「いてもいいんだよ」「生きてもいいんだよ」「感動してもいいんだよ」「泣いてもいいんだよ」「笑ってもいいんだよ」「そこに存在してもいいんだよ」って言ってくれてるかんじ。誰の許可もいらないんだ。それをロックンロールが僕に言ってくれるんだよ
僕は楽しいから、成功していると思う
組織の活動というのは、「いかに世の中に貢献していくか」という一点に集約される
だって欲しいから手に入れるんだし、好きだから抱きしめるんだよ。もったいないからとっとこう、ってのはちがう。その時点でそれはゴミなんだ。
感動の出発点は感動にあると思うんだ。なんで感動したのかを辿っていくと、表現されたものがどう作られていて、「だから俺は感動したのか」って分かる。もっともっと辿っていくと、その表現者が、かつて感動した瞬間に帰結すると思うんだよ。それが色んな何かをぐるぐると通過して、また人に届く。錬金術なんかじゃないんだよ。感動が伝わって、感動を生む。
お前が刹那から追い出したものを永遠は返してはくれない
正しい構造が成果を約束してくれるわけではない。しかし、間違った構造は成果を生まず、最高の努力を無駄にしてしまう
三大欲求以上の高等なことは考えたくないって言ってるんでしょうね。結局それぐらいしか私は本当のことを知らないし、「それ以上の本当のことを見ると私は傷ついてしまうし」っていう。
正義の尺度は声の多数ではない
紅葉ってさぁ、葉っぱなの木なの?」(05年夏フェスにて)
最初にして最高の聴き手は自分自身
どんどん、くだらなくなっていってる。音楽もTVも低能になっていってる。殺人も犯罪も短絡的になっている。警察は庶民を守ってはくれなくなった。
他人というものがいなければ「一人が一番好き」っという気持ちもない訳で、そして一人の良さなんてわからない訳で。 その台詞はつまり、他人というものを一番意識していて、一番人とのつながりを求めている人なんじゃないのかなと。
感性を磨くとは、こうした直感を鍛えることだと思う
生きていくのに疲れていたり、死にたいなんて思ってたり、自分の体に傷をつけたり、人間関係で悩んでいたり、そんな人にはぜひ入院をすすめる
俺にとって音楽って魔物でしかなくて、常に。ごほうびなんて与えてくれないんですよ、基本的に。とにかく捧げものをひたすた貢いで貢いで貢いで貢いで、で、ちょっとおこぼれをいただくような真っ黒い、闇みたいな存在だった
どうしたって笑えないけど、それでも笑わないといけない時かぁー。…泣いちゃえばいいんじゃないか
愛することは、愛されること
勘違いするな。俺とお前は違う。 お前の極道は死に様。俺の極道は――生き様だ。 同じ道でも、死に向かって戦うのと、生きるために戦うのは違うということだ。いずれ分かる。
どうせやり切るなら極限までやっちゃえ!
指輪によって結婚はなりたつ。つまり、指輪とは鎖を編むものなのです
落ち込むのと失望は違うんよ。 だって、落ち込んでても夢や愛は信じとるもん。
10年後に生きている確率より明日生きている確率の方が高いので明日持つ夢が大事
私が独りでいることは決してない。いつだってサルバドール・ダリといるのが習慣なんだ。信じておくれよ、それは永遠のパーティーってことなんだ
なにが芸術家かって?それを知ってたら、注意深く、ばらさないようにしておくよ
真摯さはごまかせない
予感というのも、努力の重なりの上に出来る、透明な上澄みのような感覚だと思う
ネガティブな奴とポジティブな奴はまるで行動の仕方が変わってくるのさ
私は芸術でも何でも、全部がエロビデオみたいに受け止めてもらえればいいって思ってるんです。グッとくるか来ないかっていう、ただそれだけ
出会えた喜びはいつも一瞬なのにどうして別れの悲しみは永遠なの
生活と人生は違う。質素な生活、豊かな人生。
芸術とは、自然が人間に映ったものです。大事なことは、鏡をみがくことです
(中学を卒業したら東京に行かせてくれ、と父親に言ったときに反論されて)お父さん、僕を止められるんか。音楽しかやりたいことないんじゃ。お父さんには、僕の音楽を反対するだけの材料があるんか。
すべてはむなしい
歓びは、自然を動かす強いバネ。歓びこそは、大宇宙の時計仕掛けの歯車を回すもの
小ちゃい頃は入院することが多くて、看護婦さんとか凄いすきなのもそうじゃないかな。だって、生まれてすぐ大手術でしょ?すっごい病院が心地いいのかも知れない。
愛をうまく告白しようとか、自分の気持ちを言葉で訴えようなんて、構える必要はない。きみの体全体が愛の告白なのだ
批評家は常に比較する。比較できないもの、つまり「類まれなもの」はそこからすり抜ける
楽しくなかったら絵なんか描きませんよ
生命の一分が過ぎていく!それを在るがままに描き、それをなすためにはあらゆるものを忘れよ!そのものになりきれ・・実際に見るもののイメージを与えよ
ほうきとか持ってエアギターとかしたりするわけじゃん、憧れて。それの延長なんだよ
志を立て、その目的を達成する手段の中で最も近道だと思うのは、聖人の書物や種々の歴史本の中で、自分が特に刺激を受けた部分を別紙に書き抜いて壁に貼っておくか、扇などに書いておき、日夜朝夕それを眺め、常に反省しつつ及ばない点について勉め、進歩を楽しむのがよい
音楽、アート、読書、スポーツ、アニメ、ゲーム、etc.好きなものはいくつあったって怒られないのがいいところ。笑。
モノを作ることを職業としていくには、一つや二ついいものができるだけではダメだ
普通=そこそこ、そうじゃないでしょう。最高じゃん!
本当に。自分は誤りのない人間だと例外化してしまうのが、いちばん恐ろしいことだなと自分を戒めます。あとは、発言や行いや考えを批判することと、人を非難することの違いを考えてます。この違いって、悩ましいんですが、結構大きいことなんじゃないかと思っていて。
アキラメというのは人生的なものである。体験に基づくというか、体験の集積というか、いずれにしろ体に発するというか、体からじわりと湧き出る。それにひきかえ、シラケというのは、体験からのものとは違う
やるからにはナンバーワンを目指したい
後継者を自分一人で選んではならない。どうしても20年前の自分に似た者を選びたくなる
それは夢のまた夢、夢の中の夢の中の夢の中のそのまた夢の中の、夢の夢さ。でも、夢はあきらめない方がいいぜ
完璧を恐れるな。完璧になんてなれっこないんだから
テストの点数でお前らの価値は決まらねぇ
あなたのインスピレーションやイマジネーションを抑えてはならない。模範の奴隷になるな
絵画というのは手で作った写真だ
音楽でも童謡とか、誰が作ったかもわからないものが残っているのは、すごく素敵やなと思うんです
いや、40年と30秒だよ
今回この写真文庫(岩波写真文庫)を一冊ずつ選んで、いまの世から眺めていきながら、時代の空気というものをつくづく感じた。活字、つまり言葉では説明しきれないことが、写真からはぷんぷん匂ってくる。このシリーズは、戦後の空気の貴重な貯蔵庫だ。いまの肥満ぎみの世の中は、じつはこの空気を吸うことからはじまっている。良くも悪くも、この空気がいまの日本人の両親なのだ
聴く人がどう受け止めるかは、聴く人の自由
夫婦とは二つの半分になるのではなく、一つの全体になる事だ
久しぶりー、前橋!……ごめん間違えた宇都宮!(栃木ライブにて)
俺はいったい何がしたいんだ? なんでこんなんなってんだ? 答えはすごく簡単だ。これが自分の選んだ生きる道だからだ
ダサいんですね。言葉を入れすぎると説明になっちゃって、言葉も写真もつまらないものになってしまうんです
チャンスとは一つのことに心に集中することによって、かろうじて見つけることができるものである
僕は一生のうちに一晩でいいからあんなふうに歌えたら、死んでもいいと思った。
もし私が犬よりも猫が好きだというのなら、それは警察猫というものがいないからである
いつだって、今やるのが一番いい
普段の生活が幸せならいいんだよ。だけど、本当につらいときに聴いてみな。ROCKはお前等を救うよ
術は日々の生活の埃(ほこり)を、魂から洗い流してくれる
大好きなものと付き合っていくことだよ
俺は、『ひとりじゃ生きていけねぇ』っていう弱々しい感覚を、本当に強く言える男だから。
DQのスライムは可愛いんだよね。これで僕の基本的な音楽の方向性も決まったなぁという感じ
「たかが音楽にのせる飾りじゃないか」という想いと、「誰かの一生をも変えてしまうかもしれない不思議な魔法」という想い。その間で僕は今も歌詞を書く。
俺もお前らも不器用なんだから、だからとりあえず信じよう。それでもし裏切られたら傷つこう。それを繰り返すだけ
天才?そんなものは決してない。ただ勉強である。方法である。不断に計画しているということだ
アァン?…お前、ベッピンさんやないかい。どや、俺の女にならんかぁ?どやねん? えぇ〜?
お前らがライヴを見ている瞬間は、甲本ヒロト、そしてブルーハーツってバンドはこの宇宙のどこをくまなく探しても、お前らの目の前にしかおらんのじゃ。
何か新しいものを作るとき、それを作るのは実に複雑だから、作品はどうしても醜くなってしまうのだ
毎回が真剣勝負
昔、俺はずっとシャイだったが、世の中が超シャイになってしまった現代ではとても図々しいロック・スター・オヤジに見えるらしい。
やっぱりその時(写真を撮った時)に「良い」と気が付くのは感覚というか、その時の感受性ですからね。それがないとゴミはゴミのままなんですね。実際にゴミだったのかも知れないし、わからないですよね。写真は固定されたものではないっていうのを実感しますね
極端な話だけど、希望と絶望が同時に存在するのがいい日々だと思うんです。
いい歌をつくって、なんでも話せる友達がバンドメンバーで、気持ちをこめて歌って、聴いてくれる人をアッ!と言わせたい。それだけでいい
覚めていて夢みることは、眠っていて夢みることとほとんど同じである
今日此処に来たかったけど、チケット取れなかったヤツが沢山いるの分かってるから。そんなヤツらにも届くように唄ってるから。
As the eagle was killed by the arrow winged with his own feather, so the hand of the world is wounded by its own skill.
ワシが自分の羽根の付いた矢で殺されるのと同じように、世界は自らの技術によって傷付けられる。
素晴らしくマネジメントされた組織というものは、日常はむしろ退屈な組織である
これはほんとに昔っから思うんだけど、これがこうなったら幸せなのに、 あれがあったら幸せなのに、と思ってたら一生幸せになれないね。自分の問題だと思うんだ。もっともっと内面の問題だと思うんだ。今の状況を幸福だと思える心を 持った人が幸福なんやな。
希望を捨てない方がいい。俺はサイコーなんだって信じるんだ。既成の概念なんか疑ってかかった方がいい。「なんでなんだ?」っていつも子供みたいに感じていたいぜ。
近代的になるなんて努力しなくていい。悲惨なことになにをやろうと、唯一避けられないのがことがそれだから
自分の声は好きじゃなかったです。凄い低いし。でも音楽やりはじめてからは気に入ってる
子どもが大人になった時に、母が自分との時間を犠牲にしてまで、何を作っていたのか。知られた時に、恥ずかしくないもの、単純にわかるものを残したい。
もし全員に好まれるものがあるとしたら、それは間違いなくくだらないものだ
自分が自分自身に出会う、彼女が彼女自身に出会う、お互いが相手の中に自分自身を発見する。それが運命的な出会いというものだ
言いたいことは言う。 その時は心を込めて言う。
誰にも何の役にも立たないではないか。絵、展覧会──それがいったい何になる
Walking with a friend in the dark is better than walking alone in the light.
暗闇の中を友達と歩くことは、明るい中を一人で歩くことより良いもの。