昔の夢によりかかったり、くよくよすることは、現在を侮辱し、おのれを貧困化することにしかならない
チャンスは鳥のようなものだ。飛び去らないうちに捕らえよ
お前が刹那から追い出したものを永遠は返してはくれない
苦しい時には、自分よりもっと不幸な男がいたことを考えよ
だいたい世の中にある「もの」って用件のあるものですよね。でも、単に「もの」を道具としてみるのではなくて、ものの見方の楽しさを感じて欲しいと思います。こういうのってフィールドワークなんです
自分が何をやるかさえ確かだったら、少しぐらい待ってもなんでもない
詩はなくてはならないものだ。ただそれが何のためにあるのかを知ってさえいればなあ
創造力で大きな仕事をしていく人たちは予定調和を嫌う
たかだか三分ほどの曲でもそうですし、五十分のアルバムでも、九十分のステージでも同じです。「たった今こういう気分の女の子のために」と用意します。そうそう思い浮かべるのは決まって女性です。男性に対してはおよそ腹立たしさしかない。それは女性を瞬間的にブスにするのが必ず男性だからでしょうね。
Life is an exciting business, and most exciting when it is lived for others.
人生は胸おどるものです。そしてもっともワクワクするのは、人のために生きるときです。
癌もロックンロールだ。
モノを作るというのは、そういう多様な面を併せ持った自分を総動員させながらも、本人が意識しているものを剥ぎ取ったところに妙味が出るものなのではないだろうか
And so this is Xmas for black and for white, for yellow and red, let’s stop all the fight.
黒人そして白人のための、アジア人そしてアメリカ先住民のためのクリスマスなんだ。すべての戦いをやめよう。
もし全員に好まれるものがあるとしたら、それは間違いなくくだらないものだ
眼前のものに深く入ること。そしてできうる限り論理的な自己表現を、忍耐強く行うことです
どうだ。内地の腰抜けのオッサンのパンチは痛かったか?
人は、まず当たり前の作品に対してでも、ある程度は尊重して、それも少しは何かを表していることを認めなければいけない。そして、大いに努力しなければ、その程度にすら到達できない
When you’re drowning, you don’t say ‘I would be incredibly pleased if someone would have the foresight to notice me drowning and come and help me,’ you just scream.
溺れている時は「誰か、溺れているのに気づいて助けてくれることを考えてくれたら嬉しいです」とは言わず、ただ叫ぶだけだよ。
やりたい放題やるとか、自由でいるとか。その理想がすべて叶った瞬間、とりあえず俺の人生、終わりでいいかなと思った。
効率とは、現在既に行われている事をより洗練させることである
(「日出処」のタイトルについて)もっとビビッドで、私たちが知ってるお日様って何だろうって思った時に、こういうタイトルになりました
その言葉の持ってるリズム感、そういうことの方が全然大事なんだよね、ヴォーカリストには。言葉1個1個のリズムね
自殺はやめろ。生きろ。
この国は島国だから、なかなか人間の本当の痛みは伝わってこない
人のだらしなさって、たまに妙な愛しさがあるからずるい
人の曲を歌う時こそ、恥ずかしい気持ちもなく思い切り出せる声もあるのかもしれないとも思ったし、その、声に焦点を絞ったものもやってみたいって考えられるようにもなってきて
アイディアは出発点以上のものではない。固まったらその先かたちを決めるのは思考だ
苦痛は短く、喜びは永遠である
もともと人は全員、孤独なんだよ
口先だけじゃ海を越えられないのさ
急にひとりぼっちにされちゃった気持ちになったんですよね。共犯者はいっぱいいるのに、私だけが訴訟を起こされてるような。
世の中には違った考え方をする種族がいる
まっすぐ進めば早く着く! ときには楽しい寄り道も! アナタが自分で選んで、納得できる道を進もう
あと二曲なんだよ。「え~!?」って気持ちも分かるぜ?その気持ちも分かるが、でもあと二曲を精一杯唄うからさ、お前等も精一杯楽しめ。また絶対来るからさ。な?
自分を実際そうである以上に見たがったり、また見せようとしたり、あるいは逆に、実力以下に感じて卑屈になってみたり、また自己防衛本能から安全なカラの中にはいって身を守るために、わざと自分を低く見せようとすること、そこから堕落していくんだよ
自分が元気ない時でも、周りに元気で接すると周りが明るくなるから自然と自分も元気になれる
自分の中に炎を持ち、魂を抱えているのに、どうして、閉じ込めておくことが出来ようか
言いたいことは言う。 その時は心を込めて言う。
傷ついても裏切られても、人を最初から疑ってかかるような生き方はしたくないと思うんだよね。裏切られたりして傷つく部分と、すげぇ嬉しいと思う部分て心の同じ部分で、同じところが傷ついたり喜んだりしてるから、傷つかないように心にふたをしていってしまうと、喜びまで感じなくなってしまうんじゃないかなぁ
かつて「ロックスターは27歳で死ななきゃいけない」という手紙が送られてきて。でも私ドラッグはやらないし、自分のアドレナリンだけで絶対生き抜いてやると思ってますから。それがいかに新しいか、それを立証しなければいけないという使命感がものすごくあるんです。
僕もほっときゃ歳も取るからさ、今と昔をそのまま比べることはできないけど、基本的にやっぱ何も考えてなくて、たいして成長も進歩もしてないからおんなじようなものがいつもステージに乗っかってるんだと思うんだ。
曲のコンセプトを考えるとき、これはやはり論理が主
自分が自分自身に出会う、彼女が彼女自身に出会う、お互いが相手の中に自分自身を発見する。それが運命的な出会いというものだ
そやったわ。わし花粉症やったわ。
チャンスとは一つのことに心に集中することによって、かろうじて見つけることができるものである
でたらめをやってごらん。口先では簡単にでたらめなら、と言うけれども、いざでたらめをやろうとすると、それができない
失敗者が何をして失敗したかよりも、成功者が何をして成功したかを学びなさい
大切な人がいなくなっても、それは無じゃなくて“空っぽ”があるんです。
「ありきたりな女」を書いたのは、次の曲の「カーネーション」を聴かせたかったからでもあるんです。「カーネーション」は「何を言っているかわからない」とか、散々言われたので。私が意図した通りに聴いていただくために、その導入部分が書きたいな、と思って
たいていの経営者は、その時間の大半を過ぎ去った「きのう」の諸問題に費やしている
例えを言って、それが即、通じるというのは、お互いに共通するものをもっているということ
例えば勉強ができるから偉い、運動ができるから偉い、友達と仲良くできるから偉いとか、なんかあるんだけど、ロックンロールを聴いた時に何もしなくても偉いんだと思って。
その日、歩ける一歩を歩くだけ
興奮した党派の叫びの中から、真理の声を聞き取ることは難しい
明日に延ばしてもいいのは、やり残して死んでもかまわないことだけ
感覚って信じてます? 僕は感覚なんて全く信じていない
ほうきとか持ってエアギターとかしたりするわけじゃん、憧れて。それの延長なんだよ
幸せじゃない瞬間も含めて、幸せだと思いますね。
石狩は、日本のサンフランシスコだー!(第一回RSRにて)
音楽は心のタイムマシーン。 〜中略〜 音楽を聴くことによって、その音楽に初めて触れたとき、音楽で何かを感じたとき、そのときの気持ちに、それが10年前であろうと20年前であろうと一瞬にしてパーンとその人をその時の気持や情景に送り込むことができる
太陽が輝くかぎり、希望もまた輝く
砂漠では、教養など何の役にも立たない。生きる技術を持っているかどうかが生き残れるかどうかを分ける。厳しいビジネスの世界も同じである
おそらく今日、高等教育を受けた人の割合が世界でもっとも多い国が日本である。日本にとっての問題は、いかにして彼ら高等教育を受けた人たちを生産的な存在にするかである
仙台って『陸の孤島』だよな。 (仙台ライブにて)
単純なことを完璧にやり続ける忍耐力の持ち主だけが、偉大なことを成し遂げる
I think our society is run by insane people for insane objectives.
僕らの社会は、ばかげた目的のために、あきれた人々によって動かされている。
私はいつも自分のできないことをしている。そうすればそのやり方を学べるからだ
指輪によって結婚はなりたつ。つまり、指輪とは鎖を編むものなのです
この曲はもう一回は出来ねぇんだ申し訳ねぇ…出来ねぇなぁ。だけど俺たちとお前らで出来ないことが、出来なかったことがあってもいいじゃん。次はうまくやろうぜ
誰もが芸術を理解しようとする。ならば、なぜ鳥の声を理解しようとはしないのか
俺、ホント、意味ねえと思うもん人生なんて。「人は何のために生まれてきたのか、何をすべきかなのか」なんて、どうでもいいじゃん。そんなの誰にも決められないことじゃん。自分で決めるんでしょ、人生の価値ってのは。本当に自分が素晴らしいと思うことに一生を費やすこと、それがいちばん価値があること。
人間は、毎日生まれ変わる
それしかないんだから。腹をくくって、あきらめて。そこに行き着くまでにいっぱい考えればいいと思うし、失敗もすればいいと思うんだよ。
We were a savage little lot, Liverpool kids, not pacifist or vegetarian or anything. But I feel I’ve gone beyond that, and that it was immature to be so prejudiced and believe in all the stereotypes.
俺たちは、リバプールの子供たちで、非暴力主義者でも菜食主義者でも何でもなかった。しかし、俺はそれを超えてきたと感じていて、偏見を持ち、全てのステレオタイプを信じることは未熟だったと思う。