、父のモーツァルト好きが高じて多分モーツァルトが多かっただろうと。で、私が「音楽」として自覚したのはそれを否定し始めたときだと思う。
約束の額だ・・・悪く思うな。
私は対象を見えるようにではなく、私が思うように描くのだ
集中が必要なのは、仕事の本質と人間の本質による。いくつかの理由はすでに明らかである。貢献を行うための時間よりも、行わなければならない貢献の方が多いからである
急にひとりぼっちにされちゃった気持ちになったんですよね。共犯者はいっぱいいるのに、私だけが訴訟を起こされてるような。
(上京前に自身で)ツイキャスで配信やってて、オールナイトすっぽんぽんっていうのをやってた
自分が良いと思うものを「ほんまに良いものなんです!」って言い通したり、自信のあるものは「自信があります」って言うのが、やっぱり大事。
大事なものは他者に求めてはいけないと思ってた
子どもは誰でも芸術家だ。問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかだ
運命に耐えているとき、そこに真理が見える
第一印象というのは作り手として「いいものを作ってやろう」という思いから生じる余計な観念にまだ支配されてないから、感じたままが最も素直に表れている
激流にも耐えうる柱のように揺るぎない信念を心に持て
期待なしに恋をするものだけが、真の恋を知る
俺はマコトを殺せへんかった……俺にはマコトを生かした責任があるんや。ただ命があったらええってことやない。人として生かさなアカン責任や。極道の食い物にはさせへん……!
選択肢とか自由な表現が辛いのは、自分という位置の束縛が出てくるからである。自由による束縛といってもいい。いまの子供たちは、自由な表現というものを強要されて、ずいぶん辛い思いをしているのではないか。表現したいことなんて特になくても、とにかく自由にして見せないといけない。それよりもむしろ固苦しい習いごとを押しつけられて、そのことに抵抗を感じている方がよほどネイティブの自由がふくらんでくる
Living is easy with eyes closed, misunderstanding all you see.
目を閉じてれば、生きるなんて楽なことさ。目を開けてるから誤解が生じる。