


God is a concept by which we measure our pain.
神は痛みを測る概念にすぎない。

これからは自分の為に歌おうと思います。 俺が俺であることを好きでいるとその日はすげぇー楽しいのね。でも俺が俺であることが嫌になってしまうと、その日1日もぅ何もかもが駄目なわけ。俺はかっこよく生きたいです

昔のファミコンの音楽は、3音しかありません。だから、本当に必要な音だけを残す作業を行いました

親切ではないけど、やさしい。丁寧ではないけど、やさしい

恋はその始まりがいつも美しすぎる。だから結末が決して良くないのも無理はない

自分の好きな音を勝手に出す、出したい音を出したらいい

何もかも切り離さずにやってる人たちはたくさんいるよ。ずっと、ちゃんと、いる。

線の芸術と色の芸術とがあるように、言葉の芸術だってそれより劣るものじゃない

何びとも信用しない者は、己れ自身が信用されていないことを知っている

全部欲しいって言ってたら、本当に欲しいものが薄くなっちゃうよ

俺は右でも左でもかまわないんだ。そんなことどーでもいいんだ。右にどんどん行ってみろ。やがて左側に来ているのさ。地球は丸いからね。

複雑なものはうまくいかない

会計学者や経営者は「純利益」という言葉を使うが、企業経営ではそんな言葉を使ってはいけない。「フューチャー・コスト(未来費用)」と呼ぶべきだ。企業というのは、リスクを負うために失敗することもある、そのときのために未来のコストを留保してあるのであって、利益の蓄積ではないのだ

20代で音楽的に成熟したものや洗練されたものを書くには生意気に見えてしまいそうでしょう。20代は本当にずーっと困っているという感じでした。30歳くらいから力加減を探っていけるようになってきて、ここ数年でやっと、等身大の仕事をするようになってこれた気がしています。すると今度は体力が落ちてきて……ねえ、人生って。それも全部描くしかないです。

著者の死後、彼の日記を読むことは、彼からの長い手紙を受け取るようなものだ

広島も付き合い長いな。しかし、付き合い長いとなんか感情が湧いてくるよな。こういうの、何ていうんだ?……憎しみ? (広島ライブにて)

自分が嫌いな相手にまで好かれたいとは思わないですし

人間は自らが望む未来の大きさに合わせて、成長する

煮詰まったらドラクエやる

一人立てる時に強き者は、真正の勇者なり

人生は意義ある悲劇だ。それで美しいのだ。生き甲斐がある

私は天才を自覚している

問題の分析によって解決案が一つしか見つからなければ、その解決案は先入観に理屈をつけたにすぎないものと疑うべきである

自信のあるものは「自信があります」ということが大事

癌もロックンロールだ。

何も考えないで、何も判断しないことが、一番の罪だと思う

俺には嫌いなタイプの人間が2種類おってなぁ。1つは、人が苦労して取ったぬいぐるみちゃんたちをバラすようなアホンダラ……もう1つは、立場の弱い女子供を食い物にするようなクソッタレ……どっちもお前らのことじゃボケェ!

なんとなくこうなる気はしとったやろ、吾朗!泣いたらあかん、泣いたらあかんで!

東芝で電話番しながら、すごいハッタリ言ってました。「やれば売れるって誰に言ったら分かってくれる?何でも歌うよ?社長呼んできてよ!!」って。

反者から学ぶ事はたくさんあるけど本当に大事なのはそっから先に行く事だ

「人生っていうのは勝手に与えられるんだから、自分が追求してもいいんだ。幸せ追求権ってあるだろう!」と思ったんですね

NUTOPIA has no land, no boundaries, no passports, only people.
ヌートピアには、国土も国境もパスポートも持たない。人々だけだ。

そうだったな。俺らはいつもそうやって生きてきたんだったな。

周囲からの反対やら妨害やら軋轢やらがあるからこそ、自分が本当は何をやりたいのか、何になりたいのか輪郭がはっきりしてきて、よし、オレの気持ちはホンモノだっていう確信が固まっていく……そういうものなんじゃないのか?

ルソーの「ラブレターを書く時は、何を書きたいか何も考えずに書き始めて、それが思い浮かぶ前に書き終えろ」っていう言葉があって。

(20代の時にやっておいた方がいいことはありますか?という質問に対し)簡単だよ、やりたいこと。

うわー凄げぇな。学校や会社でうまくいってない奴らがここには多いと思うけど、そんな奴らが集まるとこんなキレイな景色になるんだな

「最初はグー」ってなんであるんだろう。

時間は私たちに残された数少ない大切なものだ

孤独であって、充実している、そういうのが人間だ

明日は明日の風が吹くんだ。明日の風には誰も逆らえないぜ。今日を生きるしかないだろう。明日も生きてるとは限らないしな。

選んだ道のその先よりも、選ばなかった道の運命を考えることの方が多い

人々を動機付ける能力がなくては、経営者とは言えない

ロックは世界を変えることができない!世界を変えるのはお前らだ

生命の一分が過ぎていく!それを在るがままに描き、それをなすためにはあらゆるものを忘れよ!そのものになりきれ・・実際に見るもののイメージを与えよ

僕は死なないと思いながら死ぬんだろうな。

10年後に生きている確率よりも、明日生きている確率の方がきっと高いじゃないですか。だから明日持つ夢の方がすごく大事です。

自分には才能がないって思っていたんですけど、今は自分には絶対に音楽の才能があるんだと思いながらやっています。

今の音楽の置かれてる状況の事とか、悲しくなっちゃう所がありますよね。パソコンで150円で買えるとか、若い頃の自分にとって凄い高かった、3000円とか2800円っていう感覚、その感じがもう無いっていうのは、なんかちょっと悲しいですね。

成果をあげる人とあげない人の差は才能ではない。いくつかの習慣的な姿勢と、基礎的な方法を身につけているかどうかの問題である。しかし、組織というものが最近の発明であるために、人はまだこれらのことに優れるに至っていない

(渋谷の路上で歌っていた時)最初は誰ももちろん集まらないですし、私が歌ってるのに目の前でカップルがめちゃめちゃチューし始めたりしたのも、めちゃムカつきましたし、結構忘れられない。東京の路上はキツかったですね

自らの果たすべき貢献は何かという問いからスタートするとき、人は自由となる。責任をもつがゆえに、自由となる

手には、物を掴む手と放す手がある

調子が良くなかろうが、ノルマを達成するように進めていかなければこなしきれない

音楽ってゆうのは、なんだろ。何回聴いても毎回ちがうふうに聴こえてくる

組織のマネジメントとは、凄い人材を入れることや改新的なサービスを導入する事のように思われているが、一番重要なのは、今ある人材と資産で何ができるかを考えることである

今日はジョン・レノンの命日。家に帰ってイマジンを聴く

肝心なのは感動すること、愛すること、希望を持つこと、打ち震えること、生きること。芸術家である以前に、人間であることだ

大切なことは、熱狂的状況をつくり出すことだ

久ぶりやのぅ… 桐生チャン!!ワシャ〜 嬉しゅうてたまらんのやぁ。“堂島の龍” と直接やり合える…本物の命張った ケンカができる。なぁ、桐生チャンなら 分かるやろぉ?…なぁ!?

この国は島国だから、なかなか人間の本当の痛みは伝わってこない

私は「わかってたまるか」っていうことをやるのも面白いと思ってます。いまだに。

自分には絶対に音楽の才能があるんだと思いながらやってます

美しさの極致は一人の女にだけあるのではない。すべての女にある。彼女たちはそれを知らないが、皆がこの美に到達するのだ。ちょうど果実が熟するように

僕たちは心の中にたまごを抱えています。何かを経験して心が大きく揺れたとき、たまごはパカッと割れて新しい命が飛び出します。ロックンロールに出会ったとき 僕の心の中で1つのたまごが割れました。それは初恋のように僕を夢中にさせました。今も元気なその心の住人は僕にマイクを握らせました。

好きなことをやるためには没頭する時間が必要だろ。

自分の感情を音楽を通じて人々の前に発表してみたいという心がなければ、作曲しないほうがいい

自分のああいう時の、ああいう行動が知らぬ間に自分の手を汚してたと。つまり誰かをはじき出してたところがあったというか。読者の方にもそういうことぐらいはあると思います、たぶん。ないかな?怖いな、すごい怖いな。

歓びは、自然を動かす強いバネ。歓びこそは、大宇宙の時計仕掛けの歯車を回すもの

何にもやってなかったなあって気持ちになる時もよくあるよ

聴くのをサボんなよ。俺歌うから

自分を肯定するために一所懸命考えるんだ

数千のアイデアを育てて、やっと一つの成果を得ることが出来る

意味もなく生まれてきた人は一人もいない!自分でも気付かないんだ。だから自分らしい生き方をしろ!

チャンスは鳥のようなものだ。飛び去らないうちに捕らえよ

どうせやり切るなら極限までやっちゃえ!

(今の社会、政治についてどう思うか問われて)僕がちょっと油断してたから悪くなりました。どうもすみません。

自分の声は好きじゃなかったです。凄い低いし。でも音楽やりはじめてからは気に入ってる

僕は一生のうちに一晩でいいからあんなふうに歌えたら、死んでもいいと思った。

何事も他人に負けてはならないとする気持ちと、決めた目的の下に一刻も油断なく、心の緊張を失わないことが大事だ

本当に。自分は誤りのない人間だと例外化してしまうのが、いちばん恐ろしいことだなと自分を戒めます。あとは、発言や行いや考えを批判することと、人を非難することの違いを考えてます。この違いって、悩ましいんですが、結構大きいことなんじゃないかと思っていて。

低気圧が僕を責め立てる。

過去とは、所有者の贅沢だ。過去を整頓しておくには一軒の家を持つことが必要だ。私は自分の体しか持たない

僕はいろいろなとこでいろいろな人に聞かれるんだよ。『楽しけりゃいいのか?』って。いいんだよ。そのかわり,楽じゃないんだよって。漢字で書いたら同じじゃんって。

言いたいことは言う。 その時は心を込めて言う。

ゲームも人生も、逃げたら経験値は上がりません

ダサいんですね。言葉を入れすぎると説明になっちゃって、言葉も写真もつまらないものになってしまうんです

芸術愛は真の愛情を失わせる

家の仕事をしている女性は、この世でもっとも美しい

頭を使いすぎると楽しくなくなる。それより 大事なのはココ(胸を叩いて)じゃん。誰にも譲れねぇってものが1つや2つ絶対あるだろ。それを大事にしてやろうぜ

もし婦人の乳ぶさと尻がなかったら、私は絵を描かなかったかもしれない

私はドラッグをしない。私自身がドラッグだ

大切な人がいなくなっても、それは無じゃなくて“空っぽ”があるんです。

画家がどれだけ素晴らしいパレットを持っていても意味がない。大事なのは、どんな眼を持っているかなんだ

子どもが大人になった時に、母が自分との時間を犠牲にしてまで、何を作っていたのか。知られた時に、恥ずかしくないもの、単純にわかるものを残したい。

僕の何かを信じた時の強さですか?信じるっていう感情の強さですか?行為の強さですか?ハンパないと思いますよ。

私は、人生の岐路に立った時、いつも困難な方の道を選んできた

絶対に誰かと肩がぶつかる。でも『ごめんね』って言うしかないんです。『ごめんね、でも俺も生きてるし、お前も生きてるからさぁ』って。『お互い痛いわけだしさぁ』っていうね。そういうのをお互いが感じるんだと思います。そういう肩がぶつかったその痛みすら、俺は愛しいと思えるんです。確実に自分も存在してるし、その人も存在してるから。肩がぶつかるよりも、抱き合えたら1番嬉しいんですけど。
