


偉人の経歴を読書により知って憧れること、師や友から聞いたことに発憤すること、自分が逆境に陥ったときに勇猛心を起こすこと、感激することの四つが志を立てる大きな理由となる

津波が来ます。(酒に酔いながらのラヂヲで地震が来たとき勝手に)

コピーとかカバーっていうのもそうで、曲をカバーするんじゃなくて、そこにある熱をカバーするんだよ。

ロックンロールは入口がいっぱいあるんだよ。何かひっかかった瞬間、それがドアなんだよ。そっから入っていけるんだ。どっから入っても同じとこなんだ。中に入れば全員に会えるよ。すべてに会える。もし会えなかったらまだドアを見つけられてないんだよ。それかちゃんと入ってないんだ

幅を広げたかったら、知性を磨くことと本当の修羅場をくぐり抜けること

明日は明日の風が吹くんだ。明日の風には誰も逆らえないぜ。今日を生きるしかないだろう。明日も生きてるとは限らないしな。

1、より速くすること。2、よりよくすること。3、今やるべきことをすること

集中するための第一の原則は、もはや生産的でなくなった過去のものを捨てることである。そのためには、自らの仕事と部下の仕事を定期的に見直し、「まだ行っていなかったとして、いまこれに手を付けるか」と問わなければならない

Living is easy with eyes closed, misunderstanding all you see.
目を閉じてれば、生きるなんて楽なことさ。目を開けてるから誤解が生じる。

You either get tired fighting for peace, or you die.
平和のために戦うことに疲れるか、死ぬかだ。

人生とは自らの道である。一つのことを試みることであり、一つの道を端的に示すことである

興奮した党派の叫びの中から、真理の声を聞き取ることは難しい

ありとあらゆる感覚を総動員させ、自分を限界まで追い込んでいく

人間にとって成長ないし発展とは、何に対して貢献すべきかを自らが決定できるようになることである

芸術家は自分の芸術について語ることはできない。植物が園芸を語れないように

音を出すことで何を伝えたいのか

椎名林檎っていう名義は辞めますよ。もう無理。本名のあたしであることを誰も守ってくれないんだよ?でも、そんなの当たり前じゃないですか、一個の大人だから。「自分で守んなきゃいけないんだから、辞めたっていいだろ!」とか思って

著者の死後、彼の日記を読むことは、彼からの長い手紙を受け取るようなものだ

自分を支えているのは、自分

一生懸命考えたり思ったりしてわからなくなって、最後の最後のところで逃げ場のないところまで追い詰められて、だからロックンロールをやってる気がするんだよ

『うわ、眩しい。すっげぇ眩しいんだけどさ、消えてくんない?』と思うくらい眩しいのが夢だと思うし、『いや、あれを見てないと俺の生きてる意味がないとか、存在自体が怪しくなってくる。だから俺は目がつぶれてもいいから、あれを見るぞ』っつうのが、夢を見てる人だと思うし、夢を見てる人ってそんぐらいかっこいい人だと思うし、そんぐらい覚悟してる人だと思うし、そんぐらいリスクを背負ってる人だと思う。

日本人はやはり全員が五、六歳か、もしくはたんなる訴訟の素材なのだ

時間が無尽蔵にありさえすればいいものができるという物ではない。むしろ、 期限が決められているのは、モノを作る人間にとってはありがたい事

久しぶりー、前橋!……ごめん間違えた宇都宮!(栃木ライブにて)

オルタナをやり始めた時は、「暗い」「分かりにくい」という声があって、若干構えてしまったんです。力技で分からせてやるみたいな余計な力が抜けたんじゃないかな。すごく文字にしづらいかもしれないけど、スイングスピードが速いストレートを自然体のフォームで打てるようになったというか

言葉なんていらなくなるよ、きっと。僕が立派になれれば。

人は見た目で判断する、そんなもんだ

己の感覚としては、一生懸命ベタをやっているつもりです

生産性を向上させるためにまず問うべきは、何が目的か、何を実現させようとしているか、なぜそれを行うかである

作曲家として一番大切な事は、とにかく曲を書き続ける事

ここ何県?(ロサンゼルスにて)

真理に年齢はない

基本的に完成は信用しない

制服は征服するためにかかせない。私の人生を通じて、市民の衣装を着るほど自分をおとしめるのは稀だった。私はいつもダリという制服を着ている

神なんて全くその辺の芸術家と変わらない。キリン作ってゾウ作ってネコだろう。様式もへたくれもありゃしない。前と違うもの延々と作り続けてるだけ

大事なものは他者に求めてはいけないと思ってた

客の二酸化炭素は俺らの酸素なんだ

この瞬間、瞬間に、若さとか、年よりとか、力があるないとか、才能とか、金とか、あらゆる条件を超えて、その持てるぎりぎりいっぱいの容量で挑み、生きるということだ

昔、『天空の城ラピュタ』を観て、自分の目の前には守るべき少女も追いかけるべき宝もないことに絶望した

毎日必ずギターには触っていますし、ずっと続けていきたいのは音楽です

周りからどんなにバカに見られたって俺らが楽しけりゃ俺らの勝ちだよな

運命というのもひょっとしてウィルスみたいなものではないだろうか。それ自体では何事も起きないけど、他の実力をもったサルモネラ菌や、あるいは紙幣や、恋文や、試験の答案用紙や、いろんな物につくことで、それを動かす。でもそれ自体は姿も形もなくて、見ることができない

僕と貴方達との距離は はたして何キロぐらいだ

俺には嫌いなタイプの人間が2種類おってなぁ。1つは、人が苦労して取ったぬいぐるみちゃんたちをバラすようなアホンダラ……もう1つは、立場の弱い女子供を食い物にするようなクソッタレ……どっちもお前らのことじゃボケェ!

何もすることがないから明るく引きこもってるんだ。でも結構楽しいです

運が悪かったんだよ、お前らは

長いこと暗い道を歩いてると……この先もずっと暗いもんだと思っちまう。前に進むことがイヤになる。自分の道がこの先どうなってるか分かってるやつなんてこの世にひとりもいねえ。俺らにできるのは立ち止まって泣くか、一歩でも前に進むかのふたつだけだ。あんたはどっちでも好きな方を選んでいい。入り口までは 俺が案内してやる

(名古屋の「な」はどういった字か、と客に確認した後)「何だよっ、知らねえよ!大体なー、『名前が古い屋根』だぞ? 何なんだよ?! ……『名前が古い屋根』って…シャチホコ? …で、シャチホコってなんだ? コイか? 」(名古屋ライブにて)

人生は、水平方向に落ちていくことである

楽しいことは、みんないい事だとは思わないか?つまらないことは、罪悪だとは思わないか?

今は、もう感動はない。だから感想が湧くのである。感動には叫びはあるだろうが言葉はない

常に悲しみを要求する人生に対して、僕らにできる最上のことは、小さな不幸を滑稽だと思い、また大きな悲しみをも笑い飛ばすことだ

私の誕生の日から、死がその歩みを始めている。急ぐこともなく、死は私に向かって歩いている

人生において、諸君には二つの道が拓かれている。一つは理想へ、他の一つは死へと通じている

コミュニケーションで一番大切なことは、相手が口にしていない言葉を聞き分ける力である

沖縄、色んなものがあるんでしょうね。…珍しい鳥もいるんだろうね…ほら、青いのとか…(石垣島にて)

「これはしたくない」「こういうやり方はしない」っていうことさえ自分でわかっていれば、何とかなる気がする

監督の意向に従うことは大事だが、望んでいる通りのものを書いていたのではいけない

画家がどれだけ素晴らしいパレットを持っていても意味がない。大事なのは、どんな眼を持っているかなんだ

コーヒーのブラックが飲めない。頭が痛くなるから

聴く人がどう受け止めるかは、聴く人の自由

要は自分次第なんですよ 世の中君の映るように映る 君の感じるように感じる 君が変えれば変えるほど 変わってく。

「林檎」は筆名で。17ぐらいの時に。「少女A」みたいな名前だから、実際に何言われても平気。

最高や 、まさかゾンビとやりあえる日が来るとはのお。

期待なしに恋をするものだけが、真の恋を知る

感動の出発点は感動にあると思うんだ。なんで感動したのかを辿っていくと、表現されたものがどう作られていて、「だから俺は感動したのか」って分かる。もっともっと辿っていくと、その表現者が、かつて感動した瞬間に帰結すると思うんだよ。それが色んな何かをぐるぐると通過して、また人に届く。錬金術なんかじゃないんだよ。感動が伝わって、感動を生む。

俺は峯に教わったんだ。信じる心ってのは・・・人間死ぬ間際でも持てるんだってことを・・・!

常に非現実を生きてる気がしてならないなぁ。本当にこれ、私の生活か?

出会わなければ良かった出会いなんてきっとない…ないよ。

「たかが音楽にのせる飾りじゃないか」という想いと、「誰かの一生をも変えてしまうかもしれない不思議な魔法」という想い。その間で僕は今も歌詞を書く。

綺麗に生きるなんて、誰ができるんだ

そやったわ。わし花粉症やったわ。

最初っからうまくいくことなんてねぇよ。みんな。本気で手に入れたい世界が俺達にあって、それが今この世にないんなら一から作りゃいいじゃねぇか

毎日やりたいことを精一杯やるっていうことが、すべてにおいて最善策

大胆のコツは、度が過ぎない程度にどこまで遠くへ行けるかを知ることである

今日思った事があって、みんなが俺達に会いたいとかライブが見たいとか思って見にきてくるんじゃなくて、俺達があいつらに会いたくて会いにいくんだって、逆だなって思いました

失敗者が何をして失敗したかよりも、成功者が何をして成功したかを学びなさい

運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする

時間こそ真に普遍的な制約条件である。あらゆる仕事が時間の中で行われ、時間を費やす。それなのに、ほとんどの人が、この代替できない必要不可欠な資源を重要ではないもののように扱う。

『大切な人の死』という出来事は、大切な人が自分にくれる最後のプレゼントだと思います。どんな形の死であれ、僕はそう思います。だからこのプレゼントをいつまでも大切に愛することができます。

壊れたギリシアの彫刻は、多くの傑作に分かたれた傑作です

惚れたはれたの世界じゃなくて、もっと性別を超越したもの、生命を見つめるようなものーそういう温度にまで、お客さんの器を大きく広げてさしあげることができたらいいと思ったんですよね

どんな人でも努力すれば、“それなり”の能力は身につけることが出来る。そして、この世で成功するためには、“それなり”の能力があれば十分なのである

イノベーションとは、論理的な分析であるとともに知覚的な認識である

僕は音楽が大好きです、本当に。感情論や云々より音楽が大好きなんですね。メロディ、リズム、和音。その三大要素からなる音楽っていうものが大好きです。

ジャンルがどうとかじゃなくて、音楽全般、様々な角度と方向にどんどん広がってほしいと思う。限りある音楽ファンを奪い合うイメージで話しちゃうとどんどん貧しくなるけど、そもそも、音楽文化自体にそれほど興味を持ってもらえてないってのは骨身に沁みてる。

死ぬなとは言わないし、悩むなとも言わない。近道がしたいならすればいい。でも、そこで全部が終わる。我慢してきた努力も未来も夢もやり残したことも記憶も肉体も全部全部。

People do not like to think. If one thinks, one must reach conclusions. Conclusions are not always pleasant.
人々は考えることを好みません、もし考えれば、結論に到達しないといけないから。結論はいつも心地よいとは限らないのです。

何かを表現していく人間にとって、自分の拠り所を気分に置いてしまうのは危ういこと

「久しぶりィ、四つの国ィ」「サロンでキティだぜ!」(松山サロンキティライブにて)

いい子な自分と、悪い子な自分、みんな含めて一人の自分

ひらめくまで待つ

学ぶことは何もないの。楽しむだけでいいんだ

低級な芸術家たちは、常に他人の眼鏡をかける

人はいつも、行動する時より口で言う時の方が大胆になる

音楽は、常に論理と感性、車の両輪で出来る

ロックンロールは続いていくんだよ

俺はあれについて、一つ勘違いして欲しくない事は、孤独に強くなって欲しんじゃなくて、今よりもっと孤独を怖がって欲しいって事。(バイバイサンキューについて)
