腰の引けたイクジ無しどもがこの世の中を動かしてるのさ。
やっぱりその時(写真を撮った時)に「良い」と気が付くのは感覚というか、その時の感受性ですからね。それがないとゴミはゴミのままなんですね。実際にゴミだったのかも知れないし、わからないですよね。写真は固定されたものではないっていうのを実感しますね
これまでの実績など捨てなさい。自分の強みを過信した者は生き残れません
母は、私にこう言った。「あなたは、軍人になれば、いずれ将軍となるでしょう。修道士になれば、最後には法王となるでしょう」私は、その代わりに画家になり、結局ピカソとなった
俺は今日、アンタの為に唄う。ロックに世界を変える力はない。でもロックが一人一人の人間の心に起こすうねり、そのパワーは計りしれない。俺はその力を信じて生きる
いいかい、気をつけろよ。だまされんなよ。腐った奴らが増えているんだ。自分を見失わないで欲しいんだ
興奮した党派の叫びの中から、真理の声を聞き取ることは難しい
笑ってくれりゃあ本望だよ
なんかやろうと思えば、何でもできるもんやねー
ありがとうじゃ足りないけどありがとうしかない。悔しい
「今日単車で来たやついるか?」(客ワァァァ)「気をつけろよ」→GT400演奏(FRFにて)
女性は行動するより前にこうしよう、と考えることがあまりない生き物なんじゃないかと思うんです。先に手が出るというか、体で感じて体で動くっていう
単純なことを完璧にやり続ける忍耐力の持ち主だけが、偉大なことを成し遂げる
なんとなくこうなる気はしとったやろ、吾朗!泣いたらあかん、泣いたらあかんで!
We could never learn to be brave and patient, if there were only joy in the world.
もしもこの世が喜びばかりなら、人は決して勇気と忍耐を学ばないでしょう。
我々は脳をブン投げて、ただ目だけで見ることができればいいのだが
絵の玄人なんていうものは、絵描きに対してロクなアドバイスをしない
俺は決めたんや。何が正しくて 何が悪いか分からんこの街で誰よりも楽しく 誰よりも狂った生き方 したるってな
例えばスリーコードでエイトビートならみんなロックンロールかって言ったらそうじゃないものもあるわけ。スタイルじゃないんですよ。だから様式美ではなく、そこにある熱が大事なんですね。
憎しみや苦しみのない世界があるからお前来ない?って言われたら、「俺はいかない」って言うわ
Life is either a great adventure or nothing.
人生はどちらかです。勇気をもって挑むか、棒にふるか。
美しい景色を探すな。景色の中に美しいものを見つけるんだ
意図して作ったものがそういう結果になるとは限らないし、絶対、狙いにいかないほうがいい
とにかく俺は本気で、音楽で少しでもこの世界をよくできると信じてる。いつ終わるかわからない自分の人生を、その目的のために捧げたいといつからか思うようになりました。だから、休んでる暇なんかない
経営者は常に現実的でなければならない
『無罪モラトリアム』の意味は、一個の人間としてまだ社会に出なくても許されてる立場の人間。さらに「無罪」って言って、立場的にも生きてる事が許されるんだって付け足したかった
悪魔は悪しか行なうことができないゆえに純粋である
弱気になる瞬間も多いけど、そんな時は過去のライブ映像を観たりしてます
世の中が楽しくなりそうなそんな予感がしますよ。君達はどうですか?
好奇心と衝動は音楽を作る上でめちゃめちゃ大事
ボクシングって勝った方が腕を上げるじゃないですか。でも天秤は負けた(軽い)方が上がるんですよ。・・・・・それっておもしれぇなぁと思って
勝手に誰かと比べられて、色々決め付けられるのってどう考えても悔しいな
破壊こそ創造の母だ
運を信じるしかない。そうでなければ、気にくわない人たちの成功をどう説明すればいいのだ
”世界”というのは自分の中にあるんです
自然は生命を更新するためにのみ死を役立てる
やり方を学ぶ
私は何も発明したりしない。ただ、再発見するだけだ
宇宙には緊急な、致命的な、動かせない法則がある。なければならぬ
心ある 繊細すぎる魂を持つ人たちが一瞬でも「もうこの世に生きる意味はない」と感じることのない社会を 空気をみんなで作っていきたい。
俺は、『ひとりじゃ生きていけねぇ』っていう弱々しい感覚を、本当に強く言える男だから。
もって行かれるぞ。甘い考えで生きてるとあっという間にもって行かれてしまう。この国をたて直すためには戦争をするしかないと考える人間がたくさん居るんだ。
思い出すのは、あんまよくないよ
肝心なのは感動すること、愛すること、希望を持つこと、打ち震えること、生きること。芸術家である以前に、人間であることだ
くたばりたいってのはもう無くなりましたね。それは多分、裏返しじゃないですか、生きていたいっていう事の
不得手なことの改善にあまり時間を使ってはならない。自らの強みに集中すべきである
だいたい世の中にある「もの」って用件のあるものですよね。でも、単に「もの」を道具としてみるのではなくて、ものの見方の楽しさを感じて欲しいと思います。こういうのってフィールドワークなんです
大事なのは縛りあうことじゃなくて、お互いがお互いをひきつけ合うことじゃん
大リーグで活躍したいと思うことは夢じゃないんだよ。野球をやりたいというのが夢だ。
子どもは誰でも芸術家だ。問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかだ
高い金払ってチケット買って見に来てくれてんだろ? 50分だけで良いから何もかも忘れろ! どうせ最後は全員くたばるんだから怖い物なんかねぇだろ
己の感覚としては、一生懸命ベタをやっているつもりです
自分の写真に、ほんのちょっと言葉をつけたいと思っていて…。はじめは簡単だと思って書いていたんですけど、あくる日にそれを見直してみたら、全然ダメで驚いたんです
生産性の本質を測る真の基準は「量」ではなく、「質」である
何十年後も、みんなが知ってるし、歌えるし、聴かれているという音楽を作りたいなと思いますね。芸術は残らなきゃいけないと思っているので。
正しい構造が成果を約束してくれるわけではない。しかし、間違った構造は成果を生まず、最高の努力を無駄にしてしまう
毎日やりたいことを精一杯やるっていうことが、すべてにおいて最善策
確かに……一度 “黒” に染まったモンはどこまでいっても “黒” や。そっから抜けることはできん。けどな、それでも噛みつく相手選ぶくらいはできる。それが俺の流儀や
多少体調が悪くても、気分が優れなくてもベースは崩さないように努める
僕たちは心の中にたまごを抱えています。何かを経験して心が大きく揺れたとき、たまごはパカッと割れて新しい命が飛び出します。ロックンロールに出会ったとき 僕の心の中で1つのたまごが割れました。それは初恋のように僕を夢中にさせました。今も元気なその心の住人は僕にマイクを握らせました。
声が出なくなっても僕は(ロックンロールを)止めないなと思った
いいんだ。岡本太郎の責任でやるんだから
昔のファミコンの音楽は、3音しかありません。だから、本当に必要な音だけを残す作業を行いました
のめり込み過ぎちゃうと、いざ自分が何か失敗した時に逃げ道がなくなって、音楽で失敗することが怖くなっちゃう
俺は峯に教わったんだ。信じる心ってのは・・・人間死ぬ間際でも持てるんだってことを・・・!
俺がホントについてるなぁとか幸せだなぁとか思うのは、周りにそうやって怒ってくれる人がたーくさんいるんですよね
愛は永久不滅なもの。姿かたちを変えることはあるが、本質は決して変わらない
(カメラは)カビたり錆びたりもしますから、送られてきたお菓子とかに入っているシリカゲルを棚に入れたりしています。まあ、普通に置いてます
一人立てる時に強き者は、真正の勇者なり
僕はずっと一人ぼっちでいるせいか、人と話すと自分のことばかり話してしまう
生きていくのに疲れていたり、死にたいなんて思ってたり、自分の体に傷をつけたり、人間関係で悩んでいたり、そんな人にはぜひ入院をすすめる
全生命が瞬間に開ききること。それが爆発だ
希望を捨てない方がいい。俺はサイコーなんだって信じるんだ。既成の概念なんか疑ってかかった方がいい。「なんでなんだ?」っていつも子供みたいに感じていたいぜ。
「愛」とか言うと、みんなださいとか、くさいとか言うけど、なんか俺は違うと思うな。
長いこと暗い道を歩いてると……この先もずっと暗いもんだと思っちまう。前に進むことがイヤになる。自分の道がこの先どうなってるか分かってるやつなんてこの世にひとりもいねえ。俺らにできるのは立ち止まって泣くか、一歩でも前に進むかのふたつだけだ。あんたはどっちでも好きな方を選んでいい。入り口までは 俺が案内してやる
望みがないわけじゃないけど、誰かに叶えてもらったらつまんないでしょ。
自分を混乱させるような何かが欲しい。それによって私は新しいものを生み出す
私は天才を自覚している
直観力と想像力を、抑え込んではならない
ほんの一秒でもいいから、俺が俺として機能したい。 全ての時間がその一秒の為に無駄になっても構わない。
私はいつも自分のできないことをしている。そうすればそのやり方を学べるからだ
(曲を)作ること自体が究極のセラピー
7年後のことより、7秒後の話をしよう。
自分があまりにも日本語を知らな過ぎることがコンプレックスでした
他人というものがいなければ「一人が一番好き」っという気持ちもない訳で、そして一人の良さなんてわからない訳で。 その台詞はつまり、他人というものを一番意識していて、一番人とのつながりを求めている人なんじゃないのかなと。
I’m not afraid of death because I don’t believe in it. It’s just getting our of one car, and into another.
僕は死を恐れていない。だって、死というものを信じていないから。死とは、1台の車から降りて、別の車に乗り換えるものだからね