


I don’t believe in killing whatever the reason!
どんな理由だろうと殺しはいけない!

人生に命を賭けていないんだ。だから、とかくただの傍観者になってしまう

イライラや不満を、ただ我慢することなんだよ。いつか来るための大切なエネルギーだから

(印象派について)彼らはもっぱらその装飾の結果のために、真実を妨害するように、自由なしで、色を使っています。彼らは目だけで物を見て、神秘的な思念を基にしていません。彼らは単に明日の公式画家です

ウインカーはひっこめようぜ、俺たちは直進するんだ

(「日出処」のタイトルについて)意味としては、「メーン・ストリート、目抜き通りを闊歩したいと願っている人物の、色んな瞬間を切り取った曲たち」という風にストーリーをつくりたかったんです

俺は右でも左でもかまわないんだ。そんなことどーでもいいんだ。右にどんどん行ってみろ。やがて左側に来ているのさ。地球は丸いからね。

完璧を恐れるな。完璧になんてなれっこないんだから

多数とは何か?多数は阿呆のみ、真理は常に少数者にある

今回この写真文庫(岩波写真文庫)を一冊ずつ選んで、いまの世から眺めていきながら、時代の空気というものをつくづく感じた。活字、つまり言葉では説明しきれないことが、写真からはぷんぷん匂ってくる。このシリーズは、戦後の空気の貴重な貯蔵庫だ。いまの肥満ぎみの世の中は、じつはこの空気を吸うことからはじまっている。良くも悪くも、この空気がいまの日本人の両親なのだ

俺が兄さんをムカつかせたんなら、謝ります

横浜港町・・・・・(この間、観客の歓声)おぅ、何か、微かに海の匂いがするぜ。(99年1月17日横浜アリーナにて)

盗作は情けない

寝床につくときに、翌朝起きることを楽しみにしている人間は、幸福である

好奇心と衝動は音楽を作る上でめちゃめちゃ大事

ゴッホは美しい。しかしきれいではない。ピカソは美しい。しかし、決してキレイではない

昔の夢によりかかったり、くよくよすることは、現在を侮辱し、おのれを貧困化することにしかならない

曲が浮かぶのは、いつも本当に突然です

色々不安だろ?なあ、イライラするしなあ。それなあ、大人になっても不安だし、50過ぎてもイライラするから、そのまんまでいいんじゃないすか。物事解決するよりも、イライラしたまんまさあ、ロック聴きゃあいいじゃん。うん。

内を見るよりも外を見るほうが易しい。しかもそのほうが賢い

「ブルーフォレスト! 」「ねぶた根性見せてみろ! 」(青森ライブにて)

ライブで観たときのダイナミクスってすごいでしょう。そのための技術を磨いておきたいと思いながらやってきたけれども、ライブってそれだけじゃ足りなくなる瞬間があって。そのときに引っ張り出されてきているのが人間力みたいなものなのかもしれないけれど、あまりそこに頼りたくないと思いつつ、歌っているだけですごいと言われるような歌い手になりたいというのはずっとあるんだよね

真のイノベーションと新奇さを混同してはいけない。イノベーションは価値を生む。新奇さは面白いだけである。ところが組織の多くが毎日同じことを行い、毎日同じものをつくることに飽きたというだけで、新奇なものに取り組んでしまう

確実にたくさんの曲を作り続けていくには、気分の波に流されてはいけない

「楽しく続いていくうちは最高に楽しいことをやろうぜ。駄目になったら、それはそれ」っていう考え方の方が、逆に物事が続いてったりするじゃん。もちろん続けることは大切な意味があるけれど、それが目標になっちゃうと挑戦も冒険もできなくなっちゃうからね

僕は一生のうちに一晩でいいからあんなふうに歌えたら、死んでもいいと思った。

少なくとも僕にも誰かを楽しませることはできる

人生は退屈すれば長く、充実すれば短い

「今日単車で来たやついるか?」(客ワァァァ)「気をつけろよ」→GT400演奏(FRFにて)

結果オーライって凄くいいことだと思わない?

空に手を掲げれば、俺はここに存在してるって信じられる気がする。それは必然ではないけれど、存在理由として必要だと思う。要は下ばかり見るなってことだ。

人間は自らが望む未来の大きさに合わせて、成長する

シンメトリーになってないと気持が悪いんですよ。呼吸が奇数だったりすると、「急いで吸わなきゃ!」みたいな気になる。対に関してはかなり重症なので。

本気も本気 “大本気” や!

紅葉ってさぁ、葉っぱなの木なの?」(05年夏フェスにて)

音楽が自分のすべてです

僕らがひきこもらない理由は、街に出れば女の子がいるからだ

僕らの音楽は誰にも揺るがされなくなりました。他のどんな要素にもびくともしない、僕らと音楽の関係が完全に守られました。

もし仕事というものが、人間にとって生きることのあがないではなく、生きることの目的であったら、人間はどんなに幸福だろう

自分の写真に、ほんのちょっと言葉をつけたいと思っていて…。はじめは簡単だと思って書いていたんですけど、あくる日にそれを見直してみたら、全然ダメで驚いたんです

沈黙は絶叫よりも恐ろしい

言葉は自由自在なので、聞き手や語り手によって自分も全く思ってもいない方向に変形してしまう面白さもあれば、それが自分の考えとは真逆に動きすぎて混乱しまう場合もあります

もし私が犬よりも猫が好きだというのなら、それは警察猫というものがいないからである

急流中底の柱、即ち是れ大丈夫の心

99回倒されても、100回目に立ち上がればよい

生きているうちに天才って言われたい

僕はどんな完成の仕方をしてもその人の実力だと思う。聴く人の実力。だからみんなそれぞれ立派に仕上げてください。そこで自分が楽しい 最高じゃんと思ってくれたらすごく嬉しい。

絵を描き始める前に、すでにそれは私の心の中に形作られている

手を伸ばせば掴んでやるよ。掴んだら離さねぇぞって自信はある

見放さなければ、失うということもありません

俺は峯に教わったんだ。信じる心ってのは・・・人間死ぬ間際でも持てるんだってことを・・・!

自信のあるものは「自信があります」ということが大事

I think our society is run by insane people for insane objectives.
僕らの社会は、ばかげた目的のために、あきれた人々によって動かされている。

間違いは神聖なもの、それを正すというよりは合理的に考え、誤りを理解せよ。そうすれば間違いを昇華することが可能になる

明日は明日の風が吹くんだ。明日の風には誰も逆らえないぜ。今日を生きるしかないだろう。明日も生きてるとは限らないしな。

オルタナをやり始めた時は、「暗い」「分かりにくい」という声があって、若干構えてしまったんです。力技で分からせてやるみたいな余計な力が抜けたんじゃないかな。すごく文字にしづらいかもしれないけど、スイングスピードが速いストレートを自然体のフォームで打てるようになったというか

目の前で襲われてる女の子を黙ってみてられるほど、俺は大人やないんや。

100の好きを見つけても1の嫌いに心を裂かれたりもするし、言葉や感情は、削れば削るほど尖っていったり伝わりやすくなったり。自由自在の怖さ!

現実とつじつまが合わないイノベーションを手掛けてはいけない。そのようなイノベーションが実を結ぶことは希である。たんにその新奇さのゆえに、魅力的に見えることが少なくない。しかし、それらの多くはたとえ失敗しなくとも、莫大な資金と時間を要する

やっぱりゴツいなぁ。桐生ちゃんよ。

同じことは二度とできないし、マネもできないんですよ。

夏は嫌いなんだけど、夏の土の臭いが凄い好き。

手慣れたものには飛躍がない。常に猛烈なシロウトとして、危険をおかし、直感に賭けてこそ、ひらめきが生まれるのだ

私は、自分の作品に心と魂を込める。そして制作過程では我を失う

やるからにはナンバーワンを目指したい

自分が作った曲をいっぱい聴いてもらえたり楽しく歌ってもらえるんが1番嬉しい。難しいこととか考えたくない!作るのが楽しい、歌うのが楽しい、誰かのの思い出になれる事が嬉しい

人のだらしなさって、たまに妙な愛しさがあるからずるい

膝からなし崩しに倒れてしまうような、そういう曲ができちゃって。『なんだこれ?』と思って。とりあえずでも1曲出来上がったと。わけわかんねえって気分のまま東京に帰って。で、歌ってみて、そういう現象で。人知れずひっそり泣いてみたりとか泣けなかったりとかそういう夜もあったりして。(Title of mineについて)

この世には、何一つ決まってることなんてないんだよ。 ただ、そう思いこんでるだけ。

俺は本当はもっとすごいんだけど、というのがどっかにある

芸術は何かっていうと、抑制だよね

監督の意向に従うことは大事だが、望んでいる通りのものを書いていたのではいけない

例え、一流よりもいい音が出せたとしてもまだニ流なのです。大事なのは、その音を出し続けることができるかということ

テクニックばかりに気を取られる人たちは全ておいてミスをする

ひらめきも何も考えていないという事ではなく、必死に悩んで考え、自分を追い込んだ結果として、ぽっと生まれるもの

想像できることは、すべて現実なのだ

僕は成り行きですね。でも、怠けないと思う。大好きだから

何処に居ても俺らの唄声とか届いてると思うし。

やっぱ東城会はアホばっかりや。大好きやで。

Our life is our art.
人生はアートだ。

創造の最大の敵は「良い」センスだ

フェスにはいろんな人のいろんな思惑が絡み付いて、そんなの誠実じゃねーじゃねぇかと思うこともあるんだけど、音楽好きな奴らが集まって、音楽しか能のねー人間が精一杯演奏する。こんなシンプルな関係は政治なんざには負けやしねぇ

運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする

絶望で生きてようと、希望で生きてようと、どちらも生きてるんであれば、まずそれが奇跡だなと。生きてることが本当にミラクルなことだと思うんですよね。

先に見出し、後に捜し求めよ

I believe in God, but not as one thing, not as an old man in the sky. I believe that what people call God is something in all of us. I believe that what Jesus and Mohammed and Buddha and all the rest said was right. It’s just that the translations have gone wrong.
僕は神を信じているけど、唯一のものではないし、空の上の年老いた老人としてでもない。僕は、人々が神と呼ぶものは、僕たち全員の中にあるものだと信じている。イエスやムハンマド、ブッダやその他の人々が言ったことが正しいと信じているよ。ただ、解釈が間違っているだけだと思う。

ジャンルがどうとかじゃなくて、音楽全般、様々な角度と方向にどんどん広がってほしいと思う。限りある音楽ファンを奪い合うイメージで話しちゃうとどんどん貧しくなるけど、そもそも、音楽文化自体にそれほど興味を持ってもらえてないってのは骨身に沁みてる。

重要なことは明日何をするかではなく、今日、何をしたかである

経験も知識も上手く活かせないと意味がない。 自分を狭めてしまうような経験だったら、豊富にならない方がいい

誰のようにもなりたくない

親切ではないけど、やさしい。丁寧ではないけど、やさしい

少なくとも自然は、生命を更新するためにのみ死を役立てます

今日のライブは、俺達の大親友だったアベフトシに捧げます。(2009年8月 RSRにて)

人生の長さは一秒にも満たない。その僅かな時間に永遠に向けての準備をしなければならないとは!

自然に線は存在しない

子どものころから、四角形に対する漠然とした疑問はありましたね

努力というのは、恐らく運や偶然を追いつめて縮めて微細なものにしていって、自分で掴まえやすくするためのものではないのかと思うのである

個人としての嗜好が投影された「普通にそのままのもの」っていうのがあるべきだと、私は思ってしまう
