基本的に完成は信用しない
色彩は、それ自体が何かを表現している
妙に前向きになるのはなぜだろう。心配はしないでくれ。このくらいのこと(癌が腰に転移したこと)は覚悟してた。
すべての偉大な成功は、地味で面倒な事の積み重ねの上に成り立っている
今日から聖人、豪傑を志した者が、明日、明後日と順次にそれに合わない性質を少しづつ取り去れば、最初は才能の無い者でも、聖人・豪傑の地位にまで達することが必ずできる
久ぶりやのぅ… 桐生チャン!!ワシャ〜 嬉しゅうてたまらんのやぁ。“堂島の龍” と直接やり合える…本物の命張った ケンカができる。なぁ、桐生チャンなら 分かるやろぉ?…なぁ!?
あまいなぁ〜 桐生ちゃん …アマアマや!
あなたには安らぎがある。贅沢さはない。お金が一端を握っているなんて言わないでくれ。私が提案している贅沢には、金はまったく関係ない
プロの音楽家を目指すなら音楽理論と感受性が必要
アンタには諦めんことの重要さを教わったわ。俺も執着するで、真島吾朗っちゅう男の生き方に
自然は生命を更新するためにのみ死を役立てる
本気も本気 “大本気” や!
生産性の本質を測る真の基準は「量」ではなく、「質」である
最近いろんな人と話していて思うのは、結局いかに多くのものを観て、聴いて、読んでいるかが大切だということ
負けず嫌いなので、自分の人生には刺激が足りない、喜怒哀楽においてのすべての感情が足りない
歌詞を書いてて出てこない時って、頑張って出そうとして出てくるものじゃない
自らの果たすべき貢献は何かという問いからスタートするとき、人は自由となる。責任をもつがゆえに、自由となる
私が生きているのは国王のため、スペインのため、カタロニアのためだ。天才は決して死なない。人類の進化は我々の手中にある。国王、万歳!スペイン、万歳!カタロニア万歳!
人間にとって成功とはいったいなんだろう。結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか
自分が嫌いな相手にまで好かれたいとは思わないですし
戦争は戦争を養う
この世には、何一つ決まってることなんてないんだよ。 ただ、そう思いこんでるだけ。
コミュニケーションで一番大切なことは、相手が口にしていない言葉を聞き分ける力である
あらゆる活動について「もし今日これを行っていなかったとして、改めて行うか」を問わなければならない。答えが否であるなら、「それでは、いかにして一日も早くやめるか」を問わなければならない
子どものころから、四角形に対する漠然とした疑問はありましたね
気とは人に負けまいと思う心、すなわち負けじ魂と恥辱を知ってそれを悔しく思う気象のことである
日本の文化っていうのは、常に「明日は知れぬ身」って考えるのが基本じゃないですか。
僕の何かを信じた時の強さですか?信じるっていう感情の強さですか?行為の強さですか?ハンパないと思いますよ。
努力というのは、恐らく運や偶然を追いつめて縮めて微細なものにしていって、自分で掴まえやすくするためのものではないのかと思うのである
現代の若さの最大の悲惨さはもうそれに属さないということ
世界一になりなさい。さもなければ撤退しなさい
成し遂げたいことに必要な条件を、明確に把握すればするほど、達成される確率は高まっていく
お前らの心は 見たくないものを見ずに閉ざしてしまうのか 見えないものを 見ようとするか
焦点の定まった明確な使命がなければ、組織はただちに組織としての信頼性を失う
忠誠心を買うことはできない。獲得すべきものである。金の力で引き留めようとすれば、引き留められた者が誘惑に対する自分の弱さを会社のせいにするだけである
愛をうまく告白しようとか、自分の気持ちを言葉で訴えようなんて、構える必要はない。きみの体全体が愛の告白なのだ
人間と人間社会の問題なのかもしれない。つまり偶然というのは、本当はこの世の中を無数に満たしている事柄なのかもしれない。世の中はむしろ無限の偶然で成り立っている
何かと比べて自分は優れてるっていうんじゃなくて、俺にしか書けねぇ曲があるんだって言えなきゃお金取っちゃダメでしょ。伝えられないでしょ。だから今だってずっと言ってるじゃないですか。僕らは僕らの曲を愛してるって…。
じいちゃんばあちゃん天国で見ててけろ。明日も歌うからよ
大人になって大好きな人ができて、今まで男の子とチョメチョメしてきたのがリハーサルだったのかと思うぐらい、「私はこの人のために、経験や知識やこれから学ぶこと全部を捧げなければいけない。捧げるべきなんだ」って心に決める。すごく本能的に感じるんですよね
だって欲しいから手に入れるんだし、好きだから抱きしめるんだよ。もったいないからとっとこう、ってのはちがう。その時点でそれはゴミなんだ。
ゲームと違って、人生には決まった攻略法はありません
画家は労働者が働くように勉強しなければならない
世の中の物事には似たようなものが満ちあふれているわけで、手探りでいく文章とはその似たようなものを飛び石伝いに踏んで渡って行くようなことである。似たようなものをいくつも乗り換えて渡って行くうちに、探しているものの形に次第に近づいていく
フィディアスとミケランジェロの前には平伏せよ
Love is like a flower, you’ve got to let it grow.
愛とは、育てなくてはいけない花のようなもの。
天才?そんなものは決してない。ただ勉強である。方法である。不断に計画しているということだ
型にはハマらずにいたい
人生自体にも限りがあって、いつ終わるか分からなくて、その中で『たった今、美しい者を求めても構わないんじゃないか?』って思って、 『どうせそれが繋がって積み重なって美学というものになってんじゃないの?』と
広島も付き合い長いな。しかし、付き合い長いとなんか感情が湧いてくるよな。こういうの、何ていうんだ?……憎しみ? (広島ライブにて)
好きなことだったらめんどくさくていいじゃない!
「ブルーフォレスト! 」「ねぶた根性見せてみろ! 」(青森ライブにて)
純粋に泣けてしまうことって本当にある
石狩は、日本のサンフランシスコだー!(第一回RSRにて)
成功する人間に必要な生まれつきの能力などありはしない。ただ、あなたが成し遂げたいことに、必要な能力だけを身につければいいのだ
優れた者ほど間違いは多い。それだけ新しいことを試みるからである
日本人の強みは、組織の構成員として、一種の「家族意識」を有することにある
笑いどころやないかい!笑えや このボケェ!!
生き方の基準は、正しいか正しくないかではなく、美しいか否かである
人の本当の仕事は30歳になってから始まる
ロックンロールは入口がいっぱいあるんだよ。何かひっかかった瞬間、それがドアなんだよ。そっから入っていけるんだ。どっから入っても同じとこなんだ。中に入れば全員に会えるよ。すべてに会える。もし会えなかったらまだドアを見つけられてないんだよ。それかちゃんと入ってないんだ
そりゃバイク乗るのも楽しいし、映画も好きだし。でも、桁外れなんだよ。富士山と石ころくらいの違いなんだよ。ロックンロールやってるときの楽しさは、桁外れなんだ。好きなものを見つけるってそういうこと。
長いこと暗い道を歩いてると……この先もずっと暗いもんだと思っちまう。前に進むことがイヤになる。自分の道がこの先どうなってるか分かってるやつなんてこの世にひとりもいねえ。俺らにできるのは立ち止まって泣くか、一歩でも前に進むかのふたつだけだ。あんたはどっちでも好きな方を選んでいい。入り口までは 俺が案内してやる
大体、いちばん素晴らしい絵を描くのは四、五才くらいの子どもだよ
生産性を向上させるためにまず問うべきは、何が目的か、何を実現させようとしているか、なぜそれを行うかである
ブルースって、どうしてブルースっていうか、知ってる?それはブルースが悲しいから…(02年RSR)
ィィィイイィヤハァァァ〜〜ッッッッ‼︎
自分を実際そうである以上に見たがったり、また見せようとしたり、あるいは逆に、実力以下に感じて卑屈になってみたり、また自己防衛本能から安全なカラの中にはいって身を守るために、わざと自分を低く見せようとすること、そこから堕落していくんだよ
(デビュー当時は)「ゴースト何人いるの?」とか「ほんとはいくつ?」とか散々言われて。子どもだから全然こたえないんだけど
あなたのインスピレーションやイマジネーションを抑えてはならない。模範の奴隷になるな
「ありきたりな女」を書いたのは、次の曲の「カーネーション」を聴かせたかったからでもあるんです。「カーネーション」は「何を言っているかわからない」とか、散々言われたので。私が意図した通りに聴いていただくために、その導入部分が書きたいな、と思って
僕たちの小さな情動が僕たちの人生の偉大な船長であることを、また僕たちは意識することなくこの小さな情動にしたがっていることを忘れないようにしよう
自分は燃え尽きることは一生ない
曲のメロディはもちろん大事ですが、大きな構造で考えるとスコアは設計図みたいなもの
自分を好きになれない奴が、どうあがいたって好きになってはもらえないだろうな、きっと。
一回わがまま言い始めたらもう、他人の言うことなんか聞いてらんねえよ
子どもは誰でも芸術家だ。問題は大人になっても芸術家でいられるかどうかだ
「ロックな手と書いて岩手と読むんだぜ。」「あのさー、冷麺てなにでできてんの?原材料はなんなの?」(岩手ライブにて)
(18歳の頃)もしかしたら現実逃避したかったのかな
世間が決して飽きない唯一のものは誇張表現だ
我々が行動可能なのは現在であり、また未来のみである
失敗者が何をして失敗したかよりも、成功者が何をして成功したかを学びなさい
作曲の際はパソコンを使って作業しています。もちろん昔は五線紙に鉛筆で楽譜を書いていました
こないだまでうつだったんだよ。みんなはうつにならないかもしれないが、僕はなるんだ。自分はなんて嫌な人間なんだろうって自己嫌悪になって…ずっと自分は変わっていると思ってたんだけど、みんなも良い所と悪い所があって、変わっていて、それが普通なんだよな。だから、僕も普通なんだって思えるようになりました
凡庸な人間が自然を模写しても決して芸術品にはなりません。それは彼が「見」ないで眺めるからです
やるからにはナンバーワンを目指したい
昨日を守ること、すなわちイノベーションを行わないことのほうが明日をつくることよりも大きなリスクを伴う
俺は本当はもっとすごいんだけど、というのがどっかにある
小ちゃい頃、私が思ってる自分よりも女っていう生き物としての男の人は見るんだな」って意識した時に凄く嫌悪感があった
(それぞれの曲に色んな人物や設定を想定しているのですか)場面は変わりますが、一人称はずっと同じイメージです
私は、人生の岐路に立った時、いつも困難な方の道を選んできた
何か新しいものを作るとき、それを作るのは実に複雑だから、作品はどうしても醜くなってしまうのだ
周囲からの反対やら妨害やら軋轢やらがあるからこそ、自分が本当は何をやりたいのか、何になりたいのか輪郭がはっきりしてきて、よし、オレの気持ちはホンモノだっていう確信が固まっていく……そういうものなんじゃないのか?
Everything has its wonders, even darkness and silence, and I learn, whatever state I may be in, therein to be content.
すべてには驚くべきものがあります、暗闇や静寂にさえも。そして私はどんな状態にあっても満足して、学びます。
We can do anything we want to if we stick to it long enough.
あきらめずにいれば、あなたが望む、どんなことだってできるものです。