


長く続いた友情なのに、別れるときはあっという間だ

最近は安定して良いライブが出来ているけれども、もっと陰に転がり込んでしまって、どうにもならなくなってた時もあるんですよ。ステージの上で、「客席のみんなが俺のことを嫌いなんだ」としか思えない瞬間があったりして。パニック障害というか、今この瞬間、全員が俺を憎んでいると思ってしまう。みんなチケットを買ってライブに来てくれているのだから、そんなはずはないのにね

お前らがここに来るまでに何があったかなんかどーでもいい。お前らの父親が死のうが母親が死のうがそんなのかんけーない。ただこの中で思いっきり楽しんでいってくれー!!

急にひとりぼっちにされちゃった気持ちになったんですよね。共犯者はいっぱいいるのに、私だけが訴訟を起こされてるような。

私はいつも自分のできないことをしている。そうすればそのやり方を学べるからだ

自然に線は存在しない

余り考え過ごす者は何事をも成し得ない

人間の運命は人間の手中にある

人間が生きている社会基盤は、一瞬なりとも安定することなく、さまざまな変動によってつねに変化する

What I am looking for is not out there, it is in me.
探しているものは外になく、自身の中にあるものです。

自分の夢に必要やと思えるもの、好きやと思えるものには一生懸命になったらいい。

自殺はやめろ。生きろ。

I believe in God, but not as one thing, not as an old man in the sky. I believe that what people call God is something in all of us. I believe that what Jesus and Mohammed and Buddha and all the rest said was right. It’s just that the translations have gone wrong.
僕は神を信じているけど、唯一のものではないし、空の上の年老いた老人としてでもない。僕は、人々が神と呼ぶものは、僕たち全員の中にあるものだと信じている。イエスやムハンマド、ブッダやその他の人々が言ったことが正しいと信じているよ。ただ、解釈が間違っているだけだと思う。

本物の画家というのは何もない砂漠で異常なシーンを描ける人だ

癒しという言葉が丸薬みたいに使われるようになった最初は、大江健三郎のノーベル文学賞だと思う。あのストックホルムでの授賞式の講演の中で、癒すとか癒されるとかいう副次的な意味で使われていた言葉が『癒し』として、名詞みたいに、テーマに坐る言葉として使われていた

True happiness… is not attained through self-gratification, but through fidelity to a worthy purpose.
真の幸福は、自己の快楽によって達成されるのではなく、価値ある目的への忠誠心によって得られるのです。

自分を、好きな人、嫌いな人、世界を知りたいから歌詞を書いている。

憎しみや苦しみのない世界があるからお前来ない?って言われたら、「俺はいかない」って言うわ

日本の文化っていうのは、常に「明日は知れぬ身」って考えるのが基本じゃないですか。

小さい頃は、祖母が歌う英語の賛美歌を子守歌代わりに聞いて育ちました

感性を磨くとは、こうした直感を鍛えることだと思う

生き方の基準は、正しいか正しくないかではなく、美しいか否かである

悲しいことも苦しいことも、全てを楽しみに変えていけるのが人間の力だよ

この曲を聴いた人はハルジオンになりたいって言うんじゃなくて、土になって欲しい。そう、あんたは土なんだ。あんたにだってハルジオンは咲くんだと。此処、心の中にあるんだって。別に車に乗ってハルジオン咲いてる所に探しにいかなくたっていい・・だって、此処に咲いてんだから。(ハルジオンについて)

座って弾き語りやってても激しいなあこの音楽って思う時もある。だけど逆にフルボリュームでアンプ鳴らしてガーって大暴れしてるのに何も感じない時がある。それはもしかしたら内面が伝わってるんじゃないかと思うんですよ。

何かを表現していく人間にとって、自分の拠り所を気分に置いてしまうのは危ういこと

闇鍋みたいなもんですよ、人生。何入ってるかわかんないけどどれかつまんで食べるしかないみたいな

よほど守らなきゃいけないものができるとか。自分の人生をすべて捧げなきゃいけない時が来るんですよね。

自分のなかに自分だけが感じている匂いみたいなものだとか、あると思うんですけど

God is a concept by which we measure our pain.
神は痛みを測る概念にすぎない。

たいていの経営者は、その時間の大半を過ぎ去った「きのう」の諸問題に費やしている

さっき決めたんだーどうしてもどうしてもどうしても笑顔じゃいられない時以外は、笑っていようって

「最近バンドの調子がいいですね。」とか会ったこともない奴に言われる機会が増えました。そういう奴らには、これからも「おめー誰だよ!!??」ってやっていくんで、皆さんよろしくお願いします

We need to learn to love ourselves first, in all our glory and our imperfections.
僕らは、自らのすばらしさと不完全さのなかで、何よりも自分自身を愛することから学ばなければいけない。

「とりあえず、テレビのドラマに合った曲を書かなきゃいけない」とかって音楽の価値を下げることだと思う

なんかさー、ほら、あんまり愛された経験とかねぇだろ? お前らもそうだと思うけどさ。もう受け止めきれないんだよね。幸せ死にっていうジャンルがあったら確実に死んでる…いま

すべての偉大な画家はみな空間を探ります。厚みの観念の中にこそ彼らの力は宿るのです

現在持っているものに満足しない者は、持ちたいと思っているものを手に入れたところで、満足しないだろう

Being honest may not get you a lot of friends but it’ll always get you the right ones.
自分に正直でいれば、多くの友人には恵まれなくとも、いつでも理想の友人が得られる。

最近はお金持は多いけど、上品なお金持はなかなかいない。だいたいは下品だ

神に誓うな、己に誓え

人生は退屈すれば長く、充実すれば短い

俺はすごく欲張りな人間で完璧主義なの。表現の間口を広げていた時期は、まずはひとつのことに特化していって。例えば、「甘いものってなんだろう?」と考え始めると、甘いものを徹底的に追求していたけれども、最終的にはひとつのことが満たされたとしても物足りないんですよね

事業を行うときは、次の4つの条件を満たしておかなければならない。まず経営環境、使命、強みが現実と一致していること。そして、それらの条件が互いに合致していること。そして、周知徹底されなければならない。さらに、たえず検証されなければならない

イメージの共有がしたいだけなんだ。言葉の共有じゃなくてどこかもやもやっとしたイメージをひねりだして曲にする。そのもやもやを共有したいだけなんだ。それで「生きてやるぜ!」って思ってもらえれば、「生きるっていいな」と思ってくれればそれでいいです。

ロックであるとかないとか言ってるアンタが一番ロックじゃねえんだよ

幸せを手に入れるんじゃない、幸せを感じることのできる心を手に入れるんじゃ

この世は偶然に満ちている。だから人間は人工管理の街を造った。でも、街はいづれ老朽化し、その隙間から、追い出された偶然がまた顔をのぞかせる。カメラにはそれが美味しい

アイディアは出発点以上のものではない。固まったらその先かたちを決めるのは思考だ

見放さなければ、失うということもありません

常に非現実を生きてる気がしてならないなぁ。本当にこれ、私の生活か?

『健康法』にとらわれないことが、健康の秘訣

失敗する子が減ったかも知れない。安全な道を選びがちだけど、危険な道ほど行ってみようって思う気持ちも大事。

いいんだ。岡本太郎の責任でやるんだから

運命に抵抗したってしょうがないんですよ。 どうしようもないんですよ。 そういう俺が「sailing day」で運命に抵抗って歌詞を書いてるんですよ。 だってその方が楽しいじゃないですか。

情欲に流されるのはいい。だけど、流されているという自覚を持つんだ

みんながやっぱ、自分は人間のクズだと思ってればさ、素晴らしい世界が来ると思うんだよね(笑)。

No pessimist ever discovered the secret of the stars, or sailed to an uncharted land, or opened a new doorway for the human spirit.
悲観論者は星の神秘を発見したり、未発見の土地に航海したり、人類の魂への新しい扉を開くことは決してできません。

運命は、むしろ降ってきたものを遊んだ方がいいのだろう。自分で選ぶとなれば運命として遊べないが、上から下りてくる運命は、むしろそれ自体を遊べる。自決できる世界は考えたら自分の範囲の狭いものだが、突然やってくる他からの運命の世界は自分よりも広い。どうも運命を遊ぶ気持ちが、他力思想の自在さに繋がっていくような気がする

芸術作品が時代に先駆けてあらわれるとき、時代は芸術作品の後ろでもたもたしている

Music is everybody’s possession. It’s only publishers who think that people own it.
音楽はみんなのものだ。自分のものと思っているのは作った人だけさ。

戦争は戦争を養う

誰かが勇気ある決断をしなければ、どんな事業も成功しないだろう

今日此処に来たかったけど、チケット取れなかったヤツが沢山いるの分かってるから。そんなヤツらにも届くように唄ってるから。

”世界”というのは自分の中にあるんです

あなたの日常は唄になるんです。

基本的に完成は信用しない

いつもね 最新作が最高傑作なんだよ 僕の中ではいつもそうだよ

優れたプロとは、継続して自分の表現をしていける人のこと

アーティストの生き方を曲に乗せて、憧れていただく。あたしは全然そういうのやってないんだけど、語られる時にすごく良くないもののように、見世物のように言われますが、実際にはその時お客さんが欲してらっしゃる、期待してきたものであり、それを超えるものでなければいけないと思ってます。こちらの生活、暮らしとか気分とか、そういったものは一切知られてはいけない。それが芸。

インスピレーションは常に存在する。見つけに行くんだ

人は幸運の時は偉大に見えるかもしれないが、真に向上するのは不運の時である

曲を書く際に、人を感動させようとか、美しいメロディーを書いてやろう、と考えているわけではない

人は生涯、同一水準の作品しか書けない

Walking with a friend in the dark is better than walking alone in the light.
暗闇の中を友達と歩くことは、明るい中を一人で歩くことより良いもの。

自分が感動できるものを提出していかないと、周りの人、ひいては観客に響いていかない

あんたがたが俺の財産だ。俺達の誇りだ。それで生きていられるんだ。いっつも助けられっぱなしで申し訳ねぇと思う。精一杯作曲する。本当にありがとう

俺にとって音楽って魔物でしかなくて、常に。ごほうびなんて与えてくれないんですよ、基本的に。とにかく捧げものをひたすた貢いで貢いで貢いで貢いで、で、ちょっとおこぼれをいただくような真っ黒い、闇みたいな存在だった

Death is no more than passing from one room into another. But there’s a difference for me, you know. Because in that other room I shall be able to see.
死はただ一つの部屋から別の部屋へ移ることに過ぎません。しかし、私にとっては別です。なぜなら、その別の部屋ではきっと私は見ることができるからです。

世の中で生きてるうちに起こるほとんどのことは僕にとってたいしたことじゃない。それよりも1回のロックンロールコンサートの方が大きい。1枚のCDを聴くことの方がよっぽど大事件なんだ

宇宙には緊急な、致命的な、動かせない法則がある。なければならぬ

「たかが音楽にのせる飾りじゃないか」という想いと、「誰かの一生をも変えてしまうかもしれない不思議な魔法」という想い。その間で僕は今も歌詞を書く。

私は自分がやりたいことをやっているだけ

空に手を掲げれば、俺はここに存在してるって信じられる気がする。それは必然ではないけれど、存在理由として必要だと思う。要は下ばかり見るなってことだ。

今、俺の考えるライブは祭りだから、日本各地でみんなと祭りをやるという感覚が楽しみでしょうがない。小難しいことを考えず、嫌なことも全部置いてくればいいと思うんだ。きっと楽しめるはずだから

俺がホントについてるなぁとか幸せだなぁとか思うのは、周りにそうやって怒ってくれる人がたーくさんいるんですよね

私が死んだら、まるで船が遭難するようなものだな。大きな船が沈むと、その近くにいる人はみな、渦に巻き込まれてしまうんだ

成果をあげる者は、時間が制約要因であることを知っている。あらゆるプロセスにおいて、成果の限界を規定するものは、最も欠乏した資源である。それが時間である

真夜中の空を僕は今ひさしぶりに見ている

(RC時代、ローリングストーンズのパクリでは?の声に)なんだ、今頃気付いたの?

自分の作った曲で自分が震えたいし、自分を感じたいし、伝えたいし、証明したい。

私にとってはテレビは想像できるものしか映らない画面の一種でしかない

ウィンターってウィンターって意味じゃないらしいよ。(The Birthdayの神戸ウィンターランドでのライブにて)

画家がどれだけ素晴らしいパレットを持っていても意味がない。大事なのは、どんな眼を持っているかなんだ

勝手に誰かと比べられて、色々決め付けられるのってどう考えても悔しいな

人生とは自らの道である。一つのことを試みることであり、一つの道を端的に示すことである

今俺らがうたってる最中に向こうの方横切ってトイレ行ったりしてる奴ら、そいつらもここ(最前列)にいつか来させてやる。全員ギャフンと言わせてやる

『大切な人の死』という出来事は、大切な人が自分にくれる最後のプレゼントだと思います。どんな形の死であれ、僕はそう思います。だからこのプレゼントをいつまでも大切に愛することができます。
