I long to accomplish a great and noble task, but it is my chief duty to accomplish small tasks as if they were great and noble.
私は素晴らしくて尊い仕事をしたいと心から思っています。でも私がやらなければならないのは、小さな仕事をも素晴らしくて尊い仕事と同じように立派にやり遂げることなのです。
秘訣というものはない。ただ正しさの法則があるばかりだ
最強頑張っている人を見ると泣きそうになる。かっこよくて。俺もああなりたい
リスクには2種類ある。踏むには危険が大きすぎるリスク。それと逃すにはあまりにも惜しいリスクだ
私は天才を自覚している
(作品をどのように見て欲しいですか?)ものの見方の色んな角度を感じてもらえたらいいですね
変わるっていうのはそんな大きな話じゃなくて。今日の夜から、母ちゃんにありがとうって言ってみるとか、言えなかったひと言を言ってみるとか…。100年後、ここにいる全員がいないから、たぶんね。それぐらいあっという間のことなんだよ。
努力というのは、恐らく運や偶然を追いつめて縮めて微細なものにしていって、自分で掴まえやすくするためのものではないのかと思うのである
悪行の呪いは、絶えずそれが悪を産まざるをえないところにある
何百万枚も売れるロックなんて、あんましロックじゃない
「独りでも生きていける強さ」なんてモノは要らん。リボン付きでプレゼントされても捨てちまうだろうな。独りで生きる意味ってあるのか?俺は孤独には全力で抵抗するよ。いつだって誰かを探すよ。他人が居てこその俺だろう。傷付け合って存在確認だろう。これらを放棄した俺なんて死んでいる様なモンだ。
俺の喜びはいつか忘れるもんばかりだった。でも忘れたくない。
与えようとばかりして、貰おうとしなかった。なんと愚かな、間違った、誇張された、高慢な、短気な恋愛ではなかったか。ただ相手に与えるだけではいけない。相手からも貰わなくては
低級な芸術家たちは、常に他人の眼鏡をかける
芸術は、われわれに自然が永遠であることを味わわせなければならない
大胆のコツは、度が過ぎない程度にどこまで遠くへ行けるかを知ることである
世界史は世界審判である
ロックンロールは吐き出した瞬間と受け取る瞬間があって、受け取った瞬間に完成するものだとは思ってる。僕の出すロックンロールは僕だけでは未完成なんだよ。聴く人がいてその人の心の奥の中で完成する
傷ついても裏切られても、人を最初から疑ってかかるような生き方はしたくないと思うんだよね。裏切られたりして傷つく部分と、すげぇ嬉しいと思う部分て心の同じ部分で、同じところが傷ついたり喜んだりしてるから、傷つかないように心にふたをしていってしまうと、喜びまで感じなくなってしまうんじゃないかなぁ
若くなるには時間がかかる
6才の時、コックになりたかった。7才の時、ナポレオンになりたかった。そして、私の野心は、それ以来着実に成長し続けている
私は最初、写真っていうのは、機械が撮るもんだから誰が撮っても一緒。だから絵とは違うなって思っていたんですけど、そうじゃないんですね。写真って、あなどれないなと思いました
結局芸術の唯一の原則は、見るものを模写することだ
選択肢とか自由な表現が辛いのは、自分という位置の束縛が出てくるからである。自由による束縛といってもいい。いまの子供たちは、自由な表現というものを強要されて、ずいぶん辛い思いをしているのではないか。表現したいことなんて特になくても、とにかく自由にして見せないといけない。それよりもむしろ固苦しい習いごとを押しつけられて、そのことに抵抗を感じている方がよほどネイティブの自由がふくらんでくる
今日と明日と明後日のことぐらいを考えていればいいんだよ
自分には才能がないって思っていたんですけど、今は自分には絶対に音楽の才能があるんだと思いながらやっています。
群馬の一匹狼の皆さんこんにちは!これからも一人で頑張って生きて行って下さい! (群馬ライブにて)
全然ネガティブとかポジティブとかではなく、それ(死の存在)を知ってるから僕たちは生きてるって、そう思えたんですよね。死なないやつは生きられないわけですよ。で、生きてないやつは死ねないわけですよ、やっぱり。(死の存在について)
(死んだら地獄と極楽のとちらに行きたいか?)どっちでもいいさ。そのどちらにも会いたい友人がいるのでね
大人になったらなったで、子供の頃よりもっと自分と向き合うんだと思うんです。
誰もが芸術を理解しようとする。ならば、なぜ鳥の声を理解しようとはしないのか
女の顔はキャンバスだ 毎日女は少しだけ若い自画像をそこに描いている
かぶりついて仕事せよ
友人の中にも損友と益友がある。益友とは自分の欠点を遠慮なく告げてくれる友のことである。益友の印象は悪い。時には自分の感情を害する言行もあるが、大切にしなければならない。益友の言葉により自分を正しい道に導き、欠点に気付き、矯正するのがよい
高い金払ってチケット買って見に来てくれてんだろ? 50分だけで良いから何もかも忘れろ! どうせ最後は全員くたばるんだから怖い物なんかねぇだろ
女は変幻自在。それを面白がるしかないでしょ。もっと小気味よく生きる女性が増えたらいいなって、ずっと思っていました
人間は明日の朝に対して、何がしかの恐怖と希望と心配を持たずにはいられない
コピーとかカバーっていうのもそうで、曲をカバーするんじゃなくて、そこにある熱をカバーするんだよ。
お前は自分しか信じちゃいない。自分以外の人間を心から信じれない。だから人から愛されないんだ。
曲が浮かぶのは、いつも本当に突然です
仕事はまず核心をつく、一番大事なところからやるようにしている
効果的な経営者の共通点は、ひたすらひとつの作業に集中する点にある。彼らは最も大切なことのみを行い、そのことが完了するまで、他の事に目を向けないという集中力を持っている
運が悪かったんだよ …お前等は
夢見ることをやめてはいけない
誰のために創るんだろう。考えたことあるか。自分のために?そんなの甘っちょろいよ。植木づくりでもやるんならそれでいいんだ。金のために?だったら創るより早いやり方がいくらでもあるだろう
同じことを繰り返すくらいなら、死んでしまえ
If you tried to give rock and roll another name, you might call it ‘Chuck Berry’.
ロックンロールに別の名前をつけるなら、それは「チャック・ベリー」だね。
憎しみや苦しみのない世界があるからお前来ない?って言われたら、「俺はいかない」って言うわ
ルール破ってもマナーは守れよ
We were a savage little lot, Liverpool kids, not pacifist or vegetarian or anything. But I feel I’ve gone beyond that, and that it was immature to be so prejudiced and believe in all the stereotypes.
俺たちは、リバプールの子供たちで、非暴力主義者でも菜食主義者でも何でもなかった。しかし、俺はそれを超えてきたと感じていて、偏見を持ち、全てのステレオタイプを信じることは未熟だったと思う。
全部は混沌としてるから面白い
皆ね、知らず知らずのうちに、はじき出したビー玉持ってると思いますよ。その存在がおそらく誰にでもあると思いますよ。だから場所をとってるわけですよね、僕らはね。
目の前の困難から逃げてばかりではダメです
21世紀の最大の不安定化要因は人口の構造変化である。ただし、先進国における最大の問題は高齢化ではない。少子化のほうである
神童などという言葉は、家族のつくったものだ
私は、愛したいと思いながら、それができない。私は、愛すまいと思いながら、それができない
砂漠では、教養など何の役にも立たない。生きる技術を持っているかどうかが生き残れるかどうかを分ける。厳しいビジネスの世界も同じである
生きているうちに天才って言われたい
自由であるとは、自由であるべく呪われていることである
久ぶりやのぅ… 桐生チャン!!ワシャ〜 嬉しゅうてたまらんのやぁ。“堂島の龍” と直接やり合える…本物の命張った ケンカができる。なぁ、桐生チャンなら 分かるやろぉ?…なぁ!?
自殺はやめろ。生きろ。
自分の思い通りにしかできないことは、自分の思いだけに閉じ込められるということになる。自分の思い通りが突っ走った結果は、自分が自分の壁の中に閉じ込められて、外気は遮断されて、そのままでは一酸化炭素中毒となってしまう
自殺か三枚完結かでしょ?ロックストーリーって。
女性はやっぱり、おいしそうなものにクンクンって吸い寄せられて、それで満腹になったら飽きて、別の方に行って。そういう風に生きていくものだと思うんです
イノベーションとは、論理的な分析であるとともに知覚的な認識である
何も真似したくないと思う者は、何も生み出さない
聴いてくれる君が居なきゃ、俺は歌えないんだ。自分の事を「世の中に必要無い人間」なんて思わないで下さい。現にこんなにも俺が必要としています。どうか生きてください
私は、人生の岐路に立った時、いつも困難な方の道を選んできた
自分の姿をありのまま直視する、それは強さだ
何もかも切り離さずにやってる人たちはたくさんいるよ。ずっと、ちゃんと、いる。
ブルースを忘れない方がいい。いろいろな名前の音楽が流行するけれど基本はすべてブルースなのだ
癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた
愛の前で自分の損得を考えること自体ナンセンスだ。そんな男は女を愛する資格はない
本当に死んでもいいくらい好きって奴は、認められないなんてことで不平を言わないよね
人生は、水平方向に落ちていくことである
The rumors of my death have been greatly exaggerated.
俺の死の噂は大げさに語られている。